迷路
しばらく進むと、T字路にぶつかった。
「どっちだ?」
「——右。左はヤバい感じがする」
蒼梧に即答する僕に、由宇が目を丸くする。
「わかるの?」
「修は勘が鋭い。こういう状況では特に」
僕が答えるより先にそう言って、蒼梧は右側の通路を、ずんずんと進んでいく。
蒼梧の目は暗いところでもよく見えるので、懐中電灯が必要ないのだ。
僕と由宇は、慌てて後を追いかけた。
放課後の教室で〝鉛筆少年〟に襲われる直前、僕はこれから自分を襲う怪異の予兆を感じ取ってはいた。
しかし、それまで本当に危険な相手に遭遇したことがなかったため、点滅している信号の色が赤だとわからなかったのだ。
それからしばらくして。
下校途中にまた違った怪異に襲われる経験を経て、僕はようやく自分の危機察知能力に確信を持つに至った。
——修はその感覚をよく覚えておいた方がいい。そうすれば、俺が傍に居なくても自分の身を守れる。
あちこちから人間の腕が生えた巨大な芋虫を踏みつぶしながら、蒼梧は僕にそう言った。
蒼梧の言葉は正しかった。
どうやら怪異というのは、〝視える人間〟に寄ってくるものらしい。
今やこの直感は、僕の生命線と言っても過言ではない。
その後も道が別れるたび、どちらへ進むべきかを僕が選択した。
〝何となくだけどこっちに行った方がいい気がする〟というルートを選ぶこともあれば、〝絶対にこっちにだけは行ってはいけない〟とわかるルートを避けて進む場合もあった。
やがて、目の前に階段が現れた。
蒼梧を先頭に、螺旋状の階段をぐるぐる回りながら上る。
一体、何階ぶん上っただろう?
ビルは六階建てだが、明らかにそれより高い地点にいるのはわかる。
階段を上り終え、ドアを開ける。
そこは建物の端に位置している部屋らしく、正面の壁には窓が並んでいた。
その窓ガラスの向こうに広がる光景に、僕は思わずぎょっとして立ちすくんだ。
本来であれば、静まりかえった夜の街並みや、まばらに輝く星々が見えるであろう空間には、まるで墨汁で塗り潰した様な、不自然なまでの漆黒の闇が広がっている。
そんな異様な空間から、巨大な皺だらけの顔面が、室内を覗き込んでいた。
魔女だ。
大きすぎて、窓越しでは顔の中心部しか視認できないが、間違いない。
ぽっかり空いた二つの空洞が、僕たちをしっかりと見つめている。
隣には、やはり巨大化したナハトの顔もあった。
まるで、ドールハウスの中の人形になった気分だ。
「ひっひっひっ、やってるねえ」
魔女は楽しそうに笑いながら、僕らに語りかけた。
「そもそもは別な内容のゲームを考えてたんだがね。参加者が増えるにあたって、土壇場で趣向を変えたんだ。用意した障害も、あんたらが力を合わせればちゃあんと切り抜けられるくらいのものにしてある。どうだい、楽しんでるかい?」
「お陰様で」
蒼梧の無愛想な返事も気にせず、魔女が続ける。
「そうかい、そうかい——にしても、小娘」
「な、何?」
「清純そうな
思わず絶句する由宇を見て、魔女が嘘くさい溜息をつく。
「なんだ、まだなのかい?いけないねえ。無事に帰れたら、取り戻した体で精一杯ご奉仕してやらなきゃダメだよ。せめて、しゃぶるくらいは——」
「おい!いい加減にしろ!」
僕は思わず大声をあげ、魔女の言葉を遮った。
「なんだい、怒ることないだろう?それとも、たとえ親友でも女を分け合うのは嫌——って話かい?」
強欲だねえ、と魔女が笑う。
「それじゃあ、もっと頑張っていいとこ見せなきゃねえ。アタシが小娘だったら、まず間違いなくアンタじゃなくてそっちの男前を選ぶよ。——ま、アンタだって、そんなことは百も承知か。ひっひっひっ」
「このっ——」
思わず窓硝子に懐中電灯を投げつけようとした僕の腕を、蒼梧ががっしりと掴んで止めた。
「落ち着け」
「——わかってる」
歯噛みしつつ、渋々頷く。
「行こう」
蒼梧は短くそう言うと、魔女にくるりと背を向けた。
よく見れば、僕らが入ってきたドアの隣りにはもう一つドアがあった。部屋には他に出口はない。
先へ進もうとする僕らに、魔女がしつこく話しかける。
「そうそう、親友同士、仲良くしなくっちゃあねえ」
蒼梧は振り向くことなく、背後の魔女に向け、黙って右手の中指を突き立てた。
ドアの先には、長い長い一本道が続いていた。
警戒しながらしばらくの間進んでいると、突然背後から、獣が唸るような、
「ぐるるるる……」
という声が聞こえた。
慌てて振り返り、後方の闇を懐中電灯で照らす。
光の先には、もう少しで天井に頭がつきそうな程に大きい化物が居た。
力士のような体型に、赤い皮膚。
頭に髪は生えておらず、両耳はピンと尖っている。
小さな吊り目に、大きな団子鼻。
下顎からは、猪の様な牙が二本生えていた。
両手には木製の手枷を嵌め、右の足首は鎖で鉄球に繋がれている。
「——ぐおおおおおおおおっ!」
野太い
勢いよく鉄球を引きずりながら、こちらに向けて突進してくる。
「逃げろっ!」
蒼梧の掛け声で、僕らは一斉に走り出した。
後ろを確認する余裕などなかった。
懐中電灯の光が上下する中、蒼梧、由宇、僕の順番で、暗闇の中をがむしゃらに逃げる。
数十秒ほど走っただろうか——息も絶え絶えになったあたりで、前を走る蒼梧が叫んだ。
「ドアだ!」
前方を照らすと、確かにそこにはドアがあった。
蒼梧が体当たりする様にドアを開け、向こう側の空間へと消えた。由宇もすぐにその後へ続く。
すぐ後で咆哮が響き渡る中、僕はドアの向こうへと転がり込んだ。
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