第4講義: コヤニスカッツィ(1982、ゴッドフリー・レッジオ、自主制作、1時間27分)

 いまアマプラで配信してる『ツインピークス(1990)』を、久しぶりに観返しています。映画『最後の7日間(1992)』も並んで鑑賞しました。あの熱狂はいったいなんだったのか、当時ツインピークスにドハマりしたわたし自身、自分を振り返ってみました。

 誰が殺したとか犯人は誰かとか、そういうありきたりな推理ものとは無関係なことを思い出しました。今日殺した犯人が翌日殺されるとか、迷宮入りしていく摩訶不思議な展開だったことを、いまツインピークスを観ながら記憶が蘇っていきます。まさに不思議な感覚です。

 赤いカーテン、赤い部屋。赤いスーツを着て踊る小人の男、バンド入りで歌っている若い女性が突然フランケンシュタインのような怪物になっていた悪夢的なシーンは『ブルー・ベルベット(1986)』と同じような演出です。

 所見との違いは、架空ではありますが舞台の違いでした。このドラマは黒人が登場しないばかりか、その代わりアメリカ先住民が幾人か登場します。雪が降ったり森が広かったりして、カナダの国境に近いと思います。

 カナダはアメリカ先住民が追い込まれた土地でした。そしてアメリカは、広大な土地を開拓するためにアフリカから黒人を移住させ、奴隷として強制労働させたのです。アメリカは、そういう呪いの積もった黒歴史がたくさんありますし、後で触れますが、日本の黒歴史もたくさんあります。

 カナダは、先住民が持っていた精神的に発達した文化があります。たとえば呪術。たとえば怨念。たとえばタバコ。現在はアメリカ人ですが、ふとしたときに過去の先住民が乗り移って暴力を振るい、殺人するシーンもあります。『マルホランド・ドライブ(2001)』にも酷似したシーンがあります。デヴィッド・リンチのお家芸ともいえますね。カナダ近くの舞台でアメリカ先住民の呪いを受けた奇妙な不審死事件が起こるのは、千年の都・京都で陰陽師と魑魅魍魎が闘う摩訶不思議物語のようです。ちょっと違うか。

 ですが、デヴィッド・リンチって天才! と思わないでください。確かにリンチは天才的映画監督ですが、いまから上映する『コヤニスカッツィ』を観るとピン、ときます。くる人はきますが、こない人は永遠にこないでしょう。これは差別ではありません。生まれつき霊感の鋭い(わたし的には「直感が鋭い」といいます)人がいますが、訓練して霊感を会得した人はいないでしょう。スポーツじゃないんですから。

「コヤニスカッツィ」とは、ホピ族の言葉で「常軌を逸し、混乱した生活。平衡を失った世界」の意味です。作中に映し出される現代人の生活様式への言及で、アメリカ先住民の残した織物の柄と、どこかの街の区画がそっくりでした。ホピ族の言葉は、預言のようでもあり、黙示録のようでもありました。

 このドキュメンタリーは、アメリカの現在をできる限り撮影してアーカイブ保存してやろうとする監督の意欲を感じます。現代音楽家のフィリップ・グラスのミニマル・ミュージックも、映像と相まって素晴らしく感じました。監賞中のわたしは、どうやって撮影してるの? とつねに不思議でした。流れるような車のライトが、まるでわたしたち人間の血管のように見えるのでした。

 この映画を知ったのは細野晴臣のCDからです。曲のタイトルは『サヨコスカッツィ』とあり、「コヤニスカッツィからタイトルをもらった」とライナー・ノーツに書いてありました。ちなみに細野晴臣はパクりなんかしてません。細野さんの名誉にかけて、そう断言します。

『ツインピークス』がテレビで公開されたのが1990年、『シャイニング』の公開が1980年、そして『コヤニスカッツィ』が公開されたのが1982年。制作期間から見ても、これは明らかにパクられています。パクりネタは「駆逐されたアメリカ先住民の呪い」です。

