第2話 始まりの町

 鼻腔をくすぐる甘い匂いで目が覚めた。

 後頭部には柔らかな葉に包まれる感触。起き上がってあたりを見渡せばここが平原で、小高い丘の斜面で寝ていたのだとわかる。

 視界の先には柵に囲われ放牧されている牛がムシャムシャと草を喰み、さらにその向こう、歩いて小一時間くらいかかるのではないかという距離に町並みが見えた。


「──っと」


 立ちあがろうとしら腰につけていた重量のある巾着袋に重心を取られよろける。なんだなんだと中を確認してみれば、ビーフジャーキーのような保存食と硬貨、それに一枚のメモが分けられて入っていた。

 その中から何故か見慣れたものを見つけ出す。おもむろに硬貨の一つを取り出せば、驚きしかでない。


「これ、十円玉・・・だよね?」

 

 どこからどうみても十円玉が、そこにはあった。平等院鳳凰堂が描かれ、反対の面には「10」と数字が大きく書かれている。年号は昭和。

 異世界に持ち込むにはあまりにも不自然な物だが、同時に嫌な予感が湧き上がる。


「もしかして、お金まで日本の文化ってことで取り入れてるの・・・?」


 予想は見事に的中した。メモを手に取れば細く流麗な筆使いで──あれだけSFチックなことをしていたのにメモは手書きだとかつまらないことを思いつつ女神様の直筆で──この硬貨がこの国、日乃倭国ひのわこくにおける通貨だと書いてある。

 巾着袋の中を探せば他にも百円と五百円硬貨が見える。額が小さいからか一円と五円はないが、代わりに「1000」「10000」と書かれた銀金の硬貨も入っていた。紙幣は日乃倭国の技術水準では製作できなかったと書いてある。

 紙幣がないことに少しがっかりな気もするが、金銀に輝く異世界の硬貨らしい硬貨をみれて少しテンションが上がる。全体的に鈍い光ではあるが、漫画やアニメで出てきた硬貨にそっくりで──そっくりで?


「うん、なんとなくわかったかも」


 漫画やアニメは日本が世界に誇る文化だもんね。そんな文化でお金が紙幣ってのはあんまりないか。

 硬貨をざっと確認し終えたらメモの続きを読む。


『──このような事に巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。そして貴女には感謝しているわ。私もこのまま男神の好きにさせるつもりはないけど、どうしても最初は貴女が一人で行動することが必要になります。だから、ここに書いてあることをよく読んで、慎重に、けれど大胆に、貴女と貴女の周りが幸せになることを諦めないように動いて』


 そんな高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に行動しろ、みたいなこと言われても困る。


『別に高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に行動しろなんて言わないわ。まずはそこから見える町、通称始まりの町に行って。貴女はそこで冒険者として活動し、聖女と治癒士の基本的なスキルを身につける必要があるわ』


 思考が完全に読まれていたかのような文章に思わずドキリとすると同時に、治癒士とはなんなのだろうか。


『聖女は簡単に言ってしまえば、いわゆる上位職と呼ばれるものよ。この世界にはその人の適正にあった職業というものがあり、聖女は神職やヒーラーといった部類なの。そして聖女は同じくヒーラーである治癒士のスキルを全て使え、加えて聖女専用のスキルが使えるとても稀有な才能をもった職業なの。

 その代わり聖女への適性がある人はごく一部で、周りは間違いなく貴女を勧誘──時には強引な手を使ってでもと行動する輩もでてくることでしょう。だからしばらくは冒険者の治癒士として行動し、自分を守れるだけの力を得たり、信頼できる人と行動を一緒にするようになってから聖女と名乗ることを薦めるわ。もちろん、最初から聖女として行動してもいいけれど、与えた隠密と気配遮断のスキルは常時使用していると魔力の消耗が激しいから気をつけて。私の加護で貴女の魔力量は大幅に増えているはずだけど、過信は禁物よ』


 うーん、最初から身分を偽るというか、周りを騙しながら過ごすという前提で、それだけこの世界の殺伐さつばつさを表しているようにも見えるけど、気乗りはしないなぁ。

 そうは思いつつ、女神様の助言なので無視もできない。


『それと私の加護にはもう一つ効果があって『自分に向けられる悪意』が分かるようになるわ。悪意の程度の差はあれど、めまいがするほどに悪意が感じられるようだったら迷わずスキルを使って逃げること。それがこの世界で生きるための心得よ。

