第5話 答え
地下はあまり整備されていなく、洞窟のようだった。松明のようなものがあるが、火はついていない。したがってほとんど何も見えなかった。
天井から滴る水滴が水たまりを作り、定期的に波打たせている。
地面や壁は平坦ではなくデコボコとしている。壁に手を触れる度にパラリと壁が崩れる。
本当に洞窟を探検しているようで心躍った。異臭はだんだん強くなっていたが、それでもワクワクの方が勝っていた。
だけど、それも長くは続かなかった。洞窟は十メートルほどで終わっており、洞窟の終わりには扉があった。
ここに金銀財宝でもあるのかな。そう胸を躍らせて、ボクはその扉を開けた。
その瞬間に臭気が鼻を襲い目に染みた。息を吸おうとするとせき込んでしまい、苦しくなってその場を離れた。
離れてから目を開けてみると、その原因がわかった。煙が出ていたんだ。
火事か?そう思ったけど、違うようだ。煙だけで炎は見えない。
何があるんだろう。ボクの心の内は好奇心で占められていて、ここから逃げるという考えはなくなっていた。
口と鼻を服で押さえて、部屋の中へと入っていった。
そこにあるものを見て、ようやくこの村の正体がわかった。
天井から降ろされているいくつかのフック。
そして、そこに吊るされている茶色っぽい物体。
間違いなく、人間だった。しかも、皮を剥がれている。
燻製にして、人間を食べていたのだろう。
部屋にはいくつも空のフックがあり、そのうちの一つの下には焚火が施されている。多分、これから吊るそうとしていたのだろう。燻製には、燻す工程の前に塩漬けにする工程がある。だから、どこかに塩漬けにされた死体があるはずだ。
どこにあるのか探そうとしたけど、さすがに気味悪くなってやめた。代わりに、燻製を食べてみようと思った。煙を吸い込んだのか若干意識が薄れてきているけど、それでも好奇心が危機感に勝っていた。人肉を食べるなんて貴重な経験、これを逃すともうないかもしれない。どれくらいおいしいのだろう。
一つしかない燻製は赤みが薄く、もう食べられそうだった。実際に、太ももや腹の部分は不自然に細くなっている。食べられたのだろう。
ボクは脇腹のあたりをかじってみた。強烈な臭気が鼻を突き抜けた。燻製にされているというのに酷い臭いだ。味もかなり悪かった。かなり筋張っていて、それでいて塩の辛みが効きすぎている。おいしいとはお世辞にも言えない。
ボクはかじったそれを吐き出した。二度と食べたくない味だ。生のままで食べた方がまだマシなんじゃないか。そう思う程だ。
期待を裏切られたボクは、少しがっかりしながらその部屋を出た。
そして地上に戻った。片腕で梯子を上るのは難儀だったため、すっかり息が上がっていた。
息を整えながら、ボクはもう一度野菜が入っているかごを開けて中を見た。
人参かサツマイモのような野菜が五つほど。それもやせ細っている。
ボクは家の外に出て、畑のある場所に向かった。
そこにある野菜は地中に埋まっていたが、それでも葉を見るだけでほとんどがだめになっていることがわかった。土地の問題か、技術の問題か、それとも動物対策が足りていないのか。いずれにしろ、この村だと作物があまり育てられないらしい。
だから、人間を食べていたんだ。貴重な食糧として。燻製にして、保存が効くようにまでして。
ボクも、一歩違っていたら今頃塩漬けになっていたのかな?
