第3話 治癒士としての第一歩

 昼下がりの冒険者ギルドは閑散としていた。

 受付嬢のサリーナは朝の喧騒から打って変わって静寂を取り戻した広いスペースを一瞥いちべつし、視線を落として仕事に戻っていく。

 ここ、始まりの町冒険者ギルドはその名の通り初心者の冒険者が多く熟練者はあまりいない。故に高ランクの魔物討伐といった大仕事はないのだが、初心者案件である面倒で細かい仕事が絶えない。

 百年前、魔王を倒した勇者ルークの故郷であるこの町は、今ではたった一月ひとつき冒険者歴が長いだけで先輩風を吹かす阿呆者あほうもの、ダンジョンから逃げ帰ってきた者をわらう同類、自身の能力を過剰に信じてトラブルばかり起こす見栄っ張りの冒険者が幅を利かせていた。

 おかげで他のギルドから「冒険者の登竜門」なんて皮肉を込めて言われることもある。

 そんな新米冒険者たちの暴挙に町の住人も慣れているとはいえ、事務連絡的にくる冒険者の事後処理報告書を適宜サリーナの判断で処理していく作業は、いつになっても減ることはない。


 「はぁ・・・なんでガンバさんのお店で暴れるのかしら。命が惜しくないの?」


 無知とは怖い。

 この町でお店を開いている店主は冒険者の卵相手に商売をしている元冒険者が多い。

 言い換えればそこそこに強いのだ。それこそ初心者が束になっても相手になるくらいの力量はある。

 目を落とす報告書にはそんなお店で飲んだくれた冒険者あほうが騒ぎを起こし、店主によって適切に処理されたという内容でギルドにあがってきている。

 サリーナはそれら一つ一つを読み込んでは、騒ぎの当事者に罰金や奉仕活動による懲罰、時には禁固刑といった冒険者ギルドで定められた裁定を下していく。

 この裁定から逃げればもう二度と冒険者ギルドの敷居を跨ぐことはできないので強制力は強いのだが、やりすぎは新人冒険者の不満が溜まりやすい。

 こんな仕事をしているからか、巷では人気職である受付嬢だというのにサリーナの眉間にはいつも皺が刻まれ、「だいぶ目つきと性格が悪くなってきたわね」と母に笑われた。

 今年で私も二十二歳。友人はみな結婚し、独身でいるのを気にし始めた近頃は母の言葉が脳裏から離れず、気が滅入る。


「転職か・・・」


 結婚して家に入るのもある。──それは相手がいればの話。

 高倍率を勝ち抜いて手にしたギルドの受付嬢という仕事は給料面から見ても破格だ。それを捨ててまでやめるかどうかという踏ん切りは、つきそうにない。

 ふと、手にした書類たちが目に入る。

 無意識のうちに処理した数枚の裁定を厳し目にしてしまい、自分で見返しても「ちょっとやりすぎたかも」と思える罰金や懲罰が並んでいた。

 書き直すのも面倒なので「本人の反省如何では減額・減刑も可」と、いわゆるミス訂正用のハンコ(実はサリーナが作った自信作だったりする)を押していく。

 ちなみに訂正用のハンコが押された書類は案外とウケがいい。

 もっともそれはハンコの出来を讃えるものではなく、曰く「新人に恩を売れる」とか「将来性を見込んで減刑してくれた」など執行官や新人目線で、という意味だ。

 サリーナにはまったくそのような気はないのだが、その見返りとしてたまにおこぼれにあずかることもあるので悪い気はしない。そもそも自分のミスを訂正しているだけなので。

 もちろんやりすぎは禁物だが。

 しばらくは羽ペンが粗い紙の上をカリカリと滑る音、時折『バンッ』とハンコが小気味よく押される時間が続く。

 解放されている扉からは外の喧騒が聞こえるが、それをBGM代わりとしてサリーナの仕事は今日も効率よく進んでいく。それでも書類の山は一向に減る様子が見えない。

 そんな受付に「ごめんくださーい」と呑気な声が響いた。


 * * *


(ここであってるよね?)


