第19話 一夜明けて

 夜会から一夜明けたアークヴィーチェの邸宅は、とても穏やかな朝を迎えていた。

 窓からは使用人達の雑談や鳥の囀りが聞こえ、暖かい春の日差しの朝に、リオは筋肉痛に堪えながら、朝の準備を行う。

 入社日が明後日に迫るリオだったが、昨日、新しいサーバー『アストライア』を稼働させた為、問題が起きていないか様子を見に行きたいと思ったのだ。接続された直後は、かなり余裕があるように見えた『アストライア』だが、負荷テストがされておらず、どの程度のアクセスに耐えうるか未検証なのも不安がある。

 様子を見に行く為、リオが準備を整えていると今日もカナトの朝のティータイムの誘いがきたが、リオは使用人へ事情を話して出かけていった。



「また断られてしまった……」

「カナト様。私は本日、巡回があるのですが……」


 リオの代わりというように呼び出されたのはサクラだった。

 カナトがリオに出会う前、朝のこの時間はいつもカナトが一人で読書や情報誌などを読んで過ごしていたが、リオが現れてかと言うものその時間は座談会のようにもなり、充実していたからだ。

 好きなことを好きなだけリオに聞いてもらっていたカナトは、その楽しさが忘れられず、サクラを呼び出すようになってしまった。


「この屋敷の警備など、ただの散歩にも近いのでは?」

「それを仰られては、我々の存在価値がないのですが……」

「それはそうか、すまない」


 宮殿を構えるオウカ国。首都クランリリー領のオウカ町は、主に宮殿へと勤務する者達が住居を構えており、首都を守るクランリリー騎士団が常に目を光らせている。

 それはこのアークヴィーチェ邸の周辺にも及んでいる為、この邸宅に務める騎士達の仕事は、本当の意味でこの屋敷の敷地内のみしかないからだ。

 

「リオ様は、夜会を大変楽しんでおられました。カナト様の心配には及ばないとは思うのですが……」

「そうか。それは良かったが……」

「が……?」

「サクラ。リオはやはりエーデルワイス卿の方が良いのだろうか……」

「……え?」

「確かに、エーデルワイス卿はリオより年上で、私より知識が豊富で社交性もあり、顔が広く多くの貴族から信頼もあって社員思いの良き人物だが……」

「あ、あの……」


 大真面目に悩んでいる御曹司に、サクラはどう返答すれば良いか分からない。


「私も、精一杯努力をしているつもりだったが……」

「カナト様、ここで優先するべきはーー…」

「わかっている! 私は束縛はしない。でも誰かに聞いてもらわなければ、私もどうかしてしまいそうなんだ……」


 思わぬ心情の暴露に、サクラはしばらく呆然としていた。

 少しだけ頬を染めているカナトは、今まで抱いたことのなかった感情を得たことで戸惑い、どうすればいいのか分からないのだろう。

 18歳という大人と子供の間の時期に、突然押し寄せた新たな感情は何よりも特別なものだからだ。


「ふふ、お年頃ですね」

「揶揄うな! サクラ」

「あら、申し訳ございません」


 年上の女性に憧れる御曹司に、サクラは彼の人間らしさを見ていた。



 エーデル社へと現れたリオは、早々にセキュリティの強固な入り口を通され、サーバー室にいたエリオットと共に、『アストライア』の点検を行なっていた。

 演算装置の温度から稼働率、アクセス状況などを観察し、継続稼働に問題はないかチェックする。


「エリオットさん。今日の10時に大量のログが来てますがこれは?」

「あぁ、その時間はテレビ通販が流れるんだ。『花霞』でもよく観測していた」

「なるほど……!」


 テレビ通販は、特典を受ける為、指定された時間内に電話をかける必要がありアクセスが殺到しやすい。エリオットを含めた社員達は、はじめの山場だと身構えてもいたらしいが、問題なく超えたことをほっとしたという。


「負荷テストではないが、平常時の山場は超えたのだろう。後は災害時などだが、これは起こらなければ分からないな」

「そうですね……」


 しかし、リオはそこまで深刻な問題ではないとも考える。ここから年数をかけ、通信は新たなブロードバンド回線へと移行し、ダイヤルアップ通信の接続はおそらく数は減ってゆく。つまりブロードバンド回線がない今がピークであり『アストライア』もそれに合わせてアップデートがされてゆくだろうからだ。


 『アストライア』のログを興味深く観察するリオに、エリオットは少し呆れたため息をつく。


「新社長の所に居なくてもいいのかい?」

「え、カナトさんですか?」

「あぁ、色々打ち合わせがあると思っていた」

「大丈夫です。私の入社は、明後日ですから」

「だからこそだと、思ったんだが……」

「え??」

「……まぁ、僕は来てくれて嬉しいよ。『花霞』の解体もしなければならないからね」


 『アストライア』の隣に置かれた『花霞』は、つい昨日までは動いていたのに、今はもう沈黙している。電源が入っておらず当たり前だが、リオは何故かとても寂しい気持ちにもなっていた。

