僕らの境界奇譚

阿炎快空

「——あのう、すいません」


 猫の死骸が遠慮がちに声をかけてきたので、僕はシャベルで土をかけていた手を止めた。

 とある夏の日の午後のことだった。





 

 その日、中学校から自転車で帰宅した僕は、自宅前の道路で猫の礫死体れきしたいを見つけた。

 全体に黒とオレンジが入り混じった二毛猫——いわゆる「サビ猫」というやつだ。

 首輪もないし、おそらく野良だろう。


 動物は嫌いではない。

 むしろ好きな方だと思う。

 とは言え、これがその辺の適当な道路であれば、少しだけ眉をしかめ、心の中で手を合わせて終わりだっただろう。

 しかし、自宅の前で死なれていては、素通りするのも何となく気が引けた。

 

 確か小学校低学年の頃だったか。

 地方ということもあって、学校の正門前で、狸が車に轢かれていたのを思い出す。

 なかなか正視に耐えない姿になってしまっていたため、生徒達にショックを与えないよう、先生達が慌ててどこかに運んでいたっけ。


 あれは結局、校庭の隅にでも埋めたのだろうか?

 それとも、どこかしかるべき事業所にでも連絡したのか?


 まあなんにせよ、自宅の庭に埋める分には問題ないはずだ。

 貸家でもないし、昔飼っていたハムスターという先客もいる。


 鍵を開け、家に入る。両親とも、まだ仕事から帰っていなかった。

 僕はキッチンからポリエチレンの手袋と家庭用ゴミ袋を取ってくると、さっそく埋葬作業へと取り掛かった。


 わずかに飛び出したはらわたから目を晒しつつ、ゴミ袋の中へ猫を入れる。

 手袋ごしではあったが、小さな体からは、ほんのりと暖かさが感じられた。

 まだ死にたてのようだが、この暑さではグズグズしているとすぐに虫が湧いてしまいそうだ。

 

 庭にはタイミング良く、親が使用したのであろうガーデニング用の小さなシャベルが放置してあった。

 蝉の声が響き渡る中、僕は植えてあるサルスベリの傍らに、シャベルの切っ先を突き立てた。

 

 ——数分後。

 ある程度の深さとなった穴の中に、猫をそっと横たえる。


「じゃあね」


 そう小さく呟き、パラパラと土をかけ始めた、ちょうどその時であった。

 猫がこちらを見上げ、


「あのう、すいません」


 と申し訳なさそうにあげたのは。


「埋葬するのは、もうちょっとだけ待ってもらってもよろしいでしょうか……?」






 前にYouTubeで「人間の言葉を話しているように聴こえる鳴き声の猫」の動画を観たことがあったが——サビ猫の声は、それの比ではなかった。


 空耳や幻聴ではない。

 確かに、はっきりと聴こえた。

 女の子の声なので、きっとメスなのだろう。

(後に知ったが、二毛猫や三毛猫は、その殆どが雌らしい)


「あ、ごめん」


 僕は慌てて、シャベルを地面に置いた。


「まだ生きてるとは思わなくて、早とちりしちゃって」

「良かった。やっぱり、私の声が聴こえるんですね?」


 あなたには聴こえそうな気がしたんですと、猫が安堵した声音で言う。


「謝らなくてもいいですよ。ご厚意なのはわかっていますから。それに、決して早とちりというわけでもありません。実際、私は死んでいましたので」

「そうなの?でも、こうして僕と話せてるけど」

「あなた以外の人には、きっとあなたが死骸を前に一人でぶつぶつ喋っているように見えるでしょうね。あなた——できる人でしょう?」


 まあね、と頷く僕。

 の言う通り、僕は未練を残して彷徨さまよう亡者の魂や、夜の闇に潜む得体の知れない何かといった、「この世ならざる者達」の存在を感じ取ることができるのだ。


「やはりそうでしたか。道理どうりで、私が喋っても驚かないわけです」

「いや、これでも割と驚いてるんだけどね。今までいろいろ体験してきたけど、猫と話すのは始めてだよ」

「それは光栄ですね。——っと、申し遅れました。私、オーマと申します」

「オーマ?」

「はい。〝逢魔時おうまがとき〟のオーマです。この毛の色が、昼と夜とが入り混じっているように見えるでしょう?」

「ああ、なるほど」


 いい名前だね、と僕は素直に感心した。

 正直、最初は変な名前だと思ったのだが、由来を聞くと途端に格好よく思えてくる。


「僕はおさむ守谷もりや修」

「修さん、ですか。あなたもいい名前です」

「ありがとう。それはそうと、君の死骸は一体どうすればいいのかな?」


 その件なんですが、とオーマが上目遣いでこちらを見つめた。


「実は修さんに、折り入ってお願いがあるのですよ」

「何?」


「私の体を、〝とある場所〟に埋めて欲しいのです」

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