第3話 夕暮れ
夕暮
*
西に真っ直ぐ伸びた廊下の突き当たりから夕日が差し込んでいる。栗色の床に反射したオレンジは白い壁を紅葉のように赤く、そして黄金色に染めていた。あれほど緑に輝いていたこの地もすっかり秋の色に変わった。夏よりも薄くなった雲が広がる先は相変わらず青かった。
田舎の民宿、しかも観光地の近くではないとなると客がゼロの日も多いのだがこの季節になると二組で満室になることもある。県内で紅葉スポットはいくつもあるがここ森吉もその一つである。森吉山阿仁スキー場のゴンドラから見る赤く染まる紅葉と黄色に輝くイチョウのコントラストが美しい。十和田湖方面の紅葉をメインに森吉に立ち寄る観光客もいる。秋田県内でゴンドラから紅葉を楽しめるのはこの阿仁のゴンドラのみである。標高千四百メートルを目指すゴンドラから約二十分の旅を楽しむ事ができる。
「来週の土曜日は埋まってるからうっかり予約とらないでね。」
うちは二組が泊まる時には廊下を挟んで東の間と西の間の二部屋を使う。
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「駅に行ってくる。」
うちは駅まで車で十五分ほどかかる。遠方からの観光客だと電車かレンタカーでうちまで来る。だがレンタカーを借りない場合、車で十五分の距離を歩くのは非現実的に近い。バスだって多くはない。そのため、二組しかいないのだからと人数に応じて送迎のサービスもしている。
駅に着くと少し寒そうな服装をしている若い女性が二人待っていた。一本早い電車で来て周辺を見ていたそうだ。深谷さんと稲波さんは都内にある美術大学の同級生だそうだ。関東にも紅葉の名所と呼ばれる場所があるのになぜここまで来たのか聞いてみると関東でも紅葉を見たが今見頃なのは東北なので来たことのなかった秋田県に行ってみようということになったらしい。
家に戻ると県内ナンバーの車が一台停まっていた。深谷さん達と同じくらいの歳の男性が妻と楽しそうに話している。
「こちら飛尾さんです。」
妻から紹介された飛尾さんは由利本荘市の実家に帰省して親の車を借りたらしい。実家から来たのも納得できる秋田の秋に相応しい服装をしていた。
*
「こんにちは。予約していた飛尾です。少し早く着いちゃったんですけど大丈夫ですか?」
「いらっしゃいませ。大丈夫ですよ。今、準備しますね。」
私は小屋で薪を運んでいた。一応チェックインは十五時からになっているが、夫が送迎から帰ると大体十四時五十分くらいなのでチェックインの準備をしていなかった。
「すみません、急がせちゃったみたいで。ここ薪ストーブなんですか?」
「居間だけ薪ストーブ使ってて、日中ならまだ暑い日も多いけど来月になると結構寒くなるから、今のうちにちょっとずつね。」
「うちの親戚の家にもあったなあ。あんまり近づくと背中やげなるでってよく言われましたよ。」
彼の口から急に出た秋田弁に驚いたが、そういえば乗ってきた車は秋田ナンバーだったような。
「ご住所は東京みたいですけど、出身は秋田なんですね。」
彼から観光客の雰囲気が少ないのも市は違っても秋田に帰ってきているという感覚が強いからなのかもしれない。
「待たせちゃってごめんなさいね。電話番号と住所が間違ってなかったらここにフルネームで記入お願いします。民宿の中を案内しますね。」
彼を連れて家の中を案内しようとしたところで玄関横の窓から主人のミニバンが見えた。
「ちょうど、もう一組が来たようだから、一緒に案内しちゃいますね。今日泊まるのは飛尾さんともう一組いるの。」
*
まさに民宿というイメージ通りのこの建物は敷地内に平家の古民家と後から建てた作業小屋、そして小屋の前だけ舗装された三台分の駐車スペースがある。
玄関を入るとすぐ左に曲がり突き当たりまでの真っ直ぐな廊下が伸びている。左は手前からトイレ、風呂、洗面所。その奥にキッチンと西の間がある。
廊下の右側には手前から居間、東の間。その奥に玄関からの廊下をL字を上下反転したように右に曲がる廊下があり、それを挟んで東の間と反対側、つまり北側に増築した夫婦の共住スペースがある。
