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『煙の上の水』の作り出す音楽には、源流は同じものでも大きく分けて二つの嗜好性が存在する。一つはオーディエンスを集めたダンスパーティー。煙がDJであることの本質。シンセサイザーの電子音を操る奇術師。極々ありふれた大衆を喜び愉しませるエレクトリックダンスミュージックの恍惚感の提供、そしてそれを共有することにある。

 これは言うまでもなく、今現在、恭个たちの存する空間を支配する音と音の共鳴であり、その中に溺れて熱狂の渦を描く、ありふれたライブの光景に他ならない。

 もう一つのベクトル。常から恭个が愛聴するASMR/エーエスエムアール。直訳すると自律感覚絶頂反応、つまり音による官能的快感を誘発する催眠音声などが分類される一ジャンルだ。これまでの恭个の日課。就寝時に聴くことで入眠を容易にする。あるいは、音に引き出された潜在意識からの快感を肉体的に経験する、脳イキ=エクスタシー、性的な絶頂感を体感する目的で制作された催眠音楽のことだ。

 それはどのような音楽と言えるのか? それはどのように感じられることができるのか? これについては直観的経験にゆだねる他なく、体験者の感覚を言語化することは難しいだろう。とはいえ、要は音そのもの、音響効果、周波数、ビート、生理的な反応を示す深い暗示、これらを合わせて対象に想像を絶する快楽を与える、ということに尽きる。

 複雑な理論を排して考えればどちらも究極の処、音楽のもたらす官能的な快感を引き出す行為それそのものを愉しむことに変わりはない。そう、音楽は愉しめればそれで良いに決まっているのだから。難しいことを考える必要はない。

 梔子(くちなし)の香の焚かれたステージ内の空間は、強すぎる照明を効果的に聴衆の目に馴染ませるスモークの中に現れる。異国の風を孕む香りを燻らすスモークの白濁した空気は脳を酩酊させるような静謐さを演出しこれから繰り広げられるであろう饗宴へと向かう我々の胸の内に、ひしひし、とした震えるほどの興奮を萌す伏線である。

 秘められた胸の内を、己の自我を喰い破って露わにしろ! 号令を発するそれは『煙の上の水』を名乗る女。これより先は彼女の領域。そして、そこに君臨するディーヴァは渡会繭子。幻想と狂騒のステージが彼女の声と共に現出する。

 過去からの産声。様々な状況、環境、反応を想定して録音された繭子の声は、煙のサンプリングの技術で膨大な分岐を可能にしている。その声の操り手の技能はすでに魔術の領域で、催眠を誘導する話術に対応したパターンを幾つか作り込んで、密かにして大胆に聴衆の耳を介して脳に、意識を改ざんするプログラムを流し込んでいく。

 なるほど、煙が「あたしが〝ゲスト〟を見ているのさ」という言はこれを発端としていることが窺い知れる。

 繭子の声が淡々と抑揚なく語る。音声データとして圧縮された高濃度の魔性を秘めた人心を惑わせる魅了。

「もし声の抑揚を気持ちよく感じるのだとすると、当然それはあなたにとって心地の良いものなのでとてもリラックスできます」

 脳の均衡が、ぐらり、とねじ曲がる感覚。快速のビートを支える単調なリズムに曖昧に重なる声。ひどく耳触りのよい心地よさを伴って。春風に抱きあげられた赤子よりも軽い、身体の浮遊感。それらどれをとっても否定する材料はない。受け入れることがなによりも気持ちがいいから。しかし、恭个は警告する。

「すでに始まってます。近衛さん、あまり意識して聴き入っては駄目です。繭子さんの声であってこれはそうではない。拒否してください。反発するのです」

 言われるまでもなく近衛の表情に顕れている。ことの異常性。周囲に視線を巡らせれば明らかだった。他のどのゲストを見てもまざまざと現実と化している。まるでフィルム時代の映画に悪戯に無意味な絵を挟んで遊ぶサブリミナルのように、場は激変していた。

