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 三、現実的な解答は? 食卓に添える謎


 遅い帰宅である。腹が膨れるのなら手っ取り早い方がいい。とはいえ、それがインスタントヌードルではあまりに様にならない。

「人間を形作るのは環境なんだから」

 伊折に言わせれば、気取りすぎる必要はないけど最低限度の様式には拘った方がいいらしい。西洋的な家屋の黒を基調にした幽霊が言うのだから、妙に説得力がある。

 食卓に供された料理を眺めて、ならばと恭个は即興でカクテルを振舞う。ジンをベースにした切れのある口当たりは、濃い味付けの食事によく合うはずだ。

「よし、アラスカだ」

「ふーん、綺麗ね。これを選択した心は?」

「? そうだね……〝偽らざる言葉〟ってところかな」

「あら、面白いじゃない」

 まあ、所詮は素人の見様見真似。アラスカ風、とでもしておいた方が良さそうだが、存外うまく仕上がった。強い酒が欲しかった。食事中に交わされる会話の雰囲気も考慮して。

 なにより、酒好きの幽霊という変わり者に。疲れた頭を解きほぐしたい自分の為に。

「可能な限り現実的な解答を求めて」

 渡会邸の謎に迫る遅いディナーの始まりを合図した。

 ぐつぐつ、と煮える海老と茸のアヒージョの香りに反応した胃袋が胃液を巡らせはじめる。軽くオーブンしたバゲットに絡めて……想像すると唾液が零れ落ちそうだ。薄くスライスされたサラミはチーズを重ねて、ピザのような愉しみ方を。塩気の強いサラミにシンプルにモッツァレラ。癖がないチーズとの相性は、チーズを苦手とする恭个の食指も伸びた。後はオニオンサラダでもあれば尚よかったのだが、生憎、野菜は切らしていた。

 料理に一通り口を通した後、伊折は待っていたとばかりに口火を切った。すでに二杯目のアラスカを作りながら恭个は応える姿勢に入った。

「そもそも、何故誘拐だと断言できるのかしら?」

 振るった酒に満足げに頷きながらも伊折の目には疑いの感情が色濃く表れていた。

「断定的なのは私も疑問に感じたよ。それじゃあ、順番に話していこうか」

 もったいぶる風でもないにしても、恭个の話はゆったりとしたものだった。彼女の中でも整理のつかない部分が多いようで、それらを整理しながら話しているのだろう。

「渡会家は加澄子を現当主とし、この町の不動産のほぼ総てを握っている大地主。資産家というやつだろうか。その辺りは基本中の基本で、わざわざ役所に問い合わせる必要のないほど厳然とした事実だ」

「この家の賃貸人からして渡会家だった、とは恭个も言っていたわね」

 如何にも幽霊屋敷然とした事故物件だ。恭个にしても登記簿など気になる点は押さえている訳だ。特別興味を引くことは明らかにはならなかったが、兎に角、馬鹿みたいな話だけど〝櫻見町に住む〟ということは間接的に渡会家の人間とかかわりを持つことを意味する。勿論、直接の面識を得ることは稀なことではあるが。

「渡会家は加澄子、その母の清美子、娘の繭子の三名。使用人は常時住み込みで働く近衛静と、平日のみ住み込みで働くほか三名がいる。正門の警備と邸宅敷地内の管理を任されている狩野老夫婦は守衛小屋で生活をしている。以上の九名が邸宅内に直接かかわっている人間だ」

 補足として、加澄子の父、繭子の祖父にあたる人物は他界。夫の一臣は首吊り自殺を遂げている。繭子は独り身で離れに隔離されている。使用人筆頭の近衛静以外の三名の女性は月曜の朝8時に邸宅入りし、金曜の夜20時に邸宅から出る。送迎は狩野十文(かりの じゅうもん)が行っている。邸宅の場所がら毎日送迎をしているようでは何かと不便である、というのが、以上の業務体制を採用している理由らしい。

「男を寄せ付けないらしいけど、狩野老人はどうなの?」

「彼は、敷地内の管理やなんかを義務付けられているようだけど、邸宅に近い場所での作業は奥さんのカヨに任されている。まあ、門の管理だけでも重要な仕事でしょ。それに、狩野老父本人が嘘をついていないという前提でいうなら、彼は繭子を直接目にしたことすらないらしいぜ」

「男子禁制は徹底されているってことね……繭子の神憑りっていうの? それが理由なんでしょ? 私には理解できそうもないけど」

 伊折は難しい顔をして酒を干す。すぐさま追加を用意する恭个は甲斐甲斐しいけど、どこか尻に敷かれている風で、滑稽な様と捉えられなくもない。それ自体は何ら問題でもない。普段の光景とあまり変わりないからだ。それとは別の側面が恭个の心理を映し出す。伊折に悟られまいとして、その背中に隠した哀愁じみた気配を。ただ彼女に心酔しているだけではないらしい。あるいは、渡会邸での出来事で伊折に対して思うところが生まれたのかもしれない。単純に、彼女のことを好いているだけなら今まで通りの恭个を演じていたはずだから。

「おいおい、神秘の張本人でもある伊折がそれを否定するか? それこそ私には理解できないね」

 言った恭个につい先ほどまでの気配はすでにない。細い指で摘まんだサラミに火を当てている。指先から着火したそれはとろとろ揺らめき甘いチーズを溶かしていく。程よいタイミングで口にして、旨そうに酒も呷った。

 やがて、にやにやしながら掌の炎を掻き消す。

「その神憑りの性質が繭子を中心にして、現在の渡会邸のシステムを作り上げているのさ」

「それは……」

 伊折が口を挟むより早く、矢継ぎ早に吐き出す。

「それは〝男を魅了する〟妖艶な天使の所業さ――」

 天使とは如何にして産まれ出た言葉か。恭个の無意識にあの強烈な妖鳥の姿がちらつく。蔑み、慈愛、どうとでも受け取れる総てを包括する微笑みによって。


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