 冒険者ギルドと書かれた、ミミズが這ったような筆使いの看板を見つけ、それっぽい受付の人が見えたので考えもなしに入ったのだが、思えば誰かに場所を聞くとかすればよかった。

 それでも「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ」と開口一番に言われたので目的地は間違っていなかったのだと安堵する。


「ご依頼でしょうか?それとも支払いですか?」

「あ、ええとですね、冒険者登録をしたくてですね。私でもできますよね?」

「──確かに冒険者登録は満十歳以上で、かつ適正職業を得ている人であれば誰でもなれますが・・・。失礼ですが、貴女はどうして冒険者に?とてもお金に困っていそうには見えませんが」


 そんな個人情報聞いてくるのか!?と早苗は焦る。

 そりゃ転生したばっかりだから服とかも小綺麗だし痩せ細ってもいない少女がいきなり「冒険者になりたい」ときたら理由を知りたがるかもしれないけどさ。

 そんな私を察したのか、受付の女性はため息混じりに言い放つ。


「誤解のないように言っておきますと、冒険者登録の志願理由を聞くのは義務となっております。冒険者というのは魔物の討伐や危険なダンジョンに入ってお金を稼ぐことになります。そのため誰かにそそのかされたりしていないか、という意味で確認が必要になってきます」

「あ、そういう意味でしたら、私はちゃんと自分の意思で冒険者になりたいと思ってます」

「動機は?」

「ど、動機はですねー・・・」


 女神様に冒険者として活動してほしいと勧められたなんていえない。──ってこの場合でも女神様に唆されたってことになるのかな?でもこの世界で生きていく上では普通に考えて働かないといけないわけで。


「──うん、生きていくためです。生きるためにはお金が必要ですから」

「お金に困っているのですか?」

「もちろんです。なにせ無職ですから」


 胸を張って宣言するのもどうかとは思うが。


「・・・でしたら問題ありません。こちらにお名前と適性職業をお書きください」


 ざらざらとした粗悪な紙と羽ペンを受け取り、私は固まる。

 羽ペンの珍しさに魅入っていたわけではない。この世界の文字を知らないのだ。

 冒険者ギルドの看板を見た時は「日本語だなぁ」とは思ったけど、かろうじて読めるといったミミズ書体。もしあれが文字なのだとしたら、いわゆる楷書体の日本語で書いたらおかしいだろう。


「──すみません、字が書けないので代筆をお願いできますか?」

「・・・承りました。お名前をどうぞ」


 「書けないわけないだろう」というあからさま目を向けられながら、素知らぬ顔で通す。


「小早川早苗です」

「コバヤカワサナエ・・・?家名持ちですか?」


 * * *


 きょとんとする少女を前にサリーナは顔を覆いたくなった。


(なんでどこぞの貴族令嬢が冒険者になりたいだなんて言い出すのよ・・・!)


 ギルドに入ってきた時から怪しいなとは思っていた。

 第一印象は可憐な少女といったところなのだが、それが場違いすぎた。

 冒険者になろうという者は大抵一攫千金を夢見る若者が多く、有り体に言えば貧困層が多いのだ。そんな中訪れた少女は身につけているものこそ町民と同じだが、明らかに新品であり、なにより肌艶と髪ツヤが一般人のそれを超えている。

 そんな少女が何者かなど、見る人が見れば大体貴族かそれに準ずる者だと気がつくものだ。

 同じ女性としては何を使ったらそんなツヤが保てるのか問いただしたいが、貴族に関わると碌でもない事が待っている事はよくよく知っているので口には出さない。目には出るかもしれないが。


「家名を名乗るのは日乃倭国が発行する家名名鑑に登録されている者だけと法で決まっております。ギルドに登録するときも家名がないものが嘘の申告をすると罰せられることになりますが」

「あ、そうなんですね。じゃあサナエでいいです」


 じゃあってなんだよ、じゃあって。

 家名持ちと言えば国から身分を保障された者で、何もしなくても年俸まで出る待遇なのだ。

 それを一言で切り捨てるとは。


「別に家名が登録できないということではありません。家名があるのであれば、フルネームで登録することもできますが?」

「ああいえ、私の名前って住んでいた故郷の風習みたいなものなので。たぶんその家名名鑑?とやらには載ってないと思います」

「──そうですか」


 そんな地域など聞いた事がないが、すらすらと少女から嘘が出てくるあたり事前に考えていたのだろうか。いや、それだったら最初から家名を名乗ることもしないはず。

 ますますあやしい。


「適正職業は?」

「治癒士です」

「・・・そうですか」


 疑念は確信に変わる。

 治癒士の冒険者もいないわけではないが、この少女が「お金のために冒険者になる」というのであれば「お金のために治癒士として教会で働く」でもいいのだ。

 冒険者と教会に身を置く治癒士では危険度は雲泥の差であり、待遇面も悪くない。

 となればこの少女には教会には行けない理由があるということ。

 そして冒険者登録記入用紙を一度は受け取り、考え込んでから代筆を頼んだということは、自分の筆跡を残したくないという警戒感だろう。


(教会は貴族社会とも深く繋がっているから当然ね。家から逃げてきたってところかしら。にしてはコバヤカワって家名は聞いた事がないわね)


