その両手で、君を刺す

ぐらたんのすけ

その両手で、君を刺す

  僕の両の手には無限の可能性が秘められている。

それを確信していた。

小さな頃から、自分の手が何かを創り出せると信じて疑わなかった。

それが音楽でも、言葉でも、今実際自分が向かい合っている彫刻であっても。

ただし、その可能性を実現するためには、何かをしなければならない。

それを理解しているつもりだったが、実際には何もしていない自分がいた。


毎日がただの繰り返しになってしまっていた。

今日もただ机に向かい、彫刻刀を手にしたが、すぐにその手が重く感じられる。

手のひらには無数の切り傷が刻まれていて、そのひとつひとつが過去の失敗や努力の証であった。

固くなった指先をじっと眺めながら、何かを掴もうとしている自分がいた。

しかしその実、刃以外のなにも掴んでいないのだ。


夕日が頬をさす。また今日が終わろうとしていた。

何も進展がないまま、ただ時間だけが過ぎ去っていった。

しかし、僕にはまだその夕日の中にほんの少しの希望を見出す事が出来た。

別に今すぐやらなくてもいる。

今日やらなかった分は、また明日。

そう自分に言い聞かせながら、また次の日に繰り越すという選択をしてしまうのだ。


それでも、心の奥底にはじんわりとした不安があった。

部屋の隅で寂しそうにしている彫像が、僕をじっと見つめているような気がした。

その彫像は、かつての自分の理想や夢を形にしようとしたであったが、今となってはその作りかけの姿さえも、虚しいものに感じられる。

僕は深呼吸をして、木屑混じりの空気を胸いっぱいに吸い込んで、吐く。

今の自分にはその彫像を完成させる義務があると思っていた。


目の前にある原木は歪であったが、薄く猛禽類の形を思わせるようなものだった。

猛禽、鷹。

僕はそれを雄大な大空に飛ばす義務があるのだ。

彫刻刀を手に取り、ゆっくりと木に刃を当てた。

木は震えていた。

狙いがうまく定まらず、僕はその震えをなんとかして宥めようと必死だったが、焦りと不安が交錯して手がうまく動かない。

どうしても、手が震えてしまうのだ。


一刻も早く成果を上げたいという気持ちが先走り、その結果、何も進展しないまま時間だけが過ぎ去っていった。何度も試み、何度も失敗するたびに、心の中で自分への不信感が募っていくのを感じた。彫刻刀を放り投げ、心の奥底での不安と葛藤に耐えながら、僕は再び自分と向き合う必要があった。


そんな状態で、根拠のない自信だけが空虚に浮かんでいた。出来ない事などありえないと思っていた。実現するために何かをしなければならないと理解しながらも、実際には行動に移せずにいた。暗闇の中で、彫刻の前に立ち尽くす僕は、自分自身に対して問い続けていた。


人には皆役目があるのだ。歯車として、道具として生きていく義務がある。

ただ僕はその機械仕掛けから逸脱してしまった。


ただそれだけのことなのだけれども、社会と言うものはうまく回らないと困ってしまうのだ。

だから部品を変えるように、僕も弾き出された。

今までの失敗作を一つ一つ手に取って眺めてみる。それらは皆、どこかしら破損していたり、あるいはもう原型すら留めていないものも多かった。

僕は失敗作の山から一つを選んで、それをそっと机の上に置いた。

それは一羽の鳥だった。

その鳥は猛禽類のような頭と胴体を持っていたが、しかし翼は生えていない。代わりに大きな嘴がある。

やはりそれも鷹を模したモノだった。

本来翼の付け根にあたる部分には割れた跡があり、その傷跡はたしかに僕が付けたものだった。


「俺もお前も不良品だ」


不良品の自分が作ったのだから、作品も不良品であることは何らおかしくないのだが、半ば八つ当たりのようにして呟いてみた。

鳥は返事をしない。当然だ。

彫刻刀で翼の割れ目をなぞると、がさついた感触が手に伝わった。

何も出来ない自分に無性に腹が立って、どうしていいのか分からなかった。

手の汗と、涙が乾いた彫像をただ湿らせていた。


いつの間にか日は落ちきっていた。

作りかけの鷹は僕を見つめ続けている。僕はそれが嫌だった。

視界の端で動くものがあって、ふと顔をそちらへと向けた。

そこには一匹の蝶がふらふらと飛んでいた。

きっと何処かからこの部屋に迷い込んだのだろう。

弱々しい飛び方だった。いつ落ちてしまうかもわからないような不器用な飛び方だった。

僕は蝶がふらふら飛んでいるのより、勇ましく優雅に舞う鳥の方が好きだった。

 

