異世界×システムエンジニア*オタク女子のインターネット開拓記

和樹

第1話 桜の国

 薄暗い夜のオフィス街だった。昼間に多くの自動車が走っていた道路は、今や静けさに包まれ、交差点の信号機のみが時々色を変えている。

 時刻は住民達は寝静まる深夜だ。もう間も無く日付が変わろうとする街で、大きめの鞄を肩にかけふらふらと道を歩いている女性がいる。

 彼女の名は、スズキ・リオ。

 ここ日本国の大阪府に住む女性システムエンジニアだった。

 毎日繰り返される激務に疲労困憊し、その日も限界時間まで残業したリオは、ようやく自宅となる賃貸マンションへと帰宅する。


「ただいま……」


 彼女の自宅には誰もいない。それは働き先が決まり、実家から出て一人拠点を移したからだ。唯一迎えてくれたのはお気に入りのキャラクターのぬいぐるみで、彼女はそれをひと撫でして靴を脱ぎ捨てる。


「疲れた……」


 過労の為か、頭がまるで石のように動かない。リオは鞄を廊下へ投げやり、靴下だけ脱いでベッドへと倒れた。

 その日は、社内システムを管理するサーバーがダウンし、復旧に数時間を要したことで、会社の業務が回らず他の社員からひどく叱られることになってしまった。

 原因は過剰アクセスだった。

 膨大なデータを扱うサーバーから、社員の誰かが巨大なデータを個々の端末へ移動させようとしたことで回線を圧迫し処理の遅延が発生した。

 処理が遅延すると言うことは、システムの応答に時間がかかるという事。つまりそこに他の社員が遅延している処理を「実行されていない」と勘違いし、同じ処理を繰り返し要求したのだ。

 結果的に処理に耐えられなくなったサーバーはダウンし、社内業務の殆どが停止。突然止まったシステムの責任を追求され散々叱られた。


「なんで怒られてんやろ、私……」


 本当の意味で、なぜ叱られたのか分からない。システムが停止した原因は、皆が何度も同じ操作を繰り返すからだ。

 リオの所為ではない。しかし、システムを利用する他の社員達は皆自身の使っているシステムをしらず、説明しても理解しようとしてくれない。

 安易な気持ちで言い返すと、言い訳は要らないとか、動かすのが仕事だとか、止まるのはこの部署せいだとか、理不尽に責め立てられ、泣きそうになればさらにそれを叱られる。訳がわからないと大きなため息をついて目を瞑った。


「もう寝よ……」


 もう何もする気が起きない。

 何のために働いているのだろうと、もう何度考えたのかも分からない。

 生活の為なのだろうと漠然としたものはあるが、ただ生活することはこんなにも苦しい事なのだろうか。

 

 再び込み上げてくる涙を、リオは堪えることもなく溢す。

 ここなら、誰も見ていない。泣きたいだけ泣けばきっと明日には気分が晴れている。

 そう信じて、リオはメイクすら落とさず、押し寄せる眠気へ抗わなかった。

 意識が、奈落へと落ちてゆく。

 暗くて重い、まるで水の中に居るように奥底へと沈んでゆく。

 どこまで落ちるだろうと身を任せた時、突然目の前がパッと明るくなった。

 見えたのは美しい青空と雲、さらさらと靡く木の葉。そして暖かくも冷たい心地よい感覚にしばらく空を眺める。

 夢にしては意識がはっきりしていて、鳥達も木々から飛び立ってゆくのが見えた。

 まるで自然公園に来たような、淡く心が洗われるような景色をリオがしばらく呆然と眺めていると、視界に新たな顔がはいってきた。


「ご婦人、ご無事か!」


 そこで見えたのは、まるで絵画のような美しい顔だった。女性向けの漫画に出てきそうな、深い青の瞳、差し込む光に輝く茶髪と逆光に翳った白い肌は、まるで陶器のように汚れもなく艶やかで透き通っている。

