第13話 永遠を夢見よう

 桜沢さくらざわおうが村の守り神への供物として選ばれたのは、彼女が6歳の誕生日を迎えた日のことだった。


 生まれて名前をもらった、最も祝うべき日。

 幼い女の子は親から強引に引き離され、名前を奪われた。


 それから桜沢桜華を待っていたのは、外部との断絶と、蠱毒こどくの呪術による苦行であった。

 『蠱毒の呪術』とは、村の守り神とされる存在が供物を栽培するために創り出した術式である。


 その詳細は、毒蛇、毒虫など、毒を持った百種の『虫』を同じ容器の中に置き、互いに喰らわせること。

 勝ち残ったものから抽出した毒――『蠱毒』を供物に食させることで、体内に毒気を蓄積させる。


 蠱毒の呪術で生成された毒は、決して人間が食すべきものではない。

 一滴でも摂取すれば、間違いなく即死。

 それにもかかわらず、供物が死なない理由は、『供物の呪術』のおかげであった。


 供物の呪術とは、守り神が蠱毒の術式とともに創り出したもう一つの術式。

 その詳細は、『蠱毒』の毒気を用いて術式の対象の生命活動を無理やり維持させることである。

 二つの術式によって、供物はその体内に毒気を蓄積させるための『容器』となる。


 但し、供物の呪術は、あくまで供物を毒物の容器として存在させるためだけの術式。

 『容器』への配慮は、一切含まれていない。


 供物が摂取した蠱毒は体内を蝕み、絶え間なく苦痛を与え続ける。

 故に、それは苦行。


 供物は、毒気の蓄積と、それによる耐え難い苦行を経て、『格』を高めていく。

 そうして13歳を迎えた際――村の守り神に生贄として捧げられ、神の『餌』となる。


 その忌々しい存在は、二つの術式を創り出して以来、

 自分を崇拝する村から捧げられた供物を糧にし、己の『神格』と神Pを高め続けてきたのであった。


 しかし、桜沢桜華が供物として選ばれる十数年前。

 当代の時の神が起こした大戦争に、守り神の主神しゅしんが巻き込まれてしまう。


 眷属けんぞくしんと主神は、消滅を迎えるその際まで共に歩む運命にある。

 それ故、守り神も彼の主神に従って、時の神を討つために国境を越えて結成された神々の連合軍――『黄昏たそがれ』の一員として参戦することになった。


 結果は、全滅。

 その戦争で時の神を敵に回した神々は、例外なく消滅を迎えた。


 後日。

 その大戦争は、戦争に参加しなかった神々の間で『第二次最終戦争』と語り継がれることとなり、時の神は神々から更に恐れ慄かれることとなる。


 因みに、常世の巫女はその際、

 戦争には参加しなかったものの、とある理由で戦場から少し離れた場所を通り過ぎていた。


 そこで、時の神が数十億年位の神威かむいを解き放って数多の神々と星々をも一掃する場面を目の当たりにし、恐怖に囚われ素足で逃げ出したのだった。


***


 話を戻すと、故に桜沢桜華が供物になる理由も必要もなかったわけだが、村人たちは守り神が消えたことに気付かなかった。

 彼らは村に災いが起きる度、それを守り神の怒りだと信じ込み、至急に供物を選んだのだった。


 名前を失った幼い少女は、男子禁制の神社に監禁され、供物としての生活をただただ強いられた。

 外部との接触は最低限のものとされ、食事は毎日三食、蠱毒という名の毒物のみ。


 全身から感じられる耐え難い苦痛に毎日泣き叫ぶも、助けは来ない。

 むしろ、神社の『巫女』たちは口を揃えて言った。


 彼女が感じているその痛みは、神様からの贈り物。

 感謝しながら受け入れるべきだと。


 巫女たちは毎日、名の無い幼い少女に教え込んだ。


 『貴女は13歳を迎える時、生贄として神様に捧げられるのです』

 『今の苦行は、神様の生贄になるための過程。感謝して受け入れなさい』


 『生贄』の意味を知らない純粋な女児は、生贄を『嫁』のようなものと勘違いし、痛みを恵みとして受け入れようと努力した。


 それでも、どうしても耐え難い日もあって。

 そのような時は、神様のことを想った。


