第2話 ボクの能力
ボクは仰向けに寝転がっていた。動くのが面倒くさくてしばらくそのままでいたが、顔に虫が這って来る感触が不快で、しぶしぶ起き上がった。
あたりを見回してみると、一面が木で覆われていた。上を見上げても、空は視界の三割も占めない。
木の高さは三メートルほど。葉の色は緑。空や木があるあたり、そこまで劇的に元の世界と違くはないらしい。
とりあえず、虫が不快だ。森なんて格好の虫の住処だ。さっさとこの場所から離れよう。
そう思い腰を上げたが、それだけでもう息が上がってしまった。鬱の時はベットで寝て過ごすし、そうでない時もろくなことをしない。それが災いして、体力が病的にないのだ。
今は鬱。できることならここから動きたくない。というか、何もしたくない。だったら、能力を試してみよう。
ボクを森の外に連れて行ってもらうか、虫をボクの近くに来ないようにしたい。そう心の中で思った。しかし、能力は発動されなかった。
「やっぱりか…」
今のは心から願ったことではなく、そうなったらいいなという程度の思いだ。だから能力が発動しなかったのだろう。
やっぱり、この能力はボクには合っていない。感受性豊かな人だったら、心の変動が大きいから願いも多くなると思うが、ボクはそんなことはない。鬱の時は心からの願いなんてないし、気分が上がっている時だったらおかしなことを願うかもしれない。
重い足を引きずって、ボクは森を出ようとした。疲れるし、虫がいるし、頭が痛い。何度も何度も立ち止まって息を整えなければ、歩き続けることすらできない。そんな自分に辟易した。
幸いにも、森はすぐに出ることができた。距離にしてみれば二百メートルほどだろうが、それでも一キロを走ったかのような疲労感があった。
森を抜けた先には、背の低い草が一面に広がっていた。その中にちらほらと動物が見える。遠くにいるから何なのかはわからないが、全身が青の動物がいるのを見て、やはりここはあの世界とは違うということを再認識した。
遠くの方に、建物が見えた。家だ。複数集まっているから、村や町かもしれない。
そこに行けば、住民が敵対してこない限りベットで寝かせてはくれるだろうが、いかんせん遠い。そこまでたどり着けないかもしれない。いや、そこに行こうとする気力がまずない。
ボクは寝転がった。疲れていることもあるし、何もしたくなかった。ここには虫もいなく、程よく柔らかい草がベットの代わりになった。
そうして寝転がっているうちに、だんだんと眠気が襲ってきた。べつに起きていてもいいことはないと思ったため、ボクはその眠気に任せて、意識を暗闇へと沈ませた。
起きた時、ボクの気分はとてもよかった。なんでもできるかのような高揚感。今なら空を飛ぶことだってできるはず。
空を飛んでみたい。心の底で強く強く願った。
その時、ボクの体は地面を離れ、浮かび上がっていた。
「ハハ…すっごい」
体の中の内臓や血液まで浮かび上がる感覚がある。興奮で顔が熱くなり、涙まで出てきた。
さっきまでいた森がただの緑にしか見えない。さっきまでは、枝の先まで見えていたのに。
そんな初体験を楽しんでいたが、高度が百メートルほどまでいったころ、ボクは困っていた。
「これ…どれくらいまで行くの?」
ボクの体は浮かび続けていた。手足を動かしても、前後左右どの方向にも動けない。
地上が小さくなってきた。だんだんと息が苦しくなって、頭も霞んできた。それに、ひどく寒い。
このまま行くととまずい。そう直感したボクは、地面に戻りたいと願った。
死の恐怖から生み出されたその願いは容易に叶えられた。一瞬視界がなくなったかと思えば、あたりには薄緑の地面が広がって、ボクはその中に大の字に寝転がっていた。
「楽しかった…」
あの浮遊感。すべてを見下すようなあの感じ。いままで味わったことのない感覚だ。
この能力はすごい。願うだけで叶うなんて、なんでもできるじゃないか。
もっとこの能力を楽しみたい。もっと、もっと!
