グラビア

「おーい!」


 ——突然響き渡った大声に、怪物が動きを止めた。

 由宇の声だった。


 見れば、怪物からだいぶ離れた位置の天井付近に、由宇が浮遊していた。


「こっちこっち!」


 由宇は両手をパンパンと叩いて、怪物を挑発した。


 なるほど。

 魔女の魔法で僕以外ともコミュニケーションはとれるようになっているものの、今の彼女には実体がない。


 散らかった室内でも足音を気にせずに動き回ることができるし、おそらくだが、空中を移動する際の空気抵抗なども皆無なのではないだろうか?

 考えてみれば、これほど陽動作戦向きな人材もいない。


 怪物は声のした方を閉ざされた目でじっと見据えた。

 それから唐突に大きく息を吸い込むと、プッ、と音を立て、勢いよく唾を吐き出した。


「うわっ——」


 一直線に射出されたそれを、由宇は咄嗟に身を翻してよけた。

 先ほどの投擲とは違い、反応できない速度ではない。


 唾はそのまま天井にあたり、ジュワア、という音と共に、付着したから白い煙があがった。

 ただの唾ではない——酸だ。


 果たして、今の由宇にどれほどの効果があるのかはわからないが——さっきの蜥蜴トカゲ人間の例もある。

 試そうなどとは思わない方がいいだろう。


「下手くそ!どこ狙ってんの!」


 由宇は怪物の攻撃にも怯むことなく、挑発を続けた。

 まだ飛ぶことに不慣れなのか、無重力状態の宇宙飛行士のようにくるくる回りつつも、高度を下げてロッカーの陰に隠れる。


 怪物は悔しそうに歯噛みすると、由宇を始末しようと、声のする方をひたすらに追いかけ始めた。

 どうやら、蒼梧への関心は完全に消え去ったようだ。


 今の内だ。

 由宇が作ってくれたチャンスを逃すわけにはいかない。

 僕は目を瞑り、精神を集中した。


 ただ無難に、安全なだけのロッカーを探しても意味がない。

 多少嫌な予感がしようとも、鍵の隠された『正解』のロッカーを探さねば——


 僕は目を開け、とあるロッカーをじっと見つめた。

 たぶん、アレだ。

 怪物と自分との位置関係に注意しながら、まっすぐ目的のロッカーへ向かう。


 ——それは扉のあちこちに、ステッカーを無理やり剥がしたような白い跡があるロッカーだった。

 側面にはサインペンのようなもので、まあ詳細は省くが、卑猥な絵やら単語やらが落書きしてある。


 息を殺し、そっと扉を開ける。


 ロッカーの奥には、一枚の色褪せたポスターが貼られていた。

 水着姿の女性が海辺に佇み、胸の谷間を強調したポーズをとっている。

 ただし、首から上にあたるポスターの上部は乱暴に破られてしまっていた。


 視線をロッカーの底に移す——あった。

 ストラップも何もついていない銀色の鍵が、無造作に置いてある。


 やった。

 やったぞ。

 正解だ。


 屈み、鍵を手に取る。


「——して」


 ぎょっとして、僕は顔をあげた。

 その声は、ロッカーの中から聴こえた。

 か細い、女性の声だった。


 しかし、ロッカーには先ほどまでと同様、誰の姿もない。

 聞き間違いか?

 立ち上がり、もう一度ポスターに目をやる。


 首のないグラビアアイドルが、


 先程までとは、明らかに異なるポーズ。

 息を飲む僕の背後から、今度ははっきりと声が聴こえた。


「返して」


 途端に、全身の毛がぞわりと逆立つ。

 ポスターの女が指差しているのは、僕ではなく——今、存在——


 慌てて振り向いた僕の目に飛び込んできたのは、宙に浮かんだ、若い女の生首だった。

 黒目の無い瞳に、青白い肌。

 長く伸びた髪が、だらんと床に垂れている。


「——返せええええええええええええええええええええええ!」


 鬼気迫る絶叫と共に、女の髪の毛が僕へと襲い掛かった。

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