32

「という訳で魔王復権派による近隣諸国でのテロはこの14年前の全権大使襲撃事件を最後に一旦は沈静化したのです」


リシリーはアカデミーの小講堂でテオの講義に耳を傾ける。テオはベストから懐中時計を取り出し文字盤を確認する。


「講義の時間は15分程残っていますが、今日の講義でお話しなければならない内容はお話しましたので希望者は退室してかまいません。残った時間で全権大使襲撃事件について詳しくお話できればと思っておりますが……」


講堂にいた半分ほどの学生が筆記具を仕舞い始める。後方の席を使っていた者からは立ち上がる者も出始めた。


「ああ、来週の講義から教授が戻ってきますからね。今日みたいに居眠りはできないですよ。そのつもりで」


テオがそのように言うそばから数名の学生が講堂を出た。


「さて、14年前というと」とテオが言う、ネクタイの位置を直した、ふと1秒も満たない時間ペンを持ったリシリーを見た「この講堂にいる大半が5歳か6歳。ああ、留年した者もいるから7歳だった者もいるね」


「こっちばかり見てないで続けて」とラフな服装をした犬耳の学生がそう言うった、すると小講堂はささやかな笑いに包まれた。


「期待通りの反応をありがとう」とテオは犬耳の学生にサムズアップする。


「もう留年したくないんで期待通りの評価をお願いしますよ」と犬耳の学生が答える、彼の周囲の学生が笑った。


「評価をつけるのは僕じゃなく教授だからね」テオが言うと講堂は再度、かすかな笑いに包まれた。


「まあ、教授に彼は熱心な学生だっと伝えておこう」とテオが言うと「それで手を打ちますよ」と犬耳が答えた。


「よし、では講義とはあまり関係ないですが14年前の事件についてお話ししよう。事件が起きたのは12月7日、昼過ぎでの事でした。当時の王太子殿下、今の国王陛下ですね、王太子殿下の御邸宅でお食事をされた公国からの大使ご一行が王宮の南に掛かる橋を通過した時に起こった」


「爆発物が投げ込まれた」学生の一人が言った。


「そう、その通り。一般的にはそういう事件だったと認識されてるね。一行のうち先頭の王太子と王太子妃、それに王太孫を乗せた馬車が橋を抜けたちょうどその時。その後ろの第二王子、今の王弟殿下と妃、そして公国全権大使が同乗した馬車が橋の真ん中あたりに差し掛かった時でした」


学生の一人が手を挙げた。テオが指さし質問を促す。


「王弟殿下がご同乗だったというのは初耳です」


「ね、僕も最近知りました」ハハハとから笑いがテオから漏れる「実はこの時の全権大使というのが第二王子妃の弟君であられた、要は王弟殿下は義理の弟さんと同乗だったわけ」


学生の一部から「へー」という軽い感嘆が漏れる。


「皆もあまり知らなかったでしょう」テオが学生の反応を見る、一部の学生が首を縦に振る「当時は王太子ご夫婦と王太孫殿下がご無事だった事、大使閣下の馬車に爆弾が投げ込まれた事、幸い馬車に乗っていた方々は無事で、爆発に巻き込まれた群衆が1名と犯人が1名、計2名が亡くなった事などがニュースで取り上げられました」


「馬も2頭、亡くなってます」学生の中から声が上がる。


「そうだったね。犯人が一人と巻き添えの市民、それに馬が2頭、この事件で命を落としました。ほかにはケガ人も多数。事件後、大使閣下は橋に入る直前で止まっていた第二王子の馬車に乗り換え別ルートで王城に向かいました」