「リラックス状態の心地よさを感じてください。つまり、深く、深い海の底に身体が沈んでいく感覚がはっきりしてきます」

 さらに強い浮遊感。いや、この感覚は沈んでいるのか。ステージ上の照明が廻る。複雑なモザイク柄を選択し煙を中心に回っているようだ。ぐるぐる、ぐるぐる、吸い込まれていくような陶酔感。意識すると感覚が反転する。吐き出されていく。ぐるぐる、ぐるぐる、身体の拡張がはっきり感じられて外に外に、外界との境界線が拡がっていく。

 近衛の歯が、かちかち、と鳴る。震えているのだ。自分たち以外の人間から自発的な意識が剥奪されていく瞬間瞬間を目の当たりにして。繭子の声を恐ろしいものとして捉え始めているかもしれない。

「あなたは今、水中を羽ばたく鳥になっていることを知っています」

 ざざー、ざざー、という波の砕ける音が加わる。ノイズの一種だが、不快感はない。泡立つ、飛沫の一つ一つの、ぱちぱち、砕け散る発破音が増幅してピッチを上げて下げて、低音が膨れて鈍重に。テンポを落として空間の広がりを意識させる。

「海を飛ぶことは、なんと素晴らしいことです」

 ステージのスポットライトの内に幻影めいた女神の姿が可視化していく。本来ある形とは違う、煙と聴衆が崇拝する渡会繭子の姿だ。本来そんなものは存在しない。見ることもできない。しかし、軽いトランス状態ならば話は別。サンプリングされた声にあわせてローブに身を包んだ女神も動く。口を開く。美声が轟く。

 すべては幻聴幻。気のせいだ。だが、その〝気のせい〟というのが厄介な性質を持つ。この場合はそれが顕著に表れる。

「そして鳥の姿が海を飛ぶことを許して構いません。心地のいい海の流れを感じてその心地よさに翼を委ねて構いません」

 不可解は必然。より、意識の世界で瑕疵など存在しない。すべては感覚が受け取った現実。

 光、音、集団、誘導、香り、心理的に的確に、的を絞って(それは一人一人の持つ意識)

、共有、共感、享受する。快楽に従順な心を開いて、自我を超越する。与えられる快楽に抗うことは難しい。その思考。それは不要だ。考えるな。受け入れろ。すべては私だ。私はすべてだ。ならば、私の言うことはすべてが正しい。正しいことはすべて私が紡ぎ出す言葉だ。

 恭个の視界に繭子の姿が映り込む。純白の翼を広げた、絶世の旋律を奏でる人ならざるもの。妖鳥。あまりにも美しすぎる姿態は直視することを躊躇う。目を抉られる。貴賤を別つ視線は不敬にあたり処罰される。許しを請うことを勧める。やがて、こころは穏やかさを取り戻す。平穏。

 かちかちかち、

 平穏をぶち壊す。

 近衛の乱心ぶりが甚だおかしい。身を委ねれば楽になる音楽のなかで、恭个の忠告を守って反発しているからだ。彼女は正しい。恭个も近衛と同じに恐れ戦き、激しい震えの中を掻い潜って、それを続けながら、苦しい思いをして『煙の上の水』の音楽に抗わなくてはならない。

 強い女性だと、改めて認識する。尊敬にも似た想念が恭个の胸を打つ。この胸を衝く感覚を大切にしなくてはならない。

 そして、第六の暗示は与えられる。

「海を飛ぶ鳥に必要なすべては身に付きました」

 第七の暗示は、意識を解放する。

「この心地のいい海の流れにそって海を飛ぶ鳥の能力を、あなたは知り、経験し、受け入れた。これらの能力を知ることで、あなたは深いトランスに入る方法を知り、あなたはすでにトランス状態にあることを理解した」

 恭个は苦痛の中で足掻いた。やはり、普段から『煙の上の水』のASMRを聴いていたことが影響していることは解り切っていた。持っていかれそうになる意識を、催眠の技術と本来持つよりもはるかに強力な魔性を帯びた繭子の声による誘導に抗うのは生半可なことではない。この快楽を受け入れることが、どれほど容易なことか! あえて、心地よさを放棄して、己が意識を総動員して繭子と煙の音楽を拒絶し抗うことがこれほどまでに苦痛を伴うものだとは……。