ボクは体を起こし、能力のすごさに飛び跳ねた。普段寝てばかりいるこの体だと、飛び跳ねるなんて格好いいものではなかったかもしれないけど、それでも飛び跳ねた。
だんだん疲れてきたその時、近くに一匹の動物がいることに気付いた。いや、動物ですらないかもしれない。
全身が青で、見た感じはゼリーのような質感。顔や手足といったパーツは一切ない。その動物がボクの元へと近づいてくる。
そいつが歩いた箇所は、薄緑から茶色へと変色していた。つまり、あの動物は無害なやつじゃないだろう。
いきなり、そいつが液体を飛ばしてきた。自身の体の一部を飛ばしてきているようだ。
なんとか避けようと横に飛んだが、その液体がボクの右腕にかかってしまった。すると、そこが熱を帯びて、一瞬後に強烈な痛みが走った。見てみると、その箇所が煙を上げていた。腕が溶けている。
人生至上最高の痛みに、ボクはのたうち回った。液体がかかった箇所を左手で抑えるが、まったく痛みは治まらない。
幸い液体は筋肉まで浸食せず、溶けているのは表面だけだが、それでも猛烈に痛い。液体を受けた部分がみるみるうちに赤に染まってゆく。
あの液体は、酸か。多分、濃硫酸や濃塩酸と同じくらいの強さ。
「やりやがったな」
ボクは痛みに震えながらなんとか立ち上がり、そして恨みを込めてそう言い放った。
あいつは液体だ。液体だったら、蒸発させてやる。
あいつを蒸発させたい。
強く願った。そいつの体は煙を出し始めた。それにつれてそいつの体積も減っていき、そいつは苦しむようなそぶりを見せた。ふん、液体のくせに苦しむのか。
一分もすると、そいつは完全に跡形もなくなっていた。ボクはいい気味になって、その場で大声で笑った。
ひとしきり笑いが収まると、今度は腕の痛みに脳を貫かれた。
「うううぅ…」
痛い。とんでもなく痛い。なんでさっき笑えてたんだと思う程に痛い。抑えても痛い。空気に当たるだけで尋常じゃなく痛い。
なんでこんなに痛いんだ?
そうだ。腕があるからだ。腕がなかったら、そこに痛みを感じるはずもない。
右腕をなくしたい。
そう願うと、右の肩から先がなくなった。
「痛くない!」
ボクは喜んだ。これから右腕に受ける痛みはすべてなくなるんだ。それってつまり、右腕がある人よりも、人生の幸福度が上がるってことだ。やった。
痛くなくなった喜びに飛び跳ねて、三十秒もしないうちに疲れて寝転んでしまった。
眠いな。とても眠い。さっきので疲れちゃったんだ。でも、痛くないから、気持ちよく寝れるかな。
頭の中を埋め尽くしていたのは、疑問だった。
なんであんなことをしたんだ?自分のことなのにまったく理解できない。躁鬱病というよりも、二重人格のようだ。
右腕はなくなったままだ。触れようとしても空を切るだけ。
カッターによってみみずばれだらけになった右腕でも、ないよりはあった方がマシだ。
そう思い、右腕を元に戻したいと願った。
しかしやはりと言うべきか、右腕は元に戻らなかった。
何に対しても本気になれないボクは、願うことすら本気になれないんだ。
普通だったら、右腕がなくなったら心の底から元に戻したいと願うのかな。
でも、ボクにはどうでもいいことだ。右腕があったって、自傷行為以外には大して使わなかったからだ。
とりあえず、家があった場所を目指そう。草むらで寝るのもいいけど、ベットの方が柔らかいはずだ。それに、日が傾いてきた。夜は寒そうだから、できれば野宿は避けたい。
そう思い、ボクは家を目指した。
日が暮れるまでに着けるかな…そう楽観的にとらえていたが、五分ほど歩いたところで、無理そうだと悟った。
距離が遠いし、なによりボクの移動ペースが遅すぎる。
それでも、ボクは歩いた。能力は使わなかった。というか使えなかった。べつにあそこにそこまで固執しているわけじゃないからだ。地面がもう少し柔らかかったらあそこに行こうという考えすら湧かなかっただろう。
何度も座り込み、もはや下しか見えないほどに猫背になりながらも、ようやくボクは半分ほどまで来ることができた。
しかし、進むことができたのはそこまでであった。たった数百メートルを歩いただけなのに、どうしてこうも体力がないのだろう。
ボクは草むらに座り込み、そして仰向けになった。
そのまま寝てしまおうかと考えたが、耳に入った音でそれは中断された。
獣の唸り声のようだった。腹の底まで響くようなその低音は、まさしく捕食者といった感じだ。
声のする方向を見てみると、四足歩行の獣がいた。目は真っ赤に染まっていて、体毛は真っ黒。口から出ている牙は、獲物を喰らうことしか見据えていない。一番近いのは、黒いタイガーかな。
絶体絶命のピンチ。だけど、ボクには抵抗する気力はなかった。ここでこいつに食われたら、それでもう何もしなくてもよくなるかもしれない。そう考えたら、もう抵抗するメリットはないように思えた。
獣は唸りながら慎重に近づいてくる。ボクには抵抗する気はないというのに、ビビりなやつだ。いや、それだけ慎重じゃないと、こんな獰猛そうなやつでも生き残れないのかもしれないな。
ボクが無抵抗と見て、獣は襲い掛かってきた。これで、ボクの人生は二度目の終わりを迎えるかな。
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