第4話 つとめて


つとめて 

 目を覚ますと窓の外は一面、白だった。雪はだいぶ前に積もっているが、一晩経つと前日に寄せた部分は元通りになっている。私はノートパソコンを持って居間に向かった。私は冬の朝の空気が好きだ。乾燥しているからか分からないがキリッと澄んでいる。ほぼ同時に起きた妻はこれから自室に行くらしい。

「一回、居間のストーブ着けてくるからさっちゃんの部屋にコーヒー持って行くよ。」

「ありがとう。」

 居間にある薪ストーブに火を着け、妻の部屋にコーヒーを置いてまた居間に戻る。パソコンを立ち上げると書きかけの文章が開かれたままになっていた。今回は妻が描いた絵をテーマに短編を書いている。以前、短編画廊という本を読んだことがある。アメリカを代表する画家であるエドワード・ホッパーの絵をテーマにスティーヴン・キングら総勢十七名が短編を作成したものである。テーマがあることで書きやすくなるかと思ったが、全くそんなことはなく、一瞬の切り抜きから物語を生み出すことの難しさを知った。

 はやっさんに勧められて、真面目に書くようになった小説はあるコンペで注目を集め、小規模ながら本屋の地元出身の作家を取り扱うコーナーに並んだ。

妻も秋田の風景を中心とした水彩画や油絵を描いており、来年には個展を開く予定もある。意外にも民宿以外のことで私たちの生活は十分成り立っていた。特に野菜が採れないこの時期には助かる。

 そろそろ雪寄せするかと重い腰を上げる。少しでも溶け始めたら重くて厄介だ。私は「雪寄せ」に違和感はないが県外出身の妻はまだ使い慣れないようだ。


 賀来郁弥が目を覚ますと窓の外は一面の白だった。秋田駅で新幹線からレンタカーに乗り換えた時はまだアスファルトが見えるところもあった。今、窓から見える景色は雪だけである。道路以外のアスファルトは見えない。それ以外の雪の下は全て土なのだろうか。父親が運転する道以外の地面は全く見えない。

「郁弥、もうすぐ着くぞ。」

 俺が起きたことに気づいて父さんが声をかけてきた。

「うん。」

 父さんが今日と明日はバイトを入れているか聞いてきたのは冬休み初日だったから、二週間前か。その時はなんとなく、家族で泊まりに出かけるのかと思った。でも実際に誘われたのは俺だけだった。寒いのは好きじゃないし、あまり気は乗らなかったけど、うっかり予定はないって言っちゃったから、来ることになってしまった。なんで俺だけなんだと思ったけど、高二の俺と両親、そして中三の妹の四人家族で、受験前の妹を一人家に残して他の三人で出かけるわけにもいかないし、来年になれば今度は俺が受験で忙しくなるからか。

 車から降りると寒さで肌が痛かった。日焼けした日に風呂に入った時みたい。空は真っ青で太陽が照り返した雪が眩しくて俺は思わず顔をしかめた。俺が仙台に引っ越したのは小学校から中学校に上がるタイミングだったから父さんの実家以外で冬に秋田に来るのは五年ぶりか。

 今日の目的は森吉の樹氷。蔵王の方が近いじゃんって言ったけど、宮城に引っ越した最初の冬に行っただろって言われた。それに父さんがどうしても泊まりたいという民宿がこっちにあるんだと。それでわざわざ秋田まで。

「郁弥が小さい頃、父さんと二人で来たことあるけど、覚えてるか?」

何となくは覚えてる。って答えたけど正直言って、ほとんど覚えてないな。ゴンドラに乗ったことがある気はするけど、気がするだけ。実際に見た景色なのか、聞いた話から勝手に作り上げたイメージなのか分からないけど、何となくこのゴンドラには見覚えがある。なんだろ、この感じ。さっき父さんは来たことあるって言ってたけど、その時乗ったのかな、それとも見ただけかな?

 ゴンドラで登っている時、左右に木々が広がっていた。しかし、それらは樹氷にしてはまだ雪の隙間があった。ゴンドラを降りてから鑑賞エリアまでは少し歩く。普段の運動不足のせいで足が思うように上がらない。いくつもの樹氷が冬の青空をバックに立っていた。スノーモンスター。特定条件下でしか現れない彼らはどれも似ているが全て違う形をしていた。まるで個体の特徴がはっきりしている同種の生き物のようだった。


 俺が民宿に泊まるのは初めてだった。ってか、廊下寒すぎんだろ。父さんは民宿の人と面識があるって言ってたな。壁に掛けられた絵を見て民宿のおばさんと話している。廊下の壁には様々な風景画が掛けられている。水路の横から生えたゼンマイ。大きな満月の前にある街灯には小さな虫が群がっている。空っぽで何も生えていない茶色い田んぼ。あれ?これってさっき行った森吉の絵か?でも、樹氷はないし、色も違う。秋。空の色は今日と同じで真っ青。その空に向かってゴンドラが浮いている。中には小さな子供と大人が描かれている。さっき父さんたちが話してたけど、民宿のおばさんは絵を描くらしい。それにおじさんは小説を書くんだって。居間の本棚にもおじさんの本があるらしいけど本名で書いてはいないっぽくておじさんの本がどれなのか分からない。この本棚も自作らしい。でっけーのにすげーなあ。自分で作れるって羨ましい。