 それは、エリオットの友人、アツシとの最後のつながりにも思えたからだ。


「あの、全部は無理でも、一部だけとか、残せませんか? ほら、博物館? ミュージアムみたいな。日本にもあるんです、通信の発展に合わせて展示する施設みたいな」

「ふむ? それは何か需要があるのか?」

「勉強になります! どうやって通信が繋がってるのかとか、見てくれた人に解説できるので……!」

「はは、なるほど。悪くはないが、『花霞』は私の宝だ。言われなくとも残すつもりでいたよ」

「そ、そうなんですか?! すみません。余計な事をーー…」

「いや、いいんだ。でも確かにミュージアムも悪くない。長く通信を支えた『花霞』の功績を、多くの人々に知ってもらいたいのは同じだ。だが、それをやるには場所も予算もない。これからの君の働きに賭けていいかな?」

「……! はい、もちろんです!」

「ありがとう」


 楽しそうに話すエリオットは、まるで子供のように『花霞』のことを語ってくれる。アツシとの出来事や、回線工事の話など、カナトとリオがこれからやる事に思えとても興味深かった。


「リオは、今、どこに住んでるんだい? アツシはその身一つでこの世界に来ていたが……」

「今はカナトさんのお屋敷に間借りさせて頂いています。申し訳なくて、お金が貯まったら住む場所を探そうとおもってて……」

「それならば、私が管理するエーデル社の社宅がここに近くて便利だが……」

「社宅?! あるんですか!」

「あるよ。一人暮らしには広いかもしれないが、物はたくさん置けると思う」

「助かります!」

「では、資料を持ってこよう」


 エリオットはそう言って、リオへエーデル社の資料と社宅の案内パンフレットを渡してくれた。

 家賃も高くはなく、床暖房完備、オートロックまでついていて感動する。


「ありがとう、ございます……!」

「はは、いい提案ができてよかったよ」


 この世界での暮らしも、悪い事ばかりではない。アークヴィーチェ邸が窮屈というわけでもないが、使用人がいる空間にはやはり慣れることができそうになく、できていた事ができなくなる恐怖感もあったからだ。


 夕方になり、アークヴィーチェ邸へ戻ってきたリオは、小躍りしながら居室へと向かう。少し駆け足であったこともあり、角から現れる使用人へ気づかなかったリオは、

曲がった先に使用人がいたことに気づかず、ぶつかってお互いの荷物を床へぶちまけてしまう。


「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?!」

「リオ様! 申し訳ございません、お怪我はございませんか!?」


 使用人は、制服の洗濯のため衣服をカゴに入れて運んでいたようだった。大量の衣服と大量の資料が散らばり、お互いがパニックになりながら片付けをしていると、騒ぎを聞きつけた使用人が手伝ってくれて更にカナトも現れる。


「大丈夫か!?」

「カ、カナト様。少しぶつかってしまって……」

「だ、大丈夫です! むしろ、お騒がせしてごめんなさいと言うか……」


 カナトもまた足元に散らばったものん拾った時、ふとその資料が目に入ってしまう。エーデル社の社宅案内と書かれた資料に、カナトは驚いていた。


「あの、ありがとうございます」

「あ、あぁ。怪我がないなら良かった。では私は、これから夕食にゆく」

「はい、ありがとうございました」


 ようやく資料がまとまり、集まっていた使用人達もほっとして解散してゆく。



 リオと別れたカナトは、少し不貞腐れたように頬杖をつき、皿へ配膳された食材をフォークで遊ぶ。

 普段から、食事のマナーを崩さないカナトがそうした態度をとる様にウォーレスハイムは何も言わず睨む。


「何か不満かい?」

「父上には関係がありません」

「なら態度で見せんな。ダセェぞ?」


 カナトはウォーレスハイムを睨み返し、襟を正して食事に戻る。

 そんな少し動揺しているカナトに、警備についていたサクラは何があったのだろうとも察していると、案の定。サクラはカナトの部屋へ呼び出された。


「なるほど、社宅ですか……」

「調べた所、エーデルワイス卿が管理している建物だった……」

「私は、何が問題かわからないのですが……」

「ここはやはり居づらいという事にならないか?」

「それは直接リオ様に伺うことでは?」


 カナトは真剣に悩んでいる。初々しくも思え、考えすぎる悪い癖が出ているともサクラは思っていた。

 カナトは、相手の態度や言動、行動からあらゆることを推測して結論を導く才能を持っているが、その才能は時に考えすぎとして空回りする。

 それは大体、深く考えていない平民達を相手に起こりがちで、サクラは幾度となくそれを見てきた。


「時には建前なく正直にお伝えする事が良いこともあります。それが相手にとって強い言葉であっても、目の前にいるからこそ伝わる気持ちもありますから」

「……そうだろうか。私は貴族でーー」

「しっかりなさってください! ご自身のお気持ちに後悔がないように!」


 サクラの荒げた声に、カナトは驚いて固まってしまった。

 騎士から叱られるとは思わなかったのだろう。しかしこれこそが顔を合わせているからこそ、伝えられる事だからだ。

 カナトは、数秒間考え、数日先の事を想像する。サクラの言う通りこのまま何もせずにいれば、リオは何も言わずここを出て行ってしまうようにも思えた。


「……わかった。ありがとう、サクラ」

「ご無礼をお許しください」


 彼女の微笑に、カナトの決意が固まった。

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2024年11月8日 13:00

異世界×システムエンジニア*オタク女子のインターネット開拓記 和樹 @achupika

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