第9話 お兄ちゃん、結婚しよ?

 (……やっぱどう考えてもおかしいや)

 

 ここ一週間の出来事を振り返った後。

 庭で鍛錬を行っているれんさんの姿を見て、僕はそう思わずにはいられなった。

 

 現在、恋花さんはちょうど手刀で『木人』の首をすっぱりと刎ねているところだった。

 木人とは、きょくしんえいりゅうの修練のために庭に設置している人型の訓練道具で、いわゆるカカシみたいな奴である。


 でもあの木人、実は鉄で出来てるんだよなぁ。

 それってもう鉄人なんじゃね? いや、それもちょっと違うか。

 

 神威かむいで強化した動体視力で確認してみたところ、首の切断面は驚くほど滑らかだった。

 あまりにも滑らかすぎて、一瞬鏡かと思った。


 『鉄をバターみたいに切る』という表現がよく使われるが、実際にバターを切ってみても、あんなあっさりとは切れないはずだ。

 だって、手刀だもんな。マジで凄すぎる。

 

 そういえば、今朝、恋花さんは言った。


 「えいちゃんのおかげで、ついにきょくしんの領域に到達できたわ。これでやっとしんえいを具現化できそう。ちょっと試してくるね!」

 

 確かに、肉眼には見えないが、恋花さんはなんか神威みたいなのを纏っている。

 でもあれは神威じゃないんだよな。神の威光も感じられないし。

 ってことは、あれがあの『神影』って奴か。


 ……。


 うん、見ててもわけわかんないや。

 分かったのは、予想以上の威力に驚いている恋花さんも可愛くて綺麗で美しくて愛しくて尊いってことだけだった。


 マジで神影って一体何なの?

 極神影流って凄いなぁ。出来ることなら、創始者に一度会ってみたいものだ。

 古流武術なんだから、もうとっくに亡くなってるんだろうけれど。

 

 とにかく、前生でも恋花さんは普通に無双していたものの、決して手刀で木人(鉄)の首を切り落とすほどではなかったはずだ。

 もうおかしいとしか言いようがない。

 

 おかしいと言えば、妹の様子もおかしい。

 数日前に突然天才になった妹は、ついに英語をマスターし、今朝には普通にイギリスのニュースを見ていた。

 

 隣でざっと聴いたところ、

『【訃報】ゴダジェント財団理事長 ユリ・ゴダジェント氏逝去』って旨のタイトルで、

 その莫大な遺産の相続人になる条件は『彼の遺伝子を引き継ぐ子供の中で最も優秀な者』という。

 

 ゴダジェント財団って、確か前前生で妹の身柄を引き取ってくれた財団だよな。

 その後、妹はどうなったんだろう。


 「むう、お兄ちゃん、また他の女のこと考えてる」

 「いや、僕は愛ちゃんのこと考えてたよ?」

 「ジィ――――――」


 あれ? 信じてもらえてない……?


 「それはそうと、お兄ちゃん、資金と持参金って、多いほど良いよね?」

 「? うん、もちろんそうだけど、急にどうしたの?」

 「ううん、何でもないよ」


 妹は「ちょっとパソコン借りるね」と言ってゴダジェント財団のホームページにアクセスすると、やたら長い訃報のお知らせを読んで少し考え込んだ後、アドレスバーに謎のURLを入力した。

 あのお知らせにはURLなんて書いてなかったのに、一体何処で知ったんだろう。


 URL先にあったのは、パスワードの入力画面だった。

 そこで妹がまた謎のパスワードを入力すると、今度はIQテストみたいな奴が表示された。


 さくさくと問題を解き進め、あっという間に最終レベルをクリアし、謎のランキングで1位を獲得。

 僕は隣で見ていたが、妹の問題を解くスピードがあまりにも速すぎて、全然ついていけなかった。

 ……振り返ってみてもわけわかんないし、マジで凄すぎる。

 

 一般常識も知識も世の中の出来事も前生と何一つ変わっていないのに、どうして恋花さんと妹だけこんなにも違うんだろう。

 とてつもない違和感を抱えたまま、本日の取引を終える。

 すると、隣で大人しく読書に耽っていた妹が、本を抱えてトテトテと庭へ向かった。

 

