第6話 ジン・タチバナ

 カツラの付け入る隙が無い言葉に、カナトとサクラは何も言い返せなかった。その中でリオだけは、とても冷静にカツラの言葉を理解して分析する。

 カツラは、協力を断ってはきたが「インターネット」そのものに否定的な態度は示してはいない。それはこちらへ必要性を問い、便利なものだと言う理解も示してくれたからだ。

 アークヴィーチェ・エーデル社側の目的を否定せず、協力のみを断ると言うのなら、それはおそらく感情論でしかない。

 態度が問題だったのだろうと考え、リオはカツラへ日本の「武士」を連想していた。

 自身の利益や繁栄よりも、主君への忠義へその身を捧ぐそ姿勢は、日本の江戸時代に存在した「侍」と違わず、納得すらしてしまう。己の損得よりも筋を通す態度は、正に日本人の誇りとも言えるからだ。


「カツラさん。とてもかっこいいです」

「……! 何をおっしゃる?」

「いえ、その本当に悪い意味はなくて……、でも少しだけお話を聞いて頂けませんか?」

「……良いでしょう」

「あの、カナトさんは別にガーデニアへ仕えて下さいって言っている訳ではないのです」

「ふむ?」


 カナトの態度は、対面した時から違和感があった。こちらは企業側で、取引で言うなら売り込みにゆく立場なのに、客間へ通されまるでお客様のように扱われていたからだ。タチバナ家もそれを当然のように受け入れているのは、おそらくこの国のしきたりか何かなのだろう。

 だがそれではこの取引は成り立たないとリオは思った。エーデル社はあくまで協力を取り付けに来て、その立場はおそらく『対等』だからだ。


「これは、その、何というか。どちらかといえば『友達になりましょう』って感じで、だからきっとこれは、仕える仕えないと言う問題ではなく『対等』だと思うんです」


 サクラが口を出そうとするが、それはカナトによって止められた。


「私は、この国を良くしたい。その為にタチバナさんも協力して頂けませんか?」

「なるほど、では『対等』であるなら、我々が貴方がたへ協力することでの利点はなんですかな?」

「それは……」

「タチバナ家が、我が家へ協力する上での利点、それは当然『広報力』でしょう」


 唐突に言葉を放ったカナトに、リオは驚いた。以前のウォーレスハイムの時の様に意気揚々と笑みを見せる彼は、まるで演説するように続ける。


「アークヴィーチェ・エーデル社は、このオウカ国での回線工事を行うため、カレンデュラ領を除いた全ての土地へと足を運ぶ。その際にタチバナ家が同行する事で、公爵家の彼らにも改めてタチバナの名を語ることができる。これは威力を削がれつつある貴方がたの名誉の回復にも繋がるでしょう」

「ふむ。確かにタチバナ家はもう、この首都にしか存在せず、他領地での知名度はないに等しい。ここで再び名を轟かせることができるのであれば我が家は我々が断る理由もありませんな」

「それでは……」

「はい、我が『タチバナ家』は、アークヴィーチェ・エーデル社と『対等』の条件の元、貴方がたへ協力いたしましょう!」

「ありがとうございます!」

「……しかし」

「しかし……?」


 カツラは顔を顰め続ける言葉に悩んでいる。「どう説明したものか」と言えるようなその表情へ、3人は戦々恐々と続く言葉を待った。


「我が家タチバナの当主は、現在の騎士団長でもあり、その様なことに時間はさけぬ身分でもある。よって、我が家の長男たるジン・タチバナが、貴方がたへ協力する事となるが……」

「何か問題でも……?」

「我が孫、ジン・タチバナは、反抗期も相まって不安定な時期にありまして……、よって私や父の言うことなど点で聞きませんでな」

「は、反抗期……ですか?」

「なる、ほど……」

「タチバナ家としては、ジンを連れてゆくことは構いませぬ。が、未だ精神が未熟であるにしても、我が家からすれば大切な跡取りでもある。貴方がたが『対等』だと仰るならば本人の意思も尊重してやってください。親としてはそれで十分です」

「かしこまりました、カツラ殿。我が家アークヴィーチェは、この約束のもとジン殿の尊厳を守ることを尽力する」

「ありがとうございます」


 カツラは深々と頭を下げ、その場の交渉は一旦の区切りを迎える。カツラに呼ばれた女性によってお茶が出される中、ジンを呼び出す事を聞いた彼女は、何故か「え?」と焦っていた。


