第2話 ちょっと変わった異世界

 目が覚めたそこは、美しい刺繍装飾が施されたベッドだった。

 窓から差し込む春の日差しは、広い部屋を淡く照らし、夜に冷え切った部屋へ暖をもたらしてくれる。

 リオはベッドに横になったまま、一晩で経てば大阪に戻っているかもしれないと希望的観測をもっていたが、周辺の景色は変わらず周りには広く豪華な居室が広がり、ここは元の『日本』ではないとようやく実感も得てくる。


 昨日読み込んだ歴史本には、この世界の国々の成り立ちが詳細に書かれていた。

 人類の進化を割愛すると、カナトのいうガーデニア国は、かつてこのオウカ国と一つであり、広大な領地を持つ「ヘヴンリーガーデン」と言われ、大陸中の全ての国を掌握できるであろうの国力を持っていた。しかしヘヴンリーガーデンは、王家に内乱が起り分裂。お互いに名前を変え、ガーデニアとオウカとなった。

 この二つの国は四季もあり、気候も安定した土地ではあったが、資源においては東側のオウカ側へと偏り、二国は幾度となく争いを繰り返してきたが、オウカ国の王家が天よりおろした「異能」により、ガーデニアは後退を余儀なくされる。

 オウカ国の王族より下された人間の五感を拡張する七つの力は、現代でもガーデニアを含めた周辺各国を牽制し、平和を維持していると言う。

 突然歴史書に現れた漫画のような能力に、リオはやはり夢ではないかと思ったが、朝起きてもう一度歴史書を読み直しても同じことが書かれている。

 そんなものが本当にあるのだろうかと興味深くも思い、この世界が地球と同じく人類の進化とともに歩んできたのだとわかると、ここが異世界だと言うのもやっと実感がでてきて不安にもなった。


 この「異世界」に、何故「日本」にいたリオが来ることになったのかわからない。

 多くの漫画やアニメの主人公は、様々な使命を持って呼ばれるのに、未だリオは何をすればいいのかすらもわからないからだ。何かの事故なのだろうかとも思えてきてため息もついてしまう。


「どうなるんやろ……」


 思わず不安な言葉が出てしまう。

 時刻は8時。時間の単位も日本と同じでカレンダーの暦も変わらない。慣れることはできるようにも思えるが、兄を思い出すと恋しくて仕方がなかった。

 

 居室の洗面台で軽く顔を濯いだリオは、部屋に干されていた自分の衣服を見直す。タグへ「Made in Japan」と綴られるその衣服は、お気に入りのブランド店で買ったもので、気分を前向きにしたい時に着ているものだった。

 大阪にいた昨日、リオは朝から寝不足で酷く仕事が億劫だったが、これを着て家を出るととても清々しい気分になり、救われて出勤した。しかしサーバー止まり、理不尽に叱られた最悪の一日にもなってしまった。


「リオ様……」


 ノックから扉越しに声が聞こえ、リオは顔を上げる。合図に答えてくれたメイドの彼女は朝食を運んできてくれた。


「ご、ごはん!? ありがとうございます……!」

「いえいえ、当然です。どうぞお召し上がり下さい。この後、ウォレス様が少しお会いしたいとの仰せですが、ご案内してもよろしいでしょうか?」

「ウォレスさま?」

「このアークヴィーチェ邸の家長たる。ウォーレスハイム・アークヴィーチェ様が、リオ様とお話をしたいと仰せです。カナト様のお父様にあらせられます」


 カナトの父ときいてリオははっとした。昨日と今日で部屋を間借りし、食事まで提供してくれた相手でもあると気づくと、リオはむしろ合わなければならない相手であると気づく。


