第15話 赤き桜

「リオが来ないな……」

「トイレでもいってんじゃね? 女の人大変そうだしさ」


 来客向けに案内された控室は、貴族を迎えるのに相応しく豪華な低いソファーとテーブルが配置されている。カナトは、その部屋で原稿を広げスピーチの中身を確認していた。


「カナトはホール行かねぇの?」

「主催は、パフォーマンスの時間まで控えているものだ。今回は新社長となった事を陛下と殿下へご報告する発表会のようなものだからな」

「殿下知ってるのになんでわざわざ?」

「アークヴィーチェ・エーデル社の運営は、以前は『国』が行っていたことだが、シダレ陛下の意向もあり、その運営をウォーレスハイムへ移譲したいというご意思から、父が株式を買い取り現在に至る。つまりこのパーティは、預けられた運営権がウォーレスハイムから私へ移る事への報告とその事業が順調だと示すことが全てだ。後者は特に重要で、ウォーレスハイムによって滞っていた業務が私によって円滑に進んだなら、シダレ陛下だけでなく他の貴族達も納得せざる得ない」

「長いから分かりやすく……」

「陛下より、運営権を預けられていた父にできなかったことを私はやった。よって『私が社長になる』と陛下へ直接報告する」

「出来んじゃん……」


 カナトはジンを不満そうに睨みつけていた。全て説明したくなる癖をカナトはある程度自覚しているが、ジンの態度は「話すな」と言われている気分になったからだ。


「経緯は知りたく無いのか?」

「すごいことやったのはわかるし、いちいちいらねぇよ」

「……ふむ」


 強気で返すジンだが、ステージへ上がることとなっており落ち着かない。手元の資料には、自己紹介をして傍へ控えていればいいとだけ示されており、特にやることもないからだ。


「本当にこれだけ? 俺いる意味ある?」

「あるぞ。オウカの名門タチバナ家は、王家から厚い信頼があるからな。そのタチバナ家に属するジンが私と共にステージへ登ることは、まさに『王家が武器を預けた』とも解釈ができ、アークヴィーチェと王家の信頼を証明できる」

「だから長いって……短く」

「ジンの存在こそ、アークヴィーチェに王家の後ろ盾があることを証明する」

「最初からそう言って……」


 カナトは再び不満そうにしていた。



 間も無く夜会が始まろうとしている頃、リオは一人、扉が開かないサーバー室で助けを待っていた。時刻は間も無く夜会が始まり、建物全体へまるでオーケストラのような音楽が響いているのがわかる。

 参加すると約束をしたのに、現場に迎えない自分が情けなく涙を堪えることしかできない。しかしエリオットの恣意的な行いだとは思いたくはなかった。

 きっと断られたのがショックで勢いで鍵をかけてしまい、壊れたのだと言い聞かせる。それは同じ日本人で、同じ技術者だからこそ、『敵』と認識したくなかったからだ。しかし、これからどうなるのだろうと様々な考えが浮かんでくる。

 サクラの静止を断り、エリオットへついて行ったのはリオで、夜会に参加できなかった責任を取らなければならない。

 約束したカナトとのダンスもできない。信頼が無くなってしまえば、もうアークヴィーチェ邸へ帰ることもできないかもしれない。行く場所がなくなる。こわいと、まるで子供のように膝を抱えた時だ。


 ツンとした、焦げ臭い匂いが漂ってきてリオは顔を上げた。嫌な予感がして『花霞』の筐体を一つ一つ点検していると、一部の筐体からシューというファンとは違う音が聞こえてきて、はっとする。

 思わず駆け寄ると、筐体の中から煙のような物がふわふわと上がっている事に気づいた。

 リオは、実父と共にその現象を見たことがある。


「熱暴走……!?」


 コンピュータが演算を行う際、その演算装置となるCPUが熱を持つが、それは主に空冷のファンや、水を使った水冷、液体窒素などを利用した部品によって冷却される。しかし、過剰に計算が行われ冷却が追いつかなくなると、熱を持ったCPUが周辺の部品達を溶解してしまう事がある。

 技術者の間では「熱暴走」のも呼ばれ、発火の危険もあることから、日本では温度を確認するアプリケーションも存在するほどだが、この『花霞』の場合、おそらく老朽化だろうとリオは予想した。