 声色からおそらく男性なのだろう。

 しかし女性といわれても納得してしまう中世的な顔立ちに、リオは一瞬で釘付けとなり見惚れていた。


「(か、かわいい……!)」


 焦っているような声が聞こえるが、音がぼやけて聞こえてこない。

 もし夢ならこのまま醒めないで欲しいと願う中で、暖かかった体が徐々に冷たく寒くなっている事に気づいた。

 引き上げられてゆく体の重さは水を含んだ衣服でリオは思わず飛び起きる。


「水?!」

「気を取り戻されたか! 早く上へ、お風邪を召されてしまう」


 耳から水が抜け、声がはっきり聞こえたことでリオは我に帰った。

 芝生の上に引き上げられ、ずぶ濡れの自分を見直してしばらく呆然としてしまう。


「間に合ってよかった……」


 目の前にいる彼が、膝をつき心配そうにこちらをみていて、リオはまたも釘付けになってしまう。黒をベースとしたフリルネクタイ付きのシャツに身を包む彼は、中世時代の貴族服を現代風にしたような衣服を纏い、普通の洋装とは一風変わった服装をしていたからだ。

 その男性の特異な雰囲気に合わせるように、周りの空気感も普段とは違い、リオは一度ずぶ濡れのまま周りを見渡す。

 床は緑の芝生で、手入れされているのか伐採の跡がある。周りは隠すように木々が植えられ、男性の後ろには白のテーブルセットがあり固定式のパラソルも開かれていた。

 夢にしてはリアルで、寒く重く、感覚がはっきりしている。


「お見かけしない顔だが……我が家の使用人だろうか?」

「しようにん?」

「違うのか? では何故ここに?」

「夢、ですよね? これ……」

「夢?」


 まるでわけが分からないという彼の表情も綺麗だった。茶髪の彼は、リオの言葉に訝しげに続ける。


「夢ではないと思うが……、失礼でなければお名前を伺ってもよろしいか?」

「スズキ・リオです。あの貴方は?」

「私は、ここに住むガーデニア外交大使の息子。カナト・アークヴィーチェだ」

「カナト・あーく、びーちぇ??」

「ご存知ないか?」


 驚かれ、リオは返答に困った。

 名乗られた名前はどう見ても日本人ではなく、よくわからない単語が羅列されているからだ。


「風貌からオウカ人のようにもお見受けするが……」

「おうか、じん?」


 何一つわからず、理解が追いつかない。カナト・アークヴィーチェと名乗った彼は、もう一度リオの衣服を見直して告げた。


「とにかく、そのままではいけない。身元の確認は後で構わないので、我が家にて着替えをされては如何か?」

「着替え……?」


 見直すと衣服はずぶ濡れで、寒気まで出てきた。ゾクゾクと震えも出てきて、彼が自分のジャケットをかけてくれる。


「すみ、ません。寒い……」

「おそらく大変な思いをされたのでしょう。我が家にて少し休まれるといい」


 カナトと名乗った青年は、リオへと肩を貸し衣服が濡れることを厭わず運んでくれた。

 木々に隠れて見えなかったその先には、広い芝生の奥にまるで宮殿のような建物が見えて驚く。更に視界へ入ってきたのは、燕服の執事やロングスカートのメイド達で、リオはカナトの指示を受けた使用人の彼らにお風呂へと案内され、着替えを用意され、髪も乾かしてもらえ、まるで何処かの姫君のように丁重に扱われた。

 仕上げとして爪も磨かれて、まるで夢のようだとも思い何度も状況を伺ってしまう。


「す、すいません。ありがとうございます」

「カナト様のご客人ならば当然です。しかし次回は、ちゃんと玄関よりお越しくださいませ」


 至極真っ当な言葉に、リオは何も返せなかった。

 貸し出された衣服、シャツとリボンタイにタイトスカートに身を包み、リオは一度ほっと息をつく。

 広い洗面台のある脱衣所で、衣服を着た自分を鏡で見直すと普段通りの自分がいた。しかし周りの景色は明らかに違う。見た事がない程に豪華な脱衣所に浴室、大理石のような床はデザインも日本らしくはなく、外国に思える形をしている。

 夢の中なら痛みはないだろうと、リオは手の甲をつねるとイメージ通りの痛みがきてさらに困惑した。そして今になって、寒気を感じ、暖かいお風呂にはいり、ドライヤーの熱も分かることに現実の可能性をみる。


「夢、じゃないん?」


 まだ何もわからない。

 異世界転生と言う漫画のジャンルを思い出し、自身が死んだ可能性を過らせるが、感覚に差はなく、鏡に映るのはリオはスズキ・リオ、そのままだ。


 思っていたものとも違う。

 悠長に考えてもいられず、パニックになりそうな気持ちを抑え、リオが恐る恐る脱衣所をでると一人のメイドが待機してくれていた。彼女はカナトの元へ連れて行ってくれるといい、城のように見える邸宅の中を案内してくれる。