「ご、ごめんなさい!」

「は、はい?」

「すみません。私、お部屋お借りしたのに、ご挨拶もできてなくて……今、すぐにでもーー……」

「ふふ、そんな忙しくされなくても大丈夫ですわ。ウォレス様は、本日久しぶりの休日でまだお休みされております。リオ様もどうぞお寛ぎ下さい」

「そうなんですね。……分かりました」

「カナト様はもう起きておられます。お伝えしてもかまいませんか?」

「はい、大丈夫です」

「畏まりました。それでは、ご用があればなんなりとお申し付け下さい」


 メイド服の彼女は、スカートを上げ丁寧に礼をして去っていった。ほっとして届けられたワゴンの蓋を取ると、白米に焼き魚とお味噌のついた。完璧な和食で衝撃をうける。

 味もそのままで出汁が効いて美味でもあり、リオは更にここは日本ではないのか?と困惑もしていた。


 絶品の食事に舌鼓を打ち、不安だった気持ちも和らぐ中、部屋の内線が呼び出し音を鳴らす。ベッドの横にある受話器をとると、相手は昨日話した使用人ジョセだった。

彼は、カナトから「朝食後にベランダへ来て欲しい」と言伝を預かったらしく、リオは即座に残りの朝食をかき込み、使用人と共に屋上へと向かう。

 階段を数回上がり、広い廊下の踊り場のような場所は、最上階のエントランスのような作りになっていて、窓の先には邸宅の屋上とも言える広いベランダがあった。

 そして、その庭の敷地を見下ろせる場所に一人の影があり、僅かに響いてくる音色にリオは一瞬で魅了される。

 優しい春風を受け、バイオリンを肩に乗せる彼は、楽譜を見ながらゆっくりとしたバラードを奏でていた。

 その姿は青く澄んだ空へ映え、リオはまるで天使を見ている気分にもなる。

 ただその光景に魅入り、曲を聴いていると弾き終えたカナトがこちらへと視線をよこした。

 

「ご機嫌よう、リオ殿。昨晩はよく眠れただろうか?」


 変わらずの美しい顔に、リオは心身が癒やされてゆく。これほどまでに絵に描いた『貴族』が他にいるだろうかと感激し、不安もどうでもよくなっていた。彼さえ居れば、この世界でもなんとかなるようにも思え、リオは思わず頬が緩んでしまう。


「悪くなさそうだな。よかった……」

「……! あ、ありがとうございます」


 その微笑みに救われる。何も言わずに感激しているリオへ、カナトは向かいのテーブルの席を薦めてくれた。


「食事の方は口に合っただろうか?」

「とっても美味しかったです。と言うかめちゃくちゃ和食だったんですけど……」

「リオ殿はよくご存知だな。私は東国の文化の素朴な和食が気に入っていて、健康にも良いとされているので使用人や騎士達にも勧めている」


 新たな単語にリオは驚いた。和食が通じたのはそうだが、ガーデニアとオウカ意外の国の名前が出てきたからだ。


「とうごく??」

「ご存知ないか……。正式名称は『東(アズマ)国』とも言う。この国はオウカ国の属国に当たり、庇護を受けながら存在する国だ」

「庇護ですか?」

「東国は、オウカ国によって守られている。彼の国は帝と呼ばれる神の子孫を奉り、大自然を味方につけながら国を発展させてきたが、オウカ国の『異能』の出現とガーデニアとオウカの友好関係、また文明戦争にも敗れた事で属国へと落ち着いた」

「えーっと……?」

「ここで何故占領しなかったのか。と言う議論は多いが、当時のオウカ王は、東国の文化を好み、文化を模倣する上での義理だろうとも言われている」

「つまり……?」

「こうして東国の文化が楽しめるのも、我が国ガーデニアの力があってこそ、と言う話だ」


 最後だけ理解できて、リオはよくわからないまま納得していた。カナトの話は難解を極めるが、彼がそれを誇りに思い「語りたい」と言う気持ちは重々に理解はできる。その上で何よりも「ガーデニアと言う国を自慢したい」と言うのも伝わった。


「ガーデニアってすごいんですね」

「我が国は良いところだ。もう150年近くは戦争とは無縁となり、人々は平和を謳歌している。それも我が家アークヴィーチェが、このオウカ国との友好を締結させたからこそ。この功績は、これを為し得たアークヴィーチェにこそ引き継がれてゆくべきだろう」


 意気揚々と語るカナトは、これまで話した中で最も楽しそうにも見え、リオは何故か拍手もしてしまった。そしてその知識から『外交官』とも話されていたことに納得もする。


「『外交官』ってそう言う意味だったんですね」

「そうだ。アークヴィーチェ家がこのオウカ国へ住まう限り、二国間の和平は保証される。ガーデニアも良い国だが、私はこのオウカ国も好きだ。だから私はガーデニア人でありながらもこの国へ尽くしたい」


 その言葉回しは、まるで演説のようでリオは『日本』で時々見かけていた街頭演説を連想した。高らかに自身の公約、使命を語るのは、言葉で人々の心を掴む「政治家」とも言える。