テオは教壇に置かれたグラスで水を飲んだ。


「犯人は魔王復権派だったとされているが、その証拠はありません」


テオの話を聞いていた学生がざわめきだす。


「たしかに犯人が身を潜めていたらしい郊外の風車跡には魔人族に関する資料や同化法や吸収法などに触れた禁書のはずの魔術書が見つかっています」


「では魔王復権派だ!」と学生の一人がほえる。


「そうです、当時の状況を思い返せばそうだと断定した事は容易に想像できます、王国と公国の両国の同盟延長締結に反対する勢力といえば魔人族、これが定説ですからね」


「だとしたら!」と何かを言いかけた学生に対しテオは手の平を付きだし静止する。


「犯人は当日の行動俵をどこからか手に入れていました」突き出した手を収めると教壇の上に置いた手帳を持ち開く「その行動俵にはこのように書かれています」テオは手帳に書かれたメモに目を落とす「昼食後、大使の馬車を先頭に出発、次に王太子、第二王子の順で出発の事」手帳を閉じ学生たちに視線を戻した「これは前日までの打ち合わせの段階ではすでに決定していた内容で、当日の警備などに参加した警察官や近衛兵にもこのように通達されていた情報です」


学生の中から「順番が違う?」と誰かが言った、その声はか細い女性の声だった。


「その通り、今の発言はどなたですか? テストに加点するように教授に言っておきますよ」


犬耳の生徒が手を挙げる。


「自分ではないでしょ、ははは。女性の声でしたよ、ちゃんと聴いてましたから」


学生の笑い声にまじって「ちぇ」という声が混じる。


「誰でもない?」テオは学生を見渡す、他に手を挙げる者はいない「まあ、良いでしょう。で、誰かが言ったとおり順番が違う。なぜか、事件当日の昼食会の終わりがけ、第二王子妃が大使と話し足りないのではないかと当時は王太子だった国王陛下が姉弟での馬車への同乗を提案したそうです。二人は実の姉弟ですからね、昼食会でどの様な会話があったかはわかりませんが、仲の良い様子をご覧になった陛下の計らいでしょう。事実、王太子の邸宅にいた警護担当だった近衛の上級士官は複数回の無線連絡、さらには早馬まで走らせてます、現在では連絡の内容こそ不明ですが近衛本隊への確認用だったのだと想像できますね。また、この日は王太子邸からの出発が10分遅れています。遅れた理由については不明ですが、王太子付き侍従のその日の報告書には折衷案にて移動と書かれています」


「侍従と王太子殿下が言い合いになった」犬耳が言った。


「言い合いってのは大げさなんじゃないか?」横に座る無精髭の学生が言う。


「そうだね」とテオが会話を引き取る「言い合いに近いものになったかもしれない。侍従って仕事は大変なんだ、食事会の席順を決めたり、スピーチの内容を考えたり。誰が先頭で王城に入っていくかなんて事も大の大人が何時間も議論して決めるんだ。今回もまさしくそうだったはずでね、相手は公国の宰相で公王の名代で来た人物だ、王太子殿下より先に入城するのは誰もが認める事なんだね、ところが……」


「第二王子妃が先には入城できない」犬耳が言う。


「正解!」


「お、テストで加点だ」


「ま、教授には良い様に言っておくよ」テオがそういうと「よしっ」という声が犬耳から漏れる。


「彼のいった通り、第二王子妃が王太子殿下より先に入城する事は認められない。なぜか……」


「義妹とはいえ公国から来た人が王族より先に入城すれば公国への恭順を意味します」メガネの女学生が言う。


「まあ、大袈裟に言えばそういう事。即座に恭順というわけでは無いけど、国中の貴族の反発はまったなしになるね、今の王家は弱腰なのかーなんて声が上がりかねない」


「くだらないねー」無精髭がつぶやく。


「案外くだらなくないぞ。たとえばけど、今までの学校でも居ただろう、雑用ばかりやらされる奴、一度でも引き受けるとずっとやらされてしまう。例え第二王子妃であったとしてもだ、国家元首かその代理でもない人物が王族より先に入場するって事は、その一度目を意味する。前回はよかったのにーとか、今回は何故ダメなんだーと、次第に要求がエスカレートしかねない訳…… 話が脱線したね。まあ、簡単に言うと王太子殿下が先に入城こそしたものの、王弟殿下、当時の第二王子だね、殿下が同乗することで大使を同格の扱いにしたって事」


