5 門。

「はあっ、はっ……はっ……」

息が切れてきて、膝に手を置き大きく息を吸う。もう、後ろからは声も何も聞こえない。

よ、良かった……逃げ切れた、のか?

全く、何が何だか全く分からなかったな……、

「よ。」

「うわああああああああああああっ!?!?」

急に隣から声がして、思わず大声をあげた。バッと振り返れば、そこには、さっき僕を逃がしてくれた黒髪の人。

「しっー!!おまっ、大声出すんじゃねぇっ、場所バレるだろ!」

「はっ!」

言われてとっさに口を押さえるも、「もうおせぇよ」とため息をつかれてしまった。う、申し訳ない。

急に声をかけてくるそっちもどうかと思うが、驚きすぎた僕も僕だ。

というかこの人、多分、あの追手と闘うか何かしてたはずだよな?なんでこんなに早く僕に追いつけているんだ?

「ったく。……ほら、あともうちょっとで安全な場所に行けるから。早く行くぞ。」

「あっ、は、はい。」

考えても、無駄だ。必要ないこと。

僕は、うながすように言って歩き始めたその背中に、急いで着いて行った。


少し歩くと、段々と、うすぐらい中にぽつんと灯りが見えてきた。よく見てみれば、「雲縫い屋」と書かれた看板が屋根に掲げられている。

途中にも灯りがなかったかと言えば、噓にはなるが。それは、目を凝らしてみればただの電話ボックスで。

「何見てんだ……って、ああ、あれか。ただの装飾もんだから、気にすんな。」

黒髪の人にそう言われ、そのまま通り過ぎた。こんな路地裏に電話ボックスがあるというのが、なんとも不思議で不気味なようだったが。この人がそう言うのなら、僕はそれを信じるしかない。

「あー、開店しちまってるか……姫姉さん手ぇ空いてっかな……」

開店、ということは、何かのお店なんだろうか。

光の漏れる扉に手をかけようとした僕の手を引いて、黒髪の人は、建物の裏へと僕を引っ張って行った。

「お前、怪我してんだろ。そんなんで正面から入られたら困る。」

「…………あ。」

言われてみて、今思い出す。

そういえば、ナイフで切りつけられたんだったか。がむしゃらになっていたせいか、今の今まで全く気にしていなかった。

自覚してしまうと、忘れてしまっていた痛みが熱をもって帰ってくる。相当深くやられてしまったのか、指にまで赤い色が垂れていた。

「ほらぁ、いてぇんだろ。早く行くぞ。」

裏口らしき場所の扉を開き、黒髪の人は、中に僕を招き入れる。冷え切った体が、温まった室温にいくらか緩んだ。

「ちょっと、人呼んでくっからさ。そこの階段上ってすぐの部屋にいてくれねぇか?」

「人……、」

「あーあー大丈夫だって。そんな、お前を捕まえたりしようとするヤツじゃねぇから。ここには、そんなヤツこねぇよ。」

なだめるように肩を軽くたたかれ、そのまま黒髪の人は廊下を駆けて行った。もしかしたら、さっき呟いていた「姫姉さん」という人を呼びに行くのかもしれない。

痛みを訴える傷口を片手で押さえながら、僕は、言われた階段を上り、すぐに扉の見えた部屋へと足を踏み入れた。


しばらくして、二人分の階段を上る音がして、黒髪の人と、あと一人……エプロンをした、大学生くらいの女の人が部屋に入ってきた。

「待たせてすまね……って、何お前棒立ちしてんだよ。」

「いや……」

ソファーとベットと本棚しかない部屋で待ってろと言われて、一体どうすればいいかなんて知るわけもない。

黒髪の人の後ろに立っていた女の人は、腕を押さえたまま部屋のど真ん中に立つ僕を見て、「あらら」と苦笑した。

「アンタ、この子に何も言わずに部屋通したの?『座って待ってて』って言えばいいだけの話じゃないの。」

「ああ?誰だって座って待つだろ、こーいうのは。」

「アンタがそうでも、この子にはそうじゃないかもしれないでしょ?遠慮してるのよ。」

女の人はそう黒髪の人に言ってから、立ったままの僕をソファーに座るよう促した。

「ごめんね、うちの子が大ざっぱで。安心して座っていいわ。」

「す、すみません……」

ソファーに腰を下ろした僕に、彼女は、安心させるみたいに僕の頭をよしよしと撫でた。子ども扱いされているようで恥ずかしいが、なんだか、保健室の先生みたいな安心感がある。

