第8話 第一王子は救援に向かう

 リーゼヴェルト伯爵邸にて。

 当主エドワード・リーゼヴェルトが娘のマリアンヌに通達する。


「オリエンス子爵領領都にてキラーホーネットによるスタンピードが発生した。イニエスタ殿下が救援に向かう。私も行くことになった。」

「わたくしが送らせたキラーホーネットでしょう。申し訳ございません。」

「お前の責任ではないさ。ただ、領兵を呼びだすには時間がかかりすぎるから、手勢を率いで参陣することになる。だから、お前の護衛も貸してくれ。」

「わかりました。ご武運をお祈り申し上げます。」


 伯爵邸には最低限の護衛(アリスも留守番)だけ残して、マリアンヌ様は結界があるから大丈夫と見送った。

 わたしも回復魔法士として参加することになった。

 リーゼヴェルト伯爵の手勢はわたし含む20人だけ。第一王子のイニエスタ殿下も精鋭の近衛兵20人と王宮魔法士10人、護衛の騎士を集めてもわずか100人。平民の兵はキラーホーネットの餌になりかねないため志願兵と輜重隊を除き連れていけない。輜重隊は支援物資の運搬も兼ねているため部隊規模に比べれば非常に多く編成された。戦闘員としては500人程度。オリエンス子爵領に入るまでに傭兵と物資を集めながら進むことになるそうだ。


 斥候部隊の早馬は早々に出発した。向かう先々に先触れを出し、物資と兵を集めさせておくとのこと。

 通信兵も共同で近隣の領地に支援を依頼した。

 最終的には、王都からオリエンス子爵領に入るのに本来15日かかるはずが、わずか10日で領内に到着できた。強行軍である。移動中に集まった兵はおよそ2000人。やはり第一王子自らが率いたのは意味があった。キラーホーネットと聞いて道行く領主たちも腰が引けていたが、イニエスタ殿下自らの依頼に拒否はできなかった。


 初陣で緊張気味だったイニエスタ殿下も10日もたてば移動だけで疲労困憊である。だが、通信兵からの戦況報告で一刻の猶予もないことはわかっている。すでに食料も尽きたそうだ。


 しかしながら、この状態で戦闘に入れば壊滅的な被害を出すのは目に見えている。 リーゼヴェルト伯爵は危険と判断して休憩を申し入れるが、あと少しでゴールの領都が見えるためイニエスタ殿下はそのまま進軍させた。


 そんな時に重低音の羽音と共に雨音がした。

 多くの兵が見上げると、血の雨をしとしとと降らせながら肉団子を抱えた数百匹のキラーホーネットが飛んでいる。ほとんどが肉団子だが中には肉団子にせず四肢を食いちぎっただけで抱えて飛んでいるものぐさもいる。

 ものぐさの蜂に抱えられた男が、下に見えた兵士に力の限り大声で叫んだ。


「たすけてくれー!!!!」


 これを一人の魔法士が反応した。すぐに攻撃魔法を放とうとするが、ベテランの兵士が魔法士を押さえつけて止める。


「今ここで乱戦になれば全滅するぞ。」


 その直後、蜂に首を食いちぎられた。飛ぶのに邪魔だったからだろう。頭が兵士たちの近くに落ちてきた。

 そのままキラーホーネットの群れは雨音と共に飛び去って行った。


 兵士たちから不安の声が上がってきた。敗北した時の末路を兵士たちは知ったのであろう。


 イニエスタ殿下もその光景を見た。赤い雨粒が馬や自分の鎧にも点々とついている。キラーホーネットの大きさ、人を軽々と持ち上げる膂力、矢よりも速く飛ぶ速度、剣をいくら振り回そうとも到底届かぬ高さ、数の力をはるかに上回る数の力。ここにきて宰相が言っていた「街の放棄を検討するほどの魔獣災害」、「死ねとおっしゃるか!」の意味を理解した。