 最近になって取り潰された家の噂も聞かない。

 そうなると他国から流れてきたと考えるのがすじか。

 始まりの町と隣国であるブーセ王国とはそう離れていないために数年に一度は事情のある者も流れ着く。

 教会に行かないのは流石にその辺りのことは知っているからだろう。

 教会は世界創生の男神だけを崇める一神教だ。故に国外との繋がりも広く、家を飛び出した令嬢が他国で教会に逃げ込んだとしたら親元まで情報が届くのにそう時間はかからないだろう。

 一体目の前の少女はどこまで、何を考えてここにいるのか。面倒ごとが増えそうで頭が痛い。


「ランク制度の説明は・・・したほうがよさそうですね」


 あははと乾いた笑いの少女を前に、サリーナは受付に常備されている冒険者のランク付け見せる。

 日乃倭国の冒険者のランク制度は全部で5段階7評定。

 Aランクを頂点としてB、Cと続きD+、D-、E+、E-となる。一人前と言われるのがDランクでCランクならどこの町にいっても認められる程度の実力、そして平民の限界がBランクである。

 またAランクは名誉職であり、それまでの冒険者の功績や災害などでの評価によって日乃倭国なら王家より与えられるものだ。一方で冒険者ギルドが単独でAランクを与えられないということでもあるので、もっぱらギルド内では「権力に屈した」などと揶揄されることもある。

 ちなみに他国だとランクが若干違うこともあるが、おおよそ互換がある。


「ここ始まりの町ではD-までの昇級試験を受ける事ができます。ただしD+に昇級するための条件は満たせないため、D+になるには他の町に拠点を移す必要があります」

「昇格試験とはどういったものでしょうか?」

「基本は依頼を達成した数と内容での判断です。しかしDランク以降は魔物の討伐実績も必要になってくるため、後衛職は前衛職とパーティーを組んだりして実績を重ねる必要があります」

「パーティですか・・・」

「ここ始まりの町にはおよそ一千人もの冒険者がおりますので、パーティを見つけることも容易ですよ」


 * * *


 うーん・・・パーティかぁ。いわゆる仲間ってことだよね。

 別に悪いわけじゃないし女神様も信頼できる仲間が云々言ってたけど、正直今のままだとボロが出そうというか。

 うっかり苗字まで名乗ったせいで受付のお姉さんに鋭い目つきで見られているし。


「──そうですね。しばらくは一人で活動しようかと思いますが、パーティも考えておきます」

「必要であればギルドの方でも斡旋をしていますのでご連絡ください。その際はこちらのギルドカードが必要になりますので、お忘れなく」


 厚さ数ミリの木で出来た、名前と職業だけが書かれたギルドカードを渡される。こういうのって金属じゃないんだね。

 なんて思っていたら「Cランク以降は金属製のプレートになります」と補足してくれた。そりゃ一千人も冒険者がいるんじゃ、金属製のプレートの費用も馬鹿にならないか。


「はい。──あ、お名前をお聞きしても?」


 数秒の沈黙の後、「受付のサリーナと申します」と答えてくれた。


「サリーナさんですね。今日はご丁寧にありがとうございました。私のことはサナエって呼び捨てで構いませんので。それと初心者が受けられるような依頼はありますか?」

「でしたら定番は薬草や薬根やっこんの採取でしょうか。買取価格は高くないですが、常設依頼ですし確実に一定の需要があります。ただしこちらに関しては住民の方も普段使いとして採取に出ているので、稼ぐ場合には少し遠くまで行ったほうが良いでしょうね」

 「薬根?初めて聞きました。それと町から離れすぎると危なかったりします?」

「北に広がる森林までいかなければ危険は少ないですよ。草原には魔物も滅多に出ませんので。ただし野盗被害は年に数度出ていますから警戒は怠らないように。見通しの良いところで採取することをお勧めします。それと──」


