埋葬

 すっかり日が長くなったなあと思いつつ、僕は再び自転車を漕いでいた。

 前のカゴには、オーマの入ったゴミ袋と、先ほども使ったシャベルを積んでいる。


「次の角を右——で、そこを左です」


 近所の住宅街を、ひたすら走る。

 さっきから同じところをぐるぐる回ったり、時折引き返したりしているが、どうやらこれで正解らしい。


「修さん。少し前に、この町に台風が来たでしょう?」

「ああ——大変だったね、あの時は」


 この辺りは昔から水害の多い土地であり、川の近くには〝水の神〟である河童を祀ったほこらがあったりする。

 つい一週間ほど前も、台風の直撃で近隣の川が氾濫したばかりだ。


 我が家は特に被害にはあわなかったのだが、川の近くの建物の多くが浸水してしまい、屋根の辺りまで水に浸かったコンビニの映像が全国区のニュースで流れていた。


「あの台風が原因で、この辺りの土地は今、向こう側との境界が非常に曖昧になっているんです」

「向こう側?」

「私が普段住んでいる世界です。——あ、着きましたよ」


 見れば住宅街真っ只中、細い路地の入口に、真っ赤な鳥居が立っていた。僕の記憶では、ここにこんなものは無かった筈なのだが。

 加えて、先ほどまでは確かに存在した、漏れ聞こえてくるテレビの音や子供の泣き声といった生活音の一切が、いつの間にやら消失していた。


 空まだ明るいのに、鳥居から覗く向こう側には深い霧が漂っている。

 それは、ひどく不気味な光景だった。


「ここは、向こう側への抜け道の一つです。決められた経路を辿らなければ、この鳥居は行き着けません」


 では行きましょう、とオーマに促され、僕は仕方なく自転車を押して鳥居を潜った


 無論、僕だって考えなしに言いなりになっているわけではない。

 怪異に面した際、僕の勘は異様に鋭くなる。

 オーマからは、邪悪なものを何も感じなかった。

 少なくとも、僕を何らかの罠に嵌めようとしているわけではないだろう。

 ——まあ、頼りにされると断れない性格だというのも大きな要因ではあるが。







 鳥居の中へ足を踏み入れた僕は、恐る恐る辺りを見渡した。

 そこは、小高い山の頂らしかった。

 辺りには木が生い茂っているが、鳥居から覗いた向こう側には、やはり閑静な住宅街が広がっている。


 僕はスタンドを立てて自転車を止めると、木々の合間から山の周囲を一望した。

 そこは一面の霧にけぶる、灰色のビルが建ち並ぶ異界の街だった。


 建物はあちこちが黒ずんでいたり、亀裂が走っていたり、蔦に覆われていたりと、見た目は軒並み廃墟のようであった。

 空の色は赤。僕の世界の夕焼けとは異なる、まるで血のような真紅だ。


 そしてそんな赤い空に、漆黒の太陽が昇っている。

 遠くの方では骨しかない巨大な魚が、悠々と空を泳いでいる。


「ここは、一体……?」

「生と死、きょじつ、夢とうつつ——それらの狭間に存在する場所です」


 わかったような、わからないような、何とも抽象的な説明だ。


「いろんな人がいろんな名前をつけていますが、仲間内ではこう呼んでいます——〝さかいの世界〟と」

「境の、世界」

「あ、それと、あまり鳥居から離れない方がいいですよ。鳥居が見えない位置まで行ってしまうと、せっかく開いていた抜け道が塞がってしまうので」

「そしたら、もう戻れない?」

「いえいえ、そんなことはありません。が、先ほどのように厄介な手順を踏まねばならなくなりますので、お勧めはしませんね」


 確かに、「街には近づくべきではない」と、僕の勘も告げていた。

 やることをやって、さっさと帰ろう。


 僕はオーマに言われるまま、地面に穴を掘り始めた。

 穴を掘っている間、オーマは僕に自らが轢かれるに至った経緯を話した。


 オーマは子猫の時分から無鉄砲な性格だった。

 今回も、異界への抜け道が開いたと知って、意気揚々いきようようと探索に乗り出したのだ。

 これまでにもそうしたことは何度かあり、定期的に異界の品(その殆どがお菓子の包みや、壊れたビニール傘といったゴミだったが)を持ち帰り、宝物にしていた。


「しかし、まさか自分が車に轢かれるとは——その瞬間が訪れるまで、夢にも思いませんでした」

「わかるよ。僕も一度、経験あるし」

「おや、そうでしたか。痛いですよね、あれ」

「うん、痛いよね」


 互いに深々と溜息をついた後、


「それでですね」


とオーマが続けた。


「この世界の猫は、死んですぐ土に埋めてもらえれば、蘇ることができるのです。心臓から植物の芽が出て、やがてその芽が木となり、枝についた実から、記憶を引き継いだ新しい私が生まれます」

「へえ。そりゃ羨ましい」

「しかし、埋める場所には決まりがありまして。その猫が生まれた世界——即ち、堺の世界の土でなければいけないのですよ」


 なるほど。だから僕にここまで運んでもらったというわけか。

 そうこうする内に穴がちょうど良い深さとなったので、僕はオーマをその中へ横たえた。


「蘇りには、どれくらいかかるの?」

「長くて半年、早くても数ヶ月でしょうか。本来ならばまた改めてキチンとお礼をしたいのですが、それもいつになるか——」

「いいよいいよ、気にしないで。それより、これからは車に気をつけてね」


 ありがとうございますとお礼を言うオーマに、僕は少しずつ、そっと土をかけていった。

 埋葬を終えた僕は、鳥居を潜って元の世界へ帰った。

 鳥居から離れるにつれ、徐々に徐々に、世界に音が戻っていった。







 翌日の学校帰り、僕は鳥居があった場所に再び足を運んでみた。

 しかし、そこには当然のように、細い路地があるだけだった。

 やはり、決められた順序を守らねば辿り着けないらしい。


 記憶を頼りに、教わったルートを再び辿ってみようかとも思ったが——結局、実行するのはやめにした。

 昔の人も言っていた。

〝好奇心は猫をも殺す〟と。






 ——そういう訳で。

 僕が境の世界を再訪するのは、もう少し先の話となる。

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