 偶然目に入ったタイトルは『私とあいつの幸せな結婚生活』。

 昨日妹に頼まれて通販で注文した奴だった。


 そういえば、あのくらいの厚さの本なら、今の妹なら5分で読み終わるはずなのに、今日はずっとあの本ばかり読んでたな。

 何十回も読み返すほど面白いのだろうか? 僕も後で読んでみよう。


 次々とネットでニュースをチェックし、魂に刻印されている記憶と照らし合わせていると、しばらくして、妹が片手に本を持って走ってきた。

 

 「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

 「ん? どうしたの、愛ちゃん? そんな走って」


 元気なのは良いけれど、転んで怪我をしないか心配でならない。


 「あのね、愛ね、おままごとしたいの! だから、お兄ちゃん、一緒におままごとしよ~?」

 

 なるほど、そういうことか。

 確かに、妹は普段参考書とか六法全書とか英文記事などを読んでるからつい忘れがちだけど、まだ3歳児。

 おままごとに興味を持つ年齢だった。


 子供らしい純真無垢な姿に微笑ましくなって、僕は迷わず即答した。


 「良いよ。誘ってくれてありがとね、愛ちゃん! どんな役をやりたいんだい?」

 「ん~とね、愛はお嫁さん役で、お兄ちゃんは旦那さん役!」


 ふむふむ、そう来たか。

 どうやら例の本を読んで興味を持ったらしい。


 まあ、可愛い妹の頼みだ。なり切って見せる!


 でも旦那さん役って、何をすればいいんだろう。

 そういった経験がない僕は、前前生でプレイしたエロゲのシーンを参考にすることにした。


 あいを優しく抱きしめて、耳を甘噛みして、耳元で囁く。


 「なあ、愛花、今日の晩御飯どうしたい?」

 「ふぇっ!?」


 なぜか耳を真っ赤にして固まる愛花。


 「どうしたの、愛花?」

 「ナナナ、ナンデモナイヨ、AGE」


 あれ? なんかエセ外国人みたいな発音になってるぞ?


 愛花が落ち着くのを待ってから再び訊くと、「名前で呼ぶの6年間禁止!!」って言われてしまった。


 おかしいな。前生ではむしろ名前で呼ばないと怒られたのに。

 女の子って難しい。


 「お兄ちゃん、晩御飯のことより、もっと大事なことがあるんだよ?」

 「もっと大事なこと?」

 「うん、愛とお兄ちゃんはね、まだ婚姻届を出してないの」

 「そうだっけ?」

 「そーだよ。愛とお兄ちゃんは、両家の反対にあって駆け落ちしたんだから」


 えっ、なにその重い設定? おままごとってこんなもんだっけ?

 もっとこう、ほのぼのしたものだったんじゃ……。


 「だからね? 婚姻届、一緒に書こうね?」


 ハイライトが消えた瞳でおねだりしてくる妹が可憐で可愛いすぎてヤバすぎる。

 快く同意してエア婚姻届を作成しようとした瞬間――。


 「婚姻届なら用意しておいたわよ」


 と、恋花さんが書類と印鑑を持ってやって来た。


 『ちょっと本格的すぎじゃない?』と思いながらも、婚姻届に名前を書いて印鑑を押す。

 続いて妹も名前を書いて印鑑を押すと、恋花さんに提出した。


 「じゃあママ、これ、預かってて」

 「ふふふ。ママに任せて!」


 書類を持って部屋に戻る恋花さん。

 なるほど、恋花さんは役所の人役か。


 子供たちのお遊びにしては凝りすぎている気もするが、獅子は兎を狩るにも全力を尽くすものだ。

 天才にはきっと天才にしか見えない景色があるに違いない。


 って、こう言うと、なんだかまるで僕が獅子に狩られる兎みたいに聞こえるな。

 そんなはずないのにね、はははっ!


