第17話 『花霞』と『アストライア』

 アークヴィーチェ・エーデル社の屋上は、緑の人工芝が敷かれ、木製のウッドデッキやガーデンチェアなどが置かれた寛ぎスペースとして設計されていた。一段高い場所にあるウッドデッキからは、都会の夜景が見下ろせ、今も多くの自動車が行き交う都会の血液のような風景が広がっている。

 エリオット・エーデルワイスは、そのウッドデッキへ肘をかけ、止まることのないその夜景を見下ろしていた。

 このウッドデッキは、旧桜花通信公社が新たにオフィスを構える際、エリオットが要望したと言われているが、その当時、高い所が苦手だった彼にそんな事を言った覚えはなかった。しかし、いつの間にかその恐怖を克服し、今はここへ登ることができるようになっている。

 なぜ克服しようと思ったのか、当時の記憶は曖昧だった。残っているのは悔しかった感情とここで肩を並べたかったと言う意思のみで、その隣にいて欲しかった彼はもう居ない。誰の記憶にも残らない彼はどこへ行ったのか、エリオットはずっと心に残っていた。


「エーデルワイス卿」


 響いた声に、エリオットは渋々振り返った。考えていた通り人物に笑いすら込み上げてくる。

 カナト・アークヴィーチェ。この旧桜花通信公社を乗っ取ったアークヴィーチェ家の跡取りだ。


「サーバー室に鍵をかけたのは貴殿か?」

「あぁ、それがどうかしたか?」

「鍵が壊れ、スズキ嬢が閉じ込められた」

「なん……、それは……悪い事をしたな」

「恣意的ではないのか?」

「動揺して衝動的に閉めてしまった。そうか、これで僕の首を飛ばすか?」

「私は、社員達から信頼を得ている貴殿を追い出す気はない。今は確認お報告に来ただけだ」

「報告だと?」

「『花霞』が、熱暴走を起こした」

「はーー……?」

「私は、『アストライア』への完全移行を行う為、中にいるスズキ嬢へ移行の指示を出している」

「冗談をいうな!」

「もう復旧は不可能だ。騙し騙し稼働をつづけていたようだが、『花霞』のスペックでは、インターネット接続のアクセス負荷に耐えられない」

「待て。新たに部品をやり直せば……」

「エーデルワイス卿。貴殿も技術者ならば分かっていたはずだ。私は、貴殿が話ができる相手だと思っている」

「……」

「『花霞』は、本来『自動電話交換機』として開発されたデバイスだ。それだけの機器に、インターネットと言うデータ通信をやらせるのはやはり無理がある」

「そんな事はない! それは想定されていたことだ、『花霞』は、いずれ主流となるデータ通信を見越して設計されている!」

「スペックが足りない」

「……!」

「今はまだインターネットの普及が追いついていないから持っていただけだ。ベーシックシステムで認識できる記憶デバイスも、いずれは限界を迎える。『花霞』に新たな通信を担うのは不可能だ」


 エリオットは激昂し、ウッドデッキからおりてカナトの胸ぐらを掴み上げた。後ろにいたジンが前に出ようとするが、カナトが何も言わずに止める。


「そんな事はない……!!」

「……っ!」

「お前に、何が分かる。僕は今まで、あの機器に全てを注いできたんだ。あいつとーー」

「あいつ……?」

「くっ、『花霞』を発火させたのは、おまえらじゃないのか!!」


 カナトはエリオットの腕を掴み、鬼の形相で彼を睨みつけた。そして直後の周りに、まるで氷のような鋭利な破片が出現する。

 その先端の全てが自身に向けられていると気づいたエリオットは、まるで血の気が引くように冷静になった。


「エーデルワイス卿。私を嫌うのは構わない、だが今の言動は『花霞』の破損の全責任をリオ・スズキ嬢へ押し付けるものだ。貴殿はそうしてまでこの組織へ執着し、我々の妨害をするのか?」

「く……」


 エリオットは舌打ちし、掴んでいたカナトの胸ぐらを緩める。それに合わせるように周辺の破片は虚空へと消えた。


「ガーデニアは、なかなかの手品を使うんだな。驚いて冷静になった……」

「まだ国家機密でこれに関しては何も語れない」

「そんなものを使ってまで……」


 カナトは、襟元を直しつつ熱くなっていた自分へと反省する。そしてエリオットを見直し、できるだけ声のトーンを和らげて口を開いた。


「……エリオット・エーデルワイス卿。私はまずアークヴィーチェ家の人間として、先に貴殿へ謝らなければならないのだろう」

「……なんだと?」

「株式の買取において、我が父ウォーレスハイムが、貴殿らに相談もなく王命を授かった事をまず謝罪したい。『アストライア』を含めた業務内容に関することも、まるで押し付けるようで大変無礼であったとも聞いている」

