第8話 ホームシック

「リオ様ですか?」

「あぁ、今日は少し元気がなかった。何か聞いては居ないか? サクラ」


 リオと別れ、自室へ戻ったカナトはサクラ・モルガナイトを呼び出していた。

 サクラは、明日のスケジュールの打ち合わせだと思い筆記用具を携えて向かったが、まさか異性に関する事を相談されるとは思わず困惑してしまう。


「そもそも、まだ数回しか顔を合わせて居ない私に話して頂けることはないと思うのですが……」

「……女性のサクラならわかるだろうと思ったが……やはりリオには、女性の友人が居た方が良いと考えている」

「それは同意見ですが、リオ様にとって見知らぬ土地に住む私達は、身分の差や立場の関係上、とてもお力になれるとは思えないのですが……それに女性は時間をかけてお互いを探ってゆくものです。この数日では難しいかと」

「ふむ……」

「それに私は、リオ様がそこまで悩んでおられるようには思えません。この邸宅の御曹司たるカナト様が大切されているのは一目瞭然で、それ以上の幸いはないかと……」

「だからこそだ。サクラ」

「……?」

「恵まれているからこそ、贅沢が言えなくなっている。それは今日まで私は、リオの要求を何も聞いてはいないからだ。衣服は全て貸出し、食事を与え、寝る場所を用意する。雇用主としては当然だが、当人の要求を聞かず受け入れず、労働だけを強いる状況は囚人と変わらない」

「……」

「リオが心置きなく過ごす為に、何か良い方法はないだろうか……」


 サクラは考えこむカナトを見て居た。

 カナトのこの態度は、今にはじまったことではない。それは他ならぬ彼自身が、この邸宅で働く騎士や使用人達を気にかけ続けていることにある。

 かつてのこのアークヴィーチェ邸は、本国から離れ、かつ外国の中へあることから、使用人達の中では過酷な場所とされ嫌煙されていた。人が目まぐるしく動き、数ヶ月単位で変わってゆく環境は、引き継ぎの関係で業務も破綻しかけて居たが、カナトが10代となり、邸宅の権限を得た事でその業務形態の改善へと行動を起こしたのだ。

 数十名しか居なかった使用人を倍に増やし、生活環境を整え、皆の時間へ余裕を持たせる。空き時間は自由にして良いとし、庭や植木、清掃などは外注にすると使用人達の負担は減り、人が居着くようになっていった。

 またガーデニアでも発展途上だったパーソナルデバイス、コンピュータを持ち込み、事務処理のほとんどがデジタル化したことで、シフト管理なども簡単に行えるようになり、皆が余計な作業にとらわれず業務をこなせるようにもなる。


 サクラは、当時ここへと配属される事となった時、本国ではガーデニアでの労働基準違反に抵触してるとも噂をされていて、覚悟すらも持ったものだが、いざ来てみると使用人達は時間を持て余し、空き時間に昼寝をしている者もいれば、庭でピクニックをしているのもみる。

 また騎士も特に暇で、数時間ごとの見回りさえこなせば何も言われず、働かない労働基準違反の可能性を疑ったほどでもあった。しかし、古株の騎士や使用人達は、過去の激務を語り合い、その度にカナトへ感謝忘れずに話す。