「え、おじいちゃん。ジンを呼んでいいの?」

「何か問題あるか?」

「ジン、また喧嘩して顔が……」

「またか?! しょうがない奴じゃ……」

「お気になさらずに……」

「構わん。ツキハ、呼んでくれ」

「かなり不貞腐れてるので、貴族さんに無礼ではないかしら……」

「ご安心を、我々は本日からタチバナ家とは『対等』です。お気にならず」

「あら」

「そう言う事らしい。話だけでも聞かせればいいじゃろ」

「分かりました。じゃあちょっと待って下さいね」


 ツキハと呼ばれた女性は、笑顔で客間を出てゆく。彼女はタチバナ家へ嫁いだツキハ・タチバナ。つまりジンの母だと3人は紹介された。

 カツラとの会話へ花を咲かせる中、客間に隣接する廊下へ人の気配を得る。ツキハの声からはじまり、開けられた襖から現れたのは、ブレザー学生服を着て頬にガーゼを張った茶髪の青年だった。


「お初にお目にかかります。ジン・タチバナです。お見知り置きを」

「ジン、ここへ」


 促されたジンは、静かにカツラの横へと座る。

 長めの前髪をワックスで整えた彼は、少し見栄を張った若い学生そのもので、古風な武士をイメージしていたリオは意表を突かれた。カツラと同じ銀の瞳を持つその青年は、丁寧な言葉とは裏腹にこちらをまるで敵の様にみつめている。


「ジン、彼らは隣国ガーデニアより来られた方々だ。我が家タチバナ家と『対等』に協力したいと話された」

「ふーん……」

「ジン・タチバナ殿。間も無く始まる春休みに合わせ、我々と各領地を回っては頂けないだろうか?」

「なんで俺なんですか?」

「ガーデニアとオウカの友好を、この国の公爵家に示したいと思っている。その為にタチバナ家の将来を紡ぐ貴殿へご同行願いたい」

「別にもう仲いいじゃん。殿下の友達だろアンタ」

「こら、敬語使わんかい!!」

「じいちゃん、対等っていったじゃねーか」


 冷静な反論にリオは驚いた。その態度は、相手の地位や立場に物応じしない若さの強さにも見えたからだ。


「私をご存知か?」

「名前だけだけどさ。アークヴィーチェって、カナトだろ? 殿下が頭いいっていってた。でも聞いてた通りの貴族だな。めんどくせ」

「も、申し訳ございません……」

「気にされず、そうか。ジン殿は私のどこが面倒だと感じた?」

「回りくどい言葉で言いくるめようとしてるとこだよ。もっと分かりやすい言えばいいだろ? 公爵家を黙らせる為に利用させろってさ」

「ジン、その件はもう話はついている。彼らは我が家の名声を回復してくれるとな」

「名声?」

「お前が土地周りへ同行すれば、タチバナ家の名を宣伝できるだろうと言う話だ」

「はぁ? 俺は正直、家の名声なんてどうでもいいんだけど……」

「ん"な……」

「別に俺がタチバナかどうかなんて関係ないし……」

「貴様、現在の地位に散々甘えておきながら何てことを!!」

「お、おじいちゃん、ごめんなさい、落ち着いて!!」


 カツラの激昂に、ジンが耳を塞いでいた。止めに入ったツキハに宥められ、カツラは頭を抱えてしまう。未来のタチバナ家を担う彼は、想像していた以上に自分の家の在り方について無頓着だった。


