第13話 貴族の日々
一夜明けたアークヴィーチェ邸にて、肌着のみで使用人達に囲われ、酷く恥ずかしい思いをしていた。
いよいよ明後日に控えた夜会のため、同席するリオもまたその準備をすることとなったが、すでに特注の衣服は間に合わず、せめてサイズだけでも合わさねばならないと急遽あらゆる場所を測る事となったからだ。
「身長は155センチですね」
「肩幅、350mmです」
「バストはEの60ぐらいでしょうか」
「ヒップ80」
読み上げられてゆくサイズに恥ずかしさが抑えられない。動かないまま顔を真っ赤にしていると、濡れタオルで顔を冷やしてくれる使用人もいる。
「リオ様の髪の長さでしたら、編み込みが良さそうですね」
「肩を出されるのが大変魅力的となるバストをお持ちですが、この時期はまだ冷えが気になります」
「夜ですからね。ベランダも解放されていると思います。暖かい方が良いでしょう」
「リオ様、何色がお好きですか?」
「最近はこのようなショートドレスも流行っておりますが……」
「こちらにフォーマルなものもありますよ」
一気に見せられても、何がいいのか分からない。そもそも夜会が何かもわからず身じろいでしまう。
「リオ様が戸惑っておられます。貴方達は一度落ち着きなさい」
「はぁい……」
「リオ様、申し訳ございません。わからないことはございますか?」
やっと質問の機会がきて、リオは落ち着いた。そして一番の疑問から口にする。
「そもそもの話なのですが、夜会ってなんですか? なんでドレスなんです?」
「あら……」
「夜会は、貴族様が開かれる社交パーティーです。本来は友人の友人などを招き、交友を広げたり親睦を深める会ですが、今回はカナト様がエーデル社の社員の方々もご招待されているので、夜会といっても『新社長就任パーティー』が正しいですね」
わかりやすくリオは感動した。友人の友人を招く会は、日本でいうといわば『合コン』にも近く、着飾るのも納得だからだ。
「社長就任って言うのは、挨拶会みたいな雰囲気ってことですか?」
「そうなのでしょうか? 私達使用人は、カナト様も夜会とおっしゃられていたのでそうとしか……?」
「夜会は、ダンスしたり飲み食いしたり、自由に好きな人と話せるんです。普通は貴族さんだけのパーティーで、平民は余程のことじゃなければ参加できないんですけど、今回は後半から社員さん向けの会もあって自由度が高いみたいで」
「な、なるほど、それなら私は後半からですね」
「カナト様は、貴族様方にリオ様を紹介されると仰られていたのでリオ様も前半からの参加のはずです」
「はっ……」
「リオ様は、アークヴィーチェ家の後ろ盾を持って参加されるので、その身なりは家の権力を示す為、より美しく着飾ることは重要なのです」
「リオ様が綺麗であればあるほど、家の凄さがわかるって意味ですね。私達も気合い入れて頑張ります!」
思えば先日、カナトは王子へ「紹介する」
と話していた。社員達ではなく貴族へ後ろ盾を示すと言われればプレッシャーも感じてくるが、好きな色を聞かれ、ドレスの好みを聞かれ、あらゆるものが好きなもので構成されてゆくのは、不思議な気分で新鮮でもある。
「ちなみにアークヴィーチェ家は、黒をイメージカラーとされております。黒と白のシンプルなコントラストが、皆様へ上品な印象を与えられますね」
言われればカナトは常に白のブラウスに黒のジャケットとパンツを纏い、銀のアクセサリーが豪華、かつシンプルな印象を与えている。
父であるウォーレスハイムも同じ色調で、親子である事は服装だけでわかり、家族であることは一眼でわかった。
「それなら、同じ方がいいですか……?」
「家のカラーで合わせることは、将来を約束したとも受け取られるので、その気がないなら避けられた方が……」
「そそそそ、そうなんですか。わかりました! すいません」
聞いてよかったと、リオは安堵した。
そのまま使用人達へ誘導されるようにドレスを決め、髪を結われ、アクセサリーを選び、メイクもされたリオは、練習にとドレスのまま屋敷を歩いてまわる。
ヒールは低めのものでドレスも布が柔らかく、踏まなければ普通に歩けるが、逆に重く、長く歩くのが辛い。
階段は足元が見えず、手すりを持って裾を上げながらゆっくり降りていると、エントランスの正面から、カナトが現れた。
全く慣れておらず、見えない足元が怖くて、一段ずつ足を揃えて降りて居ているのが恥ずかしい。
