第二話:過去を改変する挑戦

 男の姿をモニター越しに確認した千紗は飛び起き、まだぼんやりとした目で時計を確認する。時計はちょうど12時を指していた。え、もうお昼?


 すぐにベッドを整え、スリッパを履きながら急いで浴室へ向かう。顔を洗い、髪を手で整えながら、慌ただしくも落ち着いた動きで化粧台に向かった。手早く化粧を済ませ、シワのないブラウスに着替えた。


 リビングに戻ると、軽く部屋を片付け、クッションを整える。ドアの前に立ち、深呼吸してから、最後にもう一度鏡で自分の姿を確認する。


 「よし、これで大丈夫」とつぶやきながら、千紗は玄関のドアを開ける準備を整えた。


 早朝の玄関、薄暗い空気には新たな始まりの匂いが漂っているような気がする。


 外から微かな風が流れ込み、静かな朝の世界が一瞬、活気を帯びる。


 「えーと、お待たせしました。朝田さん? どう言ったご用件でしょうか?」


 「はい。覚えていませんか? 『トーマスの発明の種』の件です」


 男は朝田瑛二と名乗り、名刺を差し出した。名刺のデザインは昨夜見たサイトと雰囲気が似ている。


 朝田瑛二は目を疑うほどの整った顔立ちの男で、彼の顔はシャープな顎のラインと高い頬骨が印象的で、濃い眉と大きな瞳が自信に満ちた輝きを放っていた。


 笑顔を浮かべた時、白い歯がのぞき、まるで映画の中から出てきたような整った顔立ちが一層引き立っていた。その視線を受けた瞬間、千紗は思わず見惚れてしまった。


 ハッと思い返して部屋に招こうとした。しかし、自分が一人暮らしの女性であるし、男性を部屋に招くことには抵抗があった。


 しかたなく、千紗は苦虫を潰したような顔で、朝田瑛二を部屋に案内した。


 「意外と綺麗ですね」


 「一言余計です…」


 朝田瑛二の物珍しそうな視線には少しイラッとする。デリカシーがないのだろうか?


 部屋の扉を開けると、ほんのり冷たい空気が二人の頬を撫で、心の奥の怠け心がふわりと立ち上がる。このまま眠っていたいなぁ…


 「さて、本題に入りますが…吉田千紗さん、もう一度人生を謳歌してみませんか?」


 その言葉に寝ぼけてた脳が一気に覚醒する。人生をもう一度…? 私は呆然としたまま声を出す。あまりの衝撃で、まともに会話できている気がしない。


 「はい、『トーマスの発明の種』では登録者にもう一度人生をやり直すチャンスを提供します」


 朝田さんは右のポッケから懐中時計のような道具を取り出して、私に見せた。


 「これを使うことで過去に戻ることができるんです。あなたが戻りたい時代を選択することにより、過去を改変し、現在の状況を改善することが目的です」


 その時計は古典的で重厚感のあるデザインで精緻せいち彫刻ちょうこくが施された金属製のケースに収められていた。

 

 表面は深いブルーや翡翠ひすい色のエナメルで覆われていて、光を受けると微細なパターンが浮かび上がる。


 私は状況が飲み込めず、疑問が次々に湧いてくる。ノリで登録したトーマスの発明の種は過去を改変できるチャンスを私に提供してくれた、なんて信じがたいことだ。


 26歳ニートの私にとって人生を巻き戻せる機会が手に入ることは願ってもないことだ。


「私、このままじゃいけないって思ってたんです…いつかは変わらなきゃって」


「でも…」と、言葉を続ける。


「もう失敗はしたくないんです。私は一度の失敗で積み重ねてきたものを全て失ったことがあるんです」


 失敗は成功のもとである。だとか、失敗は成功の反対ではなく、成功への一部である。とか世間ではいいように言われている。


 ———そんなのは妄言だ。


 全てを失ったことのない奴らの妄言。そう割り切ってしまえば、よかったのに…本当に最近どうかしてるかも


 「私…やっぱり過去に戻ってやり直したいです。あの頃に戻ってもう一度立ち上がりたいんです」


 成功するためには、まず失敗する勇気を持たなければならない。それにたった一度の失敗に挫けていちゃ成功なんて掴めないだろう。


 私の決意を聞いた朝田さんは満足そうに頷いて、懐中時計による過去遡行過去遡行の原理やパラレルワールドの話を始めた。


 彼が言うには時間の流れは物理的なものではなく、情報の蓄積で、この懐中時計ではその情報の読み取りによって過去の状態の再現や現在の状態を変化させることができるようだ。


 「説明は以上です。よい過去改変ライフをお送りくださいね」


 「質問があるんですけど、『トーマスの発明の種』にとって私が過去遡行することに何かメリットがあるんですか?」


 朝田さんはけたけたと控えめに笑って、もちろんメリットはあると言った。


 「あなたの過去遡行のデータが今後、我が社での研究に役立つんですよね、なのでこちらからも是非過去遡行して欲しいと願うほどです」


 それともう一つ、千紗はハッキリさせておきたいことがあった。


 「実はこのサイトに繋がった時、勝手にスマホが動いて……」


 トーマスの発明の種との出会いについて軽く話したのだが、朝田さんは知らないの一点張りだった。


 なぜスマホが急に光ってこのサイトに繋がったのか……

 

———それではこちらが契約書です。


 差し出された契約書には、過去遡行技術の秘匿や、注意事項についてまとめられていた。


 過去遡行中は現在の時間軸は停止しているそうだ。過去遡行できる回数は3回まで、それぞれ1年経過後に現在の世界が変化するようだ。


 疑念はある。だが、詐欺でもなんでもいい、現状を打破できるなら藁にもすがる思いで契約してやる!

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