第5話 恋花さんの愛が重すぎる

 れんさんと妹と一緒に暮らし始めてから一週間が経った。

 その間、僕はずっととてつもない違和感を抱え続けていた。


 とにかく二人の様子がどうもおかしい。

 モニターに映る株価の変動をチェックしながら、僕はここに至るまでの経緯を振り返ってみた。


***


 それはあいと仲直りした日の夜のことだった。

 べたついて離れてくれない妹を何とか寝かせた後。僕は居間で恋花さんに腕の火傷の手当てを受けていた。


 「うん、これなら痕は残らなさそうね。本当に良かった……」


 患部に軟膏を塗りながら、恋花さんがほっと胸を撫で下ろす。

 本来ならそれなりに重症になるはずの火傷が軽くて済んだのは、身に宿っている神威かむいのおかげだった。


 神威とは、神の威光である。

 神格しんかくが上がったことで解禁されたその力は、身体能力全般を強化し、自然治癒力を底上げするなど、色々と役立っている。


 普段はパッシブスキルとして機能しており、普通の人間には感知されないが、解き放てば認知させることも出来る。

 まあ、大変なことになるから、解き放つつもりはないけど。


 神威の何よりの良さは、力の行使こうしに神Pを消費しないことだ。

 燃費が悪すぎる権能ばかり持っている身としては、実に有難い能力である。


 但し、何事にもメリットがあればデメリットもある。

 神威の唯一にして最大のデメリット、それは、最大寿命が延びてしまうことだ。

 通常の場合、最大寿命が延びるのは祝福であろうが、時の神の僕にとっては呪いでしかない。


 「それにしても、酷い火傷……。ごめんね、えいちゃん。私がもっと早く連絡していれば、こんなことには……」


 俯いてそう呟く恋花さんの声には、深い悲しみと自責の念が滲んでいた。

 しかし、彼女が謝ることなんて何一つもない。

 この程度の火傷はほっとけばそのうち治るし、元々火傷したこと自体、完全に自分のせいなのだ。


 神になって嘘をつけなくなった僕は、事実を伝えた。


 「これは恋花さんのせいじゃないので、そんな顔しないでください。むしろ、恋花さんには感謝しかないですよ。だから、自分を責めないでください」

 「……そう言ってくれて、ありがとう」


 恋花さんからまた大量の神Pが贈られる。

 うん、やっぱり何事も素直が一番だ。


 それからしばらくの間、穏やかな時間が続いた。

 丁寧に包帯の交換を終えた恋花さんが、ふと思いついたように口を開いた。


 「あ、そういえばえいちゃん、なんかやってほしいこととかある?」

 「やってほしいこと、ですか」


 やってほしいことというか、やりたいことはある。

 けれど、それは6歳児がお願いするにはあまりにも不自然で、決してこの場で衝動的に口にすべきものではない。

 ちゃんと計画を立てて、さりげなく誘導しないと――と、頭の中では分かっていた。


 「そうそう、遠慮しないで言って! えいちゃんのためなら私、何でもやるから!」

 

 分かってはいたのだが、恋花さんにキラキラと期待の眼差しを向けられると、隠すことなんて不可能になって、


 「僕、株式投資をやってみたいです」

 「え?」

 

 気付いたら、口が勝手に動いていた。

 ……しまった、ついやらかしてしまった。

 恋花さんの顔に困惑の色が広がる。


 「ええと、えいちゃん? 株式投資って何なのか、知ってるの?」


 当然の反応。こうなってしまった以上、何とか許可を得るしかない。

 僕は株式投資について知っている限りのことを誠心誠意説明した。

 

 「…というわけで、投資は余裕資金の一部で行うのが望ましく、初期資金として5万円以上からスタートしたいと――」

 

 そうやって説明を終えた後。

 恐る恐る許可を請うと、恋花さんは何処かうっとりとした表情で頷いた。


 「私は株式投資にはあまり詳しくないけれど、とりあえずわかったわ。じゃあ、先ずは証券口座を作らなきゃだね」

 

 こうして、二日後。予定よりもかなり早い段階で、僕は念願の口座開設に成功した。

 因みに名義人は恋花さんになっている。未成年には色々と制限があるからね。

 

 「えいちゃんのために入れておいたわ。全部失っても構わないから、自由に使って」


 そう言われて渡された取引用の口座には、なんと200万近くも入っていた。

 あれ? これ、ちょっと大きすぎない?

 うちの余裕資金って、こんなにあったっけ?


