延長戦

 魔女が後方を振り返り、大声で叫んだ。


「ほら、出ておいで!」


 しかし、その視線の先には室外機や変電設備が並んでいるだけだ。


 と——縦長の室外機の陰から、ついさっきどろどろに溶けたはずの半透明な由宇の肉体が、ひょいっと顔を出した。

 その顔には、例の醜悪な笑みが貼り付いている。

 ——体泥棒だ。


「そ、それじゃあ、まさか——」


 声を震わせる僕に、魔女が頷く。


「そう、アレがその小娘の、さ」

「ふ、ふざけるなっ!」

「別にふざけちゃいないよ。ちなみに、一つ前の部屋であんたらが逃がしちまったのは本物の方さ。あそこで捕まえられてれば、その時点であんたらの勝ちだったんだけどねえ」


 わざとらしい溜息を吐きながら、魔女がパチンと指を鳴らした。

 体泥棒の、半透明だった体に色が付く。

 隣から、由宇が息を飲む音が聴こえた。

 しかしその音は、もはや蒼梧には聴こえていないだろう。


 魔女が、魔法を解いたのだ。


「あいつは屋上にあがってすぐに、設備の裏に隠れたんだ。お前の勘の良さなら充分に気づけたはずだよ。最後の最後で、偽りの希望に目が眩んじまったみたいだねえ」


 頼んでもいないのに、魔女がべらべらと解説を続ける。

 その間に体泥棒は軽快なスキップでこちらへ近づいてきて、魔女の横へと並んだ。

 スカートの裾を持ち上げて恭しく一礼する体泥棒を見て、魔女が楽しそうに笑う。


「本物かどうかも見抜けないなんて、随分と頼りない騎士ナイト様じゃないか。ええ?」 

「この——!」


 由宇が、魔女に向かって両手を突き出す。

〝力〟を使う気だ。

 ほぼ同時に、蒼梧が魔女に飛び掛かかる。

 しかし——


「おおっと!」


 おどけた声をあげながら、魔女が素早く指を鳴らした。

 途端——由宇の魂は、キャア、と悲鳴をあげながら、自らの肉体へと吸い込まれた。


 入れ替わりに、白い人影が体から押し出される。

 きっと、体泥棒の魂だろう。

 自分の体へ戻った由宇は、ガクンとその場に崩れ落ちた。


 一方の蒼梧は、魔女に拳が届く寸前、ナハトの吐き出した大量のつるに巻き付かれ、自由を奪われていた。


「くそ——」


 必死にもがくも、蔓は頑丈で、そのまま蒼梧の体を数メートル上へと持ち上げてしまう。


 全てが、あっという間の出来事だった。


 魔女は小馬鹿にするように鼻を鳴らしてから、口をあんぐりと開けた。

 白い影が煙状となり、口の中へと吸い込まれていく。


 煙をごくりと飲み込むと、魔女は、


「ひっひっひっ——どうだい?久々の自分の体は?」


 そう言って、足元に転がる由宇の背中を、思い切り踏みつけた。

 由宇が、苦しそうな呻き声をあげる。


「残念だったね。そいつは、肉体というかせから解き放たれた魂特有の力さ。長年修行を積んだ術師ならともかく、その状態じゃあ使いこなせないよ」


 くそっ、何とかしないと。

 僕は慌てて、背後を振り返った。

 確かドアの近くには、蒼梧の手放したバットが——


「おや、あれが欲しいのかい?」


 パチリ、と指を鳴らす音が響き。

 気が付けば——転がっていたはずのバットは、既に僕が握りしめていた。


 狼狽ろうばいする僕に、魔女が言う。


「いいねえ、若いってのは。その最後まで諦めない勇姿に免じて——ここから先は延長戦だ」


 その両脇の空間がぐにゃりと歪み——生じた裂け目から、二体の異形が現れた。

 見知った顔だ。

 どちらとも、先ほど会ったばかりである。


 一匹は、手枷と足枷をつけていた、巨漢の赤い怪物。

 一匹は、目隠しをしていた、ひょろりとした青い怪物。

 ただし——今の彼らは、


 赤い怪物が、ゴキゴキと首を鳴らし。

 青い怪物が、黒目が異様に大きい、真ん丸な瞳でこちらを見据える。

 二体は僕という玩具おもちゃを前に、ニイイイ、と口の端を歪めて笑った。


「さあ——お姫様を救ってみな」

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