黒い百合と魔法少女ピュアリン☆りりうむ

眞魚エナ

黒い百合と魔法少女ピュアリン☆りりうむ

「もう、やめてもらえませんか」

 挨拶代わりの口づけを拒まれて、私は肩をすくめた。

 彼女は沈鬱な面持ちで、私と目さえ合わせてくれない。

 次に何を言い出すのかはだいたい想像がついている、けれど。私はとぼけて小首を傾げる。

「なにを、やめるの?」

「聞いたんです。ひびきさん、わたし以外の子にも……こういうことを」

 教室の窓の外のグラウンドから、運動部の掛け声が飛び込んでくる。名門女子校らしい真っ直ぐで純朴な声。

 聞き覚えのある少女の声が交じる。そういえば、最近はあの子と会っていない。

 まぁ、そういうふうに、思い浮かぶ相手は一人や二人ではなかった。

「それで?」

 私は変わらず微笑み返す。

 彼女は口を引き結ぶ。傷を、堪える眉根は美しいと思った。

「……終わりに、しませんか。わたしのことは、もういいですけど。きっと響さんのためにならないです。こんなこと続けてたら、いつかきっと、響さんが不幸になります」

「あらお説教。それとも呪い?」

 きっと色々な葛藤の末に口にした言葉を、私は一笑に付した。

 そうねぇ、と私は考える素振りだけして、ぱん、と拍子を打つ。

「じゃあ、これでおしまいにしましょうか」

 それを合図に、少女の瞳がやっとこちらを向いた。なにかを期待するように。

 何も惜しまず、私は笑む。

「ええ、今までどうもありがとうたちばなさん。、お互い十分楽しめたんじゃないかしら」

 傷に、指を入れて、抉るように、そう告げた。優しく拒絶の眼差しを向けて。

 別に女の子を虐めて悦ぶような趣味はないけれど。わざわざ傷つきに来ているのだから、望み通りに痕をのこしてあげただけ。

 彼女はきっと私に見せたくもなかった涙を、隠すように振り返る。

 駆け出す背に、今度こそ単なる嫌味で言葉を投げた。

「次もがんばって綺麗な子を見つけてね。面食いはお互い様だものね」

 空き教室を飛び出していった彼女に、その言葉が届いたのかはわからない。

 運動部の掛け声にまた振り返る。机の上にはしたなく腰を下ろし、どこを見るでもなく窓の外を眺めた。

 ――つまらない子。

 別に、彼女たちを騙したりしようなどとは考えたこともない。

 つきあって、なんて誰にも言ったことはないのだ。好きよ、とは幾人にも告げたかもしれないけれど。

「ほんと、面食いはお互い様よね」

 秘密に酔って、人を偶像あつかいして、食い物にしているのはどっちなのかしらね。

 すぐ飽きる遊びに、付き合ってあげているのは誰?

 本気にさせてみせればいい。

 わかるのだ。彼女たちは私に踏み入らない。踏み荒らせばひしゃげて醜く萎れる花か何かと思っている。

 結局それは、花らしくたおやかに。そういう欲望にほかならない。

 だったら同じものを私も返す。

 欲望には欲望を。

 本気の恋だというのなら、きっと私も同じものを返したくなるでしょう。

 誰にもそんな気配はないけれど。

 ああ――そういえば、そもそも。

 私も誰かに本気で恋をしたことなんて、あったかしら?

 ――静寂に耽る私の耳に、勢いよく教室の扉を開いた衝撃音が響く。

「そこまでよっ! それ以上彼女の心を黒く蝕むのは許さない!」

「…………」

 ?????????????????????????????????????

 教室に飛び込んできたのは、珍妙な衣装を身にまとった背の低い少女だった。珍妙というか、なんと例えればいいのか、こう……子供の頃に見た、朝のアニメの主人公みたいな。ドレスみたいにフリルいっぱいのスカート。パフスリーブの袖から覗く白い腕の先にはやっぱり、子供の頃に欲しがったような、おもちゃのステッキみたいなものを携えている。

 プライドひとつでなんとか無表情は保ったつもりだけれど、私は内心だいぶパニックに陥っていた。

 全然状況がわからない。教室を間違えたのかしら。いやどこの教室?

