第4話 女性


 二階の客間へと向かい、高砂は飴色の扉の前へと立った。

 そして深呼吸してから、二度ノックをした。


『どうぞ』


 すると想像以上に高い声が返ってきたので、室内にいるのは子供だろうかと考える。だがどことなくそれとも違う声音のようにも思いながら、ゆっくりと高砂はドアを開けた。そして窓の正面に立つ背の低い人物を視界に捉えながら、ドアを閉める。


「はじめまして。ユリと申します」


 そう名乗った人物は、桜色の和服姿だった。模様も桜だ。

 187cmの高砂が自然と見下ろす形になった。目算で160cmくらいだろうかと高砂は考える。もう少し低いかも知れない。これでは二次性徴途中の子供と同じくらいの身長であるが、不思議とそうは見えないことに、高砂は首を捻る。


 白磁のような肌をしていて、黒檀のような瞳をしている。縁取る睫はとても長く、髪もまた艶やかな黒で長い。唇は淡いピンク、頬にも同様の色が見える。華奢で首筋は細く白く、と、視線を落としていき、高砂は胸元で視線を止めた。ユリと名乗った相手の胸部が丸みを帯びていると理解したからだ。さながら、受胎告知に描かれている女性のように。


「高砂祐介です」

「どうぞおかけください」


 ここは高砂の家であるが、ユリがそう言った。静かに頷いた高砂は、長椅子に座る。すると対面する席に、ユリもまた座した。そしてユリは、ティーポットから紅茶を注ぎ、自分と高砂の前に置く。


 しなやかな白い指。綺麗な爪には、色が乗っている。なにやら紅茶とは異なる、匂い立つような香りがする気がした。


「ユリさん……あなたは、一体?」


 問いかけながら、『まさか』と高砂は考えていた。その仮定が浮かんだ瞬間から、こめかみを冷や汗が流れていく。


「私は、女性です」


 確定的な言葉をユリが放った時、高砂は息を呑んだ。やはり、という思いと、そんなことはありえないという理性に戸惑う。だが、目の前にいる彼……ではなく、彼女が、女性以外には見えない。目の前にいる以上、女性はいるということだ。


 白い鴉がいるか否かをどうやって見つけるかという問題を思い出す。

 世界中全ての鴉を確認しなくても、一羽だけ見つければいいという話だ。

 そしてそれと同じように、今、目の前に一人の女性がいるのだから、この世界に女性がいるというのが真である。


「女性……」


 だが、唖然としないのも難しい。高砂は、じろじろとユリを見てしまう。


「私を見て頂ければ分かる通り、世界には女性が存在します。けれどそれを知るのはごく一部の者だけです」

「何故ですか?」

「女性はいないという妄想が伝染する、精神感染症が嘗て世界で流行しました。その結果です。高砂家の当主は、女性がいるということを知る、そのごく一部の者に該当します。そして代々、女性を手助けしてきた。それが高砂家の仕事です」


 つらつらと語りながら、ゆっくりとユリがカップを持ち上げる。その所作は美しい。高砂も動揺を抑えようと、カップを手に取り紅茶を口に含む。しかし味がしない。


「それは成績が優秀で、職業選択が可能であり、教授となった、そんなあなたであっても変わらない義務です」


 ユリはそう告げると、上目遣いに高砂を見た。黒い瞳に、高砂は射貫かれたような心地になった。


「これは五元老である、朝永公爵の指示と受け取ってもらって構いません」


 高砂は唇を引き結ぶ。

 五元老というのは、国政を司る、五人の国家元首だ。耶麻登国の全ては、五人により決定されている。意見が割れた時は、多数決だ。五元老の下に、政務塔と呼ばれる五元老を補佐する機関があり、そこに政府がある。朝永公爵というのも、国に五つしかない公爵家から輩出された五元老の一人で、特別な科学知識もまた保持しており、不死ではないようだが、不老長寿だとされている。五元老は時々代替わりするらしいが、基本的には不老長寿で顔ぶれは変わらないという。その程度の知識は高砂にもあった。


「高砂さん。あなたには、今後私の手助けをして頂きます」

「一体、なにをすれば?」

「今はまだ、女性がいるということを、知っていてくれれば十分です。おって、指示を出します」


 ユリはそう述べると、初めて口元を綻ばせて笑った。人を惹きつけるようなその柔らかで温かな表情に、高砂はなんとも言いがたい気持ちになる。


「すぐにでも、女性がいることを公表した方が良いのでは?」

「いまだ感染症の影響は強く、それは難しいのです。感染症からの影響を避けるには、特別な注射が必要です。さきほど、あなたも注射をしませんでしたか?」

「しました。あれが?」

「ええ。あれを注射しなければ、女性が存在することを認めるのを、精神が拒否します。今、世にいる男性達は、思考も技術も、退行しています」

「退行……」

「高砂さん。私はそれがよいことだとは思っていません」


 ユリはそう言ってから、窓の方へと視線を向けた。青空の下、鳥が飛んでいく。


「なので、あなたに手伝って欲しいのです。そのために、今は、女性がいるのだと言うことを、あなたには知って欲しい」


 高砂は小さく頷いた。


「もう帰って頂き構いません。また、お会いしましょう」

「わかりました」


 ユリの声に、高砂は立ち上がる。そして一礼してから部屋を出た。

 その足で父の書斎へと向かったのは、父の口から話を聞きたかったからなのだが、そこには誰もいなかった。書き置きがあり、少し出てくると書かれていた。


 仕方がないので、高砂はなんとか動揺を抑えようと試みつつ、大学そばのマンションまで帰宅することとした。




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白い夏の結婚 水鳴諒 @mizunariryou

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