 最後に、聖女となった貴女は初期スキルであるヒールが使えるはずよ。本当は隠密や気配遮断と同じように聖女のスキルを全て魂に刻めたら良かったんだけど、あれ以上スキルを刻むのは貴女の魂が壊れる危険もあったから。

 ──話が逸れたわね、ヒールの使い方は簡単よ。小さな怪我をしたところにヒールと唱えれば発動するわ。他の治癒士のスキルや聖女のスキルについては使えるまで訓練が必要だと思うから、焦らないようにね。──貴女が幸せになれることを心から願っているわ。女神より』


 最後まで読みおえたとことで、手にもっていたメモが淡く光り、次第に光の粒へと変貌していく。それはたんぽぽの綿毛が宙に舞って消えていくかのようで──


 (・・・え、あのメモ読み返せないの?ちょっと待って、私記憶力いい方じゃないんだから!)


 心の中で叫んだり悶えたりしてももう遅い。メモは跡形もなく消え、代わりにヒールというものをどうやって使えばいいのか『知っている私』という不思議な感覚だけが残った。


 * * *


 しばらくして落ち着いた私。

 大丈夫、まずは町に行って治癒士として冒険者になって聖女と治癒士のスキルを覚えていく。悪意を感じたり危なくなったら隠密と気配遮断を迷わず使うこと。これを守れば当面の心配はないはず。女神様も男神を好きにさせるつもりはないと言っていたのだから、少し待てばまた女神様に会うことだってできるかもしれないのだ。

 そうと決まれば行動あるのみよ。

 まずはあの町──始まりの町に行ってみようと歩き出す。

 地球じゃ季節は初夏だったが、ここでは体を通り抜ける風が少し冷たいくらいだ。四季があるのかわからないけど、あったとすれば春半ばかな。

 そして麻でできているシャツは風をよく通す。

 頭から足まですっぽりおおえるマントがなければきっとお腹を冷やしていた事だろう。それでもゴワゴワとして歩きにくいブーツや、下ろし立てのジーパンのように硬いズボンは非常に歩きにくい。


「──恵美、どうしてるかなぁ」


 広大な青空の下、一人草原を歩いていれば思い浮かぶのは一緒に旅行にいくはずだった恵美のこと。彼女のことだからきっと私にメッセージや電話を掛けまくっている事だろう。そしてその電話はもう繋がる事がないのだ。

 地球での現実は一番最悪な状況かもしれないけど、私がこうして転生して無事(?)だということくらいは伝えたかったなぁ。


『おっけー。伝えておくねー』

「め、女神様!?」


 降って湧いてきたかのような声に慌てて周囲を見回すが、女神様の姿は見えず、五十メートルほどにまで近づいていた牛の群れが私に向いて「食事の邪魔するな」と言うかのように抗議してくる。いや、構わずムシャムシャと草を食べているのでそれはないか。

 空耳だったのだろうか。もう女神様の声は聞こえない。


「・・・なんだかなぁ」


 気を取り直して歩き始める。町まではもう少し。

 これまでの道中では聖女が使えるというヒールとやらも試してみた。最初は魔法を使えるのだと興奮したが、だんだんと使うたびに少しずつ力が抜けていくような、気だるさが全身にゆっくりとのしかかってくるようなそんな倦怠感が体を襲う。

 たぶん魔力を消費しているからなんだろうけども、これでどれくらいの怪我が治せるのかがわからない。

 何せ転生したばっかで私の体は怪我一つないどころかお肌はツヤツヤでハリがあるし、髪もキューティクルが傷んでおらず、肩まで伸びているにも関わらずスルッとサラサラなのだ。こんな超健康体をヒールの実験のために傷つけるなんてとんでもない!

 なので適当に虫食いがある木々の葉っぱや雑草にかけてみた。


 ──すごかった。もう一度いう。すごかった。


 よくある逆再生スロー映像のような感じで虫食いが瞬く間に塞がっていくのだ。そうなるとどれくらいヒールの効果が及ぶのか試したくなるというのがさがというもので。

 葉っぱ全部が食べられたものは?半分くらい虫食いの葉っぱは?枝ごと折れているような雑草だとどうなるの?