 今回はさほど脱線しなかったかと思われますが、そうは問屋が卸しません。脱線の脱線は必須です。リンチには『DUNEデューン 砂の惑星(1984)』といった“駄作”が存在します。これはアレハンドロ・ホドロフスキーが分厚い企画書と絵コンテをハリウッドに持ち込みながらどの制作会社もボツにされ、代わりに企画書をバラバラに引き裂いて、それぞれ『スター・ウォーズ(1977)』、『DUNEデューン 砂の惑星(1984)』、『エイリアン(1979)』にパクらせたのです。おのおのの監督にとっては迷惑な話ではありますが、このうえない“美味しい”話でもありますよね。

『ホドロフスキーのDUNE(2013)』を観ると、本人から語っています。スター・ウォーズは光る剣をモチーフにパクり、『DUNEデューン 砂の惑星』はタイトルそのままパクり、エイリアンは画家でありイラストレーターでもあるHRギーガーの、あの独特の造形デザインをパクっています。エイリアンの後頭部はペニスそっくりだと言われています。

 主役のハルコンネン男爵にオーソン・ウェルズ、銀河帝国の皇帝役にサルバドール・ダリ、絵コンテ・キャラクターデザインはジャン・ジロー、ファイド・ラウサ役にミック・ジャガー、御年95歳のホドロフスキーもそうですが、配役はすでに亡くなっているか、棺桶に足を突っ込んでおります。

 そしてリンチの『DUNEデューン 砂の惑星』がクソ詰まんないんです。おそらく『ブルー・ベルベット(1984)』や『ワイルド・アット・ハート(1990)』の制作目的でバーターをやったらしいんです。おっそろしいでしょ? アメリカって。

 スタンリー・キューブリックにも似たような疑惑がありました。ドキュメンタリー『room237(2012)』は『シャイニング(1980)』のなかに存在する謎を散りばめた作品です。『バリー・リンドン(1975)』で興行的に失敗したキューブリックがホラーという商業的なジャンルに初めて挑戦した『シャイニング』は、その後の多くのアーティストに影響を与えた名作として語り継がれていますが、いっぽうで、一般的には認知されていない謎があるんです。そうした謎の数々を、ジャーナリストや小説家、歴史学者など各界のキューブリック研究家が独自の「シャイニング」論を展開しつつ検証します。

 なかでもわたしが注目したのは、アメリカ政府からの依頼で、アポロ計画における月面着陸した映像を制作してもらいたい、とのエピソードがあったことです。

 第二次世界大戦後の1945年以降、戦争は終結したものの、資本主義・自由主義を掲げるアメリカと共産主義・社会主義を標榜するソ連は対立し、冷戦が続いていました。1955年に始まり1975年まで続いたベトナム戦争も、泥沼化したアメリカとソ連の代理戦争と言われています。その冷戦をさらに刺激した大きな出来事に「スプ―トニク・ショック」がありました。

 1957年、ソ連が世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げました。それまで自国が宇宙開発の最先端であると考えていたアメリカは、技術開発の遅れに国防の脅威を感じました。やがて冷戦の闘いは宇宙の覇権争いへと発展し、宇宙開発競争が勃発するでしょう。どうしたら技術開発でソ連に圧勝し、力を見せつけることができるのでしょうか? その答えがアメリカ人を月に送り地球に帰還させること、つまり「アポロ計画」だったのです。

 ベトナム戦争も進むなか、アポロ計画の勢いに拍車を掛けたジョン・F・ケネディ大統領の演説が二つあると言われています。第一に、1960年代までに有人月探査計画を実現することを宣言した、政府関係者に対する演説です。1961年5月25日、ケネディ大統領は予算獲得に本腰を入れるため、上下両院合同議会で「国家的緊急課題に関する特別議会演説」と題した演説を行いました。第二に、1962年9月12日に国民へ向けて行われた“We choose to go to the moon(我々は、月に行くことを決めました)”のくだりで有名な一般演説です。会場であるライス大学のライス・スタジアムは大歓声に包まれました。しかしその1年後、ケネディ大統領が暗殺されました。

 現在、フロリダ州にあるケネディ・スペース・センターの入り口には、ケネディ大統領の一般演説での言葉が引用されている碑が建っています。

 

“For the eyes of the world now look into space, to the moon and to the planets beyond, and we have vowed that we shall not see it governed by a hostile flag of conquest, but by a banner of freedom and peace.”


