第27話 飛んで火にいるメイドのご主人


 広間の扉の向こうから現れたのは、腰まで届く長い黒髪に菫色の瞳をした美青年。

 紺色のフロックコートに白いクラヴァットを身に着けた、私の元・ご主人様。


「テオドール様」


 ずっと会いたくて仕方がなかった人物が、そこには立っていたのでした。


 テオドール様は、慌てて私の元に走ってくる。


「アリア! 大丈夫か!?」


 私の両肩に、テオドール様の大きな両手が乗った。

 彼はとても心配そうに、私の顔をのぞきこんでくる。


(こんなに慌てているテオドール様を見るのは初めて見た)


「は、はい、大丈夫ですが……どうしてテオドール様は、そんなに慌てているんですか?」


「女王陛下から屋敷に手紙が届いたんだ。先日、女王陛下が城にお前を誘ってお茶会を開いたが、その際にお前が粗相を働いたという内容だったんだ」


「女王陛下と私がお茶会……?」


 身に覚えのない話に、私はしばらく考え込んだ。


 テオドール様は話を続ける。


「そうして、お前を罰するために城に連れてきたと。牢屋にでも入れようか迷っている。お前を助けたいなら、城の大広間に来いと、女王陛下からの手紙には書いてあったんだ」


「ふえええええっ!?」


 突拍子もない内容に、私は驚いてしまう。


(女王さま、一体どういうことですか?)


 そういえば彼女が「面白いことを思いついた」と話していたことを思い出したのだ。

 慌てて後ろを振り向いたが、重厚な扉はもう締め切られてしまっていた。

 この大広間には私とテオドール様の二人きりだ。


(え? え? どういうこと? まさか、女王陛下の思いついた面白いことって、テオドール様に嘘の手紙を出すことだったの?)


「だが、お前が無事なら良かった。お前に何かあったらと思ったら、俺は……」


 テオドール様は必死な形相で、私に話しかけてきていた。


(それにしたって、この大広間、大丈夫なの?)


 おそらくテオドール様にとって、城のこの広場は心の傷になっている場所のはずだ。

 城の庭にある魔術研究所への出入り自体も、彼は嫌がっていたはずなのに……

 なのに、私の身を案じて、わざわざ来てくれたのだと思うと、私の胸はじーんと熱くなった。

 だけど、一方で冷静な自分が、期待しても傷つくだけだと、頭の中で訴えてきていた。


「そのう、私はもうテオドール様の元に仕えるメイドではありません。だから、テオドール様に心配していただくような身の上ではない、です」


 言いながら、私は泣きそうになっていた。


「私は、お前にひどいことを言ってしまった」


 テオドール様が、ぽつりとつぶやくように訴えてきた。


「オルガノとじいや、ばあやの三人にも叱られたよ」


 私はテオドール様を見上げた。


「三人ともに、『アリアが剣の守護者のことが好きだったと、坊ちゃんにどうして話せなかったのか分からないのか』と責められた」


 そう、私はなんとなく今好きな相手であるテオドール様に、テオドール様の苦手な人物でもある剣の守護者様に憧れていたことを知られたくなかったのだ。


「でも、元婚約者のことがあった私は、不安でしょうがないうえに、また剣の守護者かと嫉妬してしまって、視野が狭くなってしまっていた。お前が嘘をつくような人間じゃないと分かっていたのに……」


 テオドール様は沈痛な面持ちを浮かべたまま私に話しかけてきた。


「テオドール様」


「人と接するのが苦手な俺だが、お前を大事にしていきたいという気持ちを持っている。ひどいことをしてしまった俺が、こんなことを言っても説得力がないのは分かっている。だけど、俺はお前のことが……」


 私は、テオドール様の話をさえぎるように話し始めてしまった。


「テオドール様は、ただの使用人に対して優しすぎます。そんなことを言われたら、勘違いしてしまいそうです」


「勘違い?」


「私が剣の守護者様に抱いていたドキドキは憧れなんです。でも、好きな人としてドキドキしてしまうのは、他でもない――」


 涙でぐしゃぐぐしゃになっているだろう顔で、私はテオドール様にはっきりと伝えた。


「テオドール様だけなんです。テオドール様が昔、婚約者の方と手をつないだりしてたのかなって思ったら、胸が苦しくて仕方がなくて……剣の守護者様が女王陛下と恋人同士だって分かった時、こんなにまで辛い気持ちにはならなかったのに……」


「それは……」


 私はテオドール様のことをまっすぐに見つめた。



「私は、マリア・ヒュドールは、テオドール様のことが大好きなんです」



 私の言葉を聞いたテオドール様の菫色の瞳から、涙が流れはじめた。


(テオドール様、なんで泣いているの?)


 彼は、私の身体をそっと抱き寄せる。


「俺はただの使用人に対して大事にしたいなどとは言わない」


 彼の腕の力が強くなる。


「俺が、お前が剣の守護者のことを好きなんじゃないかと邪推したような気持ちを、お前も俺に抱いていたんだな」


「テオドール様」


 そうして、テオドール様は私の耳許で囁いてきた。


「また、私のもとに帰ってきてほしい。使用人としてではない……」


「使用人ではないとはどういう意味でしょうか?」


 すると、彼は私を抱き締めたまま続けた。


「もちろん、私の妻としてだ」


「……! テオドール様!」


 私は彼の発言に驚いてしまう。


 ただでさえ強かった、私を抱き締める彼の力がいっそう強くなる。


 誤解も解けた私たちは、大広間で、しばらくの間、抱きしめあったのでした。



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