 『私をお迎えくださる守り神様は、どんな方なのだろう』


 年が進むにつれて、少女の身体は次第に衰弱していった。

 当然のことである。供物の生命活動は、術式により無理やり維持させられているものに過ぎないからだ。


 供物として選ばれる年齢が6歳である理由は、それより幼いと供物の術式でも生命を維持出来ないため。

 生贄の儀式が13歳を迎えた際に行われるのも、術式で無理やり延長出来る寿命の限界が、7年までであるためだ。


 全身は隅々まで毒に侵され、四六時中感じる苦痛も壮絶なものとなっていたのだが。

 幼い頃から痛みを恵みとして受け入れ続けてきた少女は、その苦痛さえ愛おしく思った。

 この痛みはきっと、自分の身体が神様のものへと変わっていく証なのだと。


 そうやって、13歳を迎えて。

 名の無い少女は、村人たちによって存在もしない守り神に生贄として捧げられ、その命を落とした。


 しかし、彼女は死ななかった。

 人間の限界まで高まった格と、神々の大量消滅によって世界に満ち溢れていたエネルギー。


 本来であれば彼女を食したはずの村の守り神の消滅と、星の神が行使した権能による天体の配列。

 神格を取り戻すために世界中を旅していた終の神の接近等々、あり得ないほどの偶然が重なった結果――、


 彼女は、不完全な『人神』として蘇った。

 何故不完全かと言うと、人神になった瞬間、彼女が己のことを定義してしまったからだ。


 『私は神様に捧げられた生贄』と。


 その事実を彼女に教えてくれたのは、偶々その場にいた終の神と、星そのものとも言える星の神。


 前世『第一次最終戦争』で時の神に何度も消滅され、現世では人間に転生していた終の神は、

 人神に神々のことを教えると、最後にとある映像を見せた。


 それは、『第一次最終戦争』で暴れていた時の神の記録。

 古代の神々の90%を消滅させたその最終戦争の記録は、誕生したばかりの人神に底知れぬ恐怖を植え付けるには十分すぎて、


 「時ノ神にだけは注意するのじゃぞ」


 と念を押す終の神に、怯えながら同意したのだった。


***


 その後。

 人神は神Pを支払って、神域と呼ばれる独立した世界を創った。


 それは、万が一にも時の神と遭わないための措置。現代の神々は、そうしている。

 因みに、常世の巫女がこの世の何処を探しても神に会えないのも、そのためである。


 人間だった頃の深層心理を反映した彼女の神域は、いつも真夜中。

 いつか自分を迎えてくれる神様を想い描きながら過ごした日々は、無数の花びらとなって、

 その全てを月明りで優しく包んでくれる綺麗な満月は、まるで神様のようだった。


 その満月に憧れて精一杯枝を伸ばすも決して届かない桜の木は、神様に生贄として捧げられるために努力していたが叶わなかった自分を思わせて。


 かつて桜沢桜華と呼ばれた少女は、華やかな桜に満ちている自分の神域を『桜華』と名付けると、

 一人きりの寂しい空間で、自分をもらってくれる神様を待ち続けた。


 だが、ただ待っているだけではなかった。

 人間だった時も神になった時も、彼女の願いはただ一つ。


 『神様の役に立ちたい』


 そのためには、神格を高め、神Pを稼いでおく必要があった。


 時の神であれば、一人きりの空間で神Pを稼ぐことなどほぼ不可能なはずだが。

 神の権能や神Pを稼ぐ方法や神Pの消費量は、十人十色――いや、十柱十色。

 神々によって異なる。


 苦行の故か、それとも人神であるからか。

 彼女の神Pは、苦行を行うことで稼ぐことが出来た。


 彼女は神Pを払って、様々な毒物を創り出した。

 そして彼女の世界の片隅でそれらを栽培・増殖させると、人間だった時そうしていたように、毎日毒物を摂取し続けた。


 神の神格は、誰かに崇拝されるか、神自身が試練を受けることで高まるもの。

 神Pを稼ぐために行った苦行は、『世界』に試練として認められ、彼女の神格は上がり続けることとなる。