「……」

「私の父は傲慢だ。結果さえ出れば周囲は認めざる得ないと考えている。その経過は度外視で、感情論も二の次だ。だからこそこのままでは、アークヴィーチェ・エーデル社にオウカ人は残らないと私は考えた」

「……!」

「私は、このオウカ国を愛している。母が生まれ育ったこの国を、私はガーデニア人として守り支えてゆきたい。そのためにエーデルワイス卿、貴殿の協力は不可欠であることも考えている」

「……アークヴィーチェ」

「私はその為にリオ・スズキ嬢を新たに招いた。彼女は、私ともまだ出会って間もない。本当の意味の中立に我々を見るとも言えるだろう。エーデルワイス卿、私とリオ・スズキ嬢と共に、この国の新たな通信の普及へ協力していただきたい」


 堂々と言い切ったカナトに、エリオットは圧倒されているようだった。

 そして差し出された手に『彼』を重ね、目頭が熱くなってゆくのを感じる。

 もう、誰の記憶にもない『彼』は、「無理だ」と語るエリオットを「できる」と言って引っ張ってくれた。ありとあらゆる困難にも動じず実績を重ねてゆく『彼』に、エリオットは最後まで惹かれ続けていたのだ。


「……私はもう、振られている」

「……? どういう意味だ?」

「新社長とスズキ嬢の間に入る気はない。が、僕をここから外さないのなら、相応の対応はさせてもらう」

「私が貴殿に期待しているのはそれだ。存分にその技術を奮って頂いて構わない」


 エリオットは、差し出されたカナトの手を軽く叩いていた。これは協力ではなく利害の一致なのだろう。

 2人は、屋上から屋内へと入り、早足で現場へと向かう。


「『花霞』がもう動かないのはわかったが、『アストライア』は、どうなんだ?」

「現在、スズキ嬢に作業を頼んでいる。『アストライア』は、『花霞』と同じ事ができるよう改造が施されているが、それを行えるためのソフトウェアの開発が必要だからだ」

「開発だと? 今やっているのか?」

「リオはやってみると話していた。どこまでできるのかは、私の知識では分からない」

「は、やってのけたら『天才』だよ。並の開発など、機能を一つ追加するだけで数日はかかる。『花霞』の限られた容量では、動くソースコードもかなり偏っていたのもあるが……」

「そんな環境で……?」

「オウカの技術者を舐めるなよ」


 エリオットの笑みに、カナトは笑みで返す。限られたリソースの中で工夫を凝らして運用してきた彼らは、まさにオウカの技術者とも言えるからだ。

 

「『アストライア』を稼働させるだけなら、恐らく問題はない。先日ガーデニアのサポートメーカーがメンテナンスだと言って現れ、様子を見に来て居たからな」


 カナトは呆れたため息をついていた。通信サービスを担う組織へ別のメーカーがメンテナンスに現れるなど本末転倒だからだ。


「……全く」

「こちらも反発していて、『アストライア』の稼働次第で解雇だろうと見ていたが、新社長は話ができるようだ」

「父は私の反面教師だ。同じにしてもらっては困る」

「それは信頼ができる。だがここでの課題はスズキ嬢のソフトウエアが完成したとしても、公共通信と言う膨大なアクセスの負荷に『アストライア』のソフトウエアが耐えられるのかどうかだが……」

「その点は私も保証しがたい。『アストライア』は、ガーデニアの中でも最高峰のスペックを誇るが、オウカ規格での通信を受け取るのは初めてで、かつ電話交換を行うのも初だ、相性の有無は避けられない」

「は、どんな先進国でも相性には勝てないか。同じアークヴィーチェでもここまで違うのは、言い得て妙だな」

「なかなか洒落が効いておられる」

 

 鼻で笑うカナトに、エリオットはエレベータを進め2人で乗り込んでゆく。


「それで? 新社長は『アストライア』をどうされる?」

「ご存知の通り、アークヴィーチェは即時に『アストライア』を運用したいのが本音だ。シダレ王のいるこの場でソフトウエアを開発し、新たに稼働させたと言う実績こそ誉だろう。だが私はそれに懐疑的でもある」

「……ふむ」

「リオが『天才』であったとしても、ヒューマンエラーは起こるものであり、バグが全くないとも考えられない。もし致命的なエラーが起こればそれこそ取り返しがつかなくなるだろう。だが今、『花霞』は破損し、今現在この首都での電話が通じなくなっている。まだ数時間だが、ここで負荷テストや調整に時間をとれば、首都での緊急事態に支障をきたす可能性もある。今鍵屋と連絡がとれず、足で店に行く事になっているように」


