儀国の膿 ⑦

 数日後、紫水宮を訪れた令劉はことの詳細を語った。

 西昭儀は正三品の二十七世婦まで降格。毒を直接盛った宮女は処刑されたとのことだ。


「こちらに膳を運んできた宮女が、その直後尚食局にほど近い庭へ向かうのを見た者がいまして。その辺りを調べたところ毒を入れていた容器が落ちていたのです。そこからたどり指示したものが西白銖だと判明致しました」


 一通りの説明を聞いた翠玉は「そう……」とだけ口にし、少しの間黙り込んでいた。

 命じられて直接毒を盛った者が処刑されたのは分かる。だが、命じた者は降格のみで済んでしまうという現状。

 おそらく西白銖本人が口にしていた通り、親の地位が高いのだろう。

 厳格に裁いてしまっては叛意はんいとなりかねないので、厳しくは出来ないといったところだろうか。


 翠玉と明凜の目的は皇帝の暗殺だ。

 この後宮でのし上がり頂点に立つことではない。

 だから、目的を果たすまでの間に無用な恨みを買うようなことはするべきではないのだが……。


(それでも、権力者のみが優遇される現状は歯がゆいわ)


 もっと、公正な裁きを与えて欲しいと思うのは傲慢だろうか? と明凜は唇を噛んだ。

 翠玉も似たような思いはあるのだろう。

 憂いをその黒曜の瞳に映してはいたが、その思いを言葉にはしなかった。


 仕返しをしたのは直接手を出されたからだ。

 すでに恨まれている状態だったから、釘を刺すという意味でも舐められる訳にはいかず悪戯の範囲での仕返しをした。

 だが、西白銖が毒を盛るよう指示したと公で判明し、それなのに少々の降格で済んだことが不満だと声に出せば、西白銖のみならずその親や周囲の者たちからも恨みを買いかねない。

 目的を果たすためにも、邪魔になるような者を増やすわけにはいかないのだ。


 今は口を紡ぐしかない。

 皇帝を暗殺し、儀国を滅ぼし、この国を作り替えるまでは。


「ご報告ありがとうございました、令劉さま」


 全てを呑み込んだ翠玉の言葉に、明凜も瞼を伏せ感情を押し込めた。


***


 退出する際明凜に話があると言った令劉の申し出により、いつかの人気のない房へ向かった。

 またしても茶は自分が淹れると令劉が言ったため、明凜は手持ち無沙汰で少し前のことを回想する。


「では退出の前に、明凜殿をお貸し頂きたい。少々話があるのです」


 報告が終わり、紫水宮を辞するというとき。

 令劉がその願いを口にした途端翠玉の微笑みが凍った。


「……あら? 何の話があるというのでしょうか? 前回はこちらに来たばかりでしたから、何か伝えておくべきこともあるのかと許可致しましたが」

「そうですね、今回は少々個人的な話です。ですが明凜殿の今後を左右する話でもありますので」

「それはどういう意味かしら?」


 フフフ、ハハハ、と互いに笑っていない目で笑顔を交わす様は慣れてきたとはいえ恐怖だ。

 どちらも美しい分周囲の空気が凍る。


「どういう意味と言われましても、それは私と明凜殿だけのことですので……お答え致しかねます」

「まあ、言えないようなお話しをするのかしら?」


 ホホホ、と優雅に笑う翠玉だが、扇を持つ手がプルプルと震えている。

 これはかなり怒りを溜め込んでいそうだ。


「……はぁー」


 化かし合いのような二人の会話が続く中、凍りつく房で一つ呆れのため息が大きく響いた。


「お二人とも、それでは埒があきません。ここは明凜に決めてもらってはいかがですか?」

「え!?」


 淡々と話す香鈴の言葉に、丸投げしないで欲しいと驚きの声を上げる。

 だが、抗議する前に当の二人が明凜に注目した。


「それもそうね。明凜、あなたはどうしたいかしら?」

「私について来てくれるだろう? 約束したではないか」

「あ、うぅ……」


 二つの優しい笑みからはとてつもない圧を感じる。

 どちらを選んでも遺恨が残りそうだ。

 だが、明凜の答えは決まっていた。


「……令劉様と、お話し致します」


 その瞬間の翠玉の表情は驚愕と言っても良いほどで、『どうして!? お姐様!』という叫びが聞こえてきそうだった。


(あとで機嫌を取らないといけないわね……)


 今頃房でふてくされているかもしれないと思うと後が少々面倒だと思う。

 だが、令劉とはしっかり向き合うと決めたのだ。

 逃げるなとも言われたのだし、前回の話だけでは知れなかったことも聞いておきたい。


「さて、まずはこの間聞けなかったことを聞いておこうか。……何故私を避けていた?」


 茶の用意が終わると早速本題に入る令劉。

 誤魔化されるとでも思っているのか、目力を強くして問いかけていた。

 だがもう避けないと決めていた明凜はハキハキと告げる。


「それに関しては申し訳ありませんでした。令劉様のことをよく知りませんでしたし、求められているのは分かりましたがどう対応すれば良いのか分からなかったのです」

「そ、そうか……」


 明凜の様子が予想外すぎたのだろう。

 令劉はたじろぎ、次の言葉を見失っているようだった。

 落ち着こうとしているのか、茶を一口飲む令劉に明凜は続けて話しかける。


「一番は令劉様が今の儀国をどう思っているのか、それが分かりませんでしたから」


 一日目の夜。

 あの賊が自分だと明かしても大丈夫なのか、それが一番の不安要素だったのだ。

 令劉の中では確定しているようだが、それが罠だった場合取り返しがつかない。

 令劉は味方となりうるのか。信じても良い相手なのか。

 それだけはハッキリさせなければと、明凜は探るように空色の瞳を見つめた。

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