2 連れて、
段々と、雨の匂いが強くなってくる。
それに背中を押されるように、僕とミゾレは、これまた見慣れた石段を上がっていく。
「ハルも律儀だよな。毎日行ってやるなんてさ。」
「律儀だとかそういうのじゃない。ただ、僕くらいしか行ってやれないからだ。」
曇天を背景に、所々色のはげた鳥居が見える。それをくぐれば、向かい合わせに立つ狛犬と、本殿に真っ直ぐに伸びる道。所々雑草が生えているのは、もう、ここを管理する人がいないからだろう。
この神社も、もう、だいぶと古くなったんだな。あの日から、まだ五年しか経っていないのに。
「っあ、やべ、雨降ってきてんな。早く行くか。」
「そうだな。」
ぽつ、ぽつ、と、ひび割れた道にシミができていく。それを見る間もなく、僕たちは駆け足で本殿へと向かった。
人がほとんど来なくなった今でも、この本殿は変わらない。妙に仰々しくて、気味が悪くて、その前にある賽銭箱でさえ場違いに思えてしまうくらいの迫力。未だに、慣れない。
僕の隣に立ち止まったミゾレも、僕と目が合った途端、困ったように苦笑した。
「やっぱ怖いなぁ、ここ。俺と会う前によう一人で行ってたと思うわ。」
「僕も、これだけはミゾレが一緒にいてくれて良かった。」
「一人だとやっぱ怖いか。」
「そうだな。幼なじみのためとは言え、あまり来たくはない。」
財布を出し、手に取った五円玉二枚のうち一枚を、ミゾレに渡す。小さくお礼を言いながら、彼は「そりゃあそうよな」と笑った。
「お前の話前に聞いて、来なあかんのは分かんやけどさ。ハルやってここにトラウマあるやろうから、俺よりも相当怖いわな。」
「…………ああ。」
トラウマ。
言われてみて、まあそうか、と思う。納得がいくようで、いかないような。果たしてあの日の出来事は、僕にとってのトラウマにしていいのか。
分からない。あれが僕にとってかなりの影響になったのは分かるが、そうやって割り切っていいのかどうかが分からない。
あの日。……幼なじみが、消えた日。
「ま、俺もいるんや、あんま気にせんでな。」
そう言って、ミゾレは軽い動きで五円玉を賽銭箱に投げ入れる。つられるように僕も投げれば、かこん、と音が鳴った。……と、その時。
ざああああああっ!!
「っ、噓やんこれ……」
「うわ……」
響きだした音に二人して振り向いて、同時に顔をしかめる。
バケツをひっくり返したみたいな豪雨が、視界を覆いつくす勢いで降っていた。僕の持っている折りたたみ傘なんて、簡単に折られてしまいそうなくらいだ。
かろうじて本殿の屋根に守られていた僕たちは、一度、本殿の入り口に続く三段くらいの石段まで避難した。
「やばいな、これ。俺も折りたたみしか持っとらんし……走って帰れると思うか?」
「いや、普通に危ない。少し収まるまで待っていた方がいいと思う。」
僕の返答に、ミゾレは眉をへの字にしながら「そうよなぁ」とため息をついた。
一番上の段に二人で腰を下ろし、ゲームセンターの袋を置いて、地面に降り注ぐ大粒の雨を見つめる。
ミゾレには、悪いことをしてしまった。いつも付き合わせているとは言え、ミゾレにもミゾレの時間があるというのに。それを奪ってしまって、申し訳ない。
少しでも謝ろうと、丸めた膝にうずめかけていた顔を上げる。と、彼の視線が、なぜかすぐ後ろに向けられていることに気が付いた。
「……ミゾレ?」
後ろには本殿の扉しかないのに、何を見ているというのか。
恐る恐る名前を呼べば、ミゾレは、僕の方を見ることもないままに「なあ、」と声を出した。
「この本殿ってさ。閉まってたよな?」
「え?」
反射的に、扉を改めて確認する。…………開いている。
ミゾレが見ていたのは、微かに開いた、扉の隙間だった。
「なんで…………、」
「な。閉まってたよな、ここ。昨日来たときも。」
当然だ。だってここは、ただの廃墟に近い神社だ。
前の管理人用が閉めたまま放ったらかしになっていたのだから、閉まっていなければおかしい。空き巣などが、入っていない限り。
「っ……!!」
空き巣。
自分で想像していながら、それが、最悪なことであることに気が付いた。
賽銭ドロボウだったならまだいいが、この本殿には。……この本殿には。
「ちょっ、ハル!!」
