第10話 お願い、私のご主人様になって

 神田かんだえいきょくしんえいりゅうの創始者に一度会ってみたいと思っていた頃。

 当の創始者たる常世とこよ巫女みこは、今日も死を望んでいた。


 早く極神影流のことを誰かに任せて、あのお方の後を追いたい――。

 愛する神を失った神子みこは、疾うに永遠の命に疲れ果ててしまっていたのであった。


 実は、常世の巫女自身も分かっている。

 自分の望みが叶う確率は限りなくゼロに近いと。


 神影しんえいとは、彼女のような存在のために創られた力。

 従って、神子の因子に目覚めた女性にしか宿らない。


 問題は、神の庇護を受けずに神子の因子に目覚めてしまった人間は、とかく短命であることにあった。

 『短命の呪い』と呼ばれるそれは、『才子さいし多病たびょう佳人かじん薄命はくめい』とも言い伝えられている。

 未だに極神影流の跡継ぎがいないのも、常世の巫女の弟子たちは例外なく若くして死したためである。


 それは、世界なりのバランス調整によって定められた運命。

 目覚めた才能が大きいほど、その者は短命となる。


 呪いを解呪する方法は、神の庇護下に置かれることしかない。

 それで古代には、神子は神に捧げられ、真の『神子』となって神に仕えていた。


 神の神格にかかわらず、『神』として分類される存在であれば、その定められた運命から神子を救うことが出来る。

 二度目の生で神田永時が神田れんを救えたのは、まさにそのためである。


 但し、神とは何れも傲慢で自分勝手な、歪んだ存在。無闇に信用してはならない。

 それに、常世の巫女の時代ですら稀だった神々は、現代に至ってはほぼ絶滅状態にある。


 その中で信用出来る神を見つけ出して、極神影流の跡継ぎを短命の呪いから解放することは、どう考えても至難の業であった。


 ふと、弟子――神田恋花――のことを思い出す。

 あの娘は、今頃どの領域に入っているのだろうか。


 あの燦然と輝く才能を考えれば、『きゅうしん』の領域に至っていてもおかしくはない。

 しかし、極神影流の跡継ぎになるためには、それでは不十分だ。

 少なくとも、『きょくしん』の領域に達する必要がある。


 その領域に入る条件は、神に誓約し、真の『神子』になること。

 自分のためにも、弟子のためにも、どうにか神を見つけ出さねば――。


 「だが、実に困ったものだな……」


 何処を探しても、神の姿は見当たらない。あれもこれも時の神のせいだ。

 あんなことをしでかした時の神は、今もこの世界の何処かに存在しているのだろうが――、


 (だけは駄目だ)