 誰とも言葉を交わすことなく、神様を待ち続けるだけの日々。

 無数の年月が経つ中、彼女は徐々に言葉を忘れていった。


 そんな彼女の前にある日突然現れたのは、神域に紛れ込んだ一冊の書籍。

 毒物の管理と苦行以外に何もやることのなかった彼女は、それを何度も読み返した。


 それからも、ごく稀に書籍が神域に紛れ込んだ。

 中には絵本のようなものもあれば、理解するために専門知識を要するものもあった。


 それらを何度も読み返す中で、彼女は現代国語を取得した。

 また、とある絵本に描かれていた、苦行に非常に適した服装も創り出して、身に纏った。


 全身のベルトを息が苦しくなるまできつく締めると、それはまた良い苦行であって。

 それ以来、その変わった服装は、彼女の普段着となった。


 新たな書籍との出会いは、彼女にとってかけがえのない楽しみとなった。

 しかし、前述した通り、そのような奇跡が起こるのは、ごく稀のこと。

 千年に至る年月の間、彼女は殆どの時間を孤独に苛まれた。


 底知れぬ孤独感に涙が出そうになる度。

 彼女は、いつか訪れる神様のことを想った。


 『私を満たしてくれる神様は、どんな方なのだろう』


 と。


 人は、様々な経験を積み重ねることで成長する生き物である。

 人間だった頃からずっと独りぼっちで、成長の機会を奪われた彼女の精神年齢は、いつまでも6歳児の時のまま。


 大人の精神を持ったまま6歳児の身体に戻った、神田かんだえいに出会えるまで。

 純粋な人神は、毎晩、神様との二人っきりの永遠を夢見た。


***


 その後。

 泣きじゃくる彼女たちを何とか落ち着かせた僕は、れんさんと妹に了承を得て、メンヘラ女神と二人きりになった。


 現在、僕は和室の中で、机を挟んでメンヘラ女神と向き合っている。

 恋花さんと妹は隣の部屋でくつろいでいる。


 「お茶。一応、貴方の分も用意してみた。けれど、おすすめできない。貴方にとって、これは毒」

 「いや、毒って……どんなものなんだ?」

 「そう


 なるほど、砒霜か。

 確かに砒霜って、天然の三酸化二ヒ素のことだったはず。


 三酸化二ヒ素は猛毒であり、かつて害虫やネズミの駆除などに加え、毒殺の手段としても利用されたという。


 ということは――、


 「毒じゃねぇか!!」

 「肯定。だから、毒と言った」


 そう言って、砒霜入りのお茶を平然とすするメンヘラ女神。

 正気じゃない……マジ怖すぎる。


 ドン引きしていると、メンヘラ女神が唐突に切り出した。


 「私は求める。今ここで、貴方に殺されることを」

 「ちょ、急にどうした!? 消滅したくないんじゃなかったのか?」

 「……消滅したくない。でも、私は思う。このままなら、どうせ私は、いつか必ず貴方に消滅されると」

 「はあ!?」


 いや、そんなはずないだろ!

 何それ、神のことを神殺しみたいに……僕、そんなヤバい奴じゃないよ!?


 「それなら、いっそ、この場で貴方の手で――」

 「待て! 早まるな! 何でそうなる!?」

 「貴方は誓った。もしあの二人に害が及んだら、私の存在を絶対に許さないと。必ず消滅させてやると」

 「いや、確かにそう誓ったけど――」

 「その時、貴方は対象を指定しなかった」


 ……? 何の話だ?

 言葉の意味が理解出来ずにいると、メンヘラ女神が続ける。


 「言霊ことだまは絶対的。もし、私じゃなく、他の存在があの二人に害を及ぼしたとしても。

 貴方は、私を消滅させなければならない」

 「っ!?」


 確かに、彼女の言う通りだった。

 何で僕は――いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。


 来月から、僕は小学校に通うことになる。

 そんな僕が、四六時中ずっと恋花さんと妹を守り続けることは物理的に出来ない。

 もし僕の不在中に彼女たちに何かあったら、僕はこの女神を消滅させることになるだろう。


 (何か……何か方法はないのか!?)