目を合わせれずにいると声をかけてきたのはカナトだった。
「これはお美しい……」
「え……」
カナトは微笑をこぼし、ゆっくりと階段を登ってくる。彼はリオを見上げたまま手を胸に当てて跪いた。
「ご機嫌よう。本日はこのカナト・アークヴィーチェがご一緒致しましょう。お手をお貸しください」
差し出された手に、リオは一度ドレスの裾を放してカナトの手を取った。転ばないよう周りを固めてくれて居た使用人達は、優しい笑みのまま離れて見守ってくれる。
そっと乗せられたリオの手を握ってくれるかに思えが、カナトはその手を一度口元へ持って行き、口付けた。
「ひっ……」
「……足元にお気をつけて」
穏やかな声に、緊張がほぐれてゆく。手すりを放し再びドレスの裾を上げたリオは、カナトに支えられてながら一段一段丁寧に階段を降りた。
安全に降りれた事で使用人は拍手をしてくれる。
「とても似合っている、当日が楽しみだ……!」
カナトのその笑みは、リオが初めて見たものだった。健気な、まるで心から祝福された時のような表情にリオはしばらく呆然としてしまう。しかし、突然腰に手を回され、驚いて後ずさってしまった。
「すまない。つい、ダンスの癖で……」
「ダンス?!」
「そうでした! リオ様、練習なさらないと!」
「練習?! わ、私はダンスは、しませんよ?!」
「する、しないの問題ではありません。アークヴィーチェ家から赴かれるのですから、必要最低限の練習は必要です!」
「はい?!」
「すまない、リオ。1日だけでいいので、雰囲気だけでも覚えてはくれないだろうか?」
「え、え?」
「時間もありません。準備いたします」
エントランスへカナトを残し、リオは使用人達に半ば連行される形で練習を行うこととなった。初めてのことで全く慣れず、スカートの裾を踏んで何度も転びそうになるが、コツを覚えてくると綺麗にターンができたり、スカートが美しく靡いて楽しくもなる。
「カナトさんも、練習をされてるんですか?」
「えぇ、とてもお上手です。平民の方には馴染みはないでしょうが、貴族の殿方にとっては、女性へのアプローチとも言え、男性の気持ちをわかりやすく受け取ることができます。思いを伝えられる前の心の準備ができますよ」
なるほどと納得するが、つまり誘われる事は告白の前準備だと気づき、また恥ずかしくなる。元々告白されるような事はしていないし、考えるだけ傲慢ではあるが、ここまで準備をされると考えずには居られないからだ。
「アプローチとも言いますけど、実際は距離が近くなるので普段聞けない事を聞いたりできると言うか……」
「ちょっと深い話ができるって感じですね。どんな人なのかお互いに知れるってよく聞きます」
ふんわりとダンスの意味がわかってきて、恥ずかしさも落ち着いてくる。
お互いに興味を持った相手とダンスと言うひとつのコミュニケーション介して距離を縮めるのは、現代日本でも文化祭などで見かけるからだ。
人前で踊ると言う恥ずかしさを吹っ切らせる為、動ける限り練習を続けたリオは、くたくたになって1日を終えた。
これまでも何度か外出先で動く事はあったが、ダンスほど激しい運動をした記憶はなく反動で酷く体がばてている。また普段使わない筋肉を酷使し、若干の痛みとだるさを感じるのはおそらく筋肉痛だ。
体が持つだろうかと考えている間に眠りに落ち、リオは次の日も早朝から練習を始める。
その日はドレスよりも動きやすい軽装で練習するが、筋肉痛が尾を引いてリオは必死に痛みを耐えていた。
前日と言う事もあり、カナトも参加していた練習だったが、思わず耐えかねて座り込んでしまう。
「……リオ、大丈夫か?」
「カナトさん、すいません….」
「すまない。もう少し早くから始めれば良かったんだが……」
「いえ、大丈夫です。実は運動は普段から全然やってなくて……ちょっと体がびっくりしたと言うか….」
「夜会は明日の夜だが……これは少し辛そうだな……」
「へ、き、気にしないで下さい。私、やれますから!」
思わず声を張り上げてしまい、カナトは驚いていた。その反応にリオははっとする。
「あの、別に無理はしてなくて……楽しいので、アークヴィーチェさんの為にも、やるだけやるつもりで……」
「……そうか。巻き込んでいるようですまない。でも今日はもう休んでくれ、このままやり過ぎて体を痛めれば、当日こそ踊れなくなってしまう」
「……は、はい。わかり、ました」