共住スペースにはそれぞれの部屋が一つずつと夫婦の寝室、トイレ、風呂が備わっている。宿泊のない日は客室側も使っているので、二人で住むには十分すぎる間取りになっている。居間はフリースペースとしており、夫婦はキッチン、もしくは居間で食事をとる。宿泊者にも居間は自由に使ってもらっており、部屋食を望む客には部屋での食事を提供するが、居間で食べる客もおり、夫婦とともに食事をとる者もいる。
*
その晩、飛尾と夫婦は共に夕食を食べた。
「この民泊の名前はどちらが決めたんですか?春は曙って感じですよね。」
「その曙から取ったのよ。私たちが初めて会ったのが春だから春っぽくしたいって彼が。」恥ずかしそうに彼女が答えた。
「いいですね。僕も民宿とか憧れますよ。」
「あら、いいじゃない。」
私の返答に夫はそんなにいいもんじゃないぞと反論したが、本当に否定するつもりではないことは彼の表情からわかった。
「仕事内容とか経営とかどうなんですか?僕、興味あって、よかったら聞かせてください。」
「民宿をやるって言っても、いろいろ大変なんだぞ。うちの場合、大変なのが自家栽培だな。理由は夏の暑さが厳しいというのもあるけれど、一番は天候に左右されることだな。農家ではないから多少やられても問題はないけど、慣れる前はとにかく失敗して自分たちで食べて、結局客の腹に入るのはスーパーで買ってきた商品だったよ。でも最近は半分趣味みたいになってるから苦ではないよ。ただこれは人によるだろうね。客室の掃除みたいに黙々と一つの物事に集中するのが好きな人もいるだろうし。
で、あとはなんだっけ、経営のことか。そうだそうだ。これは体じゃなく、頭にとって大変だな。従業員も多くて安定して客がバンバン入るなら問題はないが、あんたに言っちゃ悪いが、旅行に行って民宿ってのはちょっと変わってるだろ?まあ、昔に比べて古民家を民宿とかレストランとかにリノベーションするのは増えているけど、そういうやつはいわゆるオシャレなやつでただの部屋とか料理を提供しているここより客が行きやすいからな。」
夫婦と話していると玄関が開く音がした。
「いつもより賑わってるね。お客さんか?」
ビールを二本持った男性が現れた。
「おー、ちょうどよかった。飛尾くん、この人にも色々聞くといいよ。俺がここに来た頃、畑仕事教えてくれたんだ。」彼は小林と名乗った。
僕たちは三十分ほど、民宿あけぼのについて話した。三人が自室や自宅に帰る頃にはすっかり苗字ではなく、名前で呼ばれるほど仲良くしてもらった。
*
「さくらー、明日何時に起きる?」
うわー、まだ予定を立ててないの完全に忘れていた。いや、明日のこと考えてはいたんだよ。時間を考えてなかっただけ。多分美玖もスマホ見てるけど今日撮った写真見てる私なんかと違って電車の時刻表とか調べてたんだろうなあ。
「今日、この辺結構見たし、明日はちょっとゆっくりしてから絵描きに行かない?美玖は朝、なんかする?」
ごまかせたー!あんまりボケーとしてると美玖ちょっとイラっとするときあるから。
「んー。裏の田んぼなんにも生えてなかったから軽くスケッチしよっかな。テレビでも水張ってる時とか稲刈り前しか見たことないから。」
それなら私も行こっかな。
私たちが出会ったのは東京の美大だった。高校で美術部に入っていた時は私を含め、どちらかというと地味なタイプが周りには多かった。しかし、美術に限らず、芸術家とは皆、奇抜なイメージを持っていたのも事実だ。そして美玖は奇抜とまではいえないが、派手で明るい空気をまとっていた。誰にでも何の隔たりもなく話しかけられる。そしてそこから笑い声が聞こえてくる。会話の内容はわからないが、私が話して盛り上がるようなものではないだろうと私は勝手に思っていた。
「さくらちゃんの絵って風景の中に必ず人工物があるよね。メインじゃないけど、その存在を見る人に気づいて欲しいような力強さって言うのかな。」
急に話しかけられて私は答えられずにいた。すると美玖は私の絵を指さして続けた。
「ほら、この池の周りのベンチなんて、実際にはここにあるのかもしれないけどない方が奥の茂みの色使いが自由になるでしょ?でもさくらちゃんが描くとさっきまでどんな人がこのベンチに座っていたのかとかこの後誰が座るのかとか想像できる気がする。」