「申し訳ございません……アークヴィーチェ卿」

「なるほど、とても潔いお方だ。年相応とも言える」

「『対等』の癖に、そう言う上から目線もなんだよ。何歳?」

「18だ」

「俺15、そこまで変わらねーじゃん」


 中学と高校の境目と言われれば確かに納得もゆき、リオは迷っていた。

 タチバナ家の名誉回復を条件に協力を取り付けたのに、まさか当本人が名誉に興味がないとは思わず、ここまでの話の流れが完全に破綻したとも言える。

 つまりこれはジンを踏まえて改めて話し合わなければならず、リオは渋々口を開いた。


「あの、ジン君? どうしたら協力してもらえる?」

「誰?」

「リオ・スズキといいます。今日は見学で……」

「何歳?」

「に、21歳です……」

「ふーん。他の土地って行くって泊まりがけだろ? 殿下守れなくなるし……乗れねぇかな」

「殿下?」

「キリヤナギ殿下だよ。今日久しぶりに遊ぶ約束してたのに、あのクソ教師が呼び出して駄目になったんだ」

「アンタが殴るからでしょー!」

「母ちゃん! 向こうから突っかかってきたんだって!!」


 今度は母と喧嘩している。深刻な表情をしているカツラと対比する様に、カナトは冷静にジンを分析しているが、リオはジンから出てきた単語に混乱していた。

 先程、公園にて顔を合わせた青年の一人が「キリヤナギ」だと、自己紹介してくれたからだ。


「お気づきになられましたか? リオ様」

「サクラさん!? キリヤナギ殿下ってさっき会いましたよね?! なんで言ってくれないんですかーー!?」

「あの場はお忍びですから、街の方に聞かれてはいけませんし……」

「殿下に会った? ならまだ公園? 今からでも間に合う?」

「ごぉら!! 今はこのお三方と話しとるんじゃ!! 席を外そうとすな!!」


 ジンは更に不機嫌そうに顔を顰め、渋々座っていた。その場がようやく静かになり、カナトはお茶を啜りながら口を開く。


「ジン殿は、キリヤナギが気に入ってるんだな」

「当たり前じゃん。つーか、呼び捨てやめろよ。王子だぜ?」

「失礼、なら言い直すが、私達はこのオウカ国をよりよく発展させる為にこの場へいる。キリヤナギ殿下はこれをどう思うと考える?」

「それは、アンタが友達なら悪いイメージはなさそうだけど……」

「私は、我が国の最新の通信技術、インターネットとモバイル通信を普及させる為に貴殿へ協力を仰ぎに来たが、このプロジェクトには未だ多くの壁が存在する。この壁が、もしジン殿がいるだけで全てクリアできるとすれば、キリヤナギ殿下はどうされると思う?」


 その場に再び静寂が訪れ、全員がジンの返答を待っていた。彼は不本意なのか目を合わせずにぼやく。


「俺に、頼みに来ると思う……」

「……どうか、我々に協力してくれないか?」

「……」


 ジンはかなり迷っている様だった。そんな様子にリオはこのジンという青年が、青年ながらに王子へ親愛を抱いていることへ気づく。カナトはそんなジンの心理を読み取り、キリヤナギの意思として協力を仰いだのだ。

 

「やだよ。この土地から出たくない……」

「……ジン」

「もういいだろ、帰ってくれ」


 ジンは、そのまま目を合わせず客間を出て行った。カツラとツキハは並んで頭を下げ、ジンの無礼と協力ができなかったことへ謝罪してくれる。

 そして、帰りのタクシーにてカナトは手を口元へ当ててずっと何かを考えていた。


「ジン君、駄目でしたね」

「少し驚いた。ジン殿のあの頑なな様子は、何か理由があるのだろうが……」

「理由?」


 カナトはさらに数秒考え、はっと顔を上げていた。


「警備方針の変更か……」

「え、」

「明日もう一度。ジン殿へ会って話そう」

「でも、もう断られましたよ?」

「ジン殿は、キリヤナギと離れたくないだけだ。警備方針の変更で、会う機会が少なくなる前に出来るだけ会っておきたいと考えている」

「……!」

「それなら確かに貴重な春休みと言う時間を奪うのは忍びないな」

「大切にされているってことでしょうか?」

「そうだろう。しかし、待つことはできない。その上で交渉する」

 

 カナトは意気揚々と手帳へスケジュールを書き込んでいた。

 昼間の些細な会話へヒントを見出し、相手の願望を叶えながら道筋をつけてゆくカナトは、まさに取引相手としては理想とも言える。


「すごいです。カナトさん」

「リオのおかげだ。長く貴族である事で、私はビジネスにおける『対等』と言う考えを見失っていた。貴族と平民であることはそうだが、ビジネスの観点で言えば企業と顧客に過ぎない。企業同士で協力するのなら、対等でなければそもそも釣り合わなかったんだ」

「しかし、カナト様。それでは他の騎士達もアークヴィーチェと対等でなければ釣り合わないのでは?」

「サクラ、これは貴族と騎士の位の差の話ではない。そもそもアークヴィーチェはガーデニアの貴族で、このオウカの人々にとっては、土地もなければ権威もない貴族とも言える。そんな貴族が権力を振るった所でただの遠吠えだと思わないか?」