 ウォーレスハイムを反面教師とする御曹司は、業務の効率化を好み、周りで働く人々をまるで宝のように大切にしていると。

 カナトにとっては、おそらくリオも彼らと同じなのだ。アークヴィーチェ・エーデル社の社員としてリオを雇い、使用人ではなく一社員として大切にしようとしている。

 使用人達に異論はない。

 カナトによって大切にされる人々が、カナトの大切なものを丁重に扱うのは、至極当然ことだからだ。だが、使用人達には当たり前でも、リオにとってはそうではない。

 彼女には経過がなく、使用人達がなぜカナトに忠実な事実も知らないからだ。


「私に友人が務まるでしょうか……」


 カナトは少し困ったように笑う。

 やりたいことをやっている騎士や使用人へリオが遠慮している可能性があるのなら、それは誤解として解かねばならないとサクラは思う。


「私は、茶会をやるぐらいしか思いつかなかった。しかし今日も逆に緊張させてしまったようだ」

「ある日突然王子殿下の前にだされれば、誰でも緊張しますよ……」

「王子は女性の憧れだと、この国の漫画でも読んだが、やはり漫画は創作だな……」

「女性にとっての王子は、あくまで理想の男性です。本物ではありません!」


 思わず本気で突っ込んでしまうサクラにカナトは笑っていた。つられて表情がゆるむ彼女は相手の感情を大切にできる、騎士の中でもかなり柔軟な性格をしている。


「少しお声掛けをしてみます」

「ありがとう、サクラ」


 カナトは、サクラへお茶をすすめるが、彼女は見回りがあると言って彼の自室を後にする。



 リオが意識を取り戻したのは、扉のノック音からだった。

 暗くなったアークヴィーチェ邸の居室で飛び起きたリオは、チェストの上に置かれた鏡で自分の顔を見て絶句する。

 涙で汚れメイクもぼろぼろになっている事に気づいたリオは、さらに洗面台にて顔が真っ赤に腫れあがっている事に驚き、冷水で冷やしていた。

 しかし、洗顔だけ腫れが治まることはなく、どうにかできないか試行錯誤していると、部屋の扉の方から更にノックが聞こえて焦ってしまう。

 顔を見られたくはなく、せめてマスクはないか探すが見つからず、あれこれ動いている間に足音が遠のき使用人は戻ってしまったようだった。


 そっと扉の外を覗くと夕食らしいワゴンのみが置かれて居て、リオはワゴンのみを引き入れて嘆息する。

 どれほど心は辛くとも、空腹を感じるのが悔しい。ここでの食事は、休日に試行錯誤して作っていた自分の料理より何倍も美味で、盛り付けも美しく数少ない楽しみにもなっていた。

 しかし、リオはまだこの食事に見合った働きはできていない。それでも用意されたもので食べなければ勿体ない気持ちが先立ち、食べる度に罪悪感が募って潰れそうになる。

 何かしなければと焦り、何もできないと打ちひしがれる。どうしようと手をつけられずにいると、新たなノックが響き、思わず体が震えた。


「リオ様。サクラ・モルガナイトです。ご機嫌よう、おやすみ中でしょうか?」


 顔を見られたくない気持ちが先立ち、押し黙ってしまう。どうしようと焦っていると、安全確認ともいわれ扉が開かれた。


「ひぃ、す、すみません。ちょっと取り込み中で……」

「おや、申し訳ございません」


 顔を背けるリオを気にかけず、サクラは膝をついて述べた。


「この邸宅では、お客様にドアノブサインがかけられて居なかった場合。お返事がなければ一応は騎士が確認に向かう決まりがあります。これはお客様の体調を心配してのことなのでお許しください」

「そ、そうなんですね。こちらこそすみません……」

「……もしかして、泣いておられたのですか? 目が腫れておられます……」

「え、いや、その、これは……大丈夫です。ちょっとホームシックで……」


 途切れ途切れの声に、サクラは何かを察したのか、ゆっくりとリオの前へ歩み寄ってくれた。そして、手を取り優しく握ってくれる。


「……そうですよね。突然見知らぬ土地にきて、友達や家族とも会えなくなってしまったなら、寂しくなるのは当然です」

「サクラ、さん……」

「大丈夫ですよ。リオ様、私は貴方を守る為におります。騎士はもちろん個人によって持つ矜持などは変わって来ますが、私は主君の身体だけでなく、誇りや心も守れてこそ騎士を名乗ることができると考えています」

「誇り……? 心……」

「はい。リオ様が今、心から傷ついておられるなら、それを守れなかった私の責任でもある。ごめんなさい」

「ち、違います。これは私が勝手な気持ちで……。


 この孤独を伝えていいのか判断ができない。それは、サクラにも負担がある事だとも思え迷惑をかけたくないとも思うからだ。


「大丈夫ですよ。私は、貴方の事を否定する気はありません」

「へ……」

「今日のお茶会は、大変緊張なされたのではないですか? カナト様は、そう言う方というか、やはりウォーレスハイム外交と似た気質をお持ちで、『話す』よりも先に『見せる』ことをよくされるので……」


 リオは思い当たる節がここ数日でそれなりにあった。出会ったその日も、不具合を起こしたシステムの説明はなかったし、ブロードバンドプロジェクトも、言わばアドリブのように聞かされたからだ。


「びっくりしますよね。反応に困ると言うか。でも、相手を驚かせるのも好きな方なので、人によってはかなり大変だといつも思うんです」

「は、はい……」


 思わず肯定してしまい、リオは自分で口を塞いだ。サクラは笑顔を崩さないまま、更に手を強く握ってくれる。


「大丈夫ですよ。みんなそう思ってます。私も……」

「そうなんですね」

「だって、ただの外出だと言われて向かったら突然タチバナ家ですよ? てっきりただの買い物だと思ってましたが、嫌な予感がして騎士服で行きましたけど、まさかの的中でほっとしましたもん!」

「サクラさんにも知らされてなかったんですね……」

「リオ様は、そう言う事はありましたか?」

「今日は、まさか王子様と騎士さんがくるとは思わなくて……特に騎士さんは、この前セドリックさんが私を捕まえに来たって言うのが何故かずっと心にのこってて、怖くて、外されてほっとしてしまったのがあります」

「それは、とてもお辛かったでしょう」

「って、サクラさんも騎士さんでした。ご、ごめんなさい……サクラさんは、そう言うのはなくて……」

「いえいえ、そうですよね。騎士は一般平民の方々とっては怖いものです。私達は、人でありながら、人を牽制するために存在する武器とも言える。怖くて当然です」

「……」

「怖がらせてごめんなさい。でもリオ様が感じた騎士への恐怖は、リオ様に襲いかかる脅威を退ける力にもなります。だからこそ、私はたとえ貴方へ怖がられていたとしても、必ず貴方を守ることをここに誓います」