 存在そのものが大災厄と呼ばれる三神の中でも、最も危険な存在。

 常世の巫女もかつて一度遠くから見たことはあったが、アレはまさしく『世界最大の災厄』と呼ぶに相応しいものだった。


 神々は語る。

 『世界最大の災厄、『時の神』と関わるな』『触らぬ時ノ神に祟りなし』と。

 どんなことがあっても、時の神にだけは遭いたくない。


 「ふむ。この国には神は残っておらぬようだな」


 ならば、次の旅に出る前に、久々に弟子の顔でも見に行くとするか――、

 そんなことを考えながら、常世の巫女は帰国の支度を始めた。


 因みに、常世の巫女は「あのお方さえいてくださったら――」と、消滅した神を懐かしんでいたのだが。

 この世界の神々は、何れも例外なく傲慢で自分勝手な、歪んだ存在。


 己の目的のためだけに行動し、自分以外の存在など、神Pを稼ぐための道具にしか認識していない。

 但し、自分の神子や眷属けんぞくしん、或いはしゅしんに対してだけは、限りなく甘くて優しい。


 ……よって、彼女の愛する神も、実は人々から恐れ慄かれていたのであった。


***


 ついにこの瞬間を迎えた。

 固唾を呑んで、恋花さんにお願いする。


 「では、服を脱いでうつ伏せでお願いします」

 「わかったわ」


 恋花さんは僕に背を向けると、少し震える手でゆっくりとネグリジェを脱ぎ始めた。


 「ふふふ、おかしいわね。毎日一緒にお風呂に入ってるのに、ちょっと緊張しちゃう……」

 「初めてはみんなそんなものだと思いますよ。大丈夫ですから、僕に全て任せてください」

 「みんなって……えいちゃん、他の人にもこんなことしたの?」

 「恋花さんが初めてです」

 「そ、そうだよね。ごめんね、変なこと聞いちゃって」


 嬉しそうに俯く恋花さん。

 実は前生、受験勉強で疲れていた妹にもやったことはあるが、前生でも初めてやった相手は恋花さんだ。

 なので、僕が言ったのは事実である。真実ではないけれど。


 ……初々しくて純粋だった時の神は、こうして徐々に汚い時神詐欺師になっていくのかもしれない。


 「私、実はこういうのに憧れてたんだ。でも、こういうのはえいちゃんがもっと大きくなってからかなと思ってたの……」


 そう言いながら、ベッドの上にうつ伏せになる恋花さん。

 ボリューム感たっぷりの柔らかな双丘がムニュッと潰れて、華奢な背中からはみ出る。


 露わになった艶やかな背中とくびれた腰、丸みのある美尻はとても煽情的だったが、それを堪能する余裕なんて、今の僕にはなかった。


 僕には、必ず成し遂げなければならないことがある。

 それは、彼女の皮膚がんの発見と治療への誘導だ。


 自分で配合したアロマオイルを手のひらに垂らし、軽くこすり合わせる。

 ふんわりと広がるアロマの香り。恋花さんがリラックスした吐息を漏らした。


 体温で温めたアロマオイルを恋花さんの綺麗な背中に優しく塗布しながら、肩甲骨の縁をなぞるようにマッサージを施していく。


 「…ん……んんっ……♡」


 このアロマテラピー技術は、前生で執筆に疲れていた恋花さんの心身をケアするために中学時代に習ったものであり、恋花さんと妹にいつも好評だった。

 中学の頃は色々とやってたんだよな。


 今回、僕が恋花さんにマッサージを提案したのは、彼女に皮膚がんのことを自然に伝えるためである。

 施術を進める中で、背中の肌に小さな異変があることに気づく、という流れだ。


 「んっ、はうんっ♡」


 無論、だからといってマッサージに手を抜くわけにはいかない。

 この愛しい女性めがみに悦んでもらえるなら、僕は何だってやる。


 神威かむいで握力を強化し、指の腹で適度に圧をかけながら、丸い肩や白い首の筋肉を丁寧にほぐしていく。


 「あっ……ああっ、えいちゃん、そこ、気持ちいい……♡」


 妙に艶かしい声を上げる恋花さん。

 念のため言っとくけど、これはただのマッサージだからね?


 まあ、前生でも僕にマッサージを受けていた時の恋花さんと妹はしょっちゅうこんな感じだったから、今更動じることはない。

 全身アロマオイルもみほぐしなので施術中は色々と丸見えになってしまうが、それも今更の話だ。


 さて、皮膚がんは……やっぱりあるのか。

 この辺りは刺激しないように気を付けよう。


 でも前生と比べると、サイズも色も形もずいぶん違う気がするな……?

 かなり小さいし、色も薄いし、隆起もしていない。


 ちょっとした違和感を覚えながら、背中から腰、お尻を次々とほぐしていく。

 続いて、太もも、ふくらはぎ、足裏へと丁寧にオイルマッサージを施した後。


 恋花さんに仰向けになってもらうと、関節かんせつちょう腰筋ようきん、胸周りのリンパなどを含め、全身を隅々まで念入りにもみほぐした。


 恋花さんは施術中、


 「ひゃん!? そこは……ッ! あっあっああっ♡」

 「はぅっ、そ、そんなところまで……!」

 「ううぅ……これだと、えいちゃんに、全部丸見え――」

 「わ、私の、へ、変じゃないわよね……?」


 などと呟いていたが、


 僕が「恋花さんはすごい綺麗です」「安心して僕に身体を委ねてください」と安心させると、

 紅潮した頬と潤んだ目で「えいちゃん、早く中学生になって……」とだけ言い残し、放心状態になった。


 恋花さんや妹が施術中にこんな感じになるのはいつものことだが、最後の言葉の意味は謎だな。

 後で聞いてみよう。


 色々とドロドロとしたアロマオイルを蒸しタオルで入念に拭き取って、体温が下がらないように毛布をかけてから、恋花さんの回復を待つ。


 しばらくして、夢見心地と言わんばかりの蕩け切った表情を浮かべていた恋花さんが、ようやく意識を取り戻した。


 「す、すごかったわ……ありがとうね、えいちゃん」


 おお、神Pが100Pも贈られた! 死ぬほど嬉しい!