突如立ち上がり扉に手をかけた僕に、ミゾレが制止するように声をあげる。が、僕は、もうそんなもの聞こえてはいなかった。
自分が通れるほどの間隔を開け、扉の隙間から中へと足を踏み入れる。
もし、もし空き巣が入っていたなら。ソイツが狙うのは、金目のものだ。だったら、もしかしたら、「あれ」が、盗まれて、
「ちょっと待てってハル!!」
そこまで考えたところで、片腕を強く引かれた。
「お前、入るにしても土足はあかんで。せめて脱いでから入りぃな。」
「……ミゾレ。」
いや、咎めるところ、そこなんだな。
全く行儀悪いなぁ、と言いながら靴を脱ぎ始めるミゾレに、思わず拍子ぬける。しかも、わざわざ持ってきたのか、その腕にはゲームセンターの袋がしっかりかけられていた。
入るのを止められたのかと思ったのだが、そこ、なのか。こちらとしては、正論並べ立てられて「入るな」と言われたほうが都合悪いから、有り難いのだが。それでいいのか、お前は。
「止め、ないんだな。」
「はぁ?止めたやろ、今。」
「いや、勝手に入ったら駄目だと言うのかと思った。」
靴を脱ぎながらそう言えば、ミゾレは、きょとん、と首を横に傾げた。
「真面目なお前のことやし、なんか理由があるから入ろうとした思ったんやけど。なんや、違ったか?」
「いや。……それは、そうだが。」
「だろ?なら別にいーやろ。そもそもお前、ここの管理者と仲良かったんやろ。ここに入ったことあるとか言ってたし、大丈夫やろに。」
俺は知らんけど、と言いながら、彼もまた敷居をまたぐ。
信用されているのかされていないのか分からない。が、今だけは、その気遣いがとても助かった。
靴を脱ぎ、ミゾレに「助かる」と小さくお礼を言い、足早に目的の場所へと向かう。
目的の場所、と言っても、それはそんなに広くない本殿の、一番奥だ。真っ直ぐに行けば、すぐに辿り着ける場所。
「っ、あった。」
おそらく神様が祀られているだろう巨大な神棚の、すぐ、下。黒塗りの箱。
―……錠は、一つも解かれていない。
「はっ…………はー……良かった……」
へなへな。力が抜けてその場に座り込んだら、隣でミゾレが「あー、なるほどなぁ」とからからと笑った。
「盗まれてるとでも思ったんか、お前。確かそれ、お前が前に言ってた御神体が入ってるヤツだもんなぁ。」
「そうだ。これが一番盗まれる確率があるだろ、明らか高そうな見た目してるから。」
「ははっ、そーだな。」
にやにやと。全くコイツは何が面白いのやら。
冷たい床に二人して座り込み、響く雨音を聞く。
大まかな事情は話したとは言え、ミゾレは、知らないのだ。僕の幼なじみがなんで消えたのか、消える必要があったのか、だとか。ただ、僕の幼なじみが僕の目の前で消えたという事実だけしか、僕は教えていないのだから。
「ったく、ほら、あんまここにいても罰当たりっちゃ罰当たりやろ、はよう出るで。」
「ああ、そうだな。」
扉が開いていたから何かと思ったが、何もなくて良かった。古びたとは言えど、ここは、アイツにとって大事な場所だったことには変わりがないのだから。
立ち上がり、こちらに背を向けたミゾレに続いて、僕も立ち上がろうとした。罰当たりなのは、彼の言う通りだった。
……そう、罰当たり。だったのだ。
「……っ?」
立ち上がろうとした体が、動かなかった。
いや、違う。足だ。足が動かない。
何か、嫌な予感がした。そんな暇もなかったのだが、その時僕は確かに、あの日のことを思い出していた。
石段の上に転んだ僕の足に絡みついていた、信じられないほど太い糸。蜘蛛の糸。
それと全く同じものが、今、僕の足に絡みついていた。
「っ、ミゾレっ、」
助けを求めようと、叫ぼうとする。が、彼が振り返るその寸前で、僕の視界が一気に暗闇に包まれた。
意識を飛ばしてはいけないと分かっていたが、恐怖と暗闇と焦燥感で、完全に、僕の視界は塗りつぶされてしまっていた。
がたん。
何かが倒れるような音がして、俺は振り返った。ハルがどこかにつまづいたか何かしたかと思った。
けど。
「……ハル?」
さっきまで、確かに、そこにいたはずやのに。
そこには、誰の姿もなかった。
まるで最初から、俺の隣には誰もいなかったみたいに。
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