 「家の余裕資金って、こんなにあったんですね」

 「ふふふ、何言ってるの、えいちゃん。それ、家の全財産よ」

 「えっ!?」

 

 恋花さんこそ何言ってんの!?

 

 「いやいや、僕、言いましたよね? 投資は余裕資金の一部で行うのが望ましいって」

 「えいちゃんが管理すれば良いじゃない」

 「ダメですよ、子供にこんな大金任せちゃ! 僕が全部無くしちゃったらどうするんですか!」

 「大丈夫! それでえいちゃんに楽しんでもらえるなら、何も惜しくないわ。だから気にしないで、好きなだけ使って!」


 ホストに貢ぐ女みたいなことを言ってる!?


 「来月にお金が入ったら、それも全部あげるね。もしそれで足りなかったら、臓器も売るわ」

 「何言ってんの!?」


 恋花さん、マジで何言ってんの!?

 

 「えいちゃん、わかってないわね。そんなえいちゃんに、良いこと教えてあげる」

 「良いこと……?」


 なぜだろう。ものすごく嫌な予感がする。

 不安な目で見上げると、恋花さんは意味深な笑みを浮かべて僕の耳元に囁いた。


 「私の腎臓じんぞうはね、二つもあるのよ?」

 「それは誰にだって二つありますよ! それだったら僕のを売ってください!」

 「は? えいちゃんのかわいい腎臓を売るなんて、絶対ダメッ!! そんなの、絶対許さないわッ!!」

 「恋花さんのだってかわいいし絶対売っちゃダメですからね!」


 あれ? 勢いでついツッコんじゃったけど、腎臓ってかわいいものだっけ?

 僕はいつからそう思ってたんだろう? そして、なんで今ので神Pが増えたの?


 そんな疑問を抱えていると、恋花さんが顔を赤らめて照れ臭そうに言った。


 「ふふふ、ごめんね。えいちゃんの反応が可愛くてつい冗談が過ぎちゃったわ」

 「心臓に悪い冗談はやめてください……」

 「でも、完全に冗談ってわけでもないんだけどね。私、えいちゃんのためなら内臓を全部差し出しても惜しくないし、えいちゃんの腎臓はかわいいって心からそう思ってるの」


 恋花さんの愛が重すぎる……。まあ、そこが良いのだが。

 それはそうと、腎臓がかわいいって言ったのは冗談じゃなかったんだ。


 「腎臓って、かわいいものですかね」

 「他の人のはグロいだけだけど、えいちゃんのは特別よ。だって、えいちゃんの一部なんだもん」


 恋花さんは蕩けきった表情を浮かべ、僕の顔に指をそっと滑らせた。


 「腎臓だけじゃないわ。見えないものを見透かしているようなこの綺麗な瞳も、常に事実だけを伝えるこの素敵なお口も、ほのかに輝いているようなこの美しいお肌も、全てかわいくて尊い」

 「ありがとうございます。恋花さんもすごく綺麗で美人で可愛くて尊いと思います」

 「……えいちゃん、やっぱり私の腎臓、あげよっか?」

 「急に何で!?」

 「だって、お金は全部あげちゃったし、これ以上えいちゃんにあげられるものって、もう臓器とファーストキスと処女と身体と命と魂ぐらいしか――」


 何もかも重い!


 「もっと自分の臓器とファーストキスと処女と身体と命と魂を大事にしてください! ってか、処女ってどういうこと!?」

 「あら、まさかそこを突っ込むとは、流石はえいちゃん、おマセちゃんね。この前、私って色々と結構強いって言ったでしょ? 貞操観念も結構強いのよ」


 恋花さんは僕を抱き締めると、僕の耳に顔を寄せて、そっと囁いた。


 「あいちゃんを生んだ時も、精子バンクと体外受精と代理母を利用したわけだし」

 「!?」


 あまりにも衝撃的な真実に、僕は絶句した。

 もはや貞操観念が強いってレベルじゃない。


 確かに、精子提供者ドナーは法的に子供に対する親権や義務を持たず、父親とは見なされない。

 また、提供者と受精者が夫婦になることもない。


 それなら、恋花さんと妹の苗字が神田かんだであることも、妹の父親が一度も姿を見せなかったことも、全部理解できる。

 妹には遺伝的な父親はいても、法律上の父親は存在しないのだ。


 こんなの、幼い妹が知ったらショックを受けかねない。

 愛ちゃんが昼寝中で本当に良かった。


 「というわけで、私としてはもう十分すぎるくらい純潔を大事にしてるつもりだったんだけれど、それでもまだ足りないって言うのかしら?」

 「いえとんでもございません」

 「でしょ? ちなみに、身体だって毎日きょくしんえいりゅうで鍛えているからね。それを全てえいちゃんに差し出してもいいって、私は本当にそう思ってるの。それに比べたら、家の全財産なんて全然大したことないんだから、遠慮しないで自由に使っちゃって良いわよ」