 二人とも元々は民宿がメインで民宿を続けるためにいろんなことをしたんだって。農作業もしたし、パートもやった。でも、知り合いに勧められて創作活動に打ち込んだら時間を取って集中できるからそっちの方が捗って、今は二人とも余裕を持って民宿の営業をできているらしい。


「郁弥、高校卒業してやりたいことないのか?」

は?気がづくと声が漏れていた。急になんだよ。

「親に対して素直すぎるんじゃないのか?やりたいことあったらもっと言わないと、親の理想をたどるだけになるぞ。」

 やりたいことか。俺はこれまでの選択を思い返した。俺は今、仙台市内の普通高校の普通科。学力は、そうだな無難な位置にいるとは言えるかな。

 中学の時、担任に渡した志望校の一番上には工業高校を書いた。物を作るのが好きだった。具体的な職業は思いつかなかったけど、将来はそういう職に就くと思っていた。専門に行けば何かしら見つかるだろうと。親からしたら普通高校に進んで、そこでやりたいことを見つけて、大学でやりたいことを選べばいいんじゃないか、今専門的な選択をするのは早いんじゃないかと思ったのかもしれない。いや、もしかしたら高等教育という選択肢の中に工業高校が入っているのが早いんじゃないか。妹は吹奏楽部で、高校卒業後は音大に入りたいと言っているが普通高校に行っても吹奏楽部という小さい選択肢がある。それにもっと専門的にやりたいんだったら教室に入って習うこともできる。

「そろそろ、やりたいことを自分で主張しないとずっと一歩引いた位置からしかやりたいことできなくなるぞ。」

 そう言うともう言いたいことはなかったのか父さんは布団に入った。これを言うためにわざわざ二人でここまで来たのか。家だと母さんも妹もいるし、言いにくいのかな。高校生が寝るにはまだ早い時間だし、廊下の絵でも見るか。俺はコートを羽織って部屋を出た。

 やっぱり今日見た森吉のゴンドラの絵に興味が湧く。日付は十一年前だった。

「その絵、気になる?」

 振り返ると民宿のおばさんが微笑んでいた。

「ここに来る前に父さんと行ってきたんですよ。父さんってこの民宿に泊まったことあるんですか?なぜか今回は蔵王じゃなくて森吉だし、この民宿も前から来たそうだったんで。」

「ここに泊まるのは初めてだけど、前に会った時に民宿の話とここは作家と画家でやってるって言ったら興味持ってくれたみたい。郁弥くんも何か作ったりする専門的なことがしたいんでしょ?さっきお父さんが言ってたよ。」

 父さん勝手にそんなことまで話してたのかよ。

「私たち夫婦もね、民宿をやる前はそれぞれ別の仕事してたし、ここを始めてからも他の仕事で民宿を支えてたの。そしたらね、ここを始めるの手伝ってくれた人が二人とももっと自由にやればいいんじゃないかって言ってきたのね。その人は自分では言わないけど昔、好きなこと続けなかったのを後悔してるの。今ある選択肢が全てじゃない。今好きな物を選んで、上手くいったらそれはそれで当然いい。もし失敗しても、もう終わりってわけじゃない。その後に何を選択するかだって。もしかしたら郁弥くんは今、人生の中で重要な何か一つを選ばなきゃいけないのかもしれない。そしてその一つを選んで上手くいっても、上手くいかなくてもこれからの選択肢が少なくなるなんてことはないと思うよ。それに人に決められたことで上手くいっても本当にやりたいのはこんなことじゃないなんて思ったら悲しいでしょ。」

 今日は寒いからまだ廊下にいるんだったら風邪ひかないようにねと言うとおばさんは部屋に向かって行った。俺の頭の中には専門学校という選択肢がうっすらと浮かび始めていた。


 ゴンドラがゆっくりと登っていく。あの日はどこを見ても赤と黄色。言葉にすればたった二色の色でも絵で表すにはこの二色は多すぎる。例えば一枚の葉っぱを選んだ時。見続けていれば分からないけれど、次の日には違う色に変わっているのかもしれない。葉っぱ自体が色を変えているのかもしれないし、空の色によって変わるのかもしれない。もちろんその空も同じ時は二度とない。

「何してるの?」

 振り返ると小さい男の子が声をかけてきた。

「お姉ちゃんね、絵を描いてるの。」

 私がゴンドラの描かれた絵を指さして男の子に答えた。

「ボクはあれに乗った?」

 今度は頭上のゴンドラを指さした。

「郁弥は怖くて乗れなかったな。」

 話しているところに男の子の父親が寄ってきた。

「ボクとパパのことこのゴンドラに乗せよっかな。ボクいくつ?」

「六歳!」

 その時、民宿の話をしたんだった。

 今朝はいつもより少し早く目が覚めた。夫は居間に行ったようだが、描いている途中の油絵を居間に持って行くわけにもいかないので私は自室の電気ストーブを着けた。今頃、夫は薪ストーブの前で小説を書いている頃だろう。薪ストーブは薪を焚べるのをやめれば火は消えてしまう。消えるのを待つだけなのか、その前にさらに薪を焚べるのか。それを選ぶのは使う人の権利だろう。

 私はこの冷たい空気が好きだ。スッと目を覚ますことができる。背筋を伸ばしてキャンパスを見つめる。昨日描いたところちょっと暗すぎかな?もう少し明るい色を重ねようかな。私は少し悩んだ後、絵の具に筆を伸ばした。今の私が選んだ色に。

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