10 クモが、見つかる。
「ここは、『門』にある飲食店とか宿とかが使うために、食料とか消耗品が結構置いてあってな。ま、備蓄になるようなもんばっかだけどな。……牛乳はしばらく諦めねぇと駄目かな。」
かち、とユキトが懐中電灯をつける。光にあてられて、数々の瓶や袋が棚に並べられているのが見えた。
米、パン粉、小麦粉、調味料、ペットボトルのお茶、水、漬け物、野菜。見渡せば見渡すほど、たくさんの食料が目に付く。
「本当に皆、死んでいるんだよな?」
気づけば、ジャムの瓶を取って、そう呟いていた。
「ん?あー、昨日言ってたヤツか。」
僕の取った瓶を取り上げて、ユキトは、「そんなもんだって」と小さく笑みをこぼす。
「皆、死んでるから必要、不必要、なんて。考えもしてねぇんだよ。お前みたいに、不思議にも思わねぇ。一日なんも食べてなくて、寝てないくて、それなのに体は元気で、『ああ必要ねぇんだ』ってなるヤツはごくたまにいるけどな。大抵は皆、現世にいた頃の習慣が当たり前だと思って、続けてんだよ。続けるために、施設やこういうもんがあるんだよ。」
そう言ってから、彼は、僕に調味料をいくつか持ってくるように言った。見れば、結構近くの棚にお酢やしょうゆが並んでいる。
「水もんは気ぃつけろよ。あったら味噌も取ってきてくれ。」
僕には注意するくせに、言う本人は二リットルの水を三本くらいリュックに入れるものだから、少し不服だった。
どこまでいっても子ども扱いされるのは、なんなんだ。
できる限りの食料を持って、僕とユキトは、建物から出て雲縫い屋へと戻る道を走っていく。できる限りと言っても、ユキトに途中で止められたせいで、そう軽いものしか持っていない。軽めの調味料だとか、袋で小分けにされた歯ブラシみたいなアメニティとか。一番重い物と言えば、ユキトが物理的に持てないと判断した小麦粉くらいだ。
まあ、最初に言われたときよりはそう危なくなくて、少し安心したが。
「ユキト、来た道と少し違うんじゃないのか?」
「ああ、あんま同じ道使うと感づかれることが多くてよ。道、毎回変えてんの。」
もう八年くらいここいるから、結構覚えてるんだよ、と。
さらりとすごいことを言われて、驚いて声をあげそうになる。
ここには曜日感覚もカレンダーもないが、どれだけの年月が経ったかは、ユキトが数えているからなんとなく分かる。僕はまだ、二週間ほどしか経っていない。
八年なんて、考えたくもない。この人が高校二年生だと言っているのは、現世にいればの話で。本当は、小学三年生くらいからここにいたことになる。
「勉強は割と周りの人たちに教わってたから、まあ、そんなに…………、」
そこまで言って、ユキトは、足を止めた。後ろを着いて来ていた僕も、つられて立ち止まる。
「ユキト?」
彼の視線を、ゆっくりと追う。何かを探るように、辺りを鋭い眼光でにらんでいる。
一体、何があったんだ?
不思議に思って、僕も、耳をそばだて辺りを確認しようとした。
その時。
ガシャン!!!!