 とにかく消火しなければならないと、リオはサーバー室を駆け回り、『花霞』の主電源プラグを探す。


 広い部屋でなかなかみつからないが、入り口付近まで来た時、ドンドンと扉が叩かれている事に気づいた。

 重いスカートをあげて駆け寄ると、扉の向こうに人の気配がある。


「誰かいますか!!」

「……! こちらエーデル社管轄の警備騎士です。カメラを見て参りましたが、鍵が破損していているようでーー」

「騎士さん! そんなことより社員さんを、『花霞』が!」


 返事が返ってこな扉の向こうから、さらに足音が響いてくる。数名の気配がして、電話が通じないことを示唆するような会話が聞こえた。


「『花霞』が、熱暴走を起こしてます! 電源はどこですか!?」

「貴方は、何故中へ?!」

「エリオットさんと話してたら閉じ込められてしまったんです。早く、電源を落とさないと火事になります!」


 社員は、クランリリー領の電話通信がすでに途絶していることから電源プラグの位置と消火器の位置を教えてくれる。

 リオは部屋の隅にあるサーバー用の電源供給コードを抜き、消火器で火元を鎮火した。


「消火できました……!」

「よかったです。しかし、扉が……」


 内側から聞こえる鍵は、空回りしているような音で解錠がされず、社員達は徒歩で施錠メーカーへと問い合わせにゆくといってくれた。

 一瞬、ほっとしたリオだがのこった社員達の声が聞こえてくる。


「オウカの電話が通じない、どうする?」

「この夜会のタイミングでの破損は、今後の運営にも影響がでかねないぞ……」


 聞こえてくる会話にリオは心が締め付けられるようだった。ここから『花霞』が復帰するには、デバイスの入れ替えとバックアップの復元を行う必要があり、おそらく一週間以上はかかるだろう。

 扉前で罵声が飛び交う中、リオがふとサーバー室を見回すと、起動されて接続を待つ『アストライア』が目に入る。バックアップが同期されていたであろう真新しいそれを見つめ、リオは頭の中へここ数日の記憶を思い出していた。


 ブロードバンド通信に向けて開発されたIPSサーバー『アストライア』。

 電話交換機としては非対応と話されいるが、そもそも『花霞』は、リオが本で見た電話交換機ではなく、OSに乗ったアプリケーションにて接続が行われて居る『パソコン』で、つまりその後継機の『アストライア』も同じことができる可能性がある。


「あの! カナトさんを、呼んでください!」

「新社長ですか……?」

「はい! 私が、なんとかできるかもしれません!」


 激昂していた職員の叫びが止まり、その場が騒然となった。



 オープニングセレモニーから始まった夜会は、ウォーレスハイムの挨拶から始まり、彼はアークヴィーチェの持つエーデル社の株式を御曹司たるカナトへ譲渡することを報告する。また、紹介に応じたカナトは、滞っていた工事の再開の目処が立ったことを高らかに語り、数年後の未来には必ず全国へブロードバンド回線を浸透させると宣言する。

 それを聞いた貴族達は、御曹司の功績に感心しつつ不安そうな表情も見せるが、傍で紹介をうけたジン・タチバナの存在をあらためて確認し、表情をゆるめて拍手を送っていた。

 そんな会の報告が全て終了したホールでは、シダレ王がウォーレスハイムと肩を並べて晩酌を楽しみ、カナトはそれを眺めつつ離れた席で頬杖をついていた。

 その不満そうな表情を見かねたジンは、カナトに飲み物を配膳するものの、その雰囲気は変わることはない。


「なんか機嫌わるくね?」

「ジンも気を使わずに座っておけばいいものを」

「一応騎士っぽい方が良さそうだし?」


 対等だが、騎士として振る舞うことで誤解を生みにくいとジンは考えていた。他の貴族達が見ている環境で、あからさまな対等を示せばそれはそれで話がややこしくなるからだ。


「私は助かるが……」

「それよりさ、リオ姉さんは?」

「今、サクラが探してくれている。ステージにいない時点ですでに探してくれていたようだ」


 リオは、サクラと別れる際エリオットと話があると言っていたらしい。

 数日前からリオがエリオット気にかけていたことは明らかだが、貴族達の前での紹介ができずダンスすらもできない可能性を感じ、思い通りには行かないストレスでイライラしている。


「妬いてんの?」

「この私がか?」

「……わかりやす」

「それ以上は無礼だぞ」

「……」


 ジンは困惑していた。しかしリオがカナトではなく、エリオットをとったのだと思うと納得もいかない気持ちも理解はできる。

 ガーデニアでも稀に見る麗人でもあるカナトへ、夜会へ参加する女性達も釘付けだが、常に冷ややかな表情をみせる彼は、明らかに近寄りがたい雰囲気を持ち皆が様子を見るように距離を置いていた。


「女の人、待ってそうだけど」

「そんな気分ではない」

「……」


 意外とワガママなのだろうかとジンはこの先へ不安を得ていた。煌びやかな会場では、数名のアークヴィーチェの技術者達が貴族達へ紹介され褒められたり、激励をされたりと皆が頬を緩ませる。また席を立った王子は、女性達に囲われ談笑をしたり握手に応じては、ダンスの誘いにも答えていた。