 その道中の風景も明らかに日本とは別物だった。

 広い廊下は豪華なカーペットが敷かれ、天井には等間隔でシャンデリアのような灯りも下されるまさに豪邸。

 廊下の先のエントランスには、二階へ続くカーブを持った階段が両側にある。玄関は吹き抜けとなっており、その高い天井と床にはまるで誇るように天秤の紋章が描かれていた。

 リオはその階段を上がり、右側の廊下を進んだ先にある居室へと案内される。

 使用人に扉を開けられるとまた想像以上に広い空間があり、壁には数個の本棚と勉強机が配置され、布へ刺繍が施された天井付きのベッド。床は分厚い絨毯が敷かれている。

 生活感のあるその部屋の小さなテーブルで読書を嗜んでいたのは、ベレー帽がとてもよく似合う先程の美しい顔の彼だった。


「(か、かわいい……!)」


 思わず口に出そうなほどの麗人に自分の状況などどうでも良くなる。もし彼がこのままゲームの攻略対象として出てきたなら、間違いなく一番の推しになるだろう。

 グッズ展開されたら、憧れの祭壇も作って崇めたいとも思っていたら、彼はこちらへと振り向き微笑んだ。

 その微笑に、リオの思わず気を失いそうになり、ふらつく。付き添っていた使用人は倒れかけたリオを支えてくれた。


「ご婦人、大丈夫か!?」

「だ、大丈夫です。すみません、笑顔があまりに眩しくて……」

「笑顔……?」


 リオは使用人に心配をされたが、席を勧められお茶を入れてもらえた。何度見ても見惚れてしまいそうになる理想の美男子にそれだけで幸せを感じてしまう。


「お茶が私の好みですまない。しかしちょうど良い温度となったので、落ち着けばいいのだが……」


 優しい。と、彼の言葉に涙がでてくる。泣きそうなこちらを見てさらに心配そうに見てくれる彼に、リオは涙を拭きながら口を開いた。


「ありがとう、ございます。こんなに、優しくして頂けるとは思わなくて、今とても幸せです」

「? そ、そうか。紳士として、女性をあのまま放置はできなかった。事情も聞きたい」


 当たり前の疑問だがリオは答えに困ってしまった。それは特に理由もなく気がついたらあそこに居て事情も何もないからだ。


「すみません。実は、わからないんです、気がついたら水の中に居たと言うか……」

「ふむ? 不可解だが……」

「あの、私も聞いていいでしょうか?」

「なんだろうか?」

「ここは、何処でしょう?」


 カナトは少し驚きつつ、しばらく考えていた、そして先程の質問とは意図が違うことを察してゆっくりと口を開く。


「ここはオウカ国、クランリリー領オウカ町にあるガーデニア大使館、アークヴィーチェ邸。ガーデニアより派遣された外交官、ウォーレスハイム・アークヴィーチェの邸宅だ。ウォーレスハイムは私の父にあたる」

「え??」


 思わず聞き返してしまい、カナトの方が混乱していた。


「あの、大阪はご存知ですか?」

「おおさか? どこかの坂だろうか?」


 聞いたことのないと言う態度に、リオは更に混乱する。揶揄われている可能性すらあると考え、慎重に言葉を選んだ。


「ここって日本ですよね?」

「にほん? どこだ、それは……?」


 お互いに何もわからず、理解も出来ていない。カナトは書棚の隙間から、大きな地図を取り出しテーブルへと広げてくれた。それに描かれているのは、巨大な大陸と小さな島国達で、リオの『地球』とは全く違う図となっている。


「このマカドミア大陸には、少なくともそんな名前の国はない、最近できたのだろうか?」

「まかどみあ大陸??」


 覗き込むと文字は日本語でその最も大きな大陸へ、カナトの言うマカドミア大陸と言う名が付けられていた。この大陸の中央には川があり、それを介して左側がガーデニア、右側がオウカと綴られている。