「っ!?」
後ろの方で、ガラスが勢い良く割られたような音がした。とっさに振り返れば、そこには。
「ほぅら。やっぱ、いらっしゃるよなぁ。」
僕と同じように振り返ったユキトが、バカにするみたいに笑う。が、僕は、笑っていられなんていられなかった。逆に、絶句した。
そこには、廃墟となった建物から這い出ようとしている、長い長い斑点模様に彩られた足と、紅色の瞳を持ったバケモノ。
見覚えのある、大蜘蛛の姿があった。
なんで、こんなところに、コイツが。似たようで違うヤツだったりしないか?しないよな、だってあの模様と瞳は、記憶と全く一緒だ。何にも変わってやいなしない。僕の幼なじみをさらっていった、あの日から、何も。
ぎょろ、と。瞳が完全に僕とユキトを捉える。
あ。マズい。
「っ、ハル、しゃがめ!!」
真っ白になった頭に、ユキトの叫ぶ声が響く。従う他があるわけなくて、僕は、反射的にしゃがんだ。
瞬間、蜘蛛から吐き出されたらしいマユの塊みたいなものが、頭上を通り過ぎていく。
あ、あぶな、い。結構大きかったぞ今の、投げるもんじゃない。いや、攻撃してきてるんだから妥当な大きさなのかあれは。普通にバランスボールくらいの大きさじゃなかったか。
「くっそ、新人から狙おうってか!?」
響いた声に、しゃがんだまま顔を上げる。すれば、ユキトが腰にさしていた剣を引き抜いて、思いっきり構えていた。
普通の人の構え方じゃない。あれは、確実に、やり慣れてる。
しゅるる、と嫌な音を漏らした蜘蛛は、狙いを定めたように、ユキトに向かって糸を吐き出した。と、ほぼ同時に、ユキトが走り出す。
一瞬だ。宙に舞った糸を避け、ひらりと身をかわし、蜘蛛の脳天に向けてその剣を突き刺した。明らかに硬そうな頭に、細い刀身が貫通する。
ぐしゃり、と崩れ落ちる音が鳴って、蜘蛛が足をひしゃげさせた。死んだ。こんなにも、あっけなく。
僕は、短剣を握ったまま呆然としていた。蜘蛛を殺したユキトが、どうしても、あの夜に僕の頭を撫でた人とは思えなかったのだ。
怖い。……怖い、顔をしている。ぎらぎらと目が光って、蜘蛛がこちらを襲ってきたはずなのに、ユキトが先に蜘蛛を襲ったように錯覚してしまう。
頬についた糸の断片をぬぐいながら、ユキトは、顔を上げた。……途端、目を大きく見開く。
「ハルっ、後ろ!!」
「え、」
耳をつんざく声。振り返る途中で、不意に、地面に落ちる影に気が付いた。
あ、これ。マズい。
ひゅっ、と喉が音を立てる。見えてはいないが、多分、もう一体いたのだ。それが今、僕に覆いかぶさろうとしている。重量は分からないが、おそらく、無事ではいられない。
死ぬのか?え、違う、元々死んでいるのか。どっちなんだったか。死んでいないのか。じゃあ、蜘蛛に襲われて殺されたら、本当に死んだことになってしまうのか。その場合、僕はどこに行ってしまうのだろうか。
スローモーションになった世界で、そんなことを思う。思いながら、僕は、とっさにベルトから引き抜いていた。
コイツがどうかは知らないが、蜘蛛の体は比較的柔らかい。なら、体をうちぬいて。
避けることを諦め、僕は、もう眼前まで迫っている蜘蛛の腹に向かって、引き金を引いた。
バンッ、バンバンッ!!
