目隠し鬼

 先ほど追いかけてきた赤い巨漢と同じく、そいつの耳はピンと尖っていた。

 しかしその皮膚は青く、体型もひょろりとしている。

 切れ込みをいれたような鼻に、細長い手足。

 顔には汚らしい襤褸ぼろ布を巻いて、両目を覆い隠していた。


「んっ?んん?んんんーっ?」


 いやらしくニヤニヤと笑いながら、両手を耳に添えている。


 ——音を聞いているのだ。


 嫌な汗が、僕の背中を流れ落ちた。

 僕の直感が〝絶対に近づいてはならない〟と告げていた。


 僕と由宇が動けずにいる中、蒼梧はそっと、足元に落ちていたスプレー缶を拾いあげた。

 何をするのかと思っていると——蒼梧は突然、缶を持った腕を大きく後ろへ引き、そのままサイドスローで遠くへと放り投げた。


 缶は、怪物から離れた位置のロッカーにあたり、ガン、と大きな音を立てる。

 瞬間——怪物は、弾かれたように走り出した。


 獣のように両手を地面についた、四つ脚での俊敏しゅんびんな動き。

 ロッカーを避けながら、音のした地点へ迷いなく向かっていく。


 あっという間に目的地へたどり着いた怪物は、


「ん?んんんん?」


 首を捻りながら、犬の様に、周囲の臭いをクンクンと嗅ぎ始めた。


 イルカや蝙蝠コウモリは、音の反響によって、視覚に頼らずとも周囲の状況を把握できるらしい。

 この怪物にも、それと似た能力があるのかもしれなかった。


 怪物の動きを一通り観察した後、蒼梧はすっと僕を指差した。

 意図を測りかねていると、今度はその指を、扉に書かれた文字へと向ける。



 ——なるほど、そういうことか。

 僕が鍵を探す間、先ほどの様に音を立て、怪物を攪乱かくらんする気なのだ。


 確かに、罠を察知しつつ鍵を探すのは僕にしかできない。

 僕は覚悟を決め、そろりそろりと、静かに動き出した。


 怪物はというと、今は(あくまで僕らから見てだが)部屋の左奥の方をうろうろしている。

 やはり、なるべくなら接近したくない。

 自然と反時計周りのような動きになる。


 一方の蒼梧は、慎重に、しかし迷うことなく、ゆっくりと怪物に近づいていく。

 無茶はするなよ——僕は心の中で、蒼梧にそう呼びかけた。


 僕らが今こうして生きていられるのは、これがあくまで〝ゲーム〟だからだ。

 仮にあの怪物が目隠しを取るようなことがあれば、おそらく蒼梧ですら——


 いや、考えるのはよそう。

 今は鍵探しに集中しなければ。


 僕はすぐそばにあった、引っ搔き傷だらけのロッカーに近づき、扉に恐る恐る手を伸ばした。

 正直、自信はない。

 怪物の邪悪な気配が大きすぎて、感覚が麻痺してしまっている。


 大丈夫だ。

 このロッカーからは、嫌な気配はしない。

 自分に言い聞かせながら、細心の注意を払って扉を開く。

 しかし——


 ガコッ。


 ——どれだけ気をつけても、微かな音はなってしまうものだ。

 怪物が、ピタリと動きを止た。


 まずい。

 焦りつつも、扉の隙間から、素早く中を確認する。

 底の部分に、何か小さなものが転がっていた。


 ——それは、鳥のひなだった。


 ところどころ、僅かに黒い毛が生えている。

 ピクリともしないところを見ると、きっと死骸だろう。


 くそっ——外れだ。

 心の中で毒づく僕の方に、


「んー?んんんー?」


 とにやつきながら、怪物がゆっくりとこちらを向く。


 思わず恐怖で凍りつく僕だったが、怪物が動き出す寸前、ガン、と大きな音が響いた。

 蒼梧が投げた瓦礫が、怪物のすぐ後ろのロッカーに当たったのだ。

 怪物と蒼梧との距離は、およそ十メートル程だ。


「……ん?」


 怪物は背後を振り向くと、慌てることなく、ロッカーの凹んだ箇所を指でゆっくりなぞった。

 そして、すぐそばに転がっていた瓦礫を拾い上げる。


「んんんー……」


 頬を指で掻きながら、数秒間なにかを考えた後——


「イヒッ」


 邪悪に笑いながら、瓦礫が飛んできた先——蒼梧の方へと顔を向けた。

 軌道を読んだのだ。


 蒼梧が思わず半身を引く。

 と——蒼梧の足が、足元に転がるビニール袋を踏んだ。

 カサリ、という微かな音。

 次の瞬間——


「ヒャハアッ!」


 目にも止まらぬ速さ、というのはこういうことをいうのだろう。

 あっ、と思った時には既に、怪物は瓦礫を投擲とうてきし終えていた。


 レーザーの様に射出された瓦礫が、蒼梧の顔をかすめ、壁に当たって粉々に砕ける。

 直撃は裂けたものの、蒼梧の頬にはうっすらと切り傷が出来ていた。


「……」


 蒼梧が傷口を軽く触り、流れる血を確かめる。

 その後で、バットを両手で握りなおし、剣道の竹刀を持つように構えた。


「イヒッ、イヒヒッ」


 対する怪物も、蒼梧に向かって歩き出す。

 両手を耳に添え、「どんな小さな動きも聞き逃さないぞ」と言わんばかりだ。


 両者の距離が、徐々に近づいていく。


 六メートル——五メートル——四メートル——……

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