3-2


「言葉一つで男を篭絡し魅了する。無条件に略取する快楽と愉悦の極み。レトリックに拘るわけじゃない。事実そうあるのだから……」

「……まったく、何が言いたいのかさっぱり。そのまどろっこしい処は直した方がいいわね」

 環境が人を形作るのがきみの言い分なら、私は言葉という観念によって人を形作ると思うんだ、と付き合いの悪い相方をなじる目つきもどこか皮肉に歪む。その程度で怯む伊折ではないが。

「まあ、要するに……渡会に伝わる神憑りってやつには、男を意のままに操る力が宿っているのさ」

『渡会』の名乗りを上げてからすでに女系による支配は確立していた。この家には時として、稀なる血の中に気の触れる女が現れる。生まれつきと後天的、ありとあらゆる状況でそれは発現する。これを〝天女が天下った〟と謂い、その代の渡会の家の安寧は約束されたも同然となる。神憑りの巫女として祀り上げられた女の言葉は天啓であり、繁栄を伝える託宣として機能するからだ。

 しかし、メリットとデメリットは表裏一体だ。

 優れた力で富を生み出す反面、気質的に色を好むようになる。その言葉で男を縛り、取り込み、従え、奪う。これはある種の呪いなのだろう。如何に繁栄が約束されようと負の側面は渡会の家に災いを齎す。故に、その性質をうまく利用するための仕来りが生まれる。

 神憑りの力をうまく操れるとき、巫女は家の宝に相違ない。しかし、僅かな綻びで家のコントロール下から外れると待っているのは破滅。それは必死になろう。

 欲を理性で御し得るならば、永劫の栄華は守られる。とはいっても、呪いを押し留める仕来りとは如何なものとはいえ限りなく無理筋に聞こえる。

 どのような仕来りも時代が下るにつれ腐れ爛れ、いつしか醜い因習として伝わっていくものだ。

「仕来り=システムというわけだけど、聖なるものを祀ることほど困難なことはない。日本の神霊において善と悪は裏表の関係だからね。如何様にも変貌し得るのさ」

「抽象的な話ね」

「馬鹿言うなよ。怪異なんて突き詰めれば抽象的な話の集合だろ? もしくは、未だ解明されていない論理の結晶だ」

「それでもそこに……人は無理筋と考えながらも枠を作って操りたくなる、と」

「操る、というよりこの場合は実害を被らずにどのように接していくかの創意工夫の結果なんだと思う。共生っていうの? まあ、いまの時代の倫理観に当てはめれば容易に因習と謂れ忌み嫌われることとなるだろうけど」

「べつに、いまもその因習が行われているわけじゃないんでしょ。……いやよ、そんなカルトみたいなこと。依頼とはいえそういうのにはあまり関わって欲しくない」

「それは優しさとして受け取っておくよ。まあもちろん、古き仕来りだよ。法治国家日本舐めるなよって。こそこそしてればそこだけ目立つ。隠し立てするようなら余計に目立つ。あまり気持ちのいいものでないのは確かだし、廃れて当然だと思うけど」

「理性的な世界で行うにはリスキーでしかないか。でも、これってあなたの憶測なんでしょう」

「まあ、総合的に判断して。加澄子の話と渡会邸を目の当たりにすれば。後ほんの少しの教養で推測は可能だよ」

「一言こざかしいわね……」

「まったく! 自分でもこの性分は度し難い。……で、渡会家の因習を深掘りしたところで今回の件とは関係ないと思うし、余計なものに首突っ込んでメンタル傷付けられるのも嫌いだ。当に廃れたと考えられる因習についてはこれぐらいにしておこう」

 長く捲し立てた恭个は乾く咽喉を酒精で潤す。大部テンポが速い。伊折に合わせていくうち量は増えていく。醜態をさらし始める前に話はまとめておきたいけど、やはり、渡会家の事情は一筋縄ではいかない。

「繭子がその神憑りを発現させた時期は?」

 酒に酔えない伊折の勢いは衰えない。すでにワインのボトルに手が伸び優雅にテイスティングなどしている。恭个は干した杯にスコッチを注いで少しずつ舐めるように嗜む。酒のあてが不足しているのでクルミを取り出し、やっぱり脳みそみたいだな、と益体のない感想を漏らす。

「繭子のそれは割と最近発現させたようだよ」

 およそ二年ほど前、渡会繭子の性質が変貌したのだという。気持ちのいい話じゃないから覚悟してね。恭个は、ちろり、と唇を舐める。アルコールと塩気の混ざった味が舌先に広がっていった。


「繭子は元々歌が得意だったって言う。声楽科のある学校に籍を置いていたようだ。将来は歌姫だなんて持て囃されていたかもしれないね」

 失踪した繭子の写真は加澄子から預かっていた。当時、十六歳の丸みのあるあどけない少女が成熟した女性へと変わりつつある姿。羽化寸前の蝶のように、絶世の美女なんて単純な評価では表しきれない神聖な美を垣間見せながら庇護欲をそそる不器用な笑顔がそこにはあった。今写真は恭个のジャケットの内ポケットに収まっている。伊折が強く望めば見せることになるだろうが、彼女から催促されることはなかった。見せずに済むならそれがいい、と恭个は敢えてこちらから捜索人の素顔を晒さなかった。

