第8話 遭遇
「ど、どうしたの?なんか、さっきと性格変わってない?」
ローラにそう言われて、たしかにさっきとは全然気分が違うなと思った。
それもそうだ。だって、今はこんなにも非日常の中にいる。楽しくならないわけがない。
「こんなに楽しいんだよ?そりゃ性格も変わるでしょ」
「そ、そうなの…?」
ローラは困惑しているようだが、その様子にボクは困惑した。こんなにも楽しいのに、さっきと同じような態度なんでだろう?
まぁ、どうでもいいか。ボクは大きく手を振りながら歩き、あたりに広がる新鮮な景色を堪能した。
「ほ、ほんとにだいじょぶ?」
ローラが心配するような声色で聞いてきた。何を心配しているんだ?
「大丈夫だよ。見てわからない?」
ボクはローラの方に振り返り、手を大きく広げながら言った。片腕しかないからアンバランスに見えただろうけど。
「まぁ…大丈夫ならいいか」
そう言って、ローラは前を見据えた。その目は木や山には向いておらず、その先にあるものを見ているようだった。
「そんなに弟が心配?」
ボクはローラに聞いた。彼女は少し悩む素振りを見せてから頷き、そして語り始めた。
「べつに、仲がよかったわけじゃないんだけどね。それでも、いなくなった時にようやくどれだけ大事に思ってたかがわかった。でも、なんて言えばいいんだろう。家族の愛情じゃなくて、庇護欲みたいな。そういうのでいっぱいだった。あいつ、ガキだったからね」
「ふぅん…そっか。ボクにはよくわかんないな」
そういう感情を抱いたことも、向けられたこともない。強いて言えば幼少期にはあったかもしれないが、覚えているわけもない。
「家族はいないの?」
ローラはボクに向き直り、問いかけてきた。
「いるよ。母親だけだけど」
父親は事故で死んだ。まだ赤ん坊の時だったらしいから、まったく記憶にない。写真を見ても、赤の他人としか思えなかった。
「そっか…ごめんね。こんな話して」
なんだか気を遣われているようで嫌だった。べつに不幸な境遇というわけでもないのに。
「いいよべつに。いない方が楽だし」
ボクがそう言うと、ローラは顔を曇らせた。家族のためにここまでしている人の前でする話ではなかったなと、少し後悔した。
ボクたちの中に気まずい空気が流れた。ローラは前しか見ていないし、ボクも景色を見てるだけでローラの方は向いてない。
「ごめん」
そんな空気を打ち破ったのは、ローラだった。
「何が?」
ローラが謝るのはおかしいと思った。だって、何も悪いことは言っていないじゃないか。
「…いや、なんでもない」
……?結局何が言いたかったのだろう。
ボクはその会話に既視感を覚えた。なんでだっけな…そうだ。灯里との会話だ。前に同じようなことになって、その時はたしか…
「ボクの方も、ごめん」
そう言ったはずだ。それで…どうなったんだっけ?
ローラは頷くだけで、言葉での返答はなかった。そういえばあの時もそうだったな。
また気まずい空気が流れたので、そういえば、と別の話を振った。
「ここから件の森まで、距離はどれくらい?」
「…十キロくらいかな。だいたいだけどね」
話し方はさっきと同じだったが、声は少し低かった。注意しないと気づかないくらいの変化だったが、それでもその声は印象に残った。
そこでまたしても、あれ?と思った。この時代の長さの単位で、キロなんて使うのか?たしか違ったような気がする。よく覚えてはいないけど。…まぁどうでもいいか。
「野営のための道具はあるの?」
「あるよ。火打石とか、簡単な調理器具とか」
その口ぶりから察するに、テントや寝袋はないのかな。いやそもそも、この時代にそんなものあるのかな。
「それじゃあ、食糧はどのくらい?」
「簡単な食事が三食分。でも、私はサバイバルの知識があるから現地で調達もできるよ」
だったら安心かな。あくまでもローラが間違った知識を覚えていない限りだけど。
「そっか。…ところで、動物を全然見かけないけど、このあたりにはいないの?」
ボクはあたりを見回しながらそう言った。村を出てから一度も動物を見ていない。村に入る前はスライムや獣が襲ってきたというのに。
「多分、森の方だよ。人を襲うような猛獣もいるけど、機会を窺ってるんだと思う。夜になったらそいつらは姿を現すかもね」
機会を窺う…それができるということは、村に入る前にいたやつらよりも、知能、あるいは本能が優れているのだろう。本当についてきてよかったのかな、と今更ながらに後悔した。
「まぁでも、火を使えば大抵は逃げてくれるから、多分大丈夫だよ。あくまでも、多分ね」
確証はないのか…そんなに危険だというのに、弟を助けに来ている。もしボクがその弟の立場だったら、嬉しく思ったのかな。想像できない。
