『凪咲汐音の回想2』

 

 部室棟の三階。突き当りの一室。

 千歳曰く、そこが雑談部に与えられた部室とのこと。

 なんでも、もとは物置小屋と化した空き教室だったようで、そこを片付けて今に至っているらしい。


「ま、そんなことはどうでもいいんだけど」


 思考を中断して、汐音は教室の前で立ち止まり、


「……ここよね?」


 と室名札を確認する。

 そこにはご丁寧に『雑談部』と記されており、汐音はひとまず安堵した。

 ほっと一息をついた後、コンコンと二回ノックをする。

 そして内側からの返事も待たずに、


「失礼しまーす」


 と断りを入れて、がらりと扉をスライドさせた。

 ずけずけと不遜な態度で入室すると、見渡す限り殺風景な部屋の中、


「……」


 長机の端にちょこんと座っていた一人の男子生徒が、僅かに驚きを孕んだ瞳を汐音へと向けていた。

 突然の闖入者にきょとんとしている。

 無言でじっとこちらを見ている彼を気にも留めず、汐音はその向かいにスタスタと歩み寄り、


「椅子、借りるわね」


 そう言って腰かける。

 その一部始終を、青い瞳の男子生徒はただただじっと見つめていた。


「……」「……」


 しばらくの沈黙。……流石に視線がむず痒かった。

 汐音は怪訝に顔をしかめながら、「……何?」と自分のことを棚に上げて、問いかける。

 すると、




「ふんっ‼」




 彼はいきなり自身の頬を平手で打った。


「ええっ⁉ あんた急に何やってんのっ⁉」


 汐音は突然の事態に吃驚し、仰け反った。

 危うく椅子ごと後ろに倒れそうになるが、なんとか踏み止まる。

 男子生徒は頬を手で押さえながら、


「痛い……」


 と当然の事実をぼそりと口にすると、はたと我に返り、


「……そうか。これは現実なんですね」

「はぁ……?」


 如実に困惑の色を浮かべる汐音に、男子生徒は平然と言ってくる。


「あぁ、いえ。すみません。……その……あまりにも綺麗な人が急に入室してきたものですから、てっきり僕の幻か何かかと」


 綺麗というワードに若干心を揺さぶられつつも、汐音は小さく嘆息すると、


「別に幻じゃないわよ、ほら」


 と、前のめりになって彼の頬を軽くつねってやる。

 彼は、


「ほんひょっほいへふへ(ほんとっぽいですね)」


 と納得の声を漏らしていた。

 頬から手を離すと、彼はつねられた頬を擦りながら、又もやじぃっと汐音を見つめて、首を捻る。


「ところで、あなたはどちら様ですか?」


 それにきょとんとする汐音。


「あれ? 葉月先生から聞いてない?」

「いえ、特に何も聞いてませんけど」

「……そう」


 適当なのだろう、あの人は。

 汐音は最初こそそう思ったが、しかし汐音の雑談部への入部が確定したのはついさっきのことなのだから、まぁ仕方ないかと思い直す。

 そして、こほんと咳払い。


「あたし、二年G組、凪咲汐音なぎさきしおん。雑談部入部希望。よろしく」

「あぁ、なんだ。入部希望の方だったんですね」

「ええ、不本意ながらね」

「ではちょっと待っててください。今、お茶入れますので」


 男子生徒はすっと立ち上がり、窓際の机に置かれていた電気ケトルのスイッチを押す。

 その背中に、「ありがと。気が利くのね」と素直に謝意を述べると、


「まぁ、うちは白湯しかないんですけど」

「じゃあなんでお茶って言ったのよ」


 汐音の冷静なツッコミに、男子生徒は心地よさそうにくすくすと微笑み、


「すみません。冗談です」

「……どっちが?」

「うーん……、白湯の方?」

「なんで疑問形なのよ」


 男子生徒は可愛らしいデザインのマグカップに紅茶を注ぎながら、ふと改まった口調で言う。


「あ、申し遅れました。僕、雑談部部長の三澄蒼央って言います。クラスは二年H組です。よろしくお願いします」

「同学年だったのね」

「そうみたいですね」


 蒼央が「どうぞ」と汐音の前にマグカップを置く。「ありがと」と微笑む汐音。

 もう一度自身の席に座った蒼央は、「それにしても」と独りでに言葉を紡ぐ。


「雑談部に入部希望が来るなんて……」


 感慨深そうな顔をして、蒼央は言った。


「世も末ですねー」

「仮にも部長なのにそういう認識なのね」


 すると蒼央は困ったような顔をして、


「だって、雑談部ですよ?」

「それもそうね」


 ずずっと紅茶をすすった汐音は、「美味しい」と小さく漏らす。

 ことりとマグカップを置いてから、「そういえば」と汐音は切り出した。


「雑談部の部員は二名って聞いてたんだけど……もう一人は?」


 きょろきょろと周囲を見回してみる。

 が、見たところ、この部屋には汐音と蒼央の二人だけ。

 汐音の素朴な疑問に、「あぁ」と蒼央がどこか残念そうに応じる。


「もう一人の部員は、その……他の部活の助っ人として引く手あまたなので、雑談部にはあんまり顔出してくれないんですよね」

「そう。ってことは、基本的に部室にはあんた……三澄一人しかいないってことなわけ?」

「そうなりますね」


 こくり、と蒼央はなんでもないことのように頷く。

 が、しかしここは雑談部だ。

 言い換えるまでもなく、話し相手がいないと成立しない部活動。

 なのに基本的に一人ということは……。

 汐音は少しだけ怯えたような顔で、恐る恐る訊ねる。