「カナトさんは、自分のやるべき事をわかっているんですね」

「貴族として当然の事だ。人は生まれながらに使命を持っているとも言う。私はこの使命をもって生まれた事を誇りに思う。……リオ殿にそのような使命はお持ちだろうか?」

「私は、そう言うの分からなくて……今も何の為にここに居るのかわからないし、ちょっと羨ましいです」


 ふと思った事を口にしている事に気づきリオは顔を上げた。目の前のカナトは、考えてもいなかったような表情をしていて尚更後悔してしまう。


「す、すみません。つい愚痴が……」

「いや、気にされないでくれ。私も貴方と向き合わなければならないと考えていた所だった」

「向き合う……?」

「昨日、我が父ウォーレスハイムが貴方の身分の確認を取った」

「……!」

「スズキ・リオ殿と同姓同名、または類似の名前を持つの女性は3名。1名は未成年でうち2名は御老体、全員の確認も取れた。つまり貴方は、このオウカ国に国籍がないことが分かった」


 ぞくりと、背中に冷たいものを感じる。国籍がないのは当たり前だ。何故ならリオは、昨日気がついた時にはここにいたからだ。


「ご安心を、国籍がないからと言って我々は訪れた貴方を無碍にはしない。それは我が国ガーデニアが、外国からの亡命者にも人権はあるものだと考えているからだ」


 カナトは真剣な表情を崩さない。彼はリオへの意識を改めた様にも見え、それはようやくこちらを対等に見た様にも思えた。


「ここはオウカ国にある、小さなガーデニア領。この敷地内はガーデニアの法が適応されてオウカの法は及ばない。つまりこの敷地内ではオウカ国の騎士団は手出しができないと言える」

「手出しができない?」

「今現在、リオ殿は国の許可なく我が国へと立ち寄った、言わば不法入国者だとも言えるからだ」


 言葉がうまく飲み込めなかった。そして、頭で何度も繰り返していた実感が一気に押し寄せてくる。不法入国者は、正規の手続きを行なっていない為に、『日本』では犯罪者として扱われるからだ。顔が引き攣って震えるリオへさらにカナトが続ける。


「脅す様ですまない。これはあくまで大前提の話だ。ここはガーデニア国だが、本国ではなくこの敷地内の自治の全てはアークヴィーチェが管理している。また国を追われてきた亡命者に対しても、審査を介して受け入れも行っている」

「……」

「ガーデニアの土地でありながら本国と離れ、本国の自治権が及びにくい場所であり、

我々アークヴィーチェ家はこの狭い土地の『領主』と捉えてもらって構わないだろう。つまりリオ殿を不法入国者と断定するのは、現在この土地の全権を持つ私の父次第、と言う事だ」


 冷静になれず、リオは心音が自分で聞こえるほどに動揺していた。カナトはそれが不本意でもあったのか、震えているリオの手に触れて優しく問いかける。


「ご安心を、私は身元の無い貴方を放り出すことはしない。それは貴方が昨日池で溺れかけていた時から決めた事だ」

「……カナト、さん。私、どうなるんですか……?」

「我が家にて、私の庇護にある限りはその身は保証できるだろう。だが、問題はこの土地の外、オウカ国だ」

「……!」

「現在のオウカ国は、数十年ぶりの臨戦体制となっている。ガーデニア以外の国境を越える者を許さず、外国にわずかでも動きがあれば戦争になってもおかしくはない。以上の状況を踏まえ、リオ殿の立場はこの上なく危険だ」


 再び震え出したリオの手を、カナトはさらに両手で強く握る。言葉の恐怖より手の温もりが伝わり、少しずつ震えもおさまってきた。その時のカナトの目は、「必ず守る、だから今は聞いて欲しい」と言う決意の瞳だ。


「もし、リオ殿がこの敷地から一歩でも外に出れば、臨戦体制にあるオウカ国は、不法入国者である貴方を捉え尋問をするしかない。なぜここへ来て、なぜいるのか。恐らく話すまでは解放されない。ガーデニアは、たとえ犯罪者であっても人権を尊重すべきとも説くが、今のこのオウカ国へその様な余裕は存在しないからだ」


 絶望にさらに滑車をかけられたような現実に、返す言葉が見当たらない。冷静になればカナトの話している事は、日本でも起こり得た当たり前だからだ。

 大阪でも、不法入国者の話題が度々テレビのニュースにて取り上げられて居たのを思い出し、肯定も否定もできない複雑な感情に苛まれる。


「私は、どうすれば……」

「まずはガーデニアとオウカ、どちらかの国籍を取得しなければならないが、オウカは現在、国籍の移動は認めるが新規発行は停止している。よって我が国ガーデニアの国籍発行をしたいと思うが、かまわないだろうか?」