 サクラは、リオの手を取り自身の左胸へ当ててくれる。暖かい鼓動を感じると緊張が解れ目の前に彼女がいる事を改めて認識できた。


「ありがとうございます……」

「当然です。もしよろしければ他にも感じた事をお聞かせください。力になれるでしょうか?」


 リオは、少し話すべきか迷った。

 その感情は決して解決できる事ではなく、ただ自分勝手な気持ちだからだ。しかしサクラは、大前提に「否定はしない」と言ってくれている。

 冷静に受け取るとこの言葉は、「愚痴ってもいい」と言う意味だと解釈した。


「ジン君と王子様は友達で、カナトさんと王子様も友達、それでカナトさんもジン君と友達になって、私には友達がいないなって……」

「……それはひどいですね」

「ひどいですか?」

「酷いですよ! 呼び出しておいて一人仲間はずれではないですか! 貴族なのは分かりますがあんまりです!!」


 サクラが怒っていて、リオは呆然としていた。彼女は、もっと話せるようにすべきだとか、その空気なら全員とも友達になるべきだとも説く。


「リオ様がなんで呼ばれたのかも分かりません! 王子への見せ物ですか? 人権侵害ですよ!」

「じんけ……、そこまでじゃ、ジン君もいたし?」

「タチバナさんが主役なので、リオ様は同列ではありません。本当に、まだまだお若いにしても失礼すぎます。申し訳ございません」


 思わずポカンとしてしまいすぐに言葉が出てこなかった。サクラは呆れた態度を取りつつ再びリオを見る。


「カナト様も、おそらく悪気があったわけではないのです。あのお方は、ガーデニア人でありながらもこのオウカ国で生まれ、その人生の半分以上をこの国で過ごされたと聞いています。それ故にご友人もこの国の王子殿下ぐらいしかおられない」

「王子様だけ……?」

「はい。しかし王子殿下もお国を背負われている以上、お互いに本音を話せるとは言いがたい関係でもある。貴族って難しいんですよね」

「……」


 本音を話せる友人がいない。

 たしかにリオは、この数日でカナトの本当に友人らしき人と出会えてはいなかった。想像しやすいのはサクラだが、彼女はあくまでアークヴィーチェ家に雇われている騎士の一人に過ぎない。


「カナト様はきっと、リオ様が来られてとても嬉しかったのでしょう。コンピュータと言う好きな事を語り合える方がお父上のウォーレスハイム外交しかおりませんでしたから」


 カナトも孤独だったのだ。

 話したい事を話せる相手がいない日常に現れた話し相手、リオ。彼はリオを毎日呼び出しては饒舌に知識を語り、国を語り、プロジェクトについて語ってくれていた。

 リオは聞き手に徹するように相槌を打っては質問をしてくれる、まさに最高の話し相手だったのだろう。


「私と同じだったんですね……」

「同じ?」


 話せる相手がいない気持ちをカナトは抱えていた。リオよりも何年も長くそれを感じていたのなら、たった数日など甘えていられないとすら思えてくる。


「私も、話せる人がいなくて寂しかったんです。だから、カナトさんの事ちょっと分かるなって」

「そうですか。なら今のカナト様はとても幸いでしょう。でも悪気はないとは言え、先程の茶会は大変失礼ですから、そこはかとなくお伝え致しますね」

「き、きにしないので、大丈夫です……その、疎外感はあったけど、納得もしたと言うか……」

「あら?」


 カナトからすれば、おそらくあの場は「いつものノリ」であったのだろうという事が分かったからだ。

 リオと言う参加者に対し、「友人の王子」と「新たなジン」を追加した午後の茶会。これはつまり、カナトの中ではすでにリオは「話を聞いてくれるいつもの友人」としてカウントされていると言うことになる。


「本当に大丈夫ですか?」

「はい。お気遣いありがとうございます」


 話を聞くだけで助けになれていたのなら、それだけでもリオがここにいる価値はあるからだ。


「リオ様、しばらくここで生活されるのでしたら必要な物を買いに街へでかけませんか?」

「え、でも、私、まだお金が……」

「気にされるならのちに返して頂ければ大丈夫です。衣服も借りものでは窮屈でしょう。お好きなものを買いにゆきましょう」


 少し楽しそうなサクラの表情は、まるで学生時代の友人のようでリオは、当時を思い出して救われた気分だった。


「サクラさん……。ありがとうございます」

「私のお気に入りのお店にご案内します。それともしリオ様がいいなら、エーデル社の見学にも行きませんか?」

「見学?」

「はい。伺った話では、来週から入社されるようですが、その前に雰囲気をみておくのもよい気分転換になるのではと」

「是非行きたいです……!」

「よかったです。では明日の午前、エントランスで待ち合わせをしましょう」

「分かりました。よろしくお願いします」

「楽しみです」


 サクラは、優しくリオに笑いかけながら居室を出ていった。少し名残惜しくもあったが、彼女の手の温かさを覚えていて安心する。


「がんばろ……」


 この世界に慣れる為にも、リオは気持ち新たに外出の準備を始める。




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