第2話 出会いは悪い噂と共に

 次に目が覚めると、見知らぬ天井が目に入った。


(ここはいったいどこなんだろう?)


 私はなんだか重たい身体を頑張って起こした。キョロキョロと周囲を見回すと、見たこともないような綺麗なシャンデリアや家具が置かれた部屋だった。


(すごく広い場所。私の部屋の十倍以上はある)


 寝台から降りてみて、近くにある木彫りのテーブルに近づく。ピカピカな上に丁寧に紋様が彫られていて、平民だと一年ぐらい給金を貯めたところで購入は出来そうにない。


(あれ……? そういえば、私は馬に蹴られて死んだんじゃ……?)

 

 こうなる直前、平民街の大通りを歩いていたような?


(てっきり馬の蹄で頭を踏まれて、十六の若い命を散らした……なんて思っていたけれど……そうではなかったのね……それともここが天国だったり……!?)


 だとしても、なぜに道端に転がったままではないのだろうか?

 百歩譲って考えてみた。

 善人な誰かが私を救助してくれたのだとして、なぜこんなにお金持ちのような家にいるのだろう?


(ものすごいお金持ちの商人の家かなぁ? 助けてくれたお礼を言いにいかなくちゃ)


 家具なんか傷つけたら絶対に弁償できない。


(極力この部屋の中にある家具や調度には触らないようにしなきゃね)


 そろりそろりと廊下を移動した。


(とにかくぶつかったら大変)


 高価な品物達を避けて歩く。

 並べられた鏡や彫刻、絵画等々を回避して、これは割ったら絶対に不味いと思われる巨大な壺を避け……

 ついに、私は扉に近づくことに成功した!


(いつもなら何かが起きそうなのに、幸運の女神が舞い降りた!?)


 自分自身の幸せぶりに、思わず胸の前で拳を握る。

 そうしていざ、ドアノブに手を掛けた次の瞬間。


「くぎゃっ!!!」


 ――扉が勢いよく開いて、私の顔に直撃した!!

 

 到底女の子が出すとは思えない、蛙がつぶれたような声を挙げて、そのまま後ろにひっくり返って倒れてしまう。

 またもや天井が見えた。

 

 そして案の定。


 ガッシャーンと大きな音を立てながら割れる壺。


 破片と一緒に、私は地面に崩れる。


(お嫁に行く前の大事な顔に傷が……)


 傷つく以前に――!

 

(高価な壺を割ってしまったので、怒り狂ったこの家の主に、どこかに売られたり……! 命を奪われたり……! 下手をしたら、すっごい気味の悪い商人の愛人にされちゃったり……!)


 悲観しつつも前向きな私の頭の中を、これまでの人生が駆け巡り始めた。


(こんなことなら、好きだった人に告白すれば良かった!)


 兄の親友である紅い髪の騎士様のことを思い出した。


(剣の守護者ソル様)


 我が国オルビス・クラシオン王国には王家を護る剣の一族がいる。一族の次期長であるソル様に対して、私は憧れを抱いていたんだ。

 お兄ちゃん曰く、剣の守護者様は婚約者を亡くされた女王陛下の恋人に収まったらしい。

 ものすごく恋していたわけではない。

 だけどやっぱり、女性ならば告白ぐらい経験して死にたかった。


(これが噂の走馬灯!? なんてね! って、あれ? 私、わりと余裕ある?)


 気づいたら……


 私の身体の周囲で陶器の欠片たちが宙に浮かんでいるではないか。


 というよりも……


 おそらく魔術で、私の身体もふわふわと浮いていた。


「助かったの?」


 壺の欠片が、私の身体を避けて地面にパラパラと落ちていくのが見えた。

 ゆっくりと足先が地面に着いて、私は地面に降り立った。


 ほっとして溜め息をついていたら、さっと目の前に影が差す。


 反射的にそちらを向く。

 そこにはなんと……


(え?)


 あまり日焼けしていない肌に、さらさらした漆黒の腰まで届く長い髪、菫色の切れ長の瞳の持ち主である綺麗な顔をした男の人が、扉の前に立っていたの。白いシャツの上に紺碧のフロックコートを着ている。一目で高価な代物だと分かった。


(馬に乗っていた男性だわ。街では見掛けない綺麗な男の人、憧れのあの人に比べたら、私の好みではないけれど……)


 なんだか綺麗な顔立ちだけれど、どことなく神経質そうな印象を受けた。


(もう少し愛想が良い男性が好みだわ)


 ちょっと色んな意味で動悸がしてきた。カッコいい男性を見たのも、もちろんある。だけど、どう贔屓目に見ても貴族の殿方である彼に、一体いくら弁償金を払わされるのだろうかと不安でいっぱいなのだ。


(ひとまず、気を取り直さなきゃ)


 私は思い切って彼に名前を聞いてみる事にした。


「あ、貴方のお名前は?」


 声が上ずってしまった。だって緊張しちゃってる。


 そうして目の前の男性が、ものっすごく機嫌の悪い顔に、とーっても低い声で名前を教えてくれたんだけど……



「テオドール・ピストリークス」



 私の目の前が灰色に変わった気がした。


(その名前は!)


 近所の世話好きなおばちゃんの声が私の頭の中に響いた。


『マリア、悪いことは言わない、ピストリークス家には絶対に近づいちゃいけないよ! あそこの屋敷は近付くものに呪いをかけてくる、冷たくて極悪な魔術師が主なんだからね! あんたドジなんだから、近づきすぎたら今度こそ不運の嵐だよ!』


(お、おばちゃん、私、屋敷に近づくどころか、おそらく屋敷の中に踏み行って……)



「うぎゃぁぁぁあっっ!」



 そうして、私は絶望のあまり大声で叫んだあげく、またもや意識を失ったのでした。



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