6 こっちと、向こうと、

連れ去られた、という言い方は、あまりにも抽象的のようで本当のことだ。

話を聞けば、ユキトは、僕と同じ街に住んでいて……しかも、あの神社で、僕と同じように蜘蛛に連れて行かれ、ここに行きついたらしかった。

どんな繋がりやねん、と。ミゾレならツッコんでいるところだろう。僕も聞いたとき、思わず「似ているどころの話じゃない……」と口に出してしまった。

それと、この世界から向こうの世界……現世に戻れるか、の話だが。

これは、ユキトは教えてくれず、彼が部屋を出てから姫さんが教えてくれた。

「現世に戻るには、『門』と現世の間にある場所を通って行かないといけないんだけどね。『雲』っていう場所なんだけど。

……あそこは、行かない方がいいわ。一度、ユキトが行ったことがあるんだけど、ほとんど意識が混濁してる状態で帰ってきて。目が覚めた後も、『あそこだけは駄目だ』としか言わないの。それからユキトは、現世に戻りたいって言わなくなった。ここに来たときは、何度も『絶対に帰る』って言ってたのに。」

懐かしむような口調だった。だが、決して良い記憶じゃないのは分かった。頑なにユキトが話そうとしないのも、分かる。

それだけ、現世に戻るのは大変なことなのだろう。

「少し前まで、面倒を見てた子がいるんだけどね。その子も、『雲』に行って、戻ってこなくなっちゃったのよ。どうなったか分からないの。」

「…………。」

頭によぎりかけた想像を、すぐに打ち消す。まさか、そんなことはない。そんなことは。

「私は構わないから、しばらくは、ハルもここにいたらいいわ。お店の方を手伝っていれば、少しくらい、気が紛れるんじゃない?」

「良いんですか?僕、料理とかはあんまりできないんですけど……」

「そんな難しいことをさせる気はないわよ。まあ、やりたいなら教えてあげるけど。皿洗いとか開店準備とか、頼むのはそれくらいよ。」

姫さんは、そう言って笑って、僕を歓迎してくれた。

正直、居場所もなかった僕には、感謝してもしきれない申し立てだ。

「……じゃあ、よろしくお願いします。」

「ええ。改めてよろしくね、ハル。あとで、ユキトにも伝えるのよ。」

「はい。」

こうして僕は、しばらくの間、雲縫い屋にお世話になることになった。


どれだけ現世とは違っていても、朝も昼も夜も、この世界にはある。「門」の方では、空の色も変わるらしいが、こっちの世界では、空の色は永遠に黒で。それでも、夜はあるもので。

「だーかーらっ、俺がソファーで寝るっってんだろ!!お前ガキのくせに聞き分け悪いな!」

「ガキではないし、僕がベットを使うわけにはいかないと言っているだろう!?遠慮くらいさせてくれ!!」

「遠慮なんてしなくていーっつってんだろ!?」

「ちょっとちょっとアンタたち!!下まで聞こえてるわよ、何言い合いしてんの!?」

閉店後の片付けを、しどろもどろになりながら手伝った後。

僕とユキトが言い合いをしている所に、台拭きを手にしたまま、姫さんがひょこっと顔を出した。

僕よりも先に、ユキトが「姫ねーさんコイツめんどくせぇ!!」と声を張り上げる。

「元が俺の部屋だからって遠慮してやがる!!別に俺はソファーで良いっつってんのに!!」

「っ、だから、良い悪いの問題じゃないと言っているだろう!?後から来た人が遠慮するのは普通のことだろう、僕がソファーで寝る!!」

「ああ!?」

負けじと言い返せば、ぎろりと強くにらみかえされる。だが、僕もここで引くわけにはいかないのだ。

二階の部屋は、僕が来るまではユキトの部屋で。彼は、一つしかないベットで寝起きしていて。さすがに、後から急に来た僕がそれを壊すわけにはいかない。失礼がすぎる。

ここは礼儀として、僕がソファーで寝るようにしなければ。

「……何、アンタたち。そんなことで言い合いしてたの?別にどうだっていいじゃない。」

「「よくない!!」」

思いっきり声が被った。

さすがにどうだっていいはない、姫さん。これはプライドの問題だ。

はー、とため息をついた姫さんは、何か考えるみたいに台拭きをくるくる回してから、突然と口を開いた。

「あー、……さあいしょはぐー、」

急に始まった掛け声に、僕は反射的に片手を構えた。まさか、それで決めようというのか……!?