 あれこれ考えていると、恋花さんが戻ってきた。


 「これで役所の人役は終わり! えいちゃん、私も混ぜてもらえるかしら?」

 「もちろん良いですよ。恋花さんはどんな役をやりたいですか?」

 「そうだわね。じゃあ、わ・た・し・は~、えいちゃんのペット役、ってことで」

 「何言ってんの!?」


 恋花さん、愛ちゃんの前でマジで何言ってんの!?


 「あら、どうしたのかしら、えいちゃん? そんなに驚いちゃって」


 きょとんとした顔をする恋花さん。

 僕はハッと我に返った。


 確かに、これは6歳児と3歳児のおままごと。

 ペット役がいてもおかしくない。むしろ、それをおかしいと思う奴がおかしい。

 うん、そうに決まってる!


 全く、ビックリしたよ。

 まあ、恋花さん、結構天然なところあるんだからな。


 何とか平静を取り戻し、再び恋花さんに訊く。


 「な、何でもないです。そんで、恋花さんは、どんなペット役をご所望で……?」

 「えいちゃんは、ペットにするなら、犬と猫と狐と豚と、どっちが良い?」

 「何なのそのラインナップ!?」

 「だって、普通の幸せな家庭なら、犬か猫か狐か豚一匹くらい飼ってるもんでしょ?」

 「犬と猫はともかく、狐と豚は普通の家庭では飼いません! それにその家庭、絶対幸せじゃない気がする!」


 なぜか『牝』のつくヤバいワードとか、『泥棒猫』という言葉が頭に浮かんできた。


 「そうなのかしら? じゃあ、犬と猫の中で選んで?」

 「なら、犬でお願いします」

 「わんわん♡」

 「グハッ!? か、可愛すぎる……ッ!!!」


 顔も表情も声も仕草も何もかも可愛すぎて心臓が痛い。

 しかも恋花さん、どう見ても女子高生にしか見えないからな。

 こうかは ばつぐんだ!


 「…ママ……?」

 「ふふふ、ごめんね、あいちゃん。でも安心して。ママ、ちゃんと覚えてるからね。ほら、あいちゃんも来て」


 恋花さんは妹を抱き寄せてホールドすると、「けどね、あいちゃん」と囁いた。


 「今のママは、ネコちゃんじゃなくてワンちゃんだからね?」

 「あああ愛、何も言ってないよー?」

 「そうだわね、言ってはないわね。うふふふふふ」


 恋花さんの腕の中でカタカタと震える妹。

 何だか、世界が「妹の味方をしろ!」と強く警告を発しているような気がして、僕は恋花さんの腕から愛花を救い出した。


 そんな他愛のないやり取りはあったが、その後。

 僕たちはしばらくの間、三人で仲良くおままごとを楽しんだのだった。


 そして、夕方。

 おままごとのことを振り返った妹が、天真爛漫な笑みを浮かべて僕に告白してきた。


 「えへへ、おままごと楽しかったな~。愛ね、16歳になったら、おままごとじゃなくて、お兄ちゃんと本当に結婚したい! ねぇねぇ、お兄ちゃん、結婚しよ?」


 幼い子供がよく言うアレだ。「パパ(ママ)と結婚したい」って奴だ。

 真剣に受け入れるべきではない。


 でも軽率に言って妹を傷つけたくはない。

 どう答えるべきだろうか。


 ……。


 よし、ここはうまく受け流すか。

 こういう子供の頃の感情なんて、思春期になればどうせ変わるだろうし。


 実際に、前生でも妹は幼い頃、「お兄ちゃんと結婚したい!」とよく言ってくれたのだが、高学年になるとそんなことは一切言わなくなった。

 それどころか、中学生になってからは反抗期に入って、お兄ちゃんとも呼んでくれなくなってしまったんだよな。

 まあ、反抗期の妹も可愛かったけれど。


 というわけで、僕は微笑みながら妹に答えた。


 「愛ちゃんが中学生になっても気持ちが変わらなかったら、その時は愛ちゃんの想いに応えるよ」


 ほら、簡単だろ。誰も傷つかない世界の完成だ!

