第3話 最初に出会った人

 黒いタイガーがボクに飛び掛かってきて、ボクは死ぬと思った。

 しかし、喉を狙った大きく鋭い爪は、ボクに喰らいつくことはなく、喉に触れた瞬間に弾き返された。

 そいつはそれによって爪が割れ、痛みに唸り、そして逃げ去った。

 今のは、なんだろうか?そう思ったが、答えはすぐにわかった。

 これも、ボクの能力だ。

 人間、いや、生物なら誰しもが持っている願い。

 「死にたくない」という、生存本能から生まれた願い。それは脳で願うことではなく、生物としての本能からの願い。その願いが叶えられた結果、攻撃を防いだ。

 それが、さっきの現象の答えか。さっきの液体は防がれなかったから、喰らったら死の危険があると理解しているものだけが防がれるのかもしれない。

 それにしても…すっかり目が覚めてしまった。かといって立ち上がるのも面倒だ。

 だったら、眠気が来るまで寝転んでいよう。それか、気分が上がるか、体力が回復するかしたらもう一回立ち上がってみようかな。

 そう思いしばらく寝転んでいると、足音のような音が耳に入った。

 また何か動物が来たのか?そう思ったが、それにしては随分と規則的な足音だ。

 何が来ているのか少しは気になるが、それでも動くのが面倒という理由で音の方向を見ることすらなかった。

 足音は近づいてきていたが、突然途絶えた。ボクのことを見つけたのかな?

 足音はボクの周りをグルグルと回っている。一周回ると足音は回ることに飽きて、ボクのすぐそばへと近づいてきた。

「あの~…大丈夫ですか?」

 そう顔を覗き込んできたのは、やはり見たこともない人だ。顔も声も中性的で、性別はわからない。

「…あなたは?」

 ボクはその人に聞いた。質問に答えなかったのは失礼かなと思ったが、すでに口にしてしまった。そもそも、ボクはコミュニケーションが苦手なんだ。

「あ、自分はアンディっていいます。この近くの村に住んでます」

 アンディ…やっぱりここは日本ではないのかと、わかり切っていたことを再認識した。ここは日本ではない。だけど、日本語は通じる…通じるように設定してくれたのかな。

「あなたは、なぜこんなところへ?危ないですよ」

 アンディが問うてきた。なぜと言われても、ボクが聞きたいくらいだ。なぜ森からのスタートなんだ。

「ああ…旅をしてたんです」

 とりあえず適当な嘘をついた。あまりにも不自然な嘘だが、考えるのもめんどくさい。

「そうですか…」

 アンディはボクのことをジロジロと見た。ボクが何も持っていないからだろう。手ぶらで旅に出るなんて不自然極まりない。

「…まぁ、いいです。立てますか?とりあえず村まで行きましょう」

 アンディは深く追求しなかった。聞かれたくないことだと悟ったのだろう。そういえば、右腕がないのにそこにも追求されていない。血が出ていないから、元からだと思ったのだろうか。見た目は二十歳もいってなさそうだが、賢いな。

「ああ…実は、怪我をしてて、歩くのも辛いんです。なので、べつに村まで行かなくても大丈夫です」

 本当は歩くのが面倒なだけだが、右腕がなくなったから怪我をしてると言えるし、歩くことは辛い。嘘はついていない。

「…わかりました。それじゃあおぶっていきます」

 できれば放っておいてほしかった。人と話すのは億劫だし、変に気を遣われてもただただ疎ましいだけだ。

「…ありがとう」

 それでも小さく感謝しながら、アンディの肩に掴まった。ここで断るのも申し訳ないし、断り方なんて知らない。

 ボクはただでさえ非力なのに右腕もなくなっていて、何回も落ちそうになった。

 アンディは意外にも力持ちで、ボクを担ぎながら歩いても息を切らさなかった。

「あなたは、なんていう名前ですか?」

「カズヤ」

 苗字もあるが、名前が外国のここだと言っても意味がないだろう。

「カズヤ…珍しい名前ですね」

 珍しいということはやっぱり、ここではアレックスやクリスといった名前が普通なのだろう。

 そうこうしているうちに村が近づいてきた。見える限りだと家は十軒ほどで、外にいる人は五人ほど。村というよりは集落だ。

「おかえりなさいアンディ。その人は?」

 女性が話しかけてきた。アンディの母親だろうか?

 ボクはとりあえず意識がないふりをしていた。話しかけられても面倒だ。

「この人、倒れてたんだ。怪我もしてるらしいから、しばらく安静にさせた方がいいかも」

「そうね。あそこの家が空いているわ。たしかベットもあったから、そこに寝させてきなさい」

 アンディは返事をすると、歩き出した。その家に向かうのだろう。

 歩いている途中で他の人が声をかけてくることはなかった。興味がないのか、こういうことが頻繁にあるのか。どっちかはわからない。

 しばらく揺さぶられていると、ギィという音がした後に、わずかに感じていた風がなくなった。家の中に入ったのだろう。

 床がきしむ音が続いて、そして背中に柔らかいものを感じた。ベットに寝させられたんだ。

「すぐ戻るので、そこでじっとしててください」

 返事が面倒だから、まだ意識がないふりをした。

 扉が閉まる音が聞こえたため目を開けると、焦げ茶色の天井が映った。

 右手に壁、左手は空間が広がっている。左を見てみると、四畳ほどの空間があった。少しほこりがあるが、それでも空き家にしてはかなり綺麗だ。誰かが手入れをしてるのか、それとも少し前まで住人がいたのだろうか。

 そういえば、と、ボクは思い出した。最初にあの…上位存在?から生き延びろと言われたけど、明確な期限は定められていない。

(あの…聞こえてますか?)