 その初めて見る地図へ、リオはゲームの世界の地図を見せられた気分だった。


「この地図は、ご存知か?」

「いえ、初めて見ます。すごい……」

「この地図は世界標準のものだが……」

「す、すいません。でも本当に何であそこに居たのかは、私にもわからなくて……、家で寝て起きたらここにいたと言うか……」


 カナトの理解しがたい表情もやはり美しい。いちいち見惚れてしまうが、彼の反応はリオも納得するしかなかった。


「不可解だが……この言語が通じるならオウカ人なのでは?」

「これは、日本語じゃないんですか?」

「にほんご? これはガーデニア語より派生したオウカ国のオウカ語だが……」


 やはり通じない。

 お互いの知識に合致する点が殆どなく、同じ言語なのに通じないのも不思議な感覚だった。


「全てに相違があるので整理したい。リオ殿の身元を、口で全て伺えるだろうか?」

「わ、わかりました……」


 カナトの提案にリオは素直に全てを話す。

 リオは、日本国の奈良県に生まれた日本人だった。18歳で高校を卒業し、大阪のITサービス企業へと就職して3年目となる。

 昨日は、普段通りに出勤して朝までは順調だったのに、午後になってからサーバーの動きに遅延がおこり、アナウンスをしようとした所で突然システムが停止した。即座に再起動を行ったが、アプリケーションがエラーで立ち上がらなくなり再インストールからのバックアップの復元と、とめどなく押し寄せる内線に対応していたら自分の仕事は定時後にしかできず、ようやく終わったのは日もとっぷり暮れた22時半だった。

 そこから帰宅の準備をして施錠もおこなっていたら、家に着く頃には23時を回り、入浴すらせずにベッドへと倒れた。


「それは、大変な業務環境だな……」

「はい……ちょっと運が悪かったです」

「運が悪いと言う問題ではないのでは……?」

「でも日本だとそう言うものなんで……」


 カナトが引き気味の表情をしていて、リオは思わずぎょっとした。大阪だと「どこもそんなもん」と一言で流されてきた言葉が、カナトにはまるで怪談を聞いたような雰囲気にも見えたからだ。

 

「あ、あのカナトさんは、なんであの場所に?」

「あそこは、私が勉強が行き詰まった時、気分転換に使っている場所だ。今日も利用していたら、貴方が突然浮いてきた」

「浮いーー……」

「飛び込んだ音もなく本当に驚いた。幸い陸が近く引き上げられたが……」


 状況的に間に合わなければ死んでいた可能性もあり、リオは背筋がゾッとする。またそれを目撃したカナトにとっては正に人命救助にも近い行動だったのだろう。

 考えていたよりも深刻で、過剰な心配を与えていてリオは強く反省した。


「カナトさん。すみません。本当にありがとうございます。カナトさんが居なかったら、私溺れてたかも……」

「生命が助かりこちらも幸いだ。見た所、状況はそこまで深刻ではなかった事に安心もしている」

「……それは」

「数日であれば、この邸宅にて匿うことができるだろう。貴方の言う日本国の話は興味深い。ぜひ聞かせて欲しい」

「……ありがとうございます。嬉しいです……!」


 リオは、救われた気分にもなりカナトへ出身地の奈良県の話や都会の大阪、仕事の事を話を思いつく限りで話していた。

 彼はリオの話から、聞き覚えのある単語を拾って意味をすりあわせ、接合性をとってゆく。


「大学はオウカ国にもある。そしてITサービスも」

「そうなんですか?!」

「我が国ガーデニアは、IT技術の先進国でもある。数年前、オウカ国の通信メーカーを我が家が買取り、アークヴィーチェ・エーデル社として運営を始めた」

「通信メーカー?」


 言い回しが微妙に違う言葉の並びだが、冷静に意味を理解すると見えてくる。彼が『通信メーカー』と称するその企業は、おそらく日本国で言う「プロバイダ」だ。


「このオウカ国の通信は、未だ殆どが有線のアナログ通信で、我が社はこのオウカ国の通信を新たな回線にやりかえるプロジェクトを進めている。それはガーデニアより開発されたデータサーバーとシステム『アストライア』を主軸とした端末同士の巨大ネットワークの構築であり、このオウカ国に住む多くの人々が、手元の機器を通じて平等に高速に情報をやりとりできるシステムだ」