「宰相。すまぬ。いつも口うるさいじじいだと馬鹿にしていた。其方の言葉は耳に痛かったがいつも正しかったな。」


 国王陛下からの命令はスタンピードの鎮圧であるが、不可能であることを肌で理解した。そこへ通信兵が現地で救援を待っていると伝える。


「まだ全滅しておらぬ!一人でも多く助け出して撤退する!」


 恐怖に支配されかけた兵士たちが、リーダーの方針が定まってようやく落ち着いた。



 ◆



 領都が見えてきた。遠目からでも黒い虫が動き回っているのがわかる。虫たちがとりわけ大きな館に集まっているのが見えた。あそこに人が残っているのだろう。


 伯爵とイニエスタ殿下が突入方法を馬上で話し合う。人向けの小細工は無意味だから正門からの正面突破しかない。という結論に至った。そこへわたしが挙手して発言の許可を求める。


「わたしが先行して結界と浄化を行使しますので、そのあとで突入していただけますか?」

「危険ではないのか?」

「結界はもともとそういう用途の奇跡ですので。」


 わたしは許可をもらうと馬をほかの者に預けて走って向かう。並足の馬より速いからだ。

 街の正門に着くと門は閉ざされていた。内側から開ける必要がある。まあ、中の安全を確保してからでいいだろう。よし、いいことを思いついた。足元に結界を張り、昇降機よろしく城壁を上がっていく。

 そして、街の中心部を目指す。とびかかってくる虫はわたし自身にかけてある結界に阻まれて攻撃できない。街の中心には神殿が残っていたのだが中は廃墟。長年住んでいた神殿の間取りを思い浮かべながら中心部を目指すとご神体だけが残されていた。

 ご神体に魔力を込めながら、魔獣と魔族を退ける結界を展開する。ここで王都の地下下水道を思い出し、いったん街全体を鑑定。地下に魔物はいないが、ところどころ人が隠れているようだ。虫が集まっている領主館には生存者はいないように見えた。そしてさらに浄化を行使する。魔族にすら大ダメージを負わせる浄化だ。ただの魔物はひとたまりもない。街全体を覆う光の奔流の後、キラーホーネットは一掃された。

 ご神体を盗まれると困るので持ち帰ることにした。


 あとは悠々と街の正門を開く。

 まず斥候、重装備兵に囲まれた魔法士、しばらくして伯爵率いる兵士、最後に近衛に囲まれたイニエスタが入ってきた。


「激戦を覚悟していたのだが…」

「街に神官が残っていれば何も起きなかったのですよ。何も起きないからと追い出した領主様が悪いのです。」

「耳が痛い話だ。」

「さあ、領主館へ。きっと涙を流して歓迎するでしょう。」


 伯爵がイニエスタ殿下を促す。


「あ、領主館は…」


 イニエスタ殿下は領主館へ向かったのだが、様子がおかしいと訝しむ。扉は壊れて開いており、窓には板が内側から打ち付けられていたが、ところどころ穴が開いている。通信兵に呼びかけさせたところ、近所の家の地下から数人出てきた。虫が多すぎて領主館に戻れなくなっていたとのことだ。

 子爵領の通信兵に領主館を案内させ、生き残りを探す。浄化したので異臭や血などの汚れは無い。一階エントランス、執務室と寝室で激しく争った跡があったが、遺留品は多数の鎧、びりびりに割かれた男性と女性の服、ばらばらになったクローゼットと子供の服。