「じゃあんけえんぽんっ。」

姫さんの掛け声に合わせて、僕とユキトは同時に手を出した。僕がチョキ、ユキトがグー。

「んー……ユキトが勝ったから、ユキトがソファーね。ハル、どんまい。」

「っしゃ!!」

「えっ、ちょっと、姫さん!!」

「泥試合はじゃんけんが一番でしょ?ハルも、そんなに遠慮しなくていいのよ。ユキトは大ざっぱな奴だから。」

「大ざっぱは失礼じゃねぇ?」

からからと笑いながら、姫さんは階下へと戻っていく。納得がいかなくてむっと唇を尖らせていれば、ブランケットをソファーに引っ張っていきながら「ふてくされんなよ」とユキトが言った。

「お前、思ったよりも頑固だな。俺の友達みてぇだ。」

「友達?」

「そ、向こうに置いてきちまった友達。」

もう一枚のブランケットを投げられ、床につくまえにキャッチする。

言葉が何か続くかと思ったが、それからは何にも言われなくて、「風呂でも入ってこよっかな」と当たり障りのない独り言が返ってきた。

言い合いなんて、久しぶりにしたような気がするな。ミゾレは、いつでも受け身がうまいというか……言い合いというより、からかい合いになることの方が多いような。

けど、こういう風に受け入れてもらえるのは、すごくありがたい。

「……僕も、お風呂、入ろうかな。」

「おっ、なんだ、一緒に入るか?」

「そこまで子どもじゃない。」

まあ、子ども扱いされるのは、気に入らないが。


そりゃあ、誰やって信じてくれへんやろうな、とは思った。

だって、一緒に神社行って、それで帰って来おへんかった、なんて。そんな現実味のあらへんこと、信じられるわけがない。

現に、クラスの奴らもそうやった。「変な夢でも見たんだよ」だとか、「あっちが勝手にいなくなっただけだって」とか。まあ好き勝手言いやがる。

「……ハル、どこ行ったんや……」

色々な音の混ざり合うゲームセンター。

ハルがいなくなってから二週間。俺……ミゾレは、完全にまいってしまっていた。

ハルがおらんのにゲームセンターに来たって、何の意味もないやろうに。毎日毎日、放課後になるとこっちに来てしまう。

部活がある日でも、部活が終わった後に。もしかしたら、いつも通り、仏頂面でクレーンを動かすハルに会えるんやないかって思って。

……馬鹿やなぁ、ほんま。

ぐしゃり、と前髪を握り、いつかバウムクーヘンを一緒に食べたベンチでうなだれる。

アイツがいなくなってから、俺はすぐ、神社の辺りを探した。それでも見つからなくて、急いでアイツの家まで走って、事情をアイツの家族に説明した。

一日も経たずに、警察に連絡が行って。捜索が始まって。

それでもなお、ハルは見つからない。まるで、いつか話してくれた「雨」という幼なじみのように。

最初から、俺の隣には、誰もいなかったみたいに。

「…………あの。」

「……え?」

思考を遮る、聞きなれない声。

今にも周囲の音にかき消されてまいそうなそれに顔を上げると、そこには、見覚えのない女の人がいた。

ここの近くの高校の制服、だ。それだけに見覚えがあって、他は全然だ。会った覚えも、話した覚えもない。確信をもって言える。だって、めちゃくちゃ美人や。一回でも会ってりゃあ絶対に覚えてる。