 早口で長い説明に、リオは一瞬ついてゆけなくなりそうになるが、サーバーを介した端末群のネットワークと聞いて、ピンときた。

 回線を利用し、多くの端末を繋いだ巨大なネットワーク。一つの端末から多くの機器へアクセスできるその技術は、『インターネット』と呼ばれる世界的なネットワークだ。


「あの、それってインターネットですか?」

「オウカではそう呼ばれているな。我が国ガーデニアでは『端末群通信』や『通信網』と呼ばれているが、リオ殿の『日本』でもそう言うのか?」

「はい。今の日本では個人が一台一台端末を持ってて誰でも気軽にインターネットを利用できるようになっています……」

「それは興味深い。この国ではまだまだ普及はしていないが、同じように端末が行き渡れば、『日本』のように誰もが手軽に利用できるだろう」


 夢のように語るカナトの言葉に、リオは圧倒されていた。先程の困惑していた雰囲気とは違い。楽しそうに語るカナトは、まさに好きなことを語っているオタクだったからだ。


「私はこのガーデニア外交大使を継ぐ者として、このオウカ国との信頼を築いてゆかねばならない。よってこの『通信網』プロジェクトをその足がかりにしたいと思っている」

「オウカ国との信頼?」

「あぁ、ガーデニア国とこのオウカ国は、長く友好関係にあるが、アークヴィーチェはその友好の架け橋となるべくして栄えた貴族だ。私達は何代にも渡り、この国の王族との関係性を深めその年数は150年近くにも登る」

「なっが……! 150年ってことはお爺さんですか?」

「最も偉大な功績を収めたのは私の曽祖父だ。それ以前のガーデニアとオウカは長く争い、お互いに疲弊していたが、オウカ人と結ばれた曽祖父の功績により今があると言えるだろう」


 カナトのまるで『絵に描いたようなオタクの語り』にリオは拍手をしてしまった。内容の殆どがよくわからないが、カナトにとっての最も誇らしいことである事が分かり、同じくオタクのリオにとっては是非それを応援したくも思えたからだ。


「私はこの曽祖父が残した平和を維持する為、またアークヴィーチェ家が確立したこの国との信頼の為に、このガーデニアより発明された新たな『通信技術』を介して、オウカの人々へと歩み寄る。これが私の理想ではあり使命だ」


 その意欲的な意志にリオは圧倒され拍手が止まらない。またカナトの言う新たな『通信技術』が、『インターネット』ならば、リオも興味が尽きなかった。

 米国より発明され日本ではおおよそ25年以上前に普及したその技術は、その当時電話回線を通じて行われていたが、現在ではその通信方式も一新され生活になくてはならないシステムとなっている。


「所で、リオ殿は……」


 カナトが言いかけた所で、廊下の方からバタバタと足音が響いてくる。ノックから現れたのは初老の執事服を纏う男性だった。


「カナト様、本日もまたサーバーの方が停止し……」

「またか? 最近多いな……」

「サーバー?」

「我が家は、使用人や騎士達の勤務状況をこの屋敷のあらゆる場所に置かれた電子端末で管理しているんだ。でも最近それらを管理するサーバーが不安定で、ここ数日は一日1、2度の再起動が必要になっている」

「それは大変ですね……」

「私が、父の資料からみよう見真似で組んだがまだまだ不具合ばかりだ……」


 使用人から詳細な状況を聞いているカナトは、まるでクライアントの要望に応える技術者のようだった。そしてリオもまた報告された状況から問題の推測へと入ってゆく。


 サーバーが止まってしまう条件はいくつかあるが、その『止まり方』によってもある程度条件は絞られてくるからだ。


「あの、そのサーバーってどんな感じに止まりました?」

「どんなかんじ、とは?」

「突然電源が落ちるとか、画面が止まるとか、ポインタは動いてもアプリケーションが動かない、とか……」

「ポインタとは……?」

「ポインタ、ないんです?」

「あるぞ、ジョセ。マウスを動かした時に動く矢印だ。わかるか?」

「なるほど、あれでしたか!」


 カナトが詳しくリオが安心する。

 他にもアプリケーションのこととか、電源の事などを細かに解説しているカナトだが、ジョセと呼ばれた使用人の彼は、耳を傾けていても今一つ理解していないようにも見える。

 

