第11話 触らぬ神に祟りなし

 僕がまだ人間だった頃。

 自宅と職場の往復だけの憂鬱な毎日を送っていた『彼女いない歴=年齢』の僕は、恋愛に強い憧れと期待を抱いていた。


 こんな僕でも、誰かに必要とされたい。死ぬほど愛され、満身創痍の心を癒してもらいたい。

 そして、僕もまた、その誰かを死ぬほど愛して、彼女の心の傷を癒してあげたい。

 まあ、要するに、お互いの傷を舐め合える相手を求めていたわけだ。


 世間はそれを『共依存』と呼ぶであろうが、別にそれが悪いとは思わなかった。

 いくら何でも、孤独よりはマシなはずだから。


 それが出来るなら、相手は誰でも良かった。

 そういう意味で、メンヘラ女は、当時の僕にとってまさに理想の女性像と言えた。


 そして、今。

 僕の目の前に、その理想の女性が現れた。


 初対面の相手にいきなり『二人だけの永遠』を求めてくる少女。

 何処をどう見ても、メンヘラ女そのものである。


 しかも、ただのメンヘラ女じゃない。

 彼女が纏っている神威かむいが、そして彼女から放たれた言霊ことだまが、僕に告げているのだ。

 少女の姿をしたあの存在は、紛れもなく神であると。


 更に、拘束具だらけの超ミニ丈のボンデージワンピースと首輪に加えて、

 『ご主人様になって』というぶっ飛んだお願いまで。


 まとめると、今僕の前に立っているのは、千年以上生きてきたドMメンヘラ女神ってわけで。

 そんな属性過多気味の理想の女性を前にして、僕は思った。


 (うん、マジ無理)


 もし僕が前前生――時の神になる前に彼女に出会えたなら。

 もしかしたら僕は、あの女神の提案を受け入れたかもしれない。

 そんな未来も、あったのかもしれない。


 でも僕は、時の神になってしまった。

 それに、既にれんさんと妹に永遠を誓っている。


 だから、もう遅い。

 もう遅い系ラブコメじゃないけど、とにかくもう遅いんだ。


 幸いに、恋花さんと妹の安全は確認出来ている。

 メンヘラ女神に告白されてからすぐに、誰にも聞こえないほどの小さな声で言霊を放ってみたのだ。


 彼女たちのことを強く想いながら、

 『二人・・神域ここに入って来なかった』『二人は現実世界にいる』『現在、二人は安全だ』と。


 ということで、今の僕は何も失うものがない無敵の神になっているわけだが、相手もまた神。

 しかも、メンヘラ女神である。無暗に刺激するわけにはいかない。


 先人たちも言っていたじゃないか。『触らぬ神に祟りなし』と。

 それを心の中で唱えながら、僕は遠回しに拒絶の意思を示した。


 「今日出会ったばかりの神にご主人様になってってのはおかしいと思います!」

 「……納得。貴方の指摘通り、それはおかしい。ごめんなさい」


 おお、納得してくれたのか! 何だ、意外と話せば――


 「貴方は神様。従って、私は訂正する。お願い、私の主神ご主神様になって」


 違う、そっちじゃねぇ!

 『じん』が『しん』に変わっただけじゃねぇか! 


 ……あれ? 待てよ。

 ご主神様って、まさかしゅしんのことか……?