 しかしと、恭个は唇を噛む。近衛に言ったことは本当だ。繭子を見つけ出す、と。

 カウントダウンの後、人は人の殻を破って本来あるべき形に還る。

「さあ、私が十数え下ろしたらそこはあなたの求める深い催眠の世界――」

 十、九、八、七、六、五、四、三、二、一、零。

 ようこそ催眠の世界へ。ここは快楽。色欲の支配する地獄。誰もかれもが抗う術を知らない極上の快感にのみ存在の許された、たった一つの地獄です。


 セックスにおいて親愛なる彼女が耳元で囁く妖しい誘いが、全身わななくほどの痺れを呼び起こすように。はたまた、恭个なりに真心こめた指使いを伊折に冷たく詰られる瞬間に襲われる淫らな興奮を。色事を解体分析する無粋さに目をつぶれば、その声というものは心地よいものとして受容される。乱暴な例えだったが、つまりラポール(相手の無意識に感情を用いて接続する信頼関係/親密な調和)を形成するということはその関係性に特別な愛情を生み出すということだ。

 ゆえに、音声催眠に声の性質を無視することは不可能ともいえる。

 催眠の技法である誘導と深化。これをセットで行うことでクライアントはより深い暗示の世界に没入できる。『煙の上の水』は単純な誘導のみで聴衆を狂わせた。

 繭子の神憑りの性質を持つ声なればこそ、深化の過程を省こうが尚、人間の理性を吹き飛ばすほどの尋常ならざる快感を与えることが可能なのかもしれない。そこにラポールという信頼関係が築けていなかったとしても……。魔性の女。渡会繭子の声はオーディエンスの精神をのっとり虜にする。

 勘違いしてはいけないのは単なる催眠程度で、これ程まで人格を変貌させることはあり得ないということだ。

「おかしいですってこんなこと!」

 獣性をむき出しにした聴衆の中、青ざめた顔色の近衛は恭个に縋る。

「おかしい? 確かにおかしいかもしれない。人間の肉体に閉じ込められた精神というものの本来あるべき形を解放されること。私たちは直観的にその感覚を知っているはずなのに現実ではそうはならない。ああ、おかしい。おかしいですよこんなこと。しかしですね。これは現実です。これが現実なんです」

「そんなことって……」

 この場合、恭个と近衛を冷静だったと見ることはできても、それが正常なことであることを誰が証明できるのだろう。幾千幾万の精神の営みを経て手に入れた優れた人間の肉体は文明を発展させ現実に豊かな生を謳歌した。それは正しいことだったのか? この時点で判断することは可能なのだろうか?

 恭个の問いは続く。

「不確かな意識を支える脳のリミッターを解除。いやいや、そもそも意識において制限なんてものは設けられていないはず。思い込まされているのは人間の作り出した社会がそうだから、という実に脆弱な概念化によってです。では、肉体という括りを排された存在にとってこれは基ある形なのか。答えはイエス。本質です。しかし、条件付きでその答えはノーだ」

「何が言いたいんです!」

 この期に及んで思弁的な問答を繰り返す恭个に苛立ちを隠せないだろう近衛は悲鳴を上げる。

「つまり、自我の超越で得た感覚であるなら私も認める。正直、催眠術は好みだ。とはいえ、一方的な施術に興味はない。それは悪行為。これ以上は人間の尊厳を弄ぶひどく俗悪な黒魔術ですよ」