目をつむった直後、重たい水風船をぶつけられたように、大きな体に押され地面に転がった。反動で、「かは、」と大きな息の塊がこぼれ落ちる。
あ、でも、思ったよりは重くない。とんでもなく寒気はするが、押しつぶされるような重さではないな、これは。全然動かないし、多分、死んだのか。
「ハルっ!!」
ぼうっとそんなことを考えていれば、はみ出したらしい腕を、誰かが引っ張った。うすらうすら目を開けば、強い力で、ユキトが僕を引っ張り出そうとしてくれている。焦ったような表情をしていた。
「ハル、大丈夫か!?今、助けて……くっそ、持ち上げられるか……?」
「っ、ユキト、自分で……自分で出られる、から。腕、千切れる。」
息が出なくなるんじゃないかと思いながら、僕は、ずるずると蜘蛛の下から這い出た。腰を思いっきり打ったのか、体に上手く力が入らない。
もしかしたら、走れないかもしれない、これ……。
「……二体もいるとか、マジで、タイミングわりぃな。」
小さく舌打ちをしたユキトが、すっ、と。うつ伏せになって息を整えていた僕の腹に、腕を回す。
え、待ってくれ。これ、多分。もしかしなくても。
「よっ、と。」
「う、わ、うわっ!?」
ひょい、と。人間を持つ勢いとは思えないくらい軽々と、ユキトは、体から力の抜けた僕を片腕に抱えた。
いや、なんかもっと抱え方ないのかこれ。お姫様抱っこされても困るには困るが、こんな米俵持つみたいなやり方しなくても。
手に握った拳銃を落とさないように持ち直していれば、「やべぇな」と呟いたのが聞こえた。顔を上げれば、だらりと汗が頬をつたっているのが見える。
「今の銃声で、気づかれたっぽいな……。」
……え。
言われて、改めて耳をそばだてる。すれば、どこからか、聞き覚えのあるような声が近づいてくるのが聞こえた。最初にこの場所に来たときにも聞いた、怒号のような、何かを探すような声。
街の人の、声だ。僕が銃を撃ったから、その音が、街にまで響いたのだ。
「っ、ユキト、すまな」
「良い、謝んな。さっきのは、短剣より銃の方が判断としては正解だ。オレも油断してた。」
血が出るんじゃないかと思うくらいに、下唇を強くかんで、ユキトは「わりぃけど、さっき渡した白い玉準備してくれ」と言う。
「オレが角曲がったらすぐ、五個くらい地面に向かって投げろ。で、投げてしばらくは、できるだけ息止めてろ。目もつぶっとけ。」
そこまで言われて、なんとなく、今懐に入っている玉の正体が分かった。もしかしなくても、けむり玉か何かだ。よくそんなものをいくつも持っているものだ。
ユキトが、再び走り始める。揺れる視界の端に、複数の人影が映りこむ。ぐわんと、方向転換をして風が動く。
僕は、ほとんどタイミングも分からずに、懐から取り出した玉を地面に向かって投げた。
目を閉じる直前、真っ白になった景色が見えた。
雨が降っている。
夢だとは分かっていても、自分に打ち付けるそれが、どうしても冷たく感じるようで怖かった。一つ瞬きをすれば過去に戻ってしまいそうで、一つでも信じてしまえば夢だと思えなくなる気がして。
「なんでそんなこと言うんよ。しきたりや言うとるやん。」
そう言って苦笑した幼なじみは、笑顔だった。幼い僕は、この時、なんで彼女が笑っているのか分からなかった。いや、今でもまだ、この笑顔の意味が分からない。
この時、僕はなんと言ったんだっけ。ああ、そっか、「なんで連れて行かれなくちゃいけないんだ」って言ったんだ。
いくら神社の家系のしきたりだからって、この時代に、生贄の儀式みたいなことをする必要なんてないのに。誰のためかも分からないまま連れ去られてしまうだなんて、そんなむごいこと、ない。絶対に嫌なはずなのに。
なんで、笑っているんだ。
「うちは大丈夫やから、な?ユウも、いい加減うちのことなんか忘れぇな。」
どこまでも分からない笑顔が、僕の脳裏に焼き付いて離れない。理解したいのに理解できなくて、泣きそうになってくる。
……きっと、この時からだ。僕が、他人に興味をなくしたのは。
消えてしまった幼なじみでさえもよくわからなくなって、諦めたんだ。
は、と目を覚ます。
視界に映ったのは、未だ見慣れない薄汚れた天井。そのまま視線を横に流せば、僕の使うベットの近くにあるソファーで、毛布を被り寝転がユキトの姿が見える。
いつの間に、寝てしまったのか。夢が現実的すぎて、寝る前の記憶がおぼろげだ。
確か、食料調達に行って、蜘蛛に襲われて、戻ってきて。満身創痍の状態で、なんとか調達したものを置いて、部屋に戻ってきて。……あー、そのまま、か。
ため息をつき、まだ冷たさが残るような気がする顔に触れる。
考えなかったわけじゃない。でも、もし、幼なじみの言った「連れて行かれる」先に行き着くのが、ここだとしたら。
幼なじみは、どこかにいるかもしれない。
この世界の、どこかに。
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