「それで」メガネの女学生が手を挙げる「公国は納得したのでしょうか?」


「うん、気になるところだよね。結論を言うと納得した。大使は公務よりプライベートを優先した、そういう事になっている。また、王城側でも王妃殿下が急遽、城門まで迎えに出た、これで公国側もメンツが立つはずだ、こちらも王国側としては息子の義弟を個人的に迎えに行った、あくまでもプライベートな事としてだって事になってる。こういったバランス調整で外交上の蟠りは溶けるかに見えた」


「でも襲撃事件が起こった」


「その通り」テオが声のぬしを見る、目が合ったのはリシリーだった「問題は犯人がどの馬車を狙ったのか、なんだね。今日、出席の中で貴族家出身の者は」テオがざっと講堂を見回す「半分くらいか、貴族家出身で無い者にとっては馴染みがないかもしれないが、王族の紋章は国王陛下、王太子、王太孫、第二王子ですべて違う……」


「先生」犬耳が挙手する「この講座をとってる奴は皆んな知ってるよ」


犬耳の言葉を受けてテオが「ああ、たしかに」と言うと講堂が笑いに包まれた。テオの視界の隅にリシリーのクスクス笑う様子が入った。


「まあ、なんだ。ようは襲撃犯がその紋章を区別できたのかっていう話なんだ。当時の捜査資料では犯人は文字を読めたかすら怪しいと判断されている。また、皆も周知の通り我が王国と公国は出自を共にする仲だ、国旗こそ違えど、その紋章は専門家でもない限り見ても即座に判断はつかない。文盲だった襲撃犯が大使の馬車を的確に狙えただろうか」


「まってくれよ先生、馬車には国旗がついていたはずだ」


「その通り、大使の馬車には公国の国旗がついてるから見分けがつくはずだって言いたいんだろ? でも残念、全ての馬車に王国と公国、両方の国旗がついてた。大使の馬車もしかりだ。国旗での判断は難しい。やはり大使の馬車を狙うには護衛が身につけていた紋章を見分けるしかない。でも犯人にはそれも難しい」


「じゃあどうやって大使を狙ったっていうんだい」


そう言った犬耳をテオはまた制すように手のひらを突き出す。


「もう一つ情報を加えましょう。先程も言ったように当時の捜査資料では犯人は文盲だったらしい事が示唆されていた。そして犯人は大使が乗る馬車に向けて爆弾を投げた。で、この爆弾はどこから来たのか」


「たしかお手製だった」無精髭がつぶやく。


「そう。犯人による手製の爆弾だった。それも頑強な馬を2頭に巻き込まれた市民をひとり、しっかりと殺せるような精巧な爆弾だった、魔力も込められ威力を底増ししたような特別品だ、本当に彼にそんな物が作れたのか? ここアカデミーに通う学生なら文字が読める、なら論文を紐解いていけば作れる。兵器工廠に出入りするような職人なら作り方を見ている、理論は解らなくとも見様見真似でもって作れるね。では、この襲撃犯はどうだったか。親は農民で、本人も成人してからは王都で靴職人の修行をした人間だった。果たして本当に彼ひとりでそんな爆弾を作りえたのか? 皆んなはどう考える? 誰か作り方を教えた人間がいたと思わないか? もしくは犯人のお手製に見えるよう細工した爆弾を用意して渡したと、そう思わないか? 犯人には協力者が居たとそう考える方が自然な気がしないか?」


「事件があった時に橋にいた人物は全員身元がはっきりしている…… みたいな事をどこかで読んだ事があります」メガネの女学生が言う。


「正解。事件直後、近衛兵により橋は封鎖され、橋上にいた市民は全員尋問された。その上で犯人と接点のある者や王族に叛意を持つ人物がいない事はしっかりと調べられた。共犯者としても事件で橋が封鎖される事は目に見えているから、迂闊には近づかなかったはずだ」