「もし火にも怯まなかったら?」
「その時はまぁ、戦うしかないね。カズヤは戦える?」
そう言われて、ボクの能力が頭に浮かんだが、すぐに消した。動物を爆発させたり圧し潰したりというのは楽しそうなことだけど、いざという時に発動されるかは不明だ。ボクならなんでもできるだろうけど、それでもわずかな理性が頷くことにストップをかける。
「多分、戦えないかな。目とか喉とかの急所を狙えたらもしかしたらがあるかもだけど、そういうのができない奴だったらもうどうしようもないかな」
そう言って頭の中に思い浮かべたのは、あのスライムだ。全身が液体で、弱点なんてないんじゃないかと思った。ボクに向かって液体を飛ばしてきたあたり、感覚器官はあるのだろうが、それもどこにあるのかわからなかった。もしそういうのが他にもいたら、逃げるか能力を使う以外に策は思いつかない。
「そっか。それじゃ、もし私たちに襲い掛かって来る動物がいたら逃げようか」
「そうだね。…ところで、そろそろ疲れてきた。あそこで休憩しない?」
と、ボクは近くにある木を指さした。
「早くない?まだニ十分くらいしか経ってないよ」
「でも、疲れたんだ。ボクには体力も筋肉もないから」
ボクは布団から起き上がることですら疲れる。そんなやつがニ十分も歩き続けたら疲れるというのは火を見るより明らかだ。
「はぁ…わかった。五分だけね」
そう言って、ローラはその木の方へと足先を変えた。ペースが落ちちゃうな、と文句を言っていたが、それでも付き合ってくれるあたり、やっぱり優しい性格なんだなと思った。
そうしてその木までたどり着き、ボクは幹に寄りかかりながら座った。幹は固く、ザラザラとしていたが、寄りかかって座れるというだけで嬉しかった。
ローラも座っていたが、ボクと違ってまったく呼吸を乱していない。鞄を開いて、中身を確認していた。
「それ、何が入ってるの?」
呼吸が整った頃、ボクは問いかけた。いろいろと入っているのは一目瞭然だが、ちょうどローラで隠れていてよく見えない。
「ん?ああ、これね。いろいろだよ。さっきも言った三食分の食べ物、火打石、調理器具。あとは、薬、水、調味料、縄、エトセトラエトセトラ…」
実際にエトセトラなんて使う人、初めて見た。いや、ボクの交友関係が狭いだけで、普通に言う人もいるのかな?
「へぇ、いろいろ入るんだね」
「うん。この素材、けっこう伸縮性あるんだ。ほら」
そう言って、ローラは鞄を引っ張った…が、すでに伸びきっていたため何も変わらなかった。
「…ほんとに伸びるんだよ?」
「いや、べつに疑ってないよ。伸びきってるんでしょ」
そう言ったがローラは少し複雑に表情を変えた。
「…そろそろ五分経ったかな。行こうか」
話をそらすためか、ローラはそっぽを向いてそう言った。
もう?と思ったが、疲れはある程度取れていたため文句は言わなかった。
ボクたちは立ち上がり、再び歩き出した。足が筋肉痛になりかけていたが、休ませてもらった手前文句は言えないなと、痛みをこらえながらついて行った。
「…大丈夫?足が痛いの?」
しかし、そんなボクの様子もお見通しのようで、ローラはボクの心配をしてきた。気付かれたんだったら隠さなくてもいいかなと、ボクは言うことにした。
「うん。でも、ただの筋肉痛だよ」
そう言うと、ローラは頷き、再び前を向いて歩き出した。しかしペースは落としてくれた。
そうして時々休憩を挟みつつ、どのくらい歩いただろうか。太陽は真上まで来ていた。暑くはないが眩しい。しかし、太陽はさっきまで真後ろにあった。つまり、これからはボクたちの正面に居座るということだ。夕方になったらまともに前も見られないだろうなと辟易した。
山はまだまだ遠くに見える。多分、まだ一キロくらいしか進んでいないだろう。休憩と歩くのが遅いせいで、ペースがとても遅いのだ。
「目的地まで、あとどんくらいかかるかな…」
そう呟いた、その時。
「いたっ」
ボクの足に、鋭い痛みが走った。右足のふくらはぎのあたりだ。針…いや、針より太い物、アイスピックや錐のようなもので刺されたように感じた。
ボクはズボンをまくって痛みがある場所を見た。しかし、そこに傷はない。
「大丈夫⁉」
ローラが慌てた様子で聞いてきた。
「なんか、いきなり痛みが…でも、け」
怪我はない。そう続けようとした時、再びさっきと同じような痛みが走った。今度は左足の太ももだ。
「っ…何かいる。姿は見えないけど、何かされてる」
そう言うと、ローラは剣を抜いた。ボクも左手でダガーを抜いた。
どこだ?何をされたんだ…?
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