 因みに、僕自身も傷ついてない。


 「じゃあ、もっと好きになったら? もっとずっと愛するようになったら?」

 「え?」

 「愛がお兄ちゃんのことを今よりもずっとずっと好きになったら、愛の気持ちは変わったことになるんだけど、もちろん愛と結婚してくれるよね?」


 ハイライトが消えた瞳で僕をじっと見つめながら、そう確認してくる妹。

 確かに、もっと好きになったからって「いや、気持ち変わってるし」と断るのも酷い話だ。

 あんな最悪の断り方をされたら、妹は深く傷ついてしまうだろう。


 そもそも気持ちってのは、その日の出来事や体調やホルモンバランスなどによって変わるもんだし、全く同じ気持ちってのはあり得ない。

 「数年後になっても今と気持ちが変わらなかったら」って、もはや断る前提で言ってるのと同然だ。


 そんなことが出来る奴って、詐欺師かときがみくらいだろう。

 って、どっちも同じ奴であった。


 当然ながら、僕は妹を傷つけるつもりで言ったわけではないので、迷わず断言した。


 「もちろん、その時もだよ。愛ちゃんが中学生になっても僕と結婚したいと本当に思ってくれるなら、僕は愛ちゃんの想いに応えるよ」と。


 すると、妹は「お兄ちゃん、ありがと! 大好き! 約束したんだからね!」と、泣きながら凄い喜んだ。

 話を聞いていた恋花さんも、「あら、良かったわね、あいちゃん」と凄い喜んだ。

 神Pが200Pも増えたので、僕も凄い喜んだ。


 それにしても、妹にここまで結婚への興味を持たせるとは。

 益々あの本の内容が気になってきたぞ! きっと世紀の名作に違いない。


 期待に胸を躍らせて、僕は妹から本を借りた。

 そうやって読んでみたそれは、驚くほどクソつまらなかった。


***


 無邪気な子供を演じきったことで、神田愛花は大好きなお兄ちゃんから結婚の確約を取ることに成功した。


 約束の日は、神田愛花が中学生になった時。

 妹は現在3歳だから、9年先の話になる――。


 ――と、神田永時は思っていたが、神田愛花に9年も待つつもりはない。

 この世界において、日本では、各学校種の中での飛び級が認められている。


 飛び級制度を利用して、入学と同時にお兄ちゃんと同じ学年で同じクラスになる。

 そうやって、一緒に中学に進学して、お兄ちゃんに告白する。


 だから、約束の日は6年後。9歳になって、12歳のお兄ちゃんと結ばれる。

 但し、結婚可能な年齢は16歳なので、まずは婚約といった形になるだろう。


 そして、その時には――、


 (の遺産を巡った争いも、ちょうど終わるんだろなー)


 本来、精子提供によって生まれた子供は、精子提供者ドナーの情報を一切得ることが出来ない。

 しかし、神田愛花は、今朝亡くなったユリ・ゴダジェントが自分の生物学上の父親であることを、既に特定していた。


 昔ママから聴いて無意識に残っていた、『あいちゃんのパパは海外の優秀な科学者よ』という情報。

 自分が生まれる約1年前にユリ・ゴダジェントによって設立された精子バンクと、彼の研究分野と研究業績。


 それに加えて、銀髪と灰色の瞳といった外見的な特徴まで。

 これだけ情報が揃っていれば、特定出来ない方が難しい。


 神田愛花は想起する。次のテストの開催時期は1年後であることを。

 神田永時は気づかなかったが、あのテストには、次のテストの開催予定に関する情報が各問題に分散して隠されていたのだ。


 これからもランキング1位を維持し続けて、一生働かなくても良いくらいの莫大な資金を手に入れてみせる。

 そして、それを全部お兄ちゃんに貢いで、お兄ちゃんに喜んでもらって、お兄ちゃんにもっともっと愛される!


 (愛、お兄ちゃんのために頑張るからね!)


 幸せな未来を思い描きながら、幼い少女はハイライトが消えた瞳で愛するお兄ちゃんをいつまでもじっと見つめ続けた。

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