 ボクは頭の中でそう呼び掛けた。いつでも話しかけられるとは言っていたけど、これで合っているだろうか。

(聞こえてるよ。どうしたの?)

 声が返ってきた。合っているようだ。

(生き延びるって、いつまでですか?)

(私がいいって言うまで。今はあなたがこの世界でどれくらい通用するかを見てる。それが終わるまでだね)

 そう言うということは、人によってこの後にやることが変わってくるのかな?

(目安としては?)

(だいたい三日くらいかな?あくまで目安だけどね)

 三日…三日後には、何か別のことをしないといけないのか…面倒だな。できれば、ずっとここで寝ていたい。

(わかりました。ありがとうございます)

 ボクはそう言って会話を終わろうとした。しかし、

(そうだ。私の名前って教えてなかったよね?)

 終わらせてもらえなかった。

(そう…ですね)

(私は……そうだね、ラキアって呼んで)

 ラキア…耳慣れない名前だが、そこまで不自然でもない。それなのに、なぜ少し言いよどんだのだろう?まぁ、べつにいいか。

(わかりました)

(じゃ、これからもよろしく)

 ラキアはそう言うとそれ以降話しかけてはこなかった。

 その時、ちょうど見計らったかのようにアンディが戻ってきた。

「あ、起きたんですね」

 アンディは手に箱を持ち、肩にかばんを下げていた。箱を開けると、中には布や瓶に入った液体がある。…医療道具かな?

「怪我しているって言ってましたよね。どこですか?」

 ボクは返答に窮した。怪我をしていると言ったが、それは嘘…というか方便だ。治療なんて必要ない。

「いや…怪我をしてるって言ったけど…怪我じゃなくて、頭痛だったんです。もう治まりました」

「そうだったんですか…なら、大丈夫ですね」

 アンディはそう言うと箱を閉じた。そして、かばんを開き、中から箱を取り出した。

「これ、ご飯です。ぜひ食べてください」

 …べつにお腹なんて空いていない。その心遣いもボクを申し訳なくさせるだけだ。それに、もらった手前、感謝をしないといけない。

「ありがとう。後で食べるよ」

 アンディはわかりましたと言い、箱をベットの脇に置いた。そして、ボクに向き直った。

「そういえば…カズヤさんって、いくつなんですか?」

 いくつ…いくつだったかな。自分の年齢なんて、ここ数年気にしたことがなかった。

「たしか…十九」

「へぇ、なら、自分と同じですね。だったら、敬語外しません?」

 そっか…アンディは十九なんだ。てっきり、十五くらいだと思っていた。

「わかった、いいよ。よろしく、アンディ」

 そう答えるとアンディは嬉しそうに微笑んだ。

「こちらこそ。ところで、何か聞きたいことってある?この村に来るのは初めてでしょ?」

「そうだね…」

 聞きたいことなんていくつもある。けど、その大半はラキアに聞けばわかるようなことだし、何より聞くのがめんどくさい。何個かだけにしておこう。

「このあたりには、どんな動物がいるんだ?」

「ええと…かなりいる。全部説明すると日が暮れるくらいには」

「わかった。それじゃあ、危険な動物だけ」

「それだったらあまりいないかな」

 と言って、アンディは説明を始めた。

 このあたりにいる危険な動物は大きく十種ほど。しかし対処法は存在していて、それを知っていればあまり脅威ではないという。

 例えば、スライム―ボクが最初に遭遇した奴だ―は、足が遅いため走れば容易に逃げ切れるらしい。ボクだと追いつかれそうだけど。

「だいたいわかった。ありがとう」

「どういたしまして。ほかに質問はある?」

「…いや、今はいいかな」

 他にも聞こうと思っていたことがあったが、面倒になった。今は早く会話を終わらせたい。

「わかった。それじゃ、自分は家に戻るから、それ、食べておいてね」

 その言葉に頷くと、アンディは家を出て行った。ようやく一人になれたと、ほっと一息ついた。

 食べてと言われたが、めんどくさい。それに眠い。べつに食べなくてもいいか。あとで言い訳を考えよう。

 ボクはそう思い、目を閉じた。


 息を吸おうとする。しかし、まったく吸えない。それに、首に圧迫感がある。それも、かなり強く。

 ボクはこの感じを知っている。何だったかな…

 そうだ。首を吊った時と同じだ。

 つまり、今は首が絞まっているってことか?

 ボクは目を開けて何が起こってるかを確かめた。

 アンディが、ボクの首を絞めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る