 ふと、最初の死で解禁された『主神』と『眷属けんぞくしん』に関する情報を思い出す。


 主神と眷属神の関係とは、いわゆる主従関係。

 どちらかと言うと、主人と奴隷の関係というより、主君と家臣の関係に似ている。


 しかし、実際にはそれよりもっと深いものである。

 人間とは違って、主神と眷属神は魂と魂で共鳴し合うためだ。


 一度誓約を交わしてしまえば、二度と取り消しは出来ない。

 その二柱は永遠の契約で結ばれ、消滅を迎えるその際まで共に歩み、お互いに支え合いながら、共に神域を築いていくこととなる。


 故に、決して軽々しく求めるものではない。

 今日初めて出会ったばかりの相手であれば、尚更だ。


 ただ、主神になることにも大きなメリットがある。

 言霊で結ばれた主従関係は絶対的なものであるため、眷属神は主神に逆らうことが出来ない。


 また、主神は眷属神において崇拝の対象となる。

 もし僕が彼女を眷属神に出来れば、僕の神格はかなり上がるはずだ。

 神の神格は、誰かに崇拝されるか、神自身が試練を受けることで高まるものだから。


 僕はこの女神のことを、まだ何も知らない。

 ご主人様になることなら論外だったが、主神になることなら――、


 断るのは詳細を聴いてからでも遅くないと判断し、僕は少女の姿をした女神に提案した。


 「僕は貴方のことを何一つ知りません。だから、まずは、話をしませんか?」

 「納得。でも、敬語は不要。『貴方は私の――』、……?」

 「!?」


 何かを言いかけて、きょとんと首を傾げるメンヘラ女神。

 それが言霊の不発によるものだと本能的に分かってしまって、かつてない危機感に駆られる。


 「待てステイ!!」


 再び口を開こうとする彼女を、僕は全力で止めた。


 「分かった、敬語はもう使わない! だから、言霊はやめよう!?」

 「もっと強く、命令する感じで言って」

 「黙れ。僕の許可なしに勝手に喋るな」


 すると、ドMメンヘラ女神は、ぼーっとした顔で小刻みに震えた。

 しまった、慌てすぎて、つい言い過ぎてしまった……。


 限りなく不安になって、恐る恐る訊いてみる。


 「……こんな感じで、どうかな?」

 「…良い感じ。私は思う。それでこそ、私のご主神様に相応しいと」


 いや、まだなるって決まったわけじゃないんだからな!?


***


 女神の方に歩み寄って、でもいつでも逃げられるよう慎重に距離を保ちながら、僕は問いかけた。


 「じゃあ、まずは、君について教えてもら――いい加減、お前のことを教えろ」

 「私は存在もしない神様に捧げられた生贄。蠱毒こどくの呪術により誕生した、不完全なるひとがみ

 人神の私に名前はない。私は待っている。貴方に名付けてもらうその時を」


 ヤベェ、言ってることが全然分からん!


 電波系か!?

 『千年以上生きてきたドMメンヘラ女神』って時点でもうお腹一杯だったのに、更に『電波系』って属性まで追加しようとするのか!?


 「え―と、もうちょっと詳しく、分かりやすく説明してほしいんだけど……」

 「今言ったことが私の全て。それ以外、私には何もない。だから、私はずっと待っていた。私を満たしてくれる神様を」


 彼女の瞳は相変わらず虚ろで、何を考えているか分からない。

 ただ、彼女が切実に神を求めているということだけは、何となく伝わってきた。


 その姿がかつての自分に重なって見えて。

 僕は、もう少し彼女のことを知りたいと思ってしまった。


 「自分のことを不完全なる人神って言ったな。人神って、どんな神なんだ?」

 「私も知らない。蘇った時、そう聴いただけ。私は、不完全なる人神であると」

 「聴いた? 誰に?」

 「神でありながら神でない存在と、何処にでもいながら何処にもいない存在。

 『終の神』と『星の神』」


 ダメだ……。彼女の言ってることは全て事実であろうが、コミュニケーションが下手すぎる。

 疑問はそのままで次々と新たな単語と情報が出てきて、更にわけわからなくなってしまった。


 ってか、終の神と星の神って一体何者?

 それについて訊いてみると、


 「世界三大災厄と呼ばれる三神の二柱。全てに終わりを告げる終の神と、星を滅ぼす星の神」


 という答えが返ってきた。

 何それ、その説明だけでもうヤバすぎる。絶対に関わりたくない。


 「そういえば、世界三大災厄って言ったな? 残り一柱はどんな神だ?」

 「世界最大の災厄、時の神」

 「!?」


 僕じゃねぇか!! ってか、時の神って『世界最大の災厄』なんて呼ばれてんの!?

 いや、僕そんなヤバい奴じゃないよ!? 皆分かってるよね?


 あまりにも意外過ぎる正体に驚愕して少し錯乱していると、名の無い女神は震える声で言った。


 「神でなくなった終の神は言った。『時の神とだけは関わってはいけない』と。お願い、貴方も気を付けて」


 虚ろな瞳に僅かな恐怖の色を浮かべながら、そう念を押してくる女神。

 いや、僕がその時の神なんですけど……。


 しかし、ここで正体を明かしたら契約どころじゃなくなる気がする。

 僕はとりあえず、「はあ……」とだけ言っておいた。

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