 疑問は尽きずああだこうだとヒールを使うこと数十分。冒頭の気だるさを覚えてやめたのだ。

 ここまでの成果として植物相手には「葉っぱの外周さえ残っていれば葉っぱを元に戻す事ができる」とか「萎びていた葉が元気になった」くらいとわかったのだが、いかんせん人間にこれを適用していいのか。

 安直に考えれば「お腹に大穴が空いても、上半身と下半身が繋がっているからヒールで治るよね?」ということ?


「さすがにそれはないかー」


 これが長ったらしい詠唱が必要だとか魔力の半分を消費して、二回は使えない大技とかだったらわかるけど、女神様曰く治癒士の初期スキルだというのであればそれはない。

 じゃあこれを使って私は始まりの町でどう動いていけばいいのだろうか。


「──そりゃ聞くしかないよね」

 「なんの話だ?」

「いえいえ、こちらの話です。それよりもここが始まりの町であってますか?」

 「そうだが、まさかお嬢ちゃん歩いてここまで来たのか?しかも一人で?」

「えーと、はい、まぁそうなりますね」

「おいおい、いくらこのあたりは治安がいいとはいえ、魔物も出ればごろつきだっていないわけじゃないんだぞ。新米の冒険者とはいえ、死にたくなきゃ一人で動くのはやめた方がいい」

「そ、そうですよね」


 始まりの町に着いたところで門番さん、というには重そうな甲冑を着込んだ真面目な兵士にあれこれ説教をされながら町に入る手続きをし、それでも聞くべきことは聞かなければならない。


「ところで、この町には治癒士の方は?」

 「もちろんいるが、怪我でもしたのか?それなら薬屋のサグばあのほうがいいぞ。新米冒険者だと治療代で赤字だろう」

「ちなみにヒールだと大体おいくらくらいか知ってます?」

 「そうだなぁ・・・良くて三千円。ちょっと強めにヒールしてもらうなら五千円ってところか。流れの治癒士でも三千円はかかるな」


 ふむふむ。ヒールの相場は三千円から五千円と。


 「傷によく効く薬草ならサグ婆が五百円で売ってるぞ。低級ポーションもあるっちゃあるが、正直この町にいる錬金術士は腕が悪い連中ばかりでな。初心者相手にしか金を稼げない奴らだから期待しない方がいい」


 なるほどなるほど。

 確かに傷が絶えなさそうな冒険者ならヒールで治療してもすぐに新しい傷を作ってくる。それなら安い方に流れるのは道理かな。

 手続きが終わり、お礼を言って町に入れば異国の町が目に飛び込んできた。

 町のメインストリートとも言える石畳の道はまっすぐと続き、突き当たりに大きな噴水があった。これが地球だったら両脇におしゃれなカフェだったり雑貨屋やアパレルショップなどが立ち並ぶのかもしれないが、異世界のここにはそんなものはない。

 大きく目に入るのは宿屋と大剣を飾っている武器屋、鍛冶屋、青果店といったところ。路肩には点々と屋台があり、食べ物を買い求める人々でごった返している。

 何より目を引くのが行き交う人のファンタジー的多様性だ。

 先ほどの門番さんなんて可愛く見えるくらいごつい鎧を着込んだ女性、古ぼけたローブを身に纏ったいかにも魔法使いというお爺さん。

 湾曲した刃を抜き身のまま腰にぶら下げた盗賊風の少年もいれば、極め付けは背丈よりも大きな長弓を背負うエルフの男性。


「──いや、ほんとにファンタジーね」


 これまでもファンタジー要素はたくさん目にしてきたのだが、どこか自分と一対一というか、ある意味ちゃんと向き合って理解し、吸収してきた感があった。

 けれど眼前に広がる数多あまたのファンタジーが束になって私に襲いかかる今、途端にこれが現実なのか夢なのか、はたまたゲームなのではないかという思いすらが湧いてくる。


 ──これが現実なんだ。しっかりしろ、私。


 自分を叱咤し、景色に圧倒されて止まっていた歩みを進める。

 向かうは門番さんに教えてもらった冒険者ギルド。そこで冒険者登録をして、この世界で生きていくために働かねばならない。こんなところで立ち止まっている暇などないのだ。

 だって私はまだ、スタートラインにすらついていないのだから。

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