 エレベータで、2人は真剣に考えていた。起動を延期するか実行するか、選択肢は二つだ。


「エーデルワイス卿はどう考える?」

「リスク配分でいうのなら、僕は焦るべきでは無いと思う。バグやエラーに対する考えは同じだ。安全に運用するためにも時間をかけた方がいい。万が一がある、『アストライア』に何かあれば、それでこそ復旧が数日では済まない」

「『アストライア』には、一応独自のバックアップ機能も備えられてはいるが……」


 どこまで信頼ができるかは、カナトも未知数だった。

 何も言わず二人の会話聞いているジンへ、エリオットは目線をよこす。


「先程からいるお前は?」

「ジン・タチバナです」

「オウカの名門、タチバナ家の嫡子殿だ」

「王家絡みか……なら、タチバナの貴殿はどう思う?」

「え? わからないです……けど、電話が使えないのは、不便かな」

「は、庶民的で参考になる」

「……なるのか?」

「顧客の感想は貴重な意見だ」


 カナトの半信半疑な態度に、エリオットは笑っていた。話しているうちにエレベーターは止まり、サーバー室の階層へとだどり着く。

 そこには、既に鍵の業者が現れていて、ドアノブから工具を使って解錠作業が行われていた。2人に気づいたサクラは、軽く会釈をして迎える。


「おかえりなさいませ、カナト様」

「リオは大丈夫か?」

「それが、とても集中されていてしばらくお返事がないのです。除いたところ作業をしておられるようなのですが」


 カナトは腰を下ろし、扉の通気口からサーバー実を覗き込む。そこにはドレスを着た淑女がカタカタと高速でタイピングしている風景が見えた。

 呼びかけてもサクラの言う通り反応がなく、心配にもなってしまう。


「扉は?」

「間も無く開くそうです」

「『アストライア』を公共へ接続するのなら、『花霞』に繋がれた大量のケーブルを全て繋ぎ変える必要がある。人手がいるぞ」


 床に広げられた資料には、『花霞』の仕様書と『アストライア』の資料から割り出された各ケーブルの挿し口がまとめられていた。表にされているそれは、数十枚にも渡り、1人でできる量ではない。

 やるなら決断が必要なだと、カナトはしばらく間を置いて口を開いた。


「……エーデルワイス卿」

「僕はもう言いたい事は言った。そして新社長は、決して栄誉のためだけにリスクを取ろうとしていない事も理解した」

「……」

「僕もまた技術者の端くれだ、ガーデニアが誇ると言う技術に興味が沸いてしまった。皮肉だがな」

「エリオット社長……」

「僕は、新社長に判断を委ねる。ガーデニアの技術とやらを見せて貰おう」

「……光栄だ。では扉が開き次第、『花霞』へ繋がれたケーブルを全て『アストライア』へ差し替える。人を集めてくれ」


 カナトの一声に応えるように、社員の彼らは一斉に動き出す。ケーブルの挿し口が記されたレジェメのコピーを行い、扉前でグループに分けながらどのチームがどこの作業をするか割り振りを行った。

 開発チームは、エリオットの主導で印刷されたリオのソースコードのチェックを行う事となる。


「開きます」


 サクラの声に応じるよう。扉が開き社員達が入ってゆく。突然ひらいた扉にもリオは反応はせず、壁際のプリンタがソースコードの印刷を行っていた。


「リオ!」

「ひぃあ!!」


 カナトに肩を掴まれ、リオがようやく我に帰る。夢中でプログラムを組んでいたリオはカナトの顔に数秒見惚れていた。


「大丈夫か?」

「は、はい。大丈夫です」

「遅くなって済まない。これからリオの組んだプログラムのチェックをしたいが、構わないか?」

「え、は、はい。自分で後で見ようと、印刷はしてて……」

「では、エーデルワイス卿と頼む。私は『アストライア』のケーブルの差し替えに問題はないか見てまわる」

「わ、わかりました……!」


 カナトは、自販機で買ったらしいボトルの甘い飲料をリオへ差し入れてくれた。

 サーバー室は、誰いない閑散とした風景から多くの社員達があらわれ一気に活気のある賑やかな空間へと変わる。その風景は、まるで組織のいざこざが無かったかのように全員が協力していて、リオは先程の罪悪感が解けていくようだった。


