8 必要か、不必要か。
ふと、夜中に目が覚めた。
別に、そう珍しいことじゃない。ここに来てから、夜中に目が覚めることは幾度もあった。そういうときは決まって、ユキトの寝息だけが聞こえたりすることが多い。階下はもう閉店していて、ほとんど音が聞こえることがないから。姫さんも、厨房のまた奥の方にある一階の部屋で眠っているし。
「……ユキト?」
ただ、今日は無音だった。寝返りをうとうとしてそれに気がついて、ベットから体を起こす。薄暗い部屋のソファーには、ブランケットだけが引っかかっていた。
お手洗い……か?けど、あの人、寝る前に済ませることが多かったような気が、する。
ふつふつ。暗い部屋に一人残されてしまったからなのか、うっすらとした不安がこみ上げてくる。寝れそうになくなって、僕は、そっとベットから下り部屋を出た。
階下へと下りると、うっすらと光がさしているのが見えて、思わずそちらに足を進めた。と、カウンターにいたらしい人影が、足音に気が付いたのか、くるりとこちらを振り返る。
「んだよ、眠れねぇのか?お子様は寝る時間だぞ。」
……いた。
からかうように笑うユキトの姿。思わずほっとしたのを誤魔化すように、僕は、彼の方に歩を進めながら「もう中二だ。子どもじゃない」と反論した。
「子どもだろ。高校生の俺だって、まだ子どもなんだからさ。」
からんからん、と氷同士がぶつかり合う音が鳴る。ユキトが、手元のコップの中身を、ストローで雑にかき混ぜていた。琥珀色と麦色がグラデーションになった、コーヒー。
「コーヒーなんて飲んだら、寝れなくなるんじゃないのか?」
「ははっ、そーだな。眠れなくなるかもな。」
答えになっていない言葉を返しながら、ユキトはふっと何かを嘲るみたいに息を漏らす。まるで聞く気がないらしい。こっちは一応心配して言ったというのに。
ため息をつき隣に腰を下ろすと、はは、と乾いた笑い声が聞こえた。
「ハルも、何か飲むか?」
「子どもを眠れなくするつもりか?」
「まさか。コーヒーなんて出さねぇよ、お前にはまだ早いだろ。」
それは、そうだ。あの苦いだけの飲み物の何がいいのか、僕にはまだわからない。
子ども扱いするなと言い訳できなくて口をつむげば、ユキトは席を立って、「あったかいもん入れてやるよ」とカウンターの方にまわった。
「んー、まだあったかな……お、あったあった。そろそろ調達しにいかねぇとかな、食料も。」
冷蔵庫をがたがたと漁る音。聞こえてきた「調達」の文字に、僕はふと首を傾げた。
そういえば、「街にはおりれない」と言っていた一方で、ここには食べられるものがたくさんある。バーだからそれは当然なのかもしれないが、日常生活で使うものだって多く備えられている。明らかに、おかしい。この雲縫い屋の付近に、そういうものが買える場所でもあるのだろうか?
そもそも……
「…………ユキト。」
「んー?」
白いコップをレンジに入れる後ろ姿を呼ぶ。
ジー、と機械音がするのを横目に、僕は、振り向いた彼と目を合わせる。
「僕らって、食べる必要があるのか?……死んで、いるのだろう?」
そもそも、「調達する」必要がない。「バー」という場所の存在が必要であるかすら不確かだ。お風呂も、歯磨きも、睡眠だって、ユキトに流されるようにやっていたが、本当は、必要ではないのでは。
死んでいるのならば、本当に、それらは必要なのか?
ユキトは、小さく「死んでねぇってば」と否定してから、小さく笑みをこぼした。
「……んだよ、さびしーこと言うんだな。」
「寂しい?」
言われた言葉を、思わず復唱する。思ってもみなかった回答だった。
「ああ、寂しいぞ。食べる必要がねぇから食べねぇってのは、そりゃ、遊ぶ必要がねぇから遊ばねぇってのと一緒だ。この世の中、絶対に必要なもんなんてねぇからな。」
さっきは自分のことを子どもだと言ったくせに、ずいぶんと大人びた言いようだ。
現に、その表情はどうにも高校生に見えなくて、何かを諭すような優しい顔をしていた。
「絶対に必要なものはあるんじゃないのか?例えば、衣食住とか。」
置いて行かれるような心地がして、負けじとそう言い返す。
電子レンジの中でくるくる踊るコップを見ながら、ユキトは「それもそうだな」と笑った。
「でも、それは『生きる上』での話だ。生活必需品、って言葉もあるしな。
……ここにいる人たちは、皆死んでる。オレらは、元に戻れるあても何にもなくて、何をすればいいのかも分からねぇ。そんな中で必要不必要なんて話してたら、本当に何にもなくなっちまうと思うんだよ、オレはな。」
チン、と音が鳴って、電子レンジが動きを止める。その扉を開ければ、ふんわりと、優しい甘い香りがした。
「いーんだよ。必要も不必要も、ここにはねぇんだから。自由にやってりゃあ。」
そういうもの、なのか?
確かに、ユキトの言っていることは的を射ている。生きるために必要なことをしなくていいんだから、結局は自由にしてればいい。そういうことだ。
こと、とカウンターに置かれたのは、ほわほわと湯気をあげるホットミルク。「いただきます」と言っておずおずと口を付ければ、じんわりと、身体に染み渡るような温もりと甘さが広がった。
「おいしい。」
思わずそうこぼせば、「だろ?」と得意げな笑顔をされた。
「姫姉さん直伝のヤツ。な?必要なくたって、価値はあるだろ?」
「…………そう、だな。そうかもしれない。」
「納得しろよ。ったく、ほんとに子どもだな。」
からかうみたいに、カウンター越しからわしゃわしゃ頭をなでられる。
全くこの人は、僕を子ども扱いしすぎだ。自分も子どもだと言っておきながら。
心の中ではそう悪態をつきながらも、僕を安心させるような手の動きに、どうにもはねのける気にもなれなかった。
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