「領主様と奥方様、次男のオリバー様でしょう。長男のエリック様は地下で治療中でした。」


 地下へ移動する。

 地下室は石の扉で閉ざされ、鍵がかけられていた。

 地下室の中にはベッドに横たわった遺体。すでに亡くなっている。自決したようだ。

 マリアンヌ様がこの光景を見ずに済んで良かったと安堵した。おじいちゃんがそそのかしたにしてもマリアンヌ様は気に病むだろう。



 ◆



 その後一週間駐屯したがキラーホーネットの再度の来襲は無かった。標的が死んだからであろう。

 その間、街を脱出していた領民が続々と戻ってきた。今は葬儀と復興ラッシュである。

 輜重隊も自分たちが苦労して運んできた物資が無駄にならずに済んだと安堵している。

 領主を偲ぶ声も多く聞かれた。娘を攫われそうになった伯爵にとっては心境複雑だったようだが、領民にとっては良い領主だったようだ。商人からも良い商売ネタを惜しげもなく提供してくれるありがたい存在だったという。


 第一王子イニエスタはスタンピードの終結を宣言して帰路に就いた。

 当面オリエンス子爵領は王家預かりとなるが、オリエンス家の縁者の中で優秀なものを選りすぐって名跡を継がせる予定である。



 ◆ エルネスタ王国第一王子エルネスタ視点



 王都に帰還して、まずは父上にスタンピードの終結を報告する。

 執務室は国王陛下である父上、宰相アルブレヒト翁、騎士団長ライアン

 騎士団長はスタンピードが鎮圧されたことに興味を示し今後の参考になればと急遽参加だ。


「キラーホーネットは3万。オリエンス子爵は領兵1200で対抗しており。領民は半数が街から脱出しておりました。領都内の生存者は10人。オリエンス子爵は家族全員討死です。キラーホーネットは私の腕ほどの大きさ。人を肉団子にして群れを成して運び去っていく様は地獄のようでした。」

「オリエンス子爵は領民を守ったか。」

「どのように鎮圧したのですか?」

「アリシア姫が単独で突入して結界を張り浄化しました。キラーホーネットはもとより血の跡もすべて消え去っておりました。残ったのは激しく戦った形跡のみ。私は事後処理を行っただけです。」

「50年前の魔王軍と戦った神官たちと同様ですな。」


 王家の威信として私が現地に出向いたことには異存はないが、正直言ってアリシア姫が一人で行った方が早期に解決できたと思う。


「アリシア姫が申すには、神官が街に残っていればこのようなことは起きなかった。なにも起きないからと神官を追い出した領主に責任がある。とのことです。」

「神官が排斥された経緯は殿下もご存じでしょう。」


 神官が排斥されたのは、自分こそが街を守っていると傲慢な態度をとり、市民にも貴族にも寄進を強請り私腹を肥やすようになったからだ。独立組織ゆえに統制もとれない。領主としては魔物の脅威が無ければ邪魔者以外の何物でもない。


「もちろんだ。だから王宮魔法士と同様な地位に据えて神官を国が派遣するのはどうだ?」

「なるほど。神殿という独立組織ではなく国を防衛する騎士として扱うのだな?」

「おっしゃる通りです。」

「宰相、騎士団長、後で詳細を詰めよ。」

「畏まりました。」


 過去に神官が排斥される原因となるような行為は騎士として考えれば懲戒対象。不用意に排除されるようなことにはならないだろう。


「さて、話は変わるが、アリシア姫の扱いをどうするか。」

「将来的にはタルタ人の女王となられるのでは?騎士としては採用できませぬ。」

「本人にその自覚は無いように見受けられます。まあ祖父殿が変則的な方法で王に即位したので、同情の余地はありますが。」

「自覚ができる前に取り込むか。大英雄殿が置いて行ったのだ、そのように解釈しても良かろう。エルネスタ、其方はどうだ?」

「ご冗談を。タルタ人に認めさせるにはそれなりの戦闘能力が必要です。この場では騎士団長の方が適任でしょう。」

「それこそご冗談を。私は既婚者です。」

「「ははははは」」

「ルークを使おう。」

「第三王子をですか!」

「魔法学校でよしみは結べると思います。研究バカで女性受けする性格ではないのですが…」

「もともとルークにはマリアンヌ嬢を娶せようと考えていたのだ。どちらでも良かろう。」


 どうなっても知らんぞ父上。

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