美玖の絵は私とは対照的だった。自分の中で景色の中に描きたいものが決まっている。配置はどこであってもそれが絵の雰囲気の中心にくる。そして、その周りに描かれるのは実際の景色ではなく、彼女の理想。こうあって欲しいというイメージの風景だ。
美玖は私とは対照的で結構しっかりしてるし、絵に関しては作風も違う。最初は派手でみんなとわいわいやっているから少し怯えていたけれど全然嫌な人ではなかった。美玖は私の絵の特徴を指摘してきたように個々の絵の特徴を掴むのに優れていた。実際に真似された本人が絵を描いたのではないかと言われるほど再現力も高かった。
私たちはお互いが描きそうな絵を描いて見せ合うようになった。そんな中で今回は実際に同じ場所で同じ景色を見て私たちが何を描くのかやってみようという話になり、旅行も兼ねて、というよりは旅行がメインではあるが絵を描きに東北に来た。
「てか、服装失敗だったね。こんなに寒いならもう一枚重ねるの持ってくればよかった。」
「だから日中はいいけど、夜は寒いかもって言ったのに美玖が大丈夫っていうから。」
「だから失敗だったって言ってんの。あー、まじで明日どうしよっかな。民宿の人たちもう部屋に行っちゃったし。」
東京の電車が難しいって言う人めっちゃ多いけど、ミスってもすぐ次の来るから楽なのに。これじゃ、一本乗り遅れたら終わりだよ。「観光プランみたいのあるんじゃない?一回居間に行ってみようよ。」
*
旅をしていると話す予定の人以上との会話がある。話す予定の人とは主に僕が客である場合。つまり、相手が店員などである。話す予定のない人とは地元の人や同じ観光客である。そう言う時は不意に訪れる。
「こんばんは。飛尾さんでしたっけ?」
夕食を食べ終わり、居間に向かうと本棚には秋田に関わる本がたくさんあった。一冊を手に取る。「秋田・消えた村の記憶」確か、実家にもあったな。県北の章を見ていると同年代の女性二人が入って来た。名前は確か深谷さん。一緒に民宿の説明を聞いた二人だ。
「本読んでたんですね。邪魔しちゃいました?」
深谷さんが話しかけてきた。
「いえいえ、大丈夫ですよ。」
「私、美玖って言います。こっちはさくら。」
深谷さんと一緒に来ている女性は稲波と名乗った。二人は僕が秋田出身だと知ると秋田のことに興味を持って様々なことを聞いてきた。
「飛尾さんってこの辺のことも詳しかったりします?明日の予定、まだ決められてないんですけど相談しようと思ったら民宿の人、寝ちゃって。」
「こっちの出身じゃないですけど何回か遊びに来てるんで、少しはわかりますよ。どのくらい決まってます?」
二人は明日、森吉山に行って絵を描くらしい。しかし、交通手段で迷っているとのことだ。今日、送迎で駅から民宿まで来たが、少しゆっくりすると電車の時間に間に合わないし、電車に合わせると時間が余り過ぎてしまうという。
その後もどこで何時間使いたいのか。僕は絵を描く過程を知らなかったが、今回はスケッチをメインに行って、帰ってから本格的に描くらしい。
外では風の音が日中よりも少し大きくなっていた。天気予報は晴れ。風で葉が落ちると彼女たちの絵にも影響するだろう。正確に描くのだろうか。それとも現実に足りない色は彼女たちのイメージで補うのだろうか。
「明日、僕も紅葉見たいんでよかったら、乗っていきますか?実家に帰る以外予定ないんで。」
*
僕が目的地に着くと日はほとんど沈みかけていた。松林に隠れて太陽はもう見えないが、西の空は茜色に染まっている。秋といえども海沿いをひたすら南下して来たために右腕が日焼けした気がする。カラスの鳴き声が聞こえて覗いた東の空は柔らかな桜のような色をしていた。鳴き声は新山神社の方に向かって離れて行く。昨日一度訪れているのに帰省が久しぶりだったせいだろうか、懐かしく感じる。
「ただいま。」
カラスたちは家に帰るまでどんな旅をして、誰と出会うのだろう。
僕は実家のドアを閉めた。
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