「スズキさん。ここのコードこの先に同じものがあります」

「……ほんまや! すぐ直します!」

「記述ミスもあるので、あとでこちらもーー」

「この下地のようなものは、ウォーレスハイムか。これなら私も組めそうだ。余った端末はないか?」


 エリオットは、サーバー室にあったもう一台の端末を立ち上げ、リオへ続くように開発へと参加してゆく。

 他の社員達もアプリケーションをインストールする傍、チェックを行い続々と参加していった。

 その環境は、1日前に迫った学生時代文化祭のようでリオは胸が高鳴り、楽しくもなってくる。


「これなら高速化できるかも」

「ずっと『花霞』をみてきたんだ、効率化なら任せてくれ」

「すごいです! エリオットさん」


 リオの嬉しそうな声を、カナトは聞いていた。一つ一つの挿し口、ポートを見てまわる作業で間違いがあれば治し、絡まらないように丁寧に配線を考える作業は、想像していた以上に時間もかかる。

 しかし、乗り換えに備えた配線計画の書面もあった為か、その作業は滞りなく進み数時間で終盤へと入っていった。

 エリオットとリオの二人で作り上げたソースコードもほぼ完成に迫り、手の空いた社員達は休憩に入ってゆく。


「……できた!」


 組み切ったソースコードを、配線に回っていた開発部の職員が再度チェックを行う。

 カナトも全ての配線のチェックを終えて、リオのいる場所へと戻ってきた。


「おそらく、問題はないかと」


 プラットフォームに警告分は現れて居ない。しかしこれは記述に問題がないだけで、実際にうごくかは乗せてみなければ分からない。


「ポートは資料の通り割り振れてますか?」

「はい。そこはちゃんとやれたと思います」

「僕も一応みたが、問題はない」

「発火部分のケーブルの取り替えも完了しました」


 社員達の目線がカナトへと注がれる。彼は、リオの真剣な表情をみてはっきりとした声をあげた。


「皆、ありがとう。では『アストライア』を公共の回線に解放する。リオ接続を頼む!」


「は、はい!」


 リオは、早足で端末へと向かい再び設定画面へと向き合った。

 セキュリティコードを何度も打ち込みながら画面を進めてゆき、再びその設定に問題はないか上から見直してゆく。そして全ての項目に間違いはないとした時、報告するように告げる。


「『アストライア』、接続します……!」


 最後の確認窓を介し、リオはマウスを使って承認する。祈るような思いでクリックした直後、モニターにはアクセス状況を示すグラフが表示された。

 そして横の隅に、「ダイヤルアップ通信」の利用率ウィンドウも立ち上がり、リオは両手を組んで見守る。

 そこから1分ほどだろうか。グラフにわずかな変動がありそれが徐々に増えてゆく。そして、管制室のある階から僅かに電話が鳴る音が聞こえ始め、それがどんどん重なって響いてきた。

 皆は聞かずとも分かる。この電話は、ここ数時間で発生していた接続障害の問い合わせだ。

 リオはその呼び出し音を聞きながら、ウィンドウを注意深く観察する。歯止めなく伸びてゆくアクセスグラフと共に、『アストライア』のプラグイン稼働率も観察すると、30%のまま、ほぼ一定の数値を保ち続けていた。


「大丈夫そうです! 『アストライア』ですが、かなり余裕があります」

「そうか……!」


 周りの社員達から拍手がおこる中、管制室の方からも電話の対応がしきれないとして、監視員が皆を呼びに来た。


「直ぐに行きます。社長は……」

「僕も向かう」

「エーデルワイス卿、私もーー……」

「新社長は、貴族の相手をしていてくれ。スズキ嬢を任せる」

「……わかった」


 エリオットを含めた皆が、対応窓口へと解散してゆく。リオはもう一度、着席しようとしたが、それは開発部の社員の1人に止められた。


「こちらは気にせず、どうぞ休憩されてください。我々も交代で参加させていただきますから」

「……! ありがとうございます」

「すまない。助かる」

「新社長もお疲れ様です。不謹慎ですがまるで学生時代を思い出したようで楽しかった。ありがとうございました」

「それは、リオに失礼では……」

「あ、その、すいません……」

「大丈夫です。私も、楽しかったので……」


 笑いが込み上げてくる中、カナトはリオの手を取りサーバー室の外へと誘導する。迎えてくれたサクラは少し泣きそうになっていてリオへと抱きついた。


「リオ様! お疲れ様です! ごめんなさい。私がお側を離れなければ……」

「サクラさん……! 気にされないでください。私も離れてしまったので… 」

「ご無事で何よりです。カナト様も……」

「待たせてわるかったな、サクラ」

「私はお気になさらずに、でも急がれなければ夜会が終わってしまいます」

「そうだったな」


 カナトはふと、リオへと目線を寄越した。なぜ見られたのか分からずキョトンとしてしまうが再び差し出された手に一気に鼓動が高鳴る。


「さぁ、共に参りましょう」


 カナトの手を、リオは顔を真っ赤にしながら取る。サクラへ付き添われた二人は、まるで何ごともなかったかのように夜会の会場へと向かった。

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