 サリーナがカウンターしたから萎びた草を出してきた。なんとなく見覚えがあるなと思ったら、来る途中でヒールの実験をしていた雑草だと気づく。

 薬草だと知っていれば取ってきたのになぁ。


「こちらが今朝納品された薬草、こちらが薬根です。詳しく知りたければサグ婆の薬草店に行くと教えてもらえますよ。彼女のお店は最大の卸売先ですから」

「卸売先を教えてしまってもいいんですか?」

「お金を稼ぐだけでしたら彼女のお店に直接持ち込むのもいいでしょう。しかし冒険者ランクの評定には一切加味されません。また彼女の仕入れ量も限度がありますので、安定的に買い取るギルドに持ち込む人も多いんです」


 新米冒険者なら薬草採取の実績の積み重ねが次のランクに繋がると考えれば、多少安くても早くランクを上げようと考えるのか。勉強になるなぁ。

 「他にご質問は?」とサリーナが急かすように聞いてきた。別に質問はないのだが、気になることはある。

 ここはお礼にささやかなプレゼントをしようかな。


「ありがとうございました。それと──ヒール」


 伸ばした指先からあふれる光。その光はサリーナの顔を優しく包み、一瞬で浸透していく。

 惚けた表情のサリーナに微笑みかけ、


「大変でしょうけど、眉間にしわが寄ったままだと癖になっちゃいます。おすすめは温めたタオル──布とかで揉み込むといいんですが、案外と指先でも効果がありますよ。せっかくの美人さんがもったいないです」


 「今度は薬草を持って来ますね」と愛想多めに笑顔を振りまき、サナエはギルドを後にするのであった。


 * * *


「あらサリーナ、あんた今日は随分と顔がいいじゃない」

「マーサ、それって普段の私はまるで顔が悪いってことじゃない」

「あっはっは!そりゃそうさ。ここ一年、あんたの眼力にどれだけの女の子が泣いたと思っているんだい?」


 それを言われるとぐうの音も出ない。目つきが悪いと母に指摘される前から自分でもなんとなく気がついていた。

 当たり前なことだが、冒険者ギルドには冒険者以外にも依頼人であったり業者の出入りがある。

 特に訪れるのが多いのは困りごとを抱えている町の住人だ。

 サリーナがこの職についた当初は目新しさもあってか、ギルドに来る依頼人は若いサリーナに殺到していたのだが、年数が経ち仕事が増え眼光が鋭くなるにつれサリーナのところにくる依頼人は減り、しまいにはサリーナを避けるようにまでなった。

 それでも混雑しているからと強制的にサリーナへ回ってきた若い女性が、サリーナを見て泣き出してしまう一幕もあり、それが一度ならまだしも、数度続けば自覚も出てくるというものだ。


「今日冒険者登録した治癒士が、お節介にもヒールを掛けてくれたの。おかげで今日はだいぶ調子がいいわ」


 事実、いつもは知らぬ間に力が入って寄っていた眉間だが、今日に限っては穏やかな距離を保っている。


「ヒールにそんな効果あったかい?」

「ヒールには疲れを取る効果もあるでしょう。ま、冒険者ギルドここにいたら怪我を治すことしかしないけど」

「いや、そういうことじゃないよサリーナ。──あんた、鏡見たかい?」

「鏡?別に見てないけど・・・」


 マーサがカウンターの引き出しから無言で手鏡を取り出し、渡してくる。


「──なによ、これ」


 ──その日の夜、冒険者ギルドを訪れた者たちは皆、不思議かつ驚くべき光景を目にすることになる。

 いつもと何一つ変わらない普段通りの受付で、見慣れた職員たちが次々と訪れる依頼報告や納品を手際よく捌いているなか、一際長蛇の列ができていることに驚く冒険者。

 その長蛇の列の中心にいたのは、他でもなくサリーナであった。

 普段はそっけない塩対応と鋭い眼光で比較的冒険者からは敬遠されがちであったはずなのに、今日に限っては彼女を目当てに冒険者たちがこぞって並んでいるのだ。

 そこには老若男女問わず、誰にでも変わらぬ素晴らしい笑顔を振り撒く天使のような存在があり、誰もがその姿に見惚れてしまっていたのであった。

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