 極論、この乱れ狂う聴衆に「死ね」と命令すれば全員何のためらいも抵抗もなくあっさりその命を自ら摘み取ってしまうだろう。

 それほどの霊性を妄(みだ)りに振りかざすことを許すほど恭个もお人よしではない。

「正しい反抗の仕方を知らない児戯にも劣る、餓鬼の所業です」

 それはうら若き葡萄踏みの処女に踏み潰される葡萄さながら。ゲストである聴衆の集団は恍惚とした快楽に蹂躙される。繭子の旋律と体の芯から震わすビートは遠い異国の女たちを幻想させる。葡萄踏みの少女たち。果汁を搾り取り、甘みとえぐみが調和する一本のワインに醸成する祭り。彼女ら処女は、ディアンドル姿で翻るスカートを摘まみ上げ、恥じらう仕草もまたそそる。跳ね散る血肉はエプロンを汚し、芳醇な体液の匂いに酔い乱れる。踏まれ心地は如何ほどか? 産毛も生えていない真白の脚が、じゅくじゅく、と葡萄の実を踏む、踏む、踏む。男も女も潰れる、溢れる、搾り尽くされる。処女が笑う。あどけない姿に似合わぬ簒奪者の悦びを得て。汗が出る、涙は止まらず、耳から髄液を零して、鼻汁と涎が顎を伝う。放心による失禁、前立腺を打ち抜く低音で射精、子宮を突き刺す高音による膣液の噴射、人間としての尊厳を奪う脱糞、皆みんな殺人的な音の濁流の圧力に、押し出される、押し出される。果肉に含まれる潤い総てが搾り取られる。

 これは一刹那の内に幻像した脳の錯覚。

 撹乱する照明の中に佇むマタドール。その闘牛士然と腕を掲げ、剣の代わりに白銀に輝くは煙の鋭い爪先。腕をしならせ、くねらせて。妖艶に。時に奔放に。死の舞踏を愉しむ。赤いムレータは彼女の音楽、翼が羽ばたくような魅了の力を宿した神秘の旋律。紙一重のせめぎ合いの勝利は確然している。煙の挑発的な眼光が客席を埋め尽くす亡者を認めて、爛々と、うっとりした絶頂の光に濡れる。

 歌ならば旋律をなぞる。歌詞などない。小鳥が囀るように。カナリアのハミング。それは豊穣にして奔放な生命力に溢れた喉の高鳴り。肺に含んだ空気を循環させる生命維持。生命(いのち)そのものを乗せて歌われる声。美の極致。人間賛歌。少なくとも、繭子が人間であると断言できるのならば。この場に集う煙のゲストたちがそうであるならば……。

 納得がいかないと? では、人間は殺し明快に讃歌とでも言いなおそう。

 耳に痛いはずの雑音は、繭子の美声とそれを支える軽快なビートに押し流されて、果たして、どこまでも深淵な深みの中で情欲を掻き立てるうねりを生み出して空間をどこまでも拡大していく。すべては『煙の上の水』の指揮する音の連なりによって。その幾重ものベールに包み隠したミステリの本質を垣間見せることで魅了する魔性として。

 蜘蛛の綾なす銀糸の如く、幾何的な秩序がもたらす音のフラクタルが心地いい。目には見えない音によってのみ引き起こされる官能的快感は先験的(以前の件、『ヌミノース』について思い出してほしい)であるがゆえに否応なく感応する。それは、神仏に触れた時、神霊に対する畏怖の念と同等の不可避の感覚であり、我々はそれを否応なく痛感する。しかし、それは恍惚。抗いがたい愉悦。原始的な手段を用いて手練手管で人を篭絡し、快楽地獄に引きずり込む。呑み込む。人類が築き上げてきた芸術の至高に位置する音楽のすばらしさをヘウレーカ! これを拍手喝采するは傲慢か? 敢えてこの場の流儀に添い遂げるなら、「頭イカレテヤガル!」それすらも包含する胎内こそ紛れもない『真理』。

 しかし、以上を恭个は拒絶する。絶世のプリマドンナとは認めよう。しかしだからといって、恭个が繭子の声を、煙の紡ぎ出す繊細かつ大胆なビートを快く思えないのは情景を俯瞰して見れば明確としていた。

 そこに存在しない歌い手を自在に操ることがいかに困難なことか、想像に難くない。繭子の声とは相反するかのような高速のビートにうまく馴染ませのせているのは一種の奇跡に他ならない。

〝bpm150〟のアレグロに駆け抜けるビートは脳髄で鼓動する。

 心臓が破裂しそうだった。魔性の娘の声を直にぶち込まれているわけだ。それは尋常ではない。

 恭个と近衛を残して、大勢の聴衆はすでに忘我状態に陥っているようだった。無理もない。耐性のほとんどない人間が麻薬以上の劇薬を注がれて正常でいられる方が異常だろう。強制的に発情させられて絶頂を伴う快感は男女問わず発汗、射精と失禁と潮吹きを強要し、身内に眠っていた獣性をむき出しにされる。それが人間であることなど、この際微塵も関係はない。

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