 そういえば、途中で盛大に脱線してしまったけれど、もともとその話をしていたのだった。


 「ふふふ。えいちゃんがこれから何をして、どう成長するか、とっても楽しみだわ」


 そう微笑みながら至近距離で僕を見つめる恋花さんの眼差しは、とても優しく、どこまでもまっすぐで。


 『この優しい女性めがみの笑顔を何があっても守っていきたい』


 心からそう願い、僕は真剣な顔で恋花さんを見返しながら、全身全霊で言霊ことだまを放った。


 「……分かりました。絶対無駄にしませんから、僕を信じて待っててください。神の名に懸けて、これから世界が崩壊するその瞬間まで、僕は生涯恋花さんの幸せを守り続け、一生苦労させないと誓います」

 「―――ッ!!」


 『ピコン!』『ピコン!』とSEが絶え間なく鳴り響き、神Pが100Pも贈られる。

 息を呑んで硬直する恋花さんをじっと見つめながら、僕は考え込んだ。


 幸いに、無事に最後まで言霊を放つことが出来た。

 これはすなわち、この時点で恋花さんが一生苦労せず幸せになることが確定されたというこどだ。


 とはいえ、安心はできない。

 神の言葉は常に事実であるが、事実が常に真実とは限らないからだ。


 もし恋花さんが僕のために臓器を売ることになってしまったとしても。

 彼女がそれを幸せだと感じ、苦労とは思わないなら、それは事実となる。


 無論、言霊は現実を確定させるだけで、ないものを現実にする力はない。

 つまり、現実を改変したり、催眠アプリみたいに対象の人格を変えたり、思考を操ったりすることはできないってことだ。

 仮にそんなことをしようとしても、言霊は発されないまま終わるのみ。


 だから、かの有名な『猿の手』の話のように、僕の放った言霊が原因で恋花さんの人格や性格が変わって、結果的に不幸になるなんてことは、絶対にあり得ないことだが……。

 先ほどの恋花さんの言動を考えると、たとえ僕のせいで不幸になったとしても、それすら幸せだと感じてしまうのではないかと、どうしても不安が募ってしまう。


 (……恋花さんを不幸になんてさせない。絶対守る。必ず、一生守り続ける!)


 そう覚悟を決めていると、石化から解けた恋花さんが、何処か懇願するような眼差しで僕を見つめた。


 「えいちゃん、本気? その言葉の意味、ちゃんとわかって本気で言ってるの?」

 「はい、僕は本気で一生恋花さんを守り続ける覚悟です」

 「……私、結構盲目なところあるんだけど、こんな私でも、本当に良いの……?」


 ? 恋花さんは何をあんなに不安がっているのだろう?

 僕は恋花さんを安心させるため、真剣な顔で言霊を放った。


 「恋花さんだからこそ良いんです」

 「はうっ! で、でも、私は歳も離れてるし、叔母さんなのよ? えいちゃんと、結婚もできないのよ……?」

 「恋花さんは全然若いし、僕は恋花さんのことをおばさんだなんて思ったこと一度もありません。それに、恋花さんを幸せにするのに結婚とか、そんな些細なことは関係ないと思いますよ?」

 「!! ……そうね。幸せの形は一つだけじゃないもんね。うん、えいちゃんの気持ちと覚悟はもう十分伝わったわ。えいちゃんが良いなら、私もそれで良いよ。どうか、永遠にあなたのそばにいさせて」

 「はい、喜んで」

 「あぁ……! ありがとう……!」


 また100Pも贈られた、死ぬほど嬉しい!

 嬉しすぎて、自然と笑みがこぼれた。


 恋花さんも恍惚とした表情を浮かべて喜んでいる。

 光が消えた瞳が実に美しすぎてたまらない。


 恋花さんは「あいちゃんには悪いけど、少しだけ譲ってもらおうかしら」と呟くと、


 「でもね、えいちゃん、えいちゃんは一生苦労させないって言ってくれたけれど、私はえいちゃんとなら一緒に苦労しても幸せなのよ? だから、辛い時は無理して一人で抱え込まないで、いつでも私に頼ってね? そして、私はえいちゃんのこと、いつまでも信じてるから。だから――」


 『不束者ふつつかものですが、末永すえながくよろしくお願いいたします』


 そう言って、僕の唇に口付けた。

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