「あら。かわいらしい子」

 ギリギリで平静を保とうとしていつものような口説き文句が口をついて出てきたけれどいやいや私はこの意味不明の生命体を口説いてどうしようというの? 己を保とうとしすぎていない?

 速やかに帰ってもらったほうがよくないかしら。お互いの心の平穏のために。

 やっぱり私、だいぶテンパっているらしい。

「わたしは魔法少女ピュアリン☆りりうむ! 黒い花弁に包まれたあなたのハート、わたしが浄化させていただきますっ!」

 あ、関わってはダメだった。私は背に伝う冷や汗を自覚した。コレは尋常な会話が可能なタイプの物体ではない。話せば話すほど私のキャラクターが崩壊するという差し迫った危機を感じる。

 私は努めて淑やかに机から降りる。そして微笑を浮かべながらこの異次元生物に歩み寄り、そのまま、スッ……脇を通り抜けた。だいぶ早歩きで。

「逃がさないよ! その人を解放しなさいっ!」

 私が恥も外聞もなく廊下を全力疾走しようとした矢先、リボンのような光の帯が私の体を捉えた。腕ごと半身を戒められ、両足は宙を蹴る。

「な、なによこれ……ぐっ!」

 私はにわかに心臓を貫くような痛みに襲われた。見下ろせば、胸の真ん中から黒いモヤのようなものが溢れ出してくる。

 それは次第に寄り集まり、空中で形を成していく――まるで巨大な影法師の怪物のように。

「きゃああ……っ!」

 私は恐怖で悲鳴をあげた。だというのに、それを途中で無理やり飲み込んだ。

 怯えて泣き叫ぶような私は愛せない。こんな状況でさえ私は無様を嫌った。些細な抵抗も虚しく中空でみっともなくもがく自分が情けなくて泣きそうになる。

 こんなのは私じゃない。

「怖がらせてごめんね、大丈夫!」

 何が大丈夫だというのか、眼下でさっきの少女が叫んでいる。恐れと怒りに任せて醜い言葉を吐き捨てそうになる。

 それを遮るように、まっすぐな声音で少女は口にした。

「あなたは綺麗でいたかったんじゃない。ほんとうは、一生懸命でいたかっただけだから」

 そのわかったような勝手な言葉に、

 ――なぜだか、息を呑んだ。

 少女がステッキを振り上げると、光が溢れ出す。それは次第に私の体を包み込む。胸の内に、温かいものが流れ込んでくる。

 これは――あなたなの?

 不思議な衣装に身をまとった少女を見下ろして、なぜか私は確信した。

 胸の内に染み込んでくる温かいものの正体。

 いま、私の心の中に、彼女がいる。

 私は奇妙な光景を幻視した。心に空いた穴からそっと入り込んだ少女は、外界から身を守る鎧の奥に潜んだ裸の私をそっと抱きしめて――

「あなたのハートにシンクロス☆ でていけダークバルブ~っ!」

 神言のように少女がそう唱えると、黒い靄のような怪物は消えていく。

 それを皮切りに、ゆっくりと私の意識も薄れ――


「――さん、黒川くろかわ響さん。大丈夫ですか?」

 体を揺すられる気配に意識が覚醒していく。目をゆっくりと開けば、知らない女子生徒が倒れ込んだ私の体を抱き起こしていた。

「お怪我はありませんか? どこか痛いところとか……」

「私、どうなったの?」

 まだ鈍い頭では上手く思い出せない。ええと、橘さんをフッて……それから?