僕はその蝶を捕まえようと立ち上がる。

そして一歩踏み出すと、そのまま足をもつれさせて転びそうになってしまった。テーブルに手をついて体を支えると、掌に痛みが走った。

体重を大きく彫刻刀にかけてしまっていた。手のひらには浅く切り傷ができていた。

蝶はもうとっくにどこかへ行ってしまったようだった。

僕はずっとこの部屋で一人だ。

この小さな世界には僕以外誰もいないのだ。

孤独だ、と思った。だがそれは薄々分かっていたことだ。ただそれを認めるのが怖かっただけだ。

孤独から逃げ出す為に、そしてそれを紛らわす為に僕は彫刻刀を手にしたのだ。それはただの現実逃避の道具に過ぎなかった。

ふと左手を眺めると、そこにも昔付けた切り傷があった。どれもこれも努力の証だと思っていた。無数の傷跡がじっと僕に語りかけてきていた。


ーこれ以上僕の可能性を傷つけないで。無駄にしないで


そう見えた。

やるやらない、そういう次元の話ではない。

彫刻刀を握りなおす。もう震えはなかった、迷いもなかった。

僕は何度も、何度も何度も鷹に向かって刃を振り下ろした。

それは彫るという行為からは程遠いものだった。

ただ傷をつけて、今までの自分を否定するために手を止めなかった。


しばらくの後、そこには完成した彫刻があった。

それはあまりにも歪で醜かった。翼は力なく垂れ下がり、嘴も折れてしまっている。胴体に空いた傷跡は深く刻まれ、しかしそれがかえって猛禽類の獰猛さを表しているようにも見えた。

ぼろぼろで、不格好で、それでも何処か傲慢な。

僕はその出来損ないと見つめ合った。


「俺もお前も不良品だ」


僕はその出来損ないをそっと抱きしめた。

歪な翼でも、それでもしっかりと空へと羽ばたけるのだろうか。


「お前には無理だ」


そう声が聞こえた気がした。

そう、何度言われてきただろうか。


僕はそのまま彫像をゆっくりと抱きかかえて、思い切り窓の外に投げてしまった。


これは決別だ。

未だ手に残った彫刻刀は、あまりに乱暴に扱われて刃先は丸くなってしまっていた。

もう使い物にならないなと、そのまま彫像と同じように放った。僕は暗闇に消えた彫刻刀に語りかける。


「いままでありがとう。でも、もう必要ないんだ」


それを最後に、木屑の散らばった部屋を出るのだった。


人には各々役割がある。でも向き不向きだって勿論ある。

一つの事に囚われて縛られるのは、その他の事から逃げる行為と似ている。

出来ない事をやり続けて実る結果が、映画やドラマの様に素敵なものばかりであったらどんなにいいだろうか。


外はもうすっかり暗くなっていて、月だけが僕を照らしていた。

この歪で醜い彫像が僕の全てだったけれど、最後に残ったのは傷だらけの両手だけだった。

諦めた訳じゃない、逃げた訳でもない。それが言い訳に聞こえるなら何だって言えばいい。

僕の両の手は無限の可能性を秘めている、それは譲れない。

でもこれは道具に過ぎない。それをどう使うかは自分次第だ。

僕にしか出来ない事はきっとどこかに。


月に向かって両手を大きく広げる。

歪な両手でも飛ぶのだ、飛んで見せるのだ。

蝶が一匹、ふらつきながら飛んでいるのが、月の光と重なって見えた。

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