「えーっと……三澄はこれまで、一人の時は何をしてたの? まさか、壁に向かって延々と独り言を……?」


 思わず憐憫の視線を向けてしまう。

 流石にそれはいくら何でも可哀想すぎるだろう。

 汐音が勝手な想像で同情の眼差しを注いでいると、蒼央はふるふると首を横に振った。


「いえ。普通に学校の雑用に駆り出されてましたよ。顧問によって」

「あの人ならやりかねないわね」


 汐音は彼女と出会ってまだ数日しか経っていないが、すんなりと納得してしまった。

 千歳ならきっと、平気でそういうことをする。


「雑用って、具体的にはどんなことをしてたのよ?」

「そうですね……」


 蒼央はむーんと首を捻り、


「花壇の手入れとか、備品の整理とか」

「意外とまともなのね」

「あとは顧問の肩もみとか」

「それただの奉仕活動じゃない! しかも一個人への」


 全然まともじゃなかった。

 蒼央は人差し指をぴんと立てて続ける。


「ちなみについ先日は、意味もなくグラウンドを走らされました。顧問によって」

「本当になんでっ⁉」

「なんかちょうどスポ根系の漫画を読んでいた頃らしく、そういう熱血指導(?)的なものに憧れていたから、らしいです」

「最低な教師! 職権乱用も甚だしいわね!」

「まぁでも僕も最近運動不足気味だったので、ちょうどよかったんですけどね」

「相性良さそうね、あなたと葉月先生」


 苦笑気味にそう言うと、なぜか蒼央は嬉しそうに微笑み、


「ええ、相性ばっちりですよ。なにせ、指と指を合わせて合体した仲ですからね」

「合体戦士⁉」

「あ、少年漫画とか知ってるんですね、凪咲さん。ちょっと意外です」

「むしろ知らない方が少数派なんじゃない? ド○ゴンボールは」


 すると、「む」と頬を膨らませる蒼央。


「もしかして凪咲さん、今、マイノリティーを馬鹿にしましたか?」

「なんで⁉ どうやったらそう切り返せるのよ!」

「己の常識すらも疑ってかかれよっ‼」

「ええっ、なにこれっ⁉ あたし、マイノリティーに何かしたかなっ⁉」


 汐音には全く身に覚えがなかった。


「とまぁそんなこんなで雑談部を名乗っておきながら、実際は学校にとって都合のいい馬車馬として日々をエンジョイしています。どうも雑談部(笑)です。いぇい」

「悲しい日々! もはや奴隷じゃない」

「雑談部だからって、雑談ばっかりしてるわけじゃないんだからねっ! 勘違いしないでよねっ!」

「誰に対するツンデレなのそれっ⁉」

「ほら、軽音部だって、毎日毎日楽器を弾いてるわけじゃないでしょう? そういうことです」

「弾いてるわよ⁉ 毎日音を奏でてるわよ、軽音部の方々は!」

「ええっ⁉」

「なんでそこで驚いちゃうの⁉」


 蒼央は額に手を当てて、よろよろと立ち上がる。

 ふらりふらりと室内を彷徨しながら、


「そんなっ……この学校は野球部ですら、ろくにキャッチボールをしていないというのに」

「廃部にしなさい、そんな野球部! 予算がもったいない!」


 すると不意に、「ふふっ」と蒼央がほころんだ。


「なんか、あれですね。こうして全力でツッコんでもらえるのって、なかなか嬉しいものですね。……凄く楽しいです、今」

「そ、そう……」


 その素直な感想に、汐音も思わず頬を緩める。


「ってことで、これからもよろしくお願いしますね、凪咲さん。……いえ、相方」

「コンビ結成の瞬間⁉ 嫌よ! あたし将来お笑い芸人になる予定ないもの!」

「目指せキングオブコント王者!」

「そこはM-1にしましょうよ、せめて」

「えっ。M-1グランプリなら一緒に出てくれるんですか?」

「別にそういう意味じゃ――」

「感激です」

「ああもうそれでいいわよ!」


 そうして汐音は雑談部に正式加入すると同時に、M-1グランプリへの出場が決定するのだった。

 ***


「何がどうなったら出会って初日でコンビ結成かつM-1グランプリ出場が決定するんだよ」

「あたしにもわかんないわよ」


 呆れたように笑う真尋に、汐音は吐き捨てるように応じる。


「三澄くんと汐音さんって、最初からそんな感じだったんですね」

「そんな感じって?」

「賑々しいというか……その、騒々しいというか」

「騒々しいって……たまに辛辣よね、紬季ちゃんって」


 紬季は「あはは……」と乾いた笑みを浮かべながら、


「それにしても、葉月先生の放埓っぷりもその頃から相変わらずだったんですね」

「今はもっとひどくなってるけどね」


 相も変わらず、彼女は他人を振り回している。


「それでこそ我が雑談部の顧問です」

「なんであんたが誇らしげなのよ」


 なぜかふふんと鼻を鳴らした蒼央に、汐音はジト目を向ける。

 そうして話が一区切りしたところで、


「まぁ、あたしの話もこのくらいにしておいて。……そろそろちゃんと、部活動、始めないとね」

「だな」「ですね」


 真尋と紬季が頷いたのを確認してから、


「さて。それじゃあ部長さん」


 雑談部部員たちの視線が、一様に蒼央へと向けられる。

 部員を代表して、いつものように、汐音が部長へと投げかけた。


「今日のトークテーマは?」

「え、特にありませんけど」




「「「ないのかよっ!」」」




 これが雑談部。これこそが雑談部。

 そこには今日も、彼らなりの青春が詰まっている。

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