少しだけ気を落としてしまったリオを、カナトは少し不安そうに見ていた。彼は少し考え、ぼやく。
「リオは、悪くはない……」
「え?」
「すまない。私はリオに夜会の楽しさを知って欲しかっただけなんだ」
「楽しさ……?」
「貴族は皆、土地を思い民を思い、誇りを掲げるものではあるが、それは立場が違うが故に民とのすれ違いを産みやすく、私はリオとそうはなりたくはない……」
「……」
「ダンスを介して、その溝を埋められれば良いと考えたが、これは私のエゴだった。だから、無理はしないでくれ」
少し残念そうなカナトの言葉にリオはしばらく呆然としていたが、少し考えて気づいた。これは、立場の違うカナトからの「歩み寄り」であると。
「無理はしてません」
「リオ?」
「私も、その、カナトさんと踊ってみたいです。運動は得意じゃないけど、こう言う機会、本当初めてで楽しみなので、やってみたいから……」
こんな麗人と踊れる機会など、ゲームでも相当ハードな条件をクリアしなければ無理だ。しかもゲームと言うシミュレーションではなく、本当の意味で手を握れて踊れるなど、推しを応援するオタク女子からみれば誰しも憧れるシチュエーションでもある。
そんな機会を逃せず、考えれば考えるほど体の痛みはどうでも良くなっていった。
「……そうか」
「はい。だから、頑張ります」
「ありがとう……」
カナトは嬉しそうに、その日は終わりまで練習へと付き合ってくれた。
女性の使用人が相手にしてくれる時とは違う、しっかりした肩幅と完璧なリズムは、カナトらしくついて行くのに足がもつれそうになるがカナトはそんなリオの必死さに気付くたびにペースを落とし、時には足を止めて休憩もさせてくれていた。
夕方になり練習を切り上げて居室へと戻ると、使用人からよかったら読んで欲しいと「初めての夜会での振る舞い方」と言う本を渡され、目を通すことにした。
そこには、リオの知りたい事の全てが書かれ、夜会の歴史から社交界の必要性まで説かれて居て感心もする。またオウカでは貴族に対する不敬罪は廃止されているが、もし無礼な態度を取れば2度と呼んでもらえなくなる可能性があったり、問題があれば退室もさせられる事もあると言う。
また呼んでくれた友人には心から感謝の意を忘れず、顔を立てることを忘れてはならないとか、親しいからといって扱き下ろす態度は御法度だと書かれていた。
平民が貴族を招待する意図は、7割以上が自身の功績を誇る為であり、招かれた場合は決して自身の自慢はしてはならない。話しかけられても聞かれた事にしか答えない方が無難であると締めくくられていた。
最後のQ &Aには、「夜会にて、とても優しい貴族様に出会えた。お付き合いできるでしょうか?」と言う質問に、「身分の差をまず考えましょう。貴方は身分の差を乗り越えるほど自信がおありなら、アプローチをしていいかもしれません。しかし、お相手の貴族様が貴方の価値へ気づく可能性は限りなく低いので、諦めた方がいいでしょう」とあまりにもはっきり書かれて居て、リオは何故か心が締め付けられる気分になった。
身分差については序盤にある程度解説があり、貴族と平民は見ているものが違っていて会話が噛み合わない。よって言葉が受け入れられず、失笑される可能性もある事から、聞かれたことだけに答えれば、かろうじて会話は成立すると結論づけられている。
リオはこの解説に、何故かとても納得した。この数日間、カナトと過ごしサクラやジン、王子にも出会ったが、理解できた会話の方が少なくため息が落ちる。
ここへ来たばかりで、この国や世界のことへ無知なこともあるが、貴族でも良心的だと評価されるカナトですらも、リオは「仕事の話」しかできていなかったからだ。
何が好きで何が嫌いか、趣味の話などの話はなく、思いだすと後悔も込み上げてくる。
カナトは、ダンスを介してリオへ歩み寄ろうとしてくれたのに、目の前の情報を処理するのに必死でその気持ちにすら気づけてはいなかった。
「私、さいてーや……」
今からでも間に合うだろうか。
カナトが気に掛けてくれているなら、リオもまたその気持ちに応えたい。
社長と社員と言う関係ではなく、ジンとカナトのような「友人」でありたいと思ったはずなのに、何一つ実行できていなかった。
「よし、やったろ……!」
少しだけ気合をいれ、リオは寝巻きのまま鏡の間でステップの練習を始めた。
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