 私の肩を抱く女子生徒は、なぜだか苦笑しながら答えた。

「えーっと、わたしも何が何やら。たまたま通りかかったら黒川さんが倒れてたので、介抱していただけなんですけど」

 たははー、とその少女は笑う。

「…………」

 いや、違うでしょ。

 思い出した。なんだか……あまり理解したくない出来事が起きた。どうやら私、魔法少女みたいなものに何かこう、浄化的なことをされた。

 おぼえてる。

 というか。

 あなたでしょ。

「……あなたは?」

「あ、わたしは花宮はなみやりりあと申します。同じ学年の」

「なんか、魔法少女みたいな子がいなかった?」

 私が訝しげに尋ねると、女子生徒は露骨に狼狽しはじめた。

「え! い、いやいや、そそそんなの見てませんよ。夢でも見たんじゃないでしょうか、あはは」

「…………」

 私は目を細めた。

 いや、だって……顔がそのまんまなんだけど……。

 確かに髪の色とか長さとかは違ったと思うけど、あの魔法少女、どう考えてもそっくりそのままあなたと同じ顔。

 ――でも夢だったと言われれば、悪い夢にしてしまいたい気もするので。私はそれ以上追及することをやめた。

 結局私の体には何の異常もなかったし、もう窓の外も暗くなってきていたので、私たちはそそくさに下足室に向かった。

 狐につままれた気分で私が嘆息をつくと、前を歩いていた少女が唐突に言った。

「えっと、これは独り言ですけど」

 今度は何を言い出すのかと訝しむと、少女は振り返って花のように微笑む。

「あなたはとても自分勝手だけど、でもかわいそうな人です。あなたが怒りたくなるのも、あたりまえだと思います」

「…………なんのこと」

「この世はしんどいってことです。なんでもかんでも報われるわけじゃありません。――でも、あなたの一生懸命に、一生懸命を返してくれるひとは、ちゃんといますよ。あなたが諦めなければ」

「なによ。なにが言いたいの!」

「あなたが思っているよりずっと、あなたは可愛い人なんですよ」

 それだけ言うと、最後に少女はどこか寂しげに笑って走り去っていった。

 その小さな背を見送って、私は立ち尽くす。

 …………いや、

 いや、絶対あいつ魔法少女でしょ……!


 後日、私は橘さんを呼び出した。

 どうしてそんなことをしたのか――とにかく、どういうわけかもう一度会って話そうという気分になったのだ。

 何を話すかなんて決めていなかったのに。気がつくと、私は彼女を傷つけたことを謝罪していた。

 そんなの今までの私なら考えられない行為だった。

 怒りも諦念もまだある。自分の不誠実を省みようと思ったわけでもない。

 なのに。少なくとも、今まで自分が傷ついたぶんだけ彼女たちを壊してやろう――そんな暗い気持ちが、どこかへ消えてしまったみたいだった。

 心当たりなんてひとつしかない。

 あの魔法少女のせいだ。

 浄化だかなんだか知らないけど、あいつは私の心を捻じ曲げてしまったのだ。

 おかげで私好みの顔の良い女の子たちと距離を置く約束までしてしまった。

 こんなの私じゃない。

 何が浄化よ。負けるもんですか。良い子になんてなってやるもんですか。

 絶対あいつの正体を暴いてやる。

 あいつは自分で花宮りりあと名乗っていた。名前からして珍しすぎる。知らない女の子だったけれど、同学年と言っていたから調べればすぐわかる。

 クラスメイトじゃないのは間違いない。同じクラスの子の顔はすべて覚えているし、顔の良い子には手をつけているから。

 結局数人の女子から情報収集した結果、同学年の少し離れたクラスの子だってことがすぐにわかった。

 花宮りりあ。出席番号20番。身長150センチ。成績は中の中。明るい性格で友達も多い。帰宅部だけれど運動全般が得意で、よく運動部に助っ人を頼まれるとか。

「ふふふ」

 私の心を勝手に覗き見て、知ったようなことを言ってくれたわね。私だってあなたのことを調べたわ。

 あとはあなたがあの魔法少女に変身する決定的瞬間を目撃してやるだけ。

 私は女の子たちとの関係を切ったせいで暇になった時間を花宮りりあの観察に費やした。

 休み時間は教室まで行ってこっそり観察し、昼休みは彼女の見える範囲でこっそり食事を摂り、下校時間にはこっそり家までついて行った。

 もう彼女の家の場所も家族構成もいつも一緒にいる友達の名前も口癖も好きな食べ物も好きなお笑い芸人も知っている。

 なのに、彼女が変身する素振りは未だにない。タイミングが悪いのか、私のように誰かがあの黒いモヤに取り憑かれるのは稀なのか。それとも私が気づいていないところで実は何度も……?

 私はいつものように友達と談笑する彼女を見つめて歯噛みする。

 あとは証拠を掴むだけなのに!

 なんでよ。早く変身しなさいよ。早く、早く見たいのに。

 あなたが変身するところも、戦うところも、あのどこか寂しそうな笑顔も、全部この目で見たいのに!

 ていうか、こんなに付け回しているんだから一度くらい私に気づいてくれたっていいでしょ!

 なによなによ! なんなの!

 

 なんなのよ――――ッ!

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