 自然と笑顔になり、僕も心を込めて礼を言った。


 「恋花さんに悦んでもらえてすごく嬉しいです。僕の方こそ、ありがとうございます!」

 「あぁん、えいちゃ―――ん!!」

 「んむっ」


 瞳にハートを浮かべて僕の頭を抱き込む恋花さん。

 顔に伝わる圧力がとてつもなく凄まじい。


 まあ、そりゃそうか。だって、僕の顔よりデカいもんな。


 ヤバい、意識が朦朧もうろうとしてきた。

 神威がなければ、僕は既に死んでいたかもしれない。


 それから数秒後。

 ようやく恋花さんの胸から解放された僕は、彼女の隣に横たわって、施術の途中で見つけた肌の異変についてさりげなく伝えた。


 「あっ、やっぱりえいちゃんもそう思ったの?」

 「はい。恋花さんも気づいてたんですか?」

 「うーん、そうね、実はね、極神の領域に入ってから急に背中にちょっとした違和感を感じたの。でも、今はもう感じないから、大丈夫だと思うわ」


 恋花さんはそう言ったが、大丈夫なはずがない。

 一刻も早く治療を受けるべきだ。


 僕は事実を伝えようと、口を開いた。


 「でも、僕は心配です。恋花さんの背中のアレは――」


 ……あれ? 『もしかしたら皮膚がんかもしれません』と言おうとしたが、なぜか声が出ない。

 『皮膚がんです』と言おうとしても、同じく声が出ない。


 ということは、それは事実ではないというわけで――。


 「皮膚がんじゃない……? 健康に何の害もない、ただの、ほくろ……」


 !? 言霊が出たぞ!? どういうことだ!?

 混乱していると、恋花さんが笑いを零した。


 「ふふふ、皮膚がんだなんて大袈裟よ。もう、えいちゃんったら、心配しすぎなんだから。私のこと好きすぎでしょ」

 「もちろん、僕は恋花さんのことが大好きですよ。好きで、好きで、好きすぎて、もし恋花さんに何かあって恋花さんがいなくなってしまったら、僕は生きていけません。その時は、恋花さんに会いに行きます」


 仮に、更なる地獄に突き落とされる羽目になるとしても。


 「…ッ、どうしよう……そんなことしちゃダメって、言わなきゃなのに……嬉しすぎるって思っちゃった……」


 そう言いながら涙を浮かべている恋花さんは、死ぬほど可愛すぎた。


 それはそうと、理由は分からないが、どうやら現生では恋花さんの皮膚がんは発症しないようだ。

 本当に良かった……。

 皮膚がんなんて、発症して治療を受けるより、最初から発症しない方が良いに決まってるからな。


 前生みたいに、皮膚がんを早期に発見して恋花さんに感謝される、ってことはなくなったけれど、これで良いんだ。

 彼女が無事で健康で苦労しないなら、神Pなんてもらわなくても良い。


 でも、ここは念には念を入れておきたい。

 僕は『どうか言霊が発されますように』と祈りながら、恋花さんに提案した。


 「確かに、『はただのほくろ』で、『恋花さんの健康には何の問題もありません』。でも、どうしても心配になってしまうんです……どうか今度、一緒に美容皮膚科に行きませんか?」

 「……うん、わかったわ。ありがとうね、えいちゃん。私のこと、そんなに心配してくれて」


 『ピコン!』とSEが鳴り、僕の唇に彼女の唇が重なる。

 「初めてのデートだね」とはにかむ恋花さんがあまりにも愛おしすぎて、抱きしめずにはいられなかった。


 しかし、今の僕の身長では、抱きつくのが精一杯。

 抱きしめたいのに、抱きしめられない。


 それがもどかしくて、もどかしくて。

 僕は、早く中学生になりたいと思った。


 成長期に入って身長が伸びれば、ほぼ同年代に見えるはず――。


 (ん? 中学生になる?)


 ふと、先ほど恋花さんが『えいちゃん、早く中学生になって……』と言ってくれたことを思い出す。


 (えっ、あれって、そういう意味!? もしかして、両想い!? 両想いなの!?)


