屋上

 蒼梧に「あまり思いつめるなよ」と釘を刺されたものの、そう簡単に割り切れるものでもない。

 悶々もんもんとしつつ迎えた昼休み。

 僕は一人、屋上へと向かった。


 多くの学校は安全上の理由から、屋上への立ち入りを禁止している。

 例外もあるのだろうが、うちの中学はその稀有な一校というわけではない。


 ではなぜ僕が屋上に出られたかというと、ずばりドアの鍵が壊れているからだ。

 一応、ドアには「立ち入り禁止」と書かれた紙が貼ってあるものの、入ろうと思えば誰でも入れる。

 

 うちの学校は牧歌的で、不良らしい不良もいないため、学校側もその程度の処置で充分だと判断したのだろう。

 それをいいことに、僕は憂鬱な気分の時はよく、屋上で寝転がって昼休みを過ごすのだ。

 ありがたいことにこういう時は、蒼梧も空気を読んでくれて、僕を一人にしてくれる。


 青空を眺めながら、僕は由宇のことを考えた。


 小さい頃の由宇は、短髪で、ボーイッシュな見た目だった。

 それが中学に入ってからは、徐々に髪を伸ばし始め、今では肩口くらいまである。


 そうした変化もあってか、近頃では男子生徒達による「クラスの可愛い女子」というような下世話なランキングでも上位へ食い込むようになってきており、僕は内心焦っていた。

 失礼な話——ライバルは少ないだろうと高をくくっていたところもあったのだ。


 彼女は、果たしてどうなってしまったのだろうか?

 ついつい嫌な方、嫌な方へと考えてしまう。

 どうか、無事でいてほしい——そう思いながら、僕はそっと目を閉じた。






 どれくらいそうしていただろう。

 校庭からの楽しげな喧騒に混じって、どこからか、歌が聴こえてきた。

 か細く、寂しい、儚げな歌声。


 たしか少し前にやっていた、男性アイドルが主演の青春映画の主題歌だったはず。

 愛がどうとか、君がどうとか、そんな歌詞のやつだ。

 気が付かなかったが、屋上に先客でも居たのだろうか。


 僕は目を開けると、上体を起こして、歌声の聴こえた方へと顔を向けた。

 少し離れた位置にある、給水タンクの上。

 そこに、彼女が——由宇が、居た。


 由宇はタンクに腰かけ、足をぶらぶらさせながら、空を見上げていた。

 その姿は異様なまでに存在感が薄く、僅かに透けた体の向こうに、流れる雲の動きを見てとれた。


 魂。

 ふと、そんな単語が頭に浮かんだ。

 それが何を意味するか——理解するのを、脳が拒否する。

 僕はただ呆然と、由宇の姿を見つめ続けることしかできなかった。


 やがて、歌が終わり。

 由宇は体を前へと傾けると、給水タンクから飛び降りた。

 いや、舞い降りた、といった方がいいかもしれない。

 物理法則を無視し、質量の無い体が、ゆっくり、ふわりとコンクリートの地面に着地する。


 ふうと息をつくと、由宇は屋上を見渡し——僕と、しっかり目があった。


 そこで初めて僕の存在に気が付いたのだろう。

 由宇が、ぴたりと動きを止めた。

 数秒の沈黙。

 それから、慌てた様子で自分の背後を振り返る。

 当然、そこには誰も居ない。


 視線を戻した由宇が、信じられないといった表情で僕に尋ねた。


「守谷君……私が、見えるの?」

「う、うん」

「嘘!?本当に!?」


 由宇はそう叫ぶと、物凄い勢いでこちらへと走り寄ってきた。

 思わず後ずさる僕だったが、由宇は構わずに距離を詰めてくる。


「ねえ、本当に!?本当に見えてる!?聴こえてる!?」

「み、見えてるし、聴こえてるよ。ていうか、えっと——」


 続く言葉を必死に探したが、結局見つけることが叶わず、ようやく口から出たのは次のような間抜けなものだった。


「——歌、上手かったんだね」


 由宇は一瞬きょとんとした後、


「何それ」


 そう言って、泣きそうな顔で笑った。

 それが僕と由宇との、久しぶりの会話だった。

 

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