「カナト様……!」

「サクラか。リオは……」

「トラブルです。ここではお伝え兼ねますのでこちらへ」

「……!」


 カナトは、ジンを連れ一度ホールから、控え室へと戻る。そこで聞かされたリオの現状に衝撃を受け、3人は彼女が閉じ込められていると言うサーバー室へと向かった。

 そこには、すでに数名の社員が集まり騒然とした雰囲気に包まれていて、扉下のわずかな通気口がこじ開けられ、大量の資料が中へ押し込まれている。


「新社長……!」

「リオ、いるのか?!」

「カナトさん! ごめんなさい。夜会、行けなくて……」

「気にしなくていい。『花霞』が破損したのは本当なのか?」

「はい、熱暴走で……確認しましたけど完全にフリーズしてしまって、発火もしてたので、消火器で……」

「リオが無事なら構わない。それよりも『アストライア』に移行ができるとは本当か?」


 カナトの言葉に、リオは息が詰まる思いだった。電話交換に非対応だという『アストライア』だが、構造そのものは『花霞』とは変わらず、もし新たな機能として実装ができるなら動かせる可能性があると考えたからだ。

 もしこの場で開発ができれば繋ぎ直すことができると提案する。

 

「多分、できると思います。理論上は……、でも私がちゃんと組める保障はなくて……」

「確かに『アストライア』には、電話交換のための仕様は存在しますが……、それを動かすための機能がまだありません。元々『花霞』と並行して運用してゆく予定でしたから……」

「そもそも無理に実装した所で、このクランリリー領の人口規模のアクセスに耐えうる保証がないが……」


 カナトは、社員へ見せられる資料を読み込んでいた。本来は『花霞』と平行して運用を行い、メンテナンスを踏まえて徐々にブロードバンド通信へ移行するつもりだったが、このタイミングで『花霞』が破損するのはあまりにも想定外だったからだ。


「一度父へ確認する。リオ、どちらにせよ。『花霞』の復帰は無理だ。『アストライア』に搭載する新たな電話交換システムの開発を頼む」

「わ、分かりました」

「エリオット・エーデルワイス卿は? ホールには見えなかったが……」

「分かりません……。しかし、『花霞』は、エリオット社長にとっては半身のような物でした。それがまさかこんな……私は、どうお伝えすればいいのか……」


 歯を食いしばり、ぐっと拳を握る社員をカナトはしばらく眺めていた。悔しそうな涙を堪える声にリオは居た堪れない気持ちにもなるか、その声に応えるようにカナトが堂々と口を開く。


「私は、貴方がたがこれまでにどのようにこの機器を運用してきたのか知らない。どのような苦労があり試行錯誤してきたかはこれから知ってゆくことになるだろう」

「……」

「だが、私はその熱意を決して無駄にはしない。『花霞』と言うオウカの名機に恥じぬよう、私は『アストライア』を運用してゆく」

「新社長……」

「貴殿らの反発は当然の事だ。私はそれを受け入れ共に歩もう。どうか力を貸して欲しい」


 真剣なカナトの言葉をその場の社員達は聞き入っていた。

 リオもまたサーバー室でもう動かなくなった『花霞』をみる。

 仕様書を読んだ時、リオはその革新的な設計にとても驚いた。電話交換は、日本だとおよそ80年以上前まで電話局の職員が手動で繋いでいた技術だが、それが『花霞』によって完全に自動化され、パソコンとしてインターネットにも接続ができるようにも設計されていたのだ。

 幾度とない発明を介して進歩してきた日本での150年は、このオウカ国ではおよそ十数年で到達していて、その起因が日本人であるエリオットの功績ならば納得もいく。

 旧桜花通信公社の彼らがエリオットを中心にして、最大限工夫を凝らして運用してきたこの機器をカナトは理解し、その上で歩み寄ろうとしているのだ。

 職員は、しばらく黙ってはいたがカナトから示された歩み寄りの姿勢に表情をゆるめた。


「……分かりました。エーデルワイス社長は、行き詰まった時、屋上で気分転換をされている事があります。私が呼んできましょう」

「そうか。それならば私がゆく。元々エーデルワイス卿とは話しておかねばならいと考えていた。卿はかなりの技術者である事は私も理解している協力を仰がねばならない。サクラ」

「はい」

「父へ、『花霞』が破損したことを伝えてくれ、そして『アストライア』が、プラグインによる『電話交換機』としての機能の担えるか聞いてきてくれ」

「畏まりました」

「リオ、私はエーデルワイス卿と話してくる。リオも無理はしなくて構わない」

「ありがとうございます。やってみます!」


 カナトは、サクラがホールへ戻るのを見届け、ジンと共にアークヴィーチェ・エーデル社の屋上へと向かう。

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