「声は渡会の家の神憑りのポイントでもある。その頃から段々と繭子の遊びが派手なものになり始めていた。単純に異性に言い寄られることも多かっただろう。しかし、渡会の名はそれを見逃してはくれない。いまでこそ政略結婚なんて古臭い現実もないだろうけど、やはりそこは、由緒ある家柄同士で結びつくのが妥当なんじゃないかな」

「遊びだったのでしょ。強く家が出る必要なんてないじゃない? 女だからって言うなら実に下らないわね」

 険のある目に晒されると些か怯んでしまうのは仕方がない。それ相応の説得力ある絶対性のようなものが伊折には宿っている。ぞくぞくと鳥肌を伴いながら襲いくるそれらに触れるにつれ恭个の内では言い知れない悦びが発露する。気取られないように注意深く呼吸を正すのにも慣れた。

「まあ、火遊び程度なら加澄子も放っておいただろうさ」

「行き過ぎていた、てことかしら?」

「正しく、そこが問題だった。暴露されたくない事実が多すぎる。当時の繭子はスキャンダルが裸で歩き回ってるも同然だったのさ」

 加澄子が無条件に警察を嫌う理由も解らなくはない。放蕩淫蕩の限りを尽くす。その娘の捜索を依頼して、要らぬ疑いを掘り返されるのは好ましくない。加澄子は静かに生きていきたいはずと思える。

「火遊びなんてレベルじゃなかったんだよ。家の力で事実をもみ消すのにも限界だったらしい。深くは話してはもらえなかったけど、あの表情からは容易に想像されるね」

「口に出さずとも、暗に仄めかしていたのでしょうね。恭个でも理解できるように」

「手厳しいなあ、伊折は……」

 乱交まがいのパーティなど日常茶飯事で、目をかけた男なら無条件に従えていた。これだけ目立てば周囲から好奇の目が向くのが自然だが、そこが尋常じゃない。声による魅了はわずかながら女性にも作用した。そこに生じるはずだった軋轢はほぼ皆無、同性異性を問わず嫉妬や嫌悪の感情が繭子を害することはなかった。とは言っても、そこで行われた――近衛はサバトと口を滑らせていたが――淫行の事実は残る。苦慮した結果、繭子は自宅軟禁を余儀なくされた。寝室に鍵を取り付けられたのもこの時期らしい。学校も辞めざるを得なかった。実質、繭子の将来はここで途絶えたといっていい。

「それだけ聞くと同情はできないわね」

「同情云々の話では済まされないさ。現状況を作り出すにはもう一つ強烈なのが残ってる。もうね、ここまで来ると加澄子が言っていた異常な気質というものが生々しい。ぶっちゃけ繭子を見つけ出すことに何か意味はあるのか疑問に感じてくるさ」

 今回の捜索依頼を遂げたところで根本的な解決にはならない。生き地獄があるなら、放っておいてもいいのではないかとすら思える。

「同情って、ベースの部分が共通するから成立する感情の問題なんだよね」

 この声量は小さい。恭个自らに問いかける程度の戯言だ。酒気の熱で包み込んで食道に流し込んでしまえば、泡と消える。

「邸宅に軟禁された繭子が、原因で……あまり想像したくないわね」

「目も覆いたくなるってものさ。自宅に連れ帰った娘は今度は、邸宅内の使用人を喰い荒らしたはずなんだから」

「もっと、言い方ってものがあるでしょう」

「事実だからね。ここで私が配慮したって現実は変わらないはずさ」

「それで、邸宅内から男の姿が消えた、か。父の一臣が首を吊っていたというのは?」

「どうだろう……繭子に直接関係があるのか、別の問題を抱えていたのか。推測でしかないけど、やはり、元凶は繭子にあったのかもしれない」

 加澄子が夫であった一臣に言及したときのあの顔は表現しにくい。言葉の影に隠れ潜む僅かな感情を読み取る限り、許し難い存在がそこに居たのでは? と脳裏にちらつく。恭个の洞察力で伺えたのはその程度だ。続く繭子の誘拐を疑わない理由において、加澄子の淡々とした響きを思わせる声は忘れることができない。二つを繋げて考えれば、ある可能性が閃くものの、その悍ましさには思わず胃液が込み上げてくるような胸苦しさを覚えた。

「結論から言うと――」

 夕食当初の伊折の疑問に立ち返り、恭个ははっきりと言い遂げた。

「繭子は、一臣氏の自死と時期を同じくして事故にあっている。その事故の結果、彼女は両手足を失うことになった」

 伊折の傾けていたグラスが大きく揺らいだ。

「それって四肢を欠損した、てこと?」

「そうだ。そしてそれが故に、繭子が一人邸宅を抜け出して姿を眩ますなど到底不可能なんだ」

 四肢欠損の神憑りの巫女。

 奇しくも過去の因習をなぞる形にまで発展するとはこの時ばかりは加澄子にも想像できなかったはずだ。

 あくまで恭个の主観的な推測ではある。しかし、神憑りの性質と奥座敷なるものの存在から、莫大な土地の所有を可能にした背景を考察すると、渡会家に伝わる因習とやらが確たるビジョンとして目に映ってくる。現代に甦ってきてはいけなかった。業の深い闇を覗き見るに、そう思わざる以外はなかった。

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