体泥棒
「それじゃあ、私の体がそこに……?」
由宇が、信じられないといった口調で呟く。
「うん、間違いない」
僕は魔女から渡された呪符を取り出した。
このふざけたゲームも、これでお終いだ。
しかし。
由宇の体まであと数歩というところで、抜け殻のはずの少女の顔が、にやりと歪んだ。
本物の由宇が、決してしないような表情。
その顔が、一瞬、激しくぶれ。
由宇ではない、全く別人の表情が重なる。
スキンヘッドの、ほとんど骨と皮だけの痩せ細った男が、醜悪な笑顔を浮かべていた。
僕が反応するより早く、そいつは地面を蹴り、僕に向かって弾かれた様に突進してきた。
思わず身を引く僕だったが、そいつは僕にぶつかる寸前に足でブレーキをかけると、方向を転換して僕の左脇——僕と由宇の間を走り抜けた。
「——くそっ!」
身を翻し、僕も走り出す。
由宇の肉体は出口へ向け、脇目もふらずに疾走していた。
「おい、どういう状況だ!?」
並走する蒼梧に、僕は大声で怒鳴り返した。
「由宇の体に——誰か、違う奴が入ってる!」
僕と由宇は、くねくねと折れ曲がった長い階段を必死に駆け上っていた。
壁面に埋め込まれた蛍光灯が、頼りない灯りで足元を照らしている。
蒼梧は既に、ずっと先を走っていて姿は見えない。
しばらくすると扉が見えてきた。
開けると、すぐ内側には蒼梧の背中があった。
「おお——来たか」
短く答えて、蒼梧が僕らを招き入れる。
そこは、廃ビルの屋上だった。
見たところ、元々のビルの外観そのままの広さに見える。
さっきまで居た二つの部屋に比べても、一回り小さい。
やはり、魔法で拡張されているのは建物の内部だけなのだろう。
先ほど窓から見えた通り、周囲に立ち並んでいるはずのビル群は影も形もない。
漆黒の闇にただ一つ浮かぶ大きな月が、青白い光で屋上を照らしている。
僕は蒼梧の横に並び、辺りを見渡した。
奥の方に、もう動いてはいない変電設備や空調室外機が固まって設置されているだけの、開けた空間だ。
「で、
「——中央」
答えながら、真正面の一見何の無いように見える空間を指差す。
僕には、にやにやと笑う半透明の由宇——蒼梧の言うところの体泥棒の姿が見えていた。
右の掌を上へ向け、クイックイッと指を曲げている。
昔、今のテレビで父親が観ていたカンフー映画の主人公が、あんなジェスチャーで敵を煽っていた。
捕まえてみろ、ということなのだろう。
どうやら、ここがファイナルステージということで良さそうだった。
僕はスマホで、タイムリミットを確認した。
——残り、十五分。
つまり向こうには、このまま十五分間逃げ切る自信がある、ということだ。
「由宇、さっきの力で、あいつを捕まえることはできそう?」
「やってみないとわからないけど——姿が見えないと、きついんじゃないかと思う」
となると、かなり厳しい闘いになりそうだ。
さっきの動きを見るに、向こうは女子バスケ部エースである由宇のスペックを、フルに活用できると思っておいた方がいいだろう。
そして、こちらは体泥棒の逃走に供え、誰か一人は扉を守っている必要がある。
普通に考えれば、蒼梧が追いかけるべきだろう。
しかし、蒼梧には奴の姿が見えない。
三人の中で一番ひ弱な僕に、果たして奴を捕まえる事ができるのか——
そんな事を、うだうだと考えていると、
「俺がやる」
蒼梧がそう呟いた。
「蒼梧?」
「中村君?」
ぽかんとする僕と由宇をよそに、蒼梧はバットを地面に置くと、ぴょん、ぴょんとその場で軽くジャンプし始めた。
「椎名、体に怪我させちまったらごめんな。先に謝っておく」
物騒なことを言いだす蒼梧に、由宇が、
「あ、うん」
と不安そうに頷く。
「おい、一体何する気だよ?」
由宇の代わりに尋ねる僕に、蒼梧は跳躍を続けながら答えた。
「さっきの、青い化け物の真似だよ」
——その両目は、しっかりと閉じられていた。
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