「あの、よかったら、見ましょうか?」

「見るとは?」

「私、一応同じようなことを『日本』でやっていて、通じるかはわからないですけど、一応はプロなんです……」


 カナトは少し考えていた。

 業務関連ならセキュリティ面で触らせて貰えない可能性もある事に気づき、リオははっとする。


「あの、セキュリティに問題があるなら、大丈夫です! 気にされないでください!」

「邸宅のサーバーは、使用人のシフト管理や業務報告ぐらいなので特に問題はないが……」

「騎士様のものも管理されているのでは?」

「それは、騎士の宿舎でやっている。あのサーバーからは確認できないだろう?」


 ジョセは反省していた。

 カナトは、少しおどおどするリオを見て、先程の会話に『仕事』の内容が詳細にあったことを鑑みたのか改めて向き直る。


「では、『日本』のネットワークのプロ殿のお手並みを拝見させて頂こう」

「! はい。やってみます」


 カナトはリオをアークヴィーチェ邸の事務所へと連れて行った。

 その場所は、日本で見かけるオフィスをアンティーク調にしたような部屋で、木製机が多く並び正面の壁には使用人たちのシフト表が一面にかけられている。

 現代なのに現代には見えない空間に先ず目を惹かれ、各机にあるモニターが尚更異質に見えた。


「すごい部屋ですね……」

「そうか? 使用人の事務室はどこもこのようなものだが……」


 ようやく『異世界』と言える雰囲気が見えてきて、リオは言葉にならない感情をぐっと抑えた。先程までは『地球』のどこかにありそうな雰囲気で冷静なれたが、徐々に見えてくる別世界に不安も感じてくるからだ。


「この端末だ」


 そんな異質な事務所の隅に、一回り大きめの端末がある。いくつもの記憶装置が積まれた端末は、ネットワークの中央にあるサーバーだろう。

 リオが席を勧められてマウスを触ると、すでに画面が固まっていてポインタすらも動かなかった。


「一度電源を落とすか……」


 カナトが、端末裏のスイッチを操作し丁寧に再起動を行う様は、手順として正しいものだ。ハードウェアの再起動は帯電を避ける為、ある程度間を置きながらゆっくり行うのが基本で、リオはこのカナトがある程度の知識のあると認識する。


「慣れてますね」

「あぁ、好きなんだ。ロマンがある」


 わかる、とリオは強く共感した。

 ただ電気を流すだけの回路が、スイッチのオンオフになぞらえた、0と1の信号をやりとりすることで、プログラムがそれを文字や画像に出力する。あらゆる事が行えるのは、科学であれど、まるで魔法のようにも思えるからだ。

 立ち上がってきたインターフェースに若干の違いはあるが、日本で見てきたものと殆ど変わらず、リオの中へ何かのスイッチが入った。

 立ち上がりに問題はない。

 カナトに管理されている為か、スタートアップに余計なアプリケーションは見当たらなかった。インターネットには繋がっておらず、マルウェアの感染の心配も無さそうに思え、リオはコマンドからさらに詳細な設定画面を呼び出す。

 ローカルネットワークの接続も全ては適正であることを確認した後、後ろから見ていたカナトが口を開いた。


「管理用のアプリケーションがそこだ」


 クリックして立ち上げ、表示されるアプリケーションロゴのバージョンを見て、リオはまず口を開く。


「ここには、インターネットはないんですよね?」

「この端末は接続されていない。繋ごうと思えば繋ぐ事はできるが……」


 つまりこのサーバーは、閉鎖的な環境を管理する為に組まれたものだ。インターネットに繋がれていないのならアプリケーションの自動更新も行われていないと推測する。


「このアプリケーションの最新バージョンは分かりますか?』

「それは先月に確認したが……」


 付き添っていたバトラーは、何か思い出したかのように手を叩き、事務所の書類群から封筒を取り出して持ってきてくれた。

 カナトが確認を行うと、つい先週に新たな修正アップデートとファームウェアが郵送されていたらしく驚く。


「このような物が届いたらすぐに報告しろとあれほど……」

「も、申し訳ございません。我々にお手を煩わせるのが忍びなく……」


 アップデートの中身は、処理が同時に行われた際にどちらを優先すべきかわからずフリーズするバグ修正や高速化が行われているらしく、カナトは早速記録媒体を端末へ接続していた。

 この一連の出来事から、リオはこの屋敷の業務形態がどのように運用されているか見えてくる。このカナトと言う青年は、日本の会社で言ういわゆる『社長』で、屋敷内の端末群の運用と管理と運用を行っている。