「はい……! それは、もちろん」

「では国籍を発行する上で、第三者により安全だと証明できるものはお持ちではないか? 身分証などだが……」


 何かあるだろうかと服を探ると、ポケットから会社の認証カードが出てきた。挟んでいたメモは洗濯のためかぼろぼろだが、カードはプラスチックで出来ていて、顔写真もついている。


「これは、どうですか?」

「……株式会社テクニカル? 確かに住所は大阪か……こう言う土地を示すものは他にないか?」


 必死に考える最中、リオは衣服に付いていたタグを思い出し、それをカナトへと見せた「made in Japan」と書かれたタグに、カナトは目を見開いて驚く。


「なぜこの言語を?」

「これは、ほぼ英語です。けど……」

「この言語はガーデニア、オウカ、東国が言語統一を行うために開発した。最近の言語でもある。しかしこれはジャ……パン?」

「はい。日本国は英語でジャパンと呼ばれてます」

「なるほど、日本で作られた衣服か。これでどこまで戦えるかはわからないが……」

「戦う?」

「リオ殿へ国籍を発行する為には、まずは父へリオ殿が安全であることを示さなければならない。このカードは、たとえこの国でなくとも一応は第三者がリオ殿のキャリアを証明しているとも言える。社会で働いて居たと言う事実は、働けるだけの社会性があるとともとれるからだ」

「な、なるほど……」

「国籍の発行だけなら簡単な作業だが、我が家もまた生半可な気持ちでそれをやるのはリスクを負いかねない、これは理解して欲しい」

「はい……。あの、カナトさんは、どこまで私の話を信じてくださっていますか?」


 絞り出すように話された言葉に、カナトはしばらくの間、黙っていた。話すべきか迷っている表情は変わらず小さく口を開く。


「……昨日、顔を合わせた時から、私は貴方を疑っていた」

「……」

「突然屋敷に現れた女性だ。ずぶ濡れで、自殺願望をもって飛び込んだろうと思った。人間関係に悩み、ガーデニアへ亡命にきたのかとも考えたが……貴方にはそのような雰囲気は見当たらない」

「……」

「貴方は正直なお方だ。それとも何も考えておられないのか、まず貴方は自身が不利になる事への躊躇いがない。そしてインターネット、日本、大阪などの言葉は、よく考えなければ出てこない単語だ。よって矛盾するこの2点の事柄から、貴方の嘘は嘘であったとしても『完成度が高すぎる』。常人につける嘘ではない。そしてここまでの巧みな嘘をつける御仁ならば、そもそもこちらに不審に思われることはしない筈だ」

「カナト、さん……」

「以上を踏まえ、貴方の言葉は信じるに値すると、私は考える。しかし、この場所の全ての権利の掌握するのは、私ではない」

「……お父さんですよね」

「父の前で嘘は無意味だ。相手の目的の推測から入り利用価値を探す。逆に価値を見出せなければ切り捨てるだろう」


 切り捨てると言う言葉にリオの肩は再び強張るが、目を合わせるとカナトは微笑んでいた。リオを安心させるように肩を撫で、穏やかなトーンで続ける。


「私は父のやり方が好きではない。それは人の価値とは、自分で決めるものだと私は考えているからだ」

「……!」

「誰に何を言われようとも貫く信念や揺るがぬ意志は、相手へ信頼を積み上げ、新たな価値を生み出すと私は信じている」


 カナトは、少泣きそうになっているリオの手を取った。それはまるで願うような懇願するような態度にも思える。


「貴方は、相手にとって何ができるのか、それを心から試行錯誤できるお方だ。それは自身に不利であることでも躊躇いのない、『正義感』と共にある。その献身的な姿勢はこの世界では恐らく過酷な運命を強いるだろうが、私はそんな貴方の味方として後ろへと立ちたい」


 はっきりと言われた言葉に、リオは思わず涙が溢れてきた。怖かった気持ちが弾けるように救われ、とられた手を思わず両手で握り返す。


「あ、ありがとう。ございます。それだけでも、嬉しいです」

「父の前でのリオ殿は、おそらくそのままでも問題はないが、ダメ押しで一つお話しよう」


 カナトは小声で続きを話してくれる。その中身にリオは驚き、思わず事実を確認していた。


「それ本当ですか?」

「あぁ、もちろん、リオ殿次第だが……」

「いえその、是非やりたいです」

「それは助かる。父には聞かれ次第伝えてくれ」

「分かりました……!」


 まるで不安が取り払われるようなカナトの笑みに、リオは決意を新たに謁見へと望む。



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