31
「夜は風が気持ち良いな」
ネコはバルコニーの椅子に座るテオの膝の上でブラシを当てられながらそう言った。
「ええ、前の部屋だとドブ川からの臭いが酷かったですからね、引っ越してきてよかったです」
「まったくであるな。で、その娘、何歳であれば
「んん!? どういう事でしょう?」
「先ほど
「たしかにそうは言いましたが、17歳はですねぇ。なんと言いますか倫理にもとると言いますかですね」
「人間の齢17であれば子をこさえる者は多かろう、前の部屋の隣の娘など17で2人の子がおったぞ?」
「ああ、お隣さんですか? あそこはたしかにそうでしたけど。あそこはほら、ご主人も同じ年齢ですし」
「となれば年齢差が気になるのか?」
「そうですねぇ。最近は世間の目も厳しいですから僕みたいな年齢の男が17歳とお付き合いというのはいささか……」
「ふむ、言う事が矛盾しておらんか? かの娘はどこぞの老いぼれの妾になるのだろう?」
「ええ、だから非公式で契約して妾とするんですよ。世の中に隠れながら、世間の目を憚りながら」
「侯爵という立場ある者がか?」
「立場ある者だからです。それに僕だって先生と生徒という立場がありますから、いくら可愛いからっておいそれと手を出してはいけないんです」
「ふむう、そういうものか」
「ええ。まあ僕はネコさんが言うように小心者ですから、非公式な方法で相手してもらおう等とは考えませんけどね」
「まあ、
「ええ」
「では、非公式な方法を取らずに済むとなればどうだ?」
「と、言いますと?」
「あと数年もすれば、世間から非難を受ける年齢ではなくなるだろうて、その頃には生徒と教師という立場でもなくなっておる」
「まあ、その通りですが」
「猫娘に憚るか」
「いやいや、なぜツウがそこで出てきます?」
「先日の引っ越しを手伝いに来た際、まんざらでもなかったであろうて」
「まんざら…… でした?」
「挟まっていた髪の毛がどうと、嫉妬しておったろう」
「あ、あー。あれ嫉妬ですかね?」
「それ以外に我は言葉を知らん」
「うーん、たしかに。ただ、あれが嫉妬だとして、ツウは僕が相手にしていいような女性ではありませんよ」
「何故、そう考える?」
「なにゆえ…… うーん。彼女ほら、有名人だし。大商家の令嬢だし、他に良い人いっぱいいるでしょう」
「ふむ、ならば猫娘がお前が良いと言えばどうなるのだ? ほかに良い人がいるだろうと面と向かって言うのか?」
「いやー、そんな事になりますかねぇ?」
「例えばで聞いておる。面と向かって言うのか、どうだ」
「どうなんでしょう…… 考えたことも無いからわからないなぁ」
「ふん。ヘタレめ」
「へたれで結構です」
「見た目は好みだと、先日言っておったのう」
「いってましたっけ?」
「ああ、ポロの帰りだったかな?」
「ああ、ポロで。言いましたね」
「かの娘はどうなのだ?」
「かの娘…… リシリーさんですか?」
「うむ」
「可愛らしい女性…… じゃない、可愛らしい女の子ですよ。華奢で、華やかで、でも芯があって」
「まんざらでもないと」
「ええ、学生時代にクラスメイトであんな娘がいたら、目で追ってしまっていたでしょうね」
「なるほどのう」
「ええ。もう少し大人になれば、それはもう麗しい令嬢でしょう。で、ネコさん。かゆい所はないですか」
「うむ、良いぞ。その調子だ…… そういえばだが
「なんでしょう」
「引越しは月末と言ってなかったかのう?」
「ええ、先月末の31日。つまり昨日ですね。もう日付が変わって2日前ですが」
「ああ、そうか。ちゃんと月末であったか。いやなに、月が出ておるからな。つい、うっかり」
「月ですか?」
と、テオは空を見上げた。建物と建物の隙間の狭い空には半分にかけた月があった。
「昔は新月が1日、満月は15日。そう決まっておったのだよ」
「ええ、旧暦って奴ですね」
「ああ、またの名を太陰暦とも言う」
「いまの暦は太陽暦ですね」
「さよう、しかしながら勇者暦という言い方は廃れたのであるな」
「残念ながら。この国が帝国だった頃の勅書でその言い方は禁じられましたから」
「そうだったのう」
「まだ、ご高齢の方で勇者という単語を使う方はいらっしゃいますが、そんな方でも勇者暦という言い方をされる方は少ないですよ、まだ僕は会った事がありませんね」
「なに、我も久々に勇者暦と口にしたわい」
「ああ、ここに居ましたね、勇者暦と呼ぶ高齢者」
「おい、我を高齢者あつかいするでない!」
「ははは、すみません。ドラゴンの年齢で言えばまだ働き盛りの年代なんでしたっけ」
「本来ではれば家庭の一つや二つ、とうにこさえておる」
「そうでした、そうでした、失礼しました。で、ネコさんついでに詰めも切りましょうか」
「うむ、任せる」
「よかったです、後で爪切りも持ってきますね…… にしても暦にメートル法にと勇者様のもたらした影響は改めて考えると大きいですね」
「そうであるな。だからこそ時の皇帝は勇者の影響力を恐れた」
「そして勇者という言葉をも禁忌とした」
「であるな。特に暦は教会の権威にも一噛みしておるからな、そういったところからの圧力もあったのであろうな」
「教会からの圧力ですか…… 暦の名前から勇者の文字を消す、うん、ありえそうな話ですね。地域によっては旧暦をいまだに使う所もあるそうですから。教会の影響が強いカーマなんかは……」
頬を撫でるには若干強い風がバルコニーを抜けた。
「どうした、手が止まっておるぞ?」
「ああ、すみません。考え事を…… あれ? もしかしてネコさん解ってました?」
「ふん、なんの話かのう」
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