 ヤバい、期待に心臓が高鳴る。高鳴りすぎて破裂してしまいそうだ。

 胸の鼓動をなんとか抑えながら、あの言葉の意味を訊いてみようと、慎重に言葉を紡ぐ。


 「そういえば恋花さん、さっき、僕に『早く中学生になって』って言いましたね? それって、どういう――」

 「お、お願いだから、それは忘れて……」


 真っ赤になって、毛布を引っ張って顔を隠す恋花さん。

 正直、ものすごく気にはなったのだが、愛おしい恋花さんからのお願いだ。


 彼女の願いなら、何でも叶えてあげたい。

 僕は思考を放棄し、忘れることにした。


***


 翌日。

 僕は恋花さんと妹とともに、電車に乗って遠くの美容皮膚科を訪れた。


 レーザーで背中のほくろを跡形もなくきれいに除去してもらった後。

 久しぶりのお出かけを楽しもうと、僕たちは三人で手をつないで、駅から少し離れた公園へ向かった。


 ネットの口コミによると、正式な名前は別にあるものの、近所の人たちには『夜桜公園』と呼ばれていて、すごい大きな桜の木が有名らしい。


 桜が咲くにはまだ早いが、池や遊具などもあって、子供たちも楽しめると書いてあったので、帰り道にちょっと寄り道することにしたのだった。


 「愛ちゃん、大丈夫? 疲れてない?」

 「ううん、愛、体内で神影を循環させてるから、まだ平気だよ!」

 「えっ、神影使ってんの!? ってことは、極神影流に入門したってこと? いつの間に?」


 驚いて訊くと、恋花さんが答えた。


 「一昨日からよ。私とは違って、あいちゃんには神影が宿らないと思ってたんだけれど、急に目覚めちゃったみたい」


 なるほど……神影って、3歳児でも使えるものだったんだ。

 ってか、体内で循環させてるからまだ平気って、マジで神影って一体何なの?


 本当に、出来ることなら極神影流の創始者に一度会ってみたかった。

 永遠に解けないであろう疑問を抱えたまま、公園の入り口に足を踏み入れる――。


 その途端、何の前触れもなく、『世界』が一変した。


 真昼の太陽が跡形もなく消え去り、満月の夜へと変わる。

 目の前に現れたのは、月明かりに照らされる一本の巨大な桜の木。


 無数の桜の花びらが風に舞い、静寂な闇の中で吹雪の如く散っていく。

 ふと、『夜桜』という言葉が頭をよぎった。


 目の前の夢幻的な景色とは違って、まるで世界が停止したかのような、不思議な感覚に包まれる。

 大昔、時神と契約を交わした時にも味わった感覚。


 ということは、ここはまさか――、


 「神域しんいき……?」

 「肯定。ここは『神域・おう』。私の世界」

 「!!」


 唐突に聞こえてきた声に驚いて視線を向けると、桜の木の下に、いつの間にか一人の少女が立っていた。


 見た目は恋花さんより若干下くらいだろうか。

 腰まで伸びた長い髪は、やや青みがかった桃色に染まっており、月光を浴びて輝く桜の花びらを思わせる。

 前髪は細い眉毛の少し下で真っ直ぐにカットされ、少女の優雅な顔立ちを一層際立たせている。


 しかし、彼女の服装は優雅とは全くかけ離れていた。


 その身に纏っているのは、非常に丈の短いエナメルドレス。

 黒い光沢を帯びたその衣服は、少女の身体にぴったりと密着し、控えめな胸からしなやかな腰、引き締まった骨盤へと続く滑らかなボディラインを惜しみなくさらけ出している。


 可憐な両腕には二の腕までを覆う黒いエナメル生地のロンググローブ、

 すらっとした脚には同生地のオーバーニー、

 細い手首と足首は、それぞれ手枷と足枷でしっかりと拘束されている。


 更に、丈夫そうな黒いレザーベルトが、ふくらはぎから太もも、腰、胸下と二の腕、そして首に至るまで、身体の各部位をきつく締め付けている。


 桜色の瞳で虚ろに僕を眺めながら、少女は淡々とした声で言った。


 「千年もの間。私を満たしてくれる神様を待ち続け、初めて貴方という神様に出会えた。私は望む。私と貴方、二人だけの永遠を。どうか――」


 『お願い、私の主神ご主人様になって』


 ……はい?



――――――――――――――



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