筋肉や筋が露出して液体の中に入っているボクの姿を想像すると、少し背筋が泡立った。
気味が悪くなって、この村を離れようかとも思った。
だけど、その前にどうしてもやっておきたいことがあった。
ボクはこの村に来て最初に入った家に向かった。
中に入るとその瞬間に腐臭が漂ってきたが、さっきの燻製の臭いに比べたら大したことはない。
部屋の中央にある死体に向かって行った。うつ伏せになっていたためひっくり返した。何かの汁が手について不快だった。
アンディの顔は色が変わっていること以外ほとんど同じだった。
ボクはアンディに心の中で謝罪した。
殺したことにではない。勝手に裏切られたと思った事にだ。
いや、違うな。実際に裏切られたのだが、それを悪意によってだと思ったことだ。
アンディは、というかこの村の住人は食糧に困っていて、それで人を殺して食べていた。
だからといってボクを殺そうとしたのは仕方なかったとは思わないけど、それでも相手の背景を考えずに、裏切られたということだけしか見えてなかった。それで勝手にアンディのことを悪だと決めつけていた。
だからそのお詫びとして、ちゃんと弔ってやりたいな。
ボクはそう思い、さっきの燻製がある場所へ向かった。相変わらず梯子を片手で降りるのは大変だったし、あの臭いはきつかった。
なんとかそれに耐えて、ボクは焚火の中にある火のついた枝を持って来た。
アンディを家の外に出して、その体に火をつけた。火葬というわけだ。
何分かその炎を眺めていると火は消えて、アンディはほとんど骨だけになった。ほとんどというだけで、まだ肉は残っていたが。
ボクは見晴らしが良い場所に穴を掘り、そこに骨を埋めた。どちらも片腕では簡単ではなかったが、それでもなんとかやり切った。
あたりはすっかりオレンジに染まっていた。前までは一日の終わりを実感してただただうっとおしかっただけなのに、今はその景色がとても幻想的に見えた。
客観的に見たら、人殺しを返り討ちにしてその死体を埋めただけなのに、ボクの心は言いようのない満足感で満たされていた。初めて感じるような感覚だ。
今日は気持ちよく眠れるかな。
とりあえず、どこかの家に入ろう。遠くの方に雲が見える。もしかしたら、明日は雨になるかもしれない。村を出るのは雨が過ぎ去ってからにしよう。
一番近くにあった家に入った。そこには腐臭や燻製の臭いはなく、快適に眠れそうだった。
二階にベットがあったのでそこに寝転がり、目を閉じた。
今夜は久しぶりに心地よく眠れそうだ。再びそう思った。
ボクは住宅街を歩いていた。理由はない。強いて言えば気分が上がっているから。
あたりはもう暗くなっていた。だけど、夜はまだまだ長い。
明日は休日だから奇異な視線を向けられることもないし、罪悪感や危機感にさいなまれることもない。
そうして歩くことを楽しんでいると、前から知ってる顔が見えた。
「どうしたの?ボクに何か用?」
ボクは灯里に問いかけた。灯里がなぜか立ち止まったからだ。
「あるよ。カズヤの親、心配してた。だから、家に戻って」
心配?なんでだろう?なんでボクのことを心配するんだ?
「なんで?」
そう問いかけると、灯里はボクから顔をそらした。
「だって、夜にうろつくなんて…おかしいって思わないの?」
「いや?だって、楽しいじゃん」
「…わかった。とにかく、家に戻ろう。薬も飲んで」
灯里はそう言いボクの手首を掴んだ。ボクはもっと楽しんでいたかったのに、それを中断させられて不愉快になった。
ボクは灯里の手を振り切って反対方向に歩き出した。
灯里は何か言っていたようだけど、頭には入らなかった。そしてボクを追ってくることもなかった。
ボクの脳内は全能感で満ちていた。今ならなんでもできる。だってボクだから。
もっと夜を楽しもう。気分は最高だ。
目が覚めて、ボクはため息をついた。
またあの夢を見た。ボクの体験の記憶。
鬱の時の夢を見てもさらに鬱々となるだけだし、躁の時の夢を見ても気分が上がることはない。
眠っている時に見るものの名前に夢とついているのだから、もっと明るく、気分が沈まないようなものを見せて欲しい。
窓からは日差しは差し込んでなかった。空は一面灰色に満ちていて、どんよりとしている。それを見て、もう一度ため息をついた。
耳には何の音も入らない。強いて言えばボクの呼吸音がわずかに聞こえるくらいだ。村人はまだいなくなっているのか。
ボクは目を閉じた。ここを離れる理由ができるまで、ずっとここで眠っていよう。
そう思ったけど、なかなか寝付けない。またかと、ボクは落胆した。眠りたいのに、眠気が来ない。しょっちゅうあることだ。
目を閉じていると、耳が敏感になる。ボクの呼吸音ははっきりと聞こえるし、外で吹いているわずかな風も捉えられる。
その音に交じって、ボクの耳はもう一種類の音を捉えた。
誰かの声のようだ。呼び掛けているように聞こえるが、内容はわからない。だが、女のようだ。
あれ、なんで人がいるんだ?ボクの中にその疑問が湧いた。
誰も関わるなという願いが叶えられて村人がいなくなった。ボクを無視するのではなく完全にいなくなったということは、ボクは人の存在を感じること自体が関わると認識しているということだ。
だとしたら、なぜ人の声が聞こえたのだろう?
…まぁ、どうでもいいか。めんどくさそうだから、ボクのところには来ないでくれよ。
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