「アークヴィーチェは、オウカとガーデニアの和平に貢献した栄えある外交貴族では……」

「今更だが、この平和が長く続き、すでに世代は変わっている。またそれに縋り続けるのも名は廃るだろう、それならば新たに実績をを積み重ね、人々に名を示す方が有意義だと、私は思う」

「そもそも理解を得る必要があるのでしょうか? 私はアークヴィーチェ家があってこその平和を誇り続けるのが重要だと思うのですが」

「それはそうだな、だが目線を同じとするのも悪くはない。父がやらなかった事を私はやろうと思う、サクラは不満か?」

「いえ、私に異論はありません。このオウカ国においては、確かにアークヴィーチェの名は知名度が低い。ビジネスという面で成功できれば確かにプラスに働くでしょう」

「話が早くて助かる」


 リオは二人の話を聞いていて背筋がひどく冷えていた。それは「対等」という言葉を持ち出したのはリオ自身であり、他ならぬ貴族の価値を下げたとも解釈できるからだ。

 本来振るえるはずだった権威を「対等」とした事で振るえなくなっ様にも思え、やらかしてしまった後悔が押し寄せる。


「か、カナトさんにサクラさん! ごめんなさい、私、もしかしてとんでもない事を……」

「いや、構わないんだ。リオの判断は正しかった。外国人の我々が『他の公爵と同じ立場である』と言う大前提が、この国の国民には歪に映っていたのだろう。私達アークヴィーチェは2国間和平を維持しているだけに過ぎず、他の公爵の様に土地を守ることもしていなければ、社会貢献もできていないのだから」

「カナトさん……」

「同じ権威を振るう為には、同じだけの功績が必要だ。カツラ殿はそれをわかっていて我々の打診も断ったのだろう。思えば断られるのは当たり前だ。ジン殿のあの態度を見れば、我々は貴族として彼に立場の差を教えるところから始めなければならない」

「……!」

「カツラ殿は、それを避ける為に『対等』で、尊厳を守るという我々に軟化した。それだけの事だ」

「そう、だったんですね」

「平民は、本来貴族の意思に背いてはならない。しかし我々は外国人であり、権限がない為に断られたが、あのまま協力を得ていれば、タチバナは本当の意味でオウカを裏切ったとも言われ、全ての名誉は地に落ちていただろう。私も浅はかだった。リオ、ありがとう」

「いえ、むしろ勝手なこと言ってごめんなさい。ありがとうございます」


 カナトは笑みをこぼし、タクシーはアークヴィーチェ邸へと戻ってゆく。色々あってまとめきれず、まだ飲み込めていないが、手元にのメモ帳につらつらと起こった事を書くと考えが整理されまとまってゆく。


 15歳の青年とどう向き合うべきか考えていると、リオは自分が15歳の頃を思い返していた。

 その頃のリオは、父親の部屋にあったコンピュータに夢中で、兄と共にこっそりゲームで遊ぶのが最大限の楽しみだった。当時のパソコンゲームは、大流行していたゲーム機とは別物でチープなものが多かったが、難易度がかなり高く兄と共に試行錯誤する時間がとても楽しかった思い出がある。

 趣味も好みも違う兄と協力し合える唯一の環境は、リオはますますコンピュータへのめり込むきっかけとなった。


「(ジン君にとって、王子様は私のお兄ちゃんなんやろか……)」


 学校でのジンの環境は、喧嘩をしている時点でよくはないのだろうと想像する。環境の悪い学校の外で、王子が唯一の心の安らぎだとすれば、ジンが王子と離れたくないと話すのもわかってしまうからだ。

 それはリオが、兄が東京へ働きにゆくと言った時、とても寂しくて辛かったからにもある。

 ずっと一緒にいて、時々喧嘩しても気遣ってくれる兄とリオは離れたくはなかった。しかし、そんな気持ちはわがままで言い出せず、夢を叶えたいと言う兄を止めることもできなかった。


「(きっかけがあればいいんやけど……)」


 当時、リオは何もしなかった。

 寂しい気持ちはあっても、それは数ヶ月で薄れ、時々帰ってくるだけでも十分に思えてきたからだ。だが就職し、会う機会はもっと減り、家を出てからは父と母以上に会わなくなった。

 考えると寂しくなり、胸がキュッと締め付けられる痛みがくる。心に思うのは、自分と同じになって欲しくはないという些細な願いでもあり、これはリオの願望でもあった。

 


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