黒髪の人は「んなの分かるかよ……」と悪態をつきながら、座った僕の前に座り込む。

そして、さっき取ってきたらしい白いタオルを傷口の下にあてながら、じぃっ、と傷口を確認し始めた。

「ったく、アイツらもひでぇことするよなぁ……前々からあんなんだったけ?姫ねーさん。」

「さぁ、どうだったかしらね。あそこではあの人たちが「正しい」んだもの。なんとも言えないわ。」

あ、やっぱり、この人が「姫姉さん」なのか。

女の人……「姫姉さん」は、僕と目が合うと、「そういえば名前はまだだったわね」と、優しい笑みを浮かべた。

「こんばんは。私はフジナミヒメ。ここでは姫姉さんって言われてるけど、好きにしたらいいわ。」

「どうも。えっと……僕は、夕虹晴です。ハル、って呼ばれてます。」

「ハルね。よろしく。」

明らかに人の好さそうな人だ。大人っぽい雰囲気と長いポニーテールが様になっていて、かなりかっこよくもある。

最初に会った人がこの人だったら、もう少し安心できただろうに。なんだって僕は聞く人を間違えてしまったのだろうか。

「っていうか、アンタは自己紹介したの?来てすぐに手当手当ー、って言われたから、気にしてなかったけど。」

姫さんは、ちょっとからかうみたいに笑って、僕の腕の状態を見ていた黒髪さんの肩を叩く。

あ、そういえば。黒髪さんって言ってばっかりで、名前はまだ聞いていない。

「あー、やべ、忘れてたわ。わりぃな。」

「なにそれー、会ったら最初は自己紹介、でしょ?」

「うっせ。結構やばかったんだよこっちは。」

姫さんの手から消毒液やら何やらを受け取った黒髪さんは、僕の腕の手当の準備をしながら、おざなりに「ユキトだよ」と口にした。

「ユキト、さん。」

「そうそう。……って、んでさん付けすんだよ。年としてはオレが上だと思うけど、別に気にしなくていーだろ。おま……ハルだって最初タメ口だったじゃねぇか。」

「………あれは余裕がなかっただけだ。ユキト。」

「っはは、そーそ、それでいーんだよ。」

からからと笑い声をあげられる。なんだか恥ずかしくなってそっぽを向けば、その拍子に傷口に消毒液をかけられた。

「いっっっっ!?」

びりり、と電流が走ったみたいに、思わず悶絶する。

姫さんが「もう急にやったら駄目でしょー」と咎める声に被せるみたいに、ユキトは面白そうにげらげらと笑っていた。

コイツ、こっちは笑い声じゃないってのに。


それから、手当が終わって。

僕はようやく、二人から、この世界がどういった場所かを聞くことができた。

「ここは、神様の判断を待つ世界、みたいなもんだ。死因だとかどう生きてきたかで、その人がどこに召されるかは変わるからな。その判断が下されるまで、死人が待つために作られた世界。」

「死っ……!?」

いやいや、待て待て待て。

僕は、死んだのか?確かに、かなり急に連れて行かれたけど。僕が気を失っている間に殺されたっていうのか?あの蜘蛛に?

初っ端から混乱状態に陥った僕に、ユキトは「混乱するのは後にして、とりあえず最後まで聞け」とデコピンしてきた。普通に痛い。

「……で、お前がさっきまでいた場所が、『門』っていう街だ。大抵のヤツは皆、あっちで過ごしてる。」

僕の前にひざまづいたまま、ユキトは、片手をあげて、その手のひらを僕に見せる。

「あっちの人たちは、大体の奴らが、事故だとか自然死だとか、他殺された奴だ。まあ、あるあるの死因だな。」

一つあるあるじゃないのが混じっていたような気がするのだが。それはスルーしていいのだろうか。

くるくる。もう片方の手の人差し指で、あげた手のひらをなぞる。隣に立っていた姫さんが、「一応、私も事故死なんだけどね」と苦笑まじりに言った。

「でも、こっち……今いる場所はね。『門』とは全く別の場所なの。迫害された死人が集まる、逃げ場所みたいな地域なのよ。」

「迫害?」

首をかしげた僕に、ユキトが「死因だな」と答える。

「自殺したり他人を殺したことのある奴とかは、判断が割と難しいし、悪党だなんだか周りの奴らに言われるんだよ。だから、そういう奴は皆、この地域に集まってる。で皆、情報交換とか話がしたいとかで、この『雲縫い屋』に来るんだよ。」

……たかが、死因で。

人種差別やらなんやらは歴史の授業で習ったことはあるが、まさか、こんな場所にまでそんな迫害があるだなんて信じられなかった。

なんと言ったらいいか分からず、うつむく。

「まあ、そう気を遣う必要もないわよ。ここの人たちは、迫害されたとは言え大体がそれを受け入れてるから。」

「そうそ、そんな重く受け取らなくていいんだよ。特に、ハルはな。」

片手を下したユキトは、姫さんの言葉にうなずきながら、ゆっくりと立ち上がる。

「死んでないんだろ?お前。」

「っ!!」

一番不思議に思っていたところを突かれ、僕は、顔をぱっと上げる。元々知っていたかのような顔をするユキトに対して、姫さんは、今初めて知ったことみたいに「え?」とすっとんきょうな声をあげていた。

「ちょっ、ユキト、アンタそれ……」

「んだよ、姫姉さん。別に初めてのことじゃねぇだろ?」

僕の手を握って、ユキトは、真剣な表情のまま僕を見据えた。

「オレも一緒だよ、ハル。死んでねぇ、ただ『連れ去られた』だけの人間だ。」


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