 ある程度の知識はあり、邸宅はその恩恵を享受しているが、カナト意外に知識を持つユーザーが少なく、アップデートの重要性を理解しきれていないのだろう。


 端末のアップデートの為、リオは一度再起動し、ベーシックシステムを起動する。これは、コンピュータのハードウェアを管理するシステムの名で、日本ではベーシックインプットアウトプットシステム。通常BIOS(バイオス)とも呼ばれていた。


「リオ殿は、このシステムもご存知か」

「はい。一応こういう仕事してて、日本だと通称BIOS(バイオス)っていうんですが、ガーデニアではなんて呼んでます?」

「我が国ではベーシックシステムと呼んでいる。大きくは変わらないな」


 ファームウェアとは、端末を操作するために搭載された基本的なシステムだ。このファームウェアを介して、ユーザーはコンピュータの操作を行い、さらにオペレーティングシステムをのせる事で文字や画像を出力する。

 つまりこれが最新版にアップデートされていなければ、何か不具合やバグがあった際に修正されないままの可能性もあるのだ。

 話している間にアップデートのゲージかでて、残り時間が表示される。しばらくかかるだろうと思われる状況にカナトはほっと息をついた。


「リオ殿。よく気づいてくれた。助かる」 

「いえ、何もしてないと言うか、まだ本当にこれが問題だったのかもわからないので、アップデートが終わったらまた運用してみてください」

「ありがとう」


 カナトの嬉しそうな笑みは、やはり美しくてかわいい。彼の為ならなんでもしたいオタク的な要求も出てきて、これ以上はいけないとリオはどうにか平静を保っていた。


「リオ殿の知識は、私にはとても興味深い。貴方が構わないのであれば、是非学ばせて欲しいが……」

「カナトさんもとてもわかっておられると思いますけど、そう言ってもらえたらとても嬉しいです」

「また、我が家へ来ていただけるのなら私を含めた皆も歓迎できるだろう」

「ありがとうございます……! これからどうしたらいいか分からなかったし、助かります」

「……? それは、どう言う意味だろうか?」

「どこに帰ればいいのか、分からないと言うか……。『日本』じゃない、なら、どうしようかなって……」

「それは、帰る場所がない……と言う意味か?」

「え、は、はい。で、でも、そんな図々しいことは考えていないので、誤解はしないでください! 多分、なんとかなるので……」


 カナトはしばらく黙り、リオの目を見て真意を問うているようだった。それはまるで、言葉の奥底にある意味を探っているようにも見える。


「……安心されるといい。私は、池で溺れていた貴方を放り出す事はしない」

「……カナト様」

「ジョセ、彼女にはここのシステムを修理して頂いた恩義がある。貴族ならば、それに報いるのが筋だと思わないか?」

「それは、仰るとおりです……」

「あの……」

「リオ殿、私はここが何処か分からない貴方を、私は『記憶喪失』だと見てはいたが、その知識を見る限りそうでは無いのだな?」

「え、はい。記憶喪失ではないです」

「……正直なお方だ。ジョセ、リオ殿が寛げる部屋の用意を頼む」

「畏まりました」

「部屋、ですか?」

「行く場所がないのなら、しばらくは我が家にて宿泊されるといい」

「え、悪いです。申し訳ないし……」

「ではどこか休める場所が他に?」

「に、『日本』に帰れれば、なんとか……?」

「……」


 会話がループしていることに気づき、リオは、その凍りついた空気から嫌なものを感じた。ここが『日本』ではないと言う事実を受け入れられず、否定の言葉が来ることへ恐怖すらも感じる。

 カナトは徐々に表情が引き攣ってくるリオの手を取ってくれた。


「では、その『日本』が見つかるまでしばし休息をとられては如何だろうか?」

「休息……?」

「外は暖かいが、時期はまだ春先でお風邪を召されるかもしれない。どうか1日だけでも休まれ、落ち着かれては?」


 優しく紡がれた言葉と温かい手に、冷えかけた心へ暖を得た。そして先程魅了されたその微笑みに、リオはドキドキと胸が高鳴るのを感じる。


「わかり、ました」

「どうかゆっくりされて行くといい。ジョセ、私はこのアップデートを見届けるので、リオ殿を部屋へ案内してくれ」

「畏まりました」


 ジョセは、カナトへ小さく礼をしてリオと共に事務所を後にする。すれ違う使用人達は、皆ジョセへ小さく礼をしてすれ違ってゆき、彼がそれなりに地位のある執事である事は理解ができた。