「では共犯者はどうやって大使の馬車であることの指示を?」


そう言ったメガネの女学生の方向を犬耳が向くと「鏡だ」と言った。


「鏡でピカピカってしたんだよ」


「そんなの、警戒中の近衛の誰かが気がつくわ」


「そうだね」とテオが言う「当時は近衛だけでなく王都警察も警戒にあたっていた。具体的には王太子邸から王城まで道のりを近衛が、その道路周辺を王都警察が警備していた。てことは橋の上は近衛が、橋から見える箇所、つまりは鏡で光を届ける事ができるような箇所は王都警察が警備してたってわけだ。ところがどちらの警備の担当者も何か不審な事は見ていない」


「無線だ」犬耳が叫ぶ。


「14年前だぞ、ここ数年でようやく車に詰めるサイズになったんだ、近衛だらけの橋の上で個人で運べる訳がない、怪しすぎる」無精髭が犬耳に語りかける。


「その通りだ」テオが指を鳴らす「橋の上に共犯者はおらず、通信する方法もない。となれば犯人はなんの情報を元に爆弾を投げた? 」


「アジトにあった行動表か?」犬耳がポツリと言った。


「まってください」と、メガネの女学生が続けた「狙われたのは国王陛下という事に…… いや。そんな事が」


「そう」テオのその声は低いくぐもった声だった「現場には他と連絡する手段が無く、一般の人にはどの馬車に誰が乗っていたかわからない状況だったんだ。でも犯人は事前に知っていた、文盲といえども王太子や第二王子、全権大使の単語くらいは分かるはずだ。共犯者は恐らく、行動表を持って犯行前の犯人にこう言った、2番目の馬車を狙えとね」


学生がザワザワとざわめき立つ。


「あの日、狙われたのは公国の全権大使ではなく、当時の王太子殿下が乗った馬車だったんだ。しかしひょんな事から爆弾が投げ込まれた馬車に乗っていたのは第二王子夫妻と全権大使だった。ちなみに犯人には兄が2人いたが、すぐ上の兄は先の大戦で戦死している、実家を相続するはずだった長兄一家は流行病で全滅、本人は既に王都で靴職人に弟子入りするって際に相続権を放棄する書類を国に提出していたからね、両親の死去のあと実家の土地や建物は誰も跡を継ぐ人間が居なくなった、そのようになった土地や建物は国庫の帰属となるだろう? 事実そうなった、そんな矢先、彼自身も事故で片目を失明する、一人の職人として完璧さを追求していた彼は挫折。そして、その怒りとかやるせなさをぶつける相手が必要になった。それが国だった、王家に牙を向けた。彼には魔王復権派とかの政治的な思想は特に無かった、そこにあったのは王国への単純な怒りだけ、そう考えると自然だなと僕は思う」


「なんと」無精髭の口からついた。


「でもよ」犬耳が言う「犯人は魔王復権派で、狙ったのは全権大使だったって話しはどこから出てきたんだ?」


「そう、今日この時間を使って言いたかったのはそこなんだよ。なぜ犯人の意図は歪められて伝えられたのか。なぜ時の第二王子は馬車に居ない事になったのか。情報とは誰かにコントロールされる物なんだ。では誰が? なんのために? なぜその情報になったのか。死人に口なしなんて言葉はよく言ったものだと僕は思う、たった14年という時間にも関わらずこうも情報は操作される。真実とはなんだ? 時の権力者におもねった者が書く言葉だけが真実か? 本来、記されるべき出来事はどこにいった? 今日は皆にそういった事を感じてもらいたかった。歴史の教科書に書いてある事は真実か? 今まで学んできた事は全てまことか? 学問とはそういった疑問からも始まるんだ」


その時だった。授業の終わりを知らせるベルが鳴った。


「今日はありがとう、15分ほどだが授業とは関係の無い事を聞いてもらった、みんなの反応を見れてよかったよ。えぇーっと来週からはまた教授の授業です、居眠り以上に遅刻も僕より厳しいからね。遅れないようにー」


テオがそう締めくくるはなからガタガタと学生達が片付けを始める音が教室に響いた。

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