「世界が宇宙、月、そして遥かな惑星へとのぞむ今、私たちは宇宙が敵対的な征服の旗ではなく、自由と平和の旗印によって統治されることを誓います」


 アポロ計画の偉大さと本当の目的は、戦争や醜い闘いに向いていたエネルギーを別の方向に向けようとした、ケネディ大統領含め、多くの人の知恵と世界平和の希求にあったのかもしれません。

 さて、月面着陸の映像は残っているものの、本当にキューブリックが制作にかかわっているのか、これは確かに月面着陸なのか、アメリカは嘘をついているのではないか、という憶測はたくさんあります。

 リンチの話に戻ります。『マルホランド・ドライブ(2001)』はホラー中のホラーでした。なぜなら、人気上昇中の映画監督が、ある大物に「『あの娘がいい』と指示しろ。言うことをきかなかったらお前の人生めちゃくちゃになるぞ」と、さりげなく、静かに、仄めかされます。日本のヤクザ映画と真逆です。監督はそれが怖くて指示通りにします。これはリンチの実体験だとわたしは感じるのです。

 SNS詐欺にたとえると、詐欺犯罪には「指示犯」と「実行犯」がいます。得体の知れない大物は「指示犯」とされ、人気映画監督は「実行犯」とされますが、実行犯が逮捕され、指示犯はふたたび犯罪を犯すために雲隠れします。これが常套的手段です。ネット右翼もそうで、自民党がどの団体にどれだけ費用を支払ったのかはわかりませんが、見るからに低能の書き込みが多く見られました。

 いつか「天皇」と「謀反」あるいは「大逆」の話をしました。大江健三郎『政治少年死す』という小説が発禁にされました。本作の続編として、主人公の少年が革新政党の委員長を刺殺し、逮捕されて鑑別所で自死するまでを描いた『政治少年死す(「セヴンティーン 」第二部)』が「文學界」2月号に掲載されましたが、1961年2月1日に風流夢譚事件が起き、また「文學界」の版元である文藝春秋と大江に右翼団体から脅迫状が送られてきたことをうけて「文學界」3月号に編集長名で「謹告」と題される謝罪文が掲載されました。その後日本ではこの小説が読まれることはありませんでした。

 ところが、大江は日本よりヨーロッパに人気がある作家で、フランスやドイツ、オーストラリアに講演でちょくちょく呼ばれていました。『政治少年死す』のフランス版があっけなく出版されたので、日本の出版社も“しかたなく?”『大江健三郎全集』に編纂・出版しました。読んでみると、そう過激なわけでもないんですよね。

 では、『政治少年死す』のどの部分が、右翼の、元を正せば自民党の逆鱗に触れたのでしょうか。

 『政治少年死す』とは、浅沼稲次郎暗殺事件の犯人、山口二矢をモデルにしているとされています。政党代表放送で演説中の日本社会党の党首浅沼稲次郎を脇差様の刃物で殺害し、山口は逮捕され東京少年鑑別所内で縊死しました。話はこれだけなんですけど、右翼集団で天皇の肖像を拝むという不思議な儀式がありますが、その少年は頭空っぽなままで拝み、童貞喪失シーンが滑稽に描写され、右翼って無思想じゃん! 考えることはエロばっかじゃん! とわたしは呆れてしまいました。それもそのはず、「伝統」を最重視する右翼は、太平洋戦争の大日本運営の思考とまったく変わってないのです。これはダメ右翼だよマジで。

 

 さて、脱線から久しく戻って上映開始です。いままでわたしが話した内容はさっぱり頭に入ってこなかったという学生さんたち、何も気にすることはありません。いまあなたたちが記憶しているものごとは、必要があって記憶しているのですから。必要がなければ消去してくださってもかまいません。その代わり、あなたたちを必要としないものはあなたたちの存在も記憶も消去していいんですよね? 承知いたしました。


 いまわたしが言ったことに多少なりの衝撃を受けたみなさんは、後で「Koyaanisqatsi」「1982 full movie」でYouTubeに検索してください。おそらくフリー素材で視聴可能ですけど、逆再生のものもありますので、ちょっとしたトラップになるかと。そんなに手間はかかりませんが、実はニセモノを観ているかもしれません。みんなで観るかひとりで観るか友だち数人で観るか選択してください。わたしはいつも映画はひとりで観ます。


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