 焦っていると、女神は淡々と言った。


 「私には、あの二人に害が及ばないよう、守り続ける必要がある。消滅したくないから。貴方にご主神様になってもらえれば、それは可能。でも、貴方はそれを決して――」

 「それだ!!」


 女神の抑揚のない――しかし、何処か寂しげなその言葉を訊いた途端、僕は彼女を助ける方法を思いついた。


 「今お前はあの二人――恋花さんとあいを守り続ける必要があると言ったよな?」

 「肯定。そう言った」

 「なら、話は簡単だ! 僕と契約すれば良い!」


 「契約? でも、貴方は、先程……」

 「さっき僕がお前の願いに応えられなかったのは、お前が二人だけの永遠を求めていたからだ。

 でも、お前がそれに拘らず、恋花さんと妹を守りながら僕たちと一緒に過ごしてくれるなら、応えない理由なんてない。

 だから、今度は僕からお前に宣告する。黙って僕の眷属神になれ」

 「…はい……」


 こうして、僕たちは主神と眷属神の契約を結んだ。

 言霊が放たれ、お互いの魂と魂が共鳴し合う。


 その瞬間――、

 僕たちは、お互いの魂に刻み込まれている、最も深い傷に触れ合った。


 彼女の魂の記憶とは、孤独と蠱毒。

 それらに苛まれながらも、ただただひとえに『彼女の神様主神』に贈る、千年にも渡る愛の恋歌であった。


 魂が毒に蝕まれていくかのような痛みを味わいながら、その純粋な愛の歌を聞いて。

 僕は、苦痛と苦行のみの生を送ってきたこの哀れな少女を救ってあげたいと、幸せにしたいと思った。


***


 誓約を交わした後。

 僕は早速、可哀想な眷属神に、何かやってほしいことはないか訊いてみた。


 「それなら、私は願う。貴方に名付けてもらいたいと」

 「わかった。何か希望する名前はあるか?」

 「否定。貴方になら、どんな名前で呼ばれても良い。例え『メス豚』でも、私は構わない」


 その言葉に、記憶の中で喜んで苦行を受け入れていた彼女の姿が浮かんだ。

 それが彼女の今の服装と相まって、僕は思わずボソッと呟いてしまった。


 「…Mだ……」

 「えむ。とても良い響き。私は今より――」

 「ちょ!?」

 「――えむと名乗る」


 僕は至急に止めようとしたが、いつものように手遅れ。

 既に言霊は放たれてしまった。


 このままだと、この哀れな少女の名前が、『M』になってしまう。

 それも、僕みたいなクソ野郎の軽率な独り言のせいで――、


 『許せるかっ、そんなこと!!』


 あの不幸だった女の子が、せっかく名前をもらえるんだ!

 あんなふざけた奴じゃなくて、ちゃんとした良い名前を付けてあげたい。


 僕は回転の悪い頭を必死に回して、ようやくそれらしき名前をどうにか思いついた。

 席を立って部屋の中を歩き、愛おしい眷属神の隣に座ると、頑張って笑顔を作って言葉を紡ぐ。


 「そんなに早まるな。僕はお前の苗字も、名前の漢字も、まだお前に伝えてないんだ。自分の名前を宣言するのは、ご主神様の話が全部終わってからにしろ」


 こちらを見ながら『コク』と頷く眷属神に、僕は続ける。


 「まず、お前の苗字だけど、『夜桜よざくら』にしようと思う。由来は、お前の夜桜を思わせる美しい髪の色と、『神域・桜華』のあの桜の木にちなんでる」


 「下の名前は、お前が宣言した通り『えむ』と読むけれど、漢字は『永夢』と書くんだ。僕の名前から『永』の字を取ってお前に付けることで、お前が僕の眷属神であることを示したい」


 「そして、『夢』の字には、今まで辛い人生と神生を送ってきたお前に、これからは幸せを夢見てほしいという僕の願いを込めた。僕は、お前を幸せにしたいんだ」


 「だから、今この瞬間から、お前の名は『夜桜よざくら永夢えむ』だ。夜桜永夢、主神として初めて命令する」


 『僕と一緒に、幸せな永遠を夢見よう』


 そう告げると、夜桜永夢は静かに涙を流し始めた。

 彼女の可憐な顎に指を伸ばしてクイッと持ち上げると、僕はそっとキスした。


 彼女とのキスは、砒霜の味がした。



――――――――――



紹介文の恋花さんの台詞をご覧ください。

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自由になりたい時の神は少女たちを救いまくる シュガー好き @ilikesugar

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