 廊下では何も話さないまま、リオは屋敷の二階にある居室へと案内される。女性向けの広い部屋は、天井付きのベッドがあり、その扱いはまるでVIP待遇なようだった。


「こちらにて自由にお過ごしください。ご入用がありました、内線がございますのでそちらへ」

「ありがとうございます。……あの」

「如何されましたか?」

「本当に、ここは『日本』では、ないんですか?」

「……はい。ここはオウカ国、ガーデニア大使館でございます。『日本』と言う国は、聞きたことも見たこともございません」

「そう、ですか……」


 ジョセは、俯いてしまったリオを不思議そうな表情でみていた。気づいたリオは、続ける言葉が思い浮かばない。


「ご、ごめんなさい。まだ混乱してて……」

「……きっととてもお辛い目に遭われたのでしょう。我々はアークヴィーチェ家より雇われる身ではございますが、精一杯お支え致しますのでご安心下さいませ」


 救いのような言葉にリオは何も返せなかった。使用人のジョセは、深く礼をして部屋を去り、明るく広い部屋へリオは一人になる。そして、不安が入り混じっていた感情が込み上げ、大きく深呼吸した。


 20歳になって、泣き虫は卒業したと自分に言い聞かせ、歯を食いしばるように涙を堪える。


「なんとかなるかな……」


 邸宅の窓からは、沈んでゆく夕日と共に輝く都市が見えた。そこは、高いビルが立ち並び、まるで日本のように通信ケーブルが張り巡らされた都市だ。その中央に最も高い塔があり思わず興味深くみてしまう。

 それは数年前、リオが初めて出張した東京で見たスカイツリーの様だったからだ。



 夜も更けてゆくアークヴィーチェ邸に、一人の大男が帰宅していた。

 フォーマルなスーツと勲章をさげ、髪をオールバックにしたその男はこのアークヴィーチェ邸の家主。ウォーレスハイム・アークヴィーチェ。ガーデニア外交大使たるその身分は、このオウカ国では国王とも対話できる地位でもあり、ガーデニアの国益を左右する。


「カナトの客人?」

「えぇ、未だ身元が分からずどうされたものかと」


 ジョセの報告にウォーレスハイムはアゴをつまむように何かを考える。髭が綺麗に剃られた肌と、カナトと同じ茶髪をもつ彼は、戸惑ったような態度をとるジョセに「ふーん」と鼻を鳴らす。


「オウカ人か?」

「いえ、日本人と名乗られております」

「聞いたことない国だな?」

「えぇ……」


 怪訝な表情を見せるジョセに、ウォーレスハイムは自身の執務室へと戻り豪快に腰を下ろした。そして、置かれていた折りたたみ式の黒い端末を開き、スリープ状態となっていたモニターが明るく光る。

 片手で、IDとパスワードの入力を行ったウォーレスハイムは、このオウカ国の王宮へ問い合わせのメールを送るとともに、手元の電話機から通信を行う。

 しかし、接続音が長くなかなか返事が返ってこない。


「おせぇ、……まだ変えてねぇのかアイツら……」

「……」


 ウォーレスハイムの悪態に、ジョセは聞こえない振りをしていた。1分ほど待ち、通信に出たのは桜花宮殿を名乗る事務員で、ウォーレスハイムは電話に出た相手にスズキ・リオと名乗る人物が、オウカ国へ存在するのかと確認する。

 時間が欲しいという事務員にウォーレスハイムは折り返しを頼んで一度切った。


「不便だねぇ……」

「ガーデニアとは違い、この国のデジタル化は進んでおりません。手作業ならば仕方ないかと」

「さっさとどうにかして欲しいもんだがな……」

「それで、如何されますか?」

「あぁ……。まぁ、今日は疲れた。どうせ明日までかかるんだろ。直接聞いてやるさ」

「かしこまりました」

「何処のもんかはしらねぇが、アークヴィーチェを舐めたらどうなるか思い知らせてやるぜ」


 僅かに口角をあげたウォーレスハイムは、頭を下げるジョセを静観していた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る