第19話 穏やかな最期
体中が熱い。
だるくて動けない。
息をすることさえも面倒くさい。
運び込まれた診療所のベッドの上で私は苦しんでいた。
「おそらく残っていた麻薬の成分と使いまわしの注射針による感染症でしょう」
診療した町医者は私の容体を確認すると深刻そうな声で言った。
「……麻薬?何、それ?」
息も絶え絶えに私は医者に状況を訊ねた。
「貧民街では違法な薬物が蔓延しているのです。この薬物は絶望も苦痛も、空腹さえも忘れさせてくれると言われています。常に空腹で生きる意味すらも見失ってしまっている貧民街の人間の心にいとも簡単に入り込んでしまったんです。すべての発端は食糧不足。あれさえなんとか出来ればここまで薬物に溺れる者が多く出ることはなかったでしょう」
医者は無念そうに口にした。
「そんなことはどうでもいいんです!ユリア様は大丈夫なんですよね?助かるんですよね?」
アリエルは医者に詰め寄った。
「それはわかりません」
「わからないって、どういうことですか!?」
アリエルは声を荒らげた。
「治療薬がないんです」
「はぁ?だってここは診療所でしょ?なのにどうして薬がないのよ!?」
まさかの事態にアリエルはパニックになっていた。
「かつてはここにも治療に必要な薬があったんです。しかしここを治めるリマン公爵の命によりすべて取り上げられてしまいました。なのでここで出来ることと言えば切り傷や擦り傷と言った外傷や軽い風邪くらいしか診ることが出来ないんです」
「そ、そんな……。じゃあ早く薬のあるところに運んで!」
アリエルは叫びながら町医者の胸倉を掴んで前後に揺さぶった。
「もちろん今助手に手配させてますから」
目を白黒させながら町医者は伝えた。
もう少しの辛抱だ。そう誰もが思っていた。
「先生大変です!」
「どうした?」
「大通りの事故で搬送が出来ません!」
「なんだと!?」
悲痛な声を上げて診療所の助手が駆け込んで来た。
「迂回路となる各通りも大混雑でとても馬車が通れるような状況じゃありません!」
「なんてことだ…。こんなときに限って…」
そう、今大通りは事故で封鎖されているのだ。
絶望的な状況に町医者は頭を抱えた。
結局私が王城内の診療所に搬送されたのはそれから一時間後のことだった。
大通りは封鎖されているため、搬送用の馬車は通れない。なので駆け付けた護衛兵に担がれる形で運ばれた。馬車を使ったときより倍近い時間がかかったが、大混雑の南大通りを迂回するよりは早かった。
「私がついていながら、申し訳ありません」
「そんなことは今はどうでもいい!すぐに治療を開始しろ!」
父は城中にこだまするくらいの大声で叫んだ。
「あぁ、どうしてこんなことになってしまったんだ…」
そしてすぐに頭を抱えた。
◇◇◇
リマン公爵の側近が処刑されたのはそれからすぐのことだった。
公爵の説明によると、領地の管理は側近に一任されていたそうだ。そして側近は領地管理を怠っていたのだという。
さらにあろうことか側近は国から各領地に配給されていた医薬品を横領し、密かに隣国などに売りさばき身銭を稼いでいたとのことだった。
医薬品を必要としているのは貧しい人たちがほとんどだった。しかしそのような貧民がいるということは領地を上手く治められていないという証になる。主の名誉を守りかつ自らの懐を引き続き肥やすため、側近は貧民街を一掃しよう考えた。しかし王城に近いため兵を入れることは出来ない。そこで極限状態に陥れることで貧民街の住民を餓死させようと考えた。食料品を奪い、医療も受けられないようにした。こうして貧民街は自然消滅するはずだった。
ところが人間はそう簡単には死なない。陥った絶望と空腹から解放されるべく貧民街の人々は違法薬物に手を出したのだ。薬物はものすごい速さで貧民街に蔓延した。そして今回の悲劇が起こってしまった。
すべては側近一人が勝手にやったこと。公爵はそう主張した。
本当なのか嘘なのか。それを否定も肯定も出来る証拠は何一つなかった。
結局父は公爵の主張を受け入れた。もちろんそれでお咎めなしとはいかない。公爵は厳重注意の処分が言い渡された。しかしそんなものは彼にとっては痛くも痒くもないものだった。
貧民街。そのようなものがあるということを私は知らなかったし、そんな危険な場所がこんなにも近くにあっただなんて思ってもみなかった。
絶望と空腹。不衛生な環境。地下牢での拘束生活とよく似ていた。
いっそのこと早く楽させて欲しい。絶望の中、日々そう思いながら過ごしていた。 もしあのとき目の前に絶望という苦痛を忘れられる薬があったなら、私は迷わずそれを使っていただろう。
空ろな目をした男たちも成りたくてあのようになったわけではなかっただろう。
薄れ行く意識の中、私は男たちに同情した。
◇◇◇
その後の日々は文字通り地獄のような苦痛の日々だった。
食事はまともに喉を通らず嘔吐を繰り返した。
日に日にやつれ、あっという間に貧民街で見た男たちと似たような見た目となってしまった。
「可哀相に、どうしてこんなことに」
変わり果てた私の姿を見て父は嘆き悲しんだ。
「王女殿下はまだお若いため毒素が回るのが早かったようです。すでにこれ以上は手の尽くしようがありません…」
事件からおよそ1ヶ月、あらゆる手段を尽くして治療が行われたものの、改善の兆しは一向に見られなかった。
注射針に付着していたのは麻薬の成分だけではなかった。未だ治療方法も治療薬も存在していない不治の病。その病原菌が私の体内と折れた注射針から見つかった。これにより、まだべラス王国では確認されていないとされていた不治の病が実は国内に蔓延しているという衝撃の事実が判明したのだった。
父は国外からこの病原菌感染患者の治療を行ったことがあるという医者を緊急招聘し治療にあたらせた。しかし病が改善する気配はなく、ついに私は最期の時を迎えることとなった。
「ユリア!しっかりしろ!ユリア」
「ユリア!目を開けて!」
耳元で両親の声が聞こえる。思えば暖かいベッドの上で最期を迎えることはこれが初めてだった。
首を刎ねられることも、剣で切られることも、火炙りになることもない穏やかな最期だった。
両親、二人の兄と姉。そしてアリエルとメイドたち。
多くの使用人たちに見守られ、私は静かに目を閉じた。
こんな最期なら、悪くない。
こうして私は一度逃れたはずの7度目の死を迎えた。
◇◇◇
「おはようございます」
ぶっきらぼうな声が聞こえ、目が覚めた。
そこには不機嫌そうな顔をしたメイドの姿があった。
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