「……えっと……あの…………私……」

おろおろと、その人は顔を真っ赤にして、言葉を絞り出そうと口をぱくぱくさせる。高校生であることは間違いないと思うんやけど、どうにもかわいらしく見えて仕方ない。

な、なんやこの人。すっごい美人なのはそれはそうなんやけど、年上に見えへん。ちっさい子どもが一生懸命何かを伝えようとしてるみたいや。

「あー……ゆっくりでええんで、大丈夫っすよ。」

とりあえず、話しかけてきたということは、俺に何か用があるんやろう。姿勢を正し、なだめるようにそう言う。

その人は、「すみません……」とこれまた消え入るような声で謝ってから、おずおずと、口を動かした。

「あ、の。…………お友達がいなくなった、っていうのは。……あなた、かな……?」

……言葉を、失った。

さっきまでは、「かわいらしい人だな」なんて思っていた頭が、急速に冷たさを帯び始める。恐怖とも驚きとも似つかない感情が、汗のようにじんわりと体に広がる。

なんで。なんで、知ってるんや。いや、なんで「分かった」のか、の方が正しいんか、これやったら。

「…………なんで。」

思わず、思考を埋め尽くすした言葉が口からこぼれ落ちる。そもそも、なんて返答すればいいんか分からんかった。

そりゃ、はいかいいえで答えられる質問やったんやから、それで答えるべきやとは思うんやけど。それすら吹っ飛ぶぐらい、混乱していた。

「……高校でも、注意喚起されてて。先生に聞いて、起きた場所とか教えてもらって。そこから周りに聞きこんで、それで、見つけたの。」

俺の反応から、その人は、俺が自分の探していた人であると確信したんやろう。たどたどしかった口調がはっきりとしてきて、ぐい、と詰め寄るみたいに俺に近づいてくる。

「ねえ、探そうよ。私と一緒に、そのお友達、探そう。」

「は?…………いや、あの。ちょっと、訳分かんないんっすけど。」

鼻先がぶつかりそうなくらいに近づかれて、とっさに身を引いて相手を手で止める。

さすがに、怖い。

そこまでして俺を特定したのもそうやし、ほとんど知らへん相手にここまで強引に提案してくる人なんて見たことないし。そもそも、目的がわからへん。

向こうが年上なのを分かった上で、キッとにらみつける。やけど、相手は顔色一つ変えない。

「なんで?そのお友達、心配じゃないの?」

拒まれたのが不思議だ、とでもいうみたいに首をかしげられる。まるで、俺の警戒が伝わってないような声色。

「そりゃ、心配っすけど。それとあんたと何が関係あるんすか?アイツを探す手伝いをして、あんたに何か得があるんすか?」

ふつふつと湧き出てくる苛立ちをそのままに、尋ねる。

俺の気持ちなんて分かりもせえへんで、好き勝手言いやがって。

どうせ、こんなんやったら、冷やかしに来ただけやろうな。そうや。ハルの知り合いでもなさそうやし。

「…………ああ、そっか。あなたは、そういうことを心配してるんだね。」

無感情な声が、納得したような色で響く。

その直後、無表情だったその人の顔が、笑みを浮かべた。

笑ったとは思えないくらい、冷たくて、ゾッとするような笑顔。

「私は、協力してほしい、って言ってるんだよ?みおと、みぞれ君。」

知っているはずもない、俺の名前が呼ばれる。

あー、ヤバい。この人、絶対関わったらあかん人や。

ばくばく、心臓が意味わからんくらいに騒ぎ始める。脳内で、聞いたことないような警戒サイレンがぐわんぐわん鳴ってる。それでもなお、俺は動けなかった。

「おなかまだよ、みぞれ君。私も、おともだち、消えちゃったの。」

ふふ、と。

明らかに笑うところやないのに、はっきりと、笑い声が聞こえた。

「あの神社だよね?あそこでね、私のおともだちも、急に消えちゃったの。いっしょだよね?」

怖い。本当に、同じ人間とは思えへんくらいや。

震えだしそうな腕に片手で爪を立てて、歯を食いしばる。ぎり、と嫌な音が脳に響いた。

今ので、完全に、ハルとこの人の「おともだち」が同じように消えたことがほぼ確定になってもうた。

さぁ、どうする?俺。

手掛かりも何にもあらへん状況で探し続けるか。素性もわからんこの人を信じるか。

「ね。どう?ケーサツも、絶対あてにならないよ。私たちだけで、探した方がいいよ。そうじゃないと、」

死んじゃうかもしれないよ?

ささやかれた言葉は、あまりにも残酷で、俺をうなずかせるには十分で。

……なあ、ハル。

お前を見